フルーツポンチの村上健志さんが、さまざまな句会にゲスト参加して腕を磨く「フルポン村上の俳句修行~わかったつもりでごめんなさい~」。2018年10月の連載開始から1年を迎えるのを記念して、作句ではなく「選句」を修行しようと、みなさんからTwitterで俳句を募集することになりました。村上さんが、俳句の経験に関係なく「ラッキーパンチのような句も集まるように」と決めたテーマは「上半身の一部」を句の中に入れること。ひじや鎖骨、内臓、顔のパーツなどどこでもいいのですが、上半身限定なので「膝」を使った句はご遠慮ください。 ご応募いただいた俳句は村上さん自身が選句し、「天・地・人」の3賞を決定して連載内の記事で発表します。経験者も未経験者も、若者もご年配も大歓迎ですので、ご家族でふるってご参加ください! 投句方法 好書好日の公式Twitterアカウント「@BOOK_asahi_com」をフォローし、ハッ
鈴木 六林男(すずき むりお、1919年9月28日 - 2004年12月12日)は、俳人。本名・次郎。 山口高等商業学校(現・山口大学)中退。初学時代は「串柿」に投句し、永田耕衣、加藤滋の選を受ける。学生時代に同人誌「螺線」を創刊、「蠍座」「京大俳句」「自鳴鐘」に関わり西東三鬼に師事、新興俳句運動に参加した。 1940年応召、中国大陸、フィリピン諸島を転々とし、1942年、バターン・コレヒドール戦での負傷により帰還、退院後に除隊。戦後に商業学校にもどり中退。「青天」「雷光」「夜盗派」「梟」「風」「頂点」などに関わり、社会性俳句の中心作家として注目を受ける。1971年、「花曜」を創刊・主宰。季を無季の地続きにあるものとして捉え、戦後も戦争句・無季句を詠み続けた。代表句に「遺品あり岩波文庫「阿部一族」」(1949年作)など。 1957年第6回現代俳句協会賞、1995年第29回蛇笏賞(句集『雨の
(上)室生犀星の生誕130周年で、犀星の詩に新曲をつけた谷川賢作さん=東京・杉並区の自宅スタジオで(下)共演の原田節さん 室生犀星の生誕百三十年を記念し、ピアニスト谷川賢作さんが新たに三編の犀星詩に曲をつけ、十月十二日に金沢市の金沢21世紀美術館シアター21で開く記念コンサートで披露する。ミステリアスな音色を奏でる電子楽器オンド・マルトノの演奏と独特の歌い方でボーカルを務める原田節さんとの共演。ひと味違う犀星の詩世界が聞けそうだ。
大坂の漢詩を語る上で外せないのが『大阪繁昌詩』である。肥田皓三先生による『日本古典文学大辞典』の項を引用しよう。 大阪繁昌詩 三巻三冊。漢詩。田中金峰作。文久三年頃刊。大阪の名所旧蹟・四季行事・物産名物を詠じた漢詩一三〇首を収める。一首ごとに詩話を添え、地誌と考証随筆をかねた内容になっている。「大阪繁昌之図」と題する松川半山画の大阪鳥瞰図が巻頭にある。作者(名楽美、字君安、通称右馬三郎)は幼児より記憶力にすぐれ、十歳で既に詩を作った。生来多病、文久二年六月二十八日に僅か十九歳で没した。本書は作者が十六、七歳の時に作ったもので、没後ただちに父田中華城によって刊行された。天才少年の遺吟として、俄然世にもてはやされ、ひろく流布した。父華城が本書の後を受けて『大阪繁昌詩後編』を著し、慶応二年に続刊した。 大坂の漢詩を読むという看板を掲げているからには、『大阪繁昌詩』の漢詩はぜひ取り上げたいところで
1956年 皆吉 爽雨(みなよし そうう、1902年2月7日 - 1983年6月29日)は、福井県出身の俳人。本名・大太郎。福井市上宝永町に生まれ、丸岡町、三国町に育つ。福井中学校(現福井県立藤島高等学校)卒業。1919年、住友電気工業に入社。「ホトトギス」に投句し高浜虚子に師事する。1922年、「山茶花」創刊に参加。1936年、「山茶花」選者。1945年に上京、1946年に「雪解」を創刊・主宰。1967年、句集『三露』などの功績より第1回蛇笏賞受賞。1979年、勲四等旭日小綬章受章。俳人協会副会長を務めた。 孫の皆吉司は俳人、画家。 雪解 句集 山茶花発行所 1938 山茶花叢書 寒林 三省堂 1940 俳苑叢刊 花鳥開眼 山茶花発行所 1942 山茶花叢書 句ごころ さかの書房 1948 互選句集 松本たかし共著 かに書房 1948 かに俳句選書 雁列 長谷川書房 1955 句作一路
2019年8月、みずのわ出版から刊行された矢向季子、隼橋登美子、冬澤弦の詩集。編集は季村敏夫。装幀は林哲夫。 上梓のきっかけは、一冊の同人誌と映画との出会いだった。小林武雄編集の『噩神(がくしん)』創刊号で矢向季子を知った。身震いした。映画は、日本統治下の台南の詩人を描く『日曜日の散歩者』(黄亞歴監督)。台湾を襲った地震の映像のあと、同人誌『神戸詩人』が迫ってきた。西脇順三郎らの『馥郁タル火夫ヨ』から引用があり、明るさの戻った部屋で茫然としていた。「現実の世界は脳髄にすぎない」「詩は脳髄を燃焼せしむるものである。こゝに火花として又は火力としての詩がある」、わたしはあらためて、戦時下の詩をたどりはじめていた。 同人誌と映画との遭遇が、次から次へと出会いを導いてくれた。平坦ではなかったが、みえない数珠のつながる道のり、促されるまま従った。 (「はじめに/季村敏夫」より) 目次 矢向季子詩集抄
はし書 小生芭蕉硏究のため、世に芭蕉の句と稱するものを集むること久く候處、此程にいたり凡そ千四百三十句計を得申候。しかるにこれを詳く調査いたし候處、信憑すべしと思ふ書にのせたるものにして、先輩客人門人の句の混入し居るもの夥く、且つ顯然たる僞作のものもすくなからず、これ等を悉く精査し、孰別するは、中々一朝一夕のよくするところに無之候。今最も甚だしきものを除き、精確なるものと、やや信憑するに足るものとを集めて、一千三百二十七句を類題といたし、本書を得申候。句數はこれにても『一葉集』などより大凡二百五十句も多かるべく候。若し諸君のこの中より、誤入僞作等を發見し給ふあらば、御手數恐れ入候へども、小生迄御一報被下度顯上候。小生目下全句の年次に從ひて編集硏究いたし居り申候間、ことに諸君のご敎示あふぎ度奉存候。 明治三十六年四月二十九日雨寒くして八重櫻の悲しげにこぼるゝ庭に對して
1947年12月、日本讀書組合から刊行された近代詩アンソロジー。編集は神保光太郎と中島健蔵。題字、装画は武者小路実篤。 目次 凡例 序-近代日本詩の道- 神保光太郞 一 雙蝶のわかれ 北村透谷 二 秋の入日 國木田獨歩 三 扣鈕 森鷗外 四 初戀 島崎藤村 五 六人の處女 おえふ 島崎藤村 六 六人の處女 おきぬ 島崎藤村 七 六人の處女 おさよ 島崎藤村 八 六人の處女 おくめ 島崎藤村 九 六人の處女 おつた 島崎藤村 十 六人の處女 おきく 島崎藤村 十一 潮音 島崎藤村 十二 千曲川旅情の歌 島崎藤村 十三 椰子の實 島崎藤村 十四 落葉(ポオル・ヹルレエヌ) 上田敏 十五 山のあなた(カアル・ブッセ) 上田敏 十六 髮(レミ・ドゥ・グルモン) 上田敏 十七 誠之助の死 與謝野寬 十八 荒城の月 土井晩翠 十九 おほいなる手のかげ 土井晩翠 二十 内裡雛 河井醉茗 二十一 山の歡喜
■「安達太郎」の意味のみ記載があったもの 〇『季語季題よみかた辞典』(日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ)P142 「積乱雲の地方称。」 〇『季節のことば辞典 四季別・50音順』(復本 一郎/監修 柏書房)P110 「積乱雲の一種で、山の峰のようにそびえ立ったものの異称。入道雲。」 〇『絶滅寸前季語辞典』(夏井 いつき/編 東京堂出版)P79 「「雲の峰」の副題。積乱雲の異名。…ほかにも「坂東太郎・丹波太郎・比古太郎・信濃太郎・石見太郎」のお歴々が勢揃いしていらっしゃる…」 〇『カラー図説 日本大歳時記』(講談社)P436「雲の峰」 「…地方によって固有な名称がついている。武蔵地方の坂東太郎、大阪地方の丹波太郎、九州の比古太郎、その他信濃太郎・石見太郎・安達太郎などである。」 〇『俳句の中の気象学』(安井 春雄/著 講談社)P124 「日本の雷の多発地域は北関東、これを坂東太
近頃は木の幹よりもこういう場所で抜け殻を見かけることが増えているような気がする。記憶違いかもしれないが、場所が変わっただけではなくずいぶん低い場所になってしまったような気も。羽化する高さにどんな意味があるのか/ないのかは知らない。安全を考えれば、捕食性の地上動物の射程から離れ、鳥たちの視界を遮る葉の茂った木の上部のほうがいいように思えるが、木以外では登りにくいということだろうか。それとも地上の動物たちが減った結果、高く登らない個体のほうが余計なエネルギー消費がなくて生存に有利だとか何とかでより多く生き延びるようになったとか? そもそも、実家界隈の蝉たちの種類もずいぶん様変わりしている。今を去ることざっと40年位前までであれば、この時期の蟬といえばまずニイニイゼミと相場は決まっていた。本当はアブラゼミやクマゼミを捕まえたいと思っていても、実際に捕まるのはニイニイゼミばかり。ところが今や子供時
Online ISSN : 1884-782X Print ISSN : 0387-2815 ISSN-L : 0387-2815
帰途 言葉なんかおぼえるんじゃなかった 言葉のない世界 意味が意味にならない世界に生きてたら どんなによかったか あなたが美しい言葉に復讐されても そいつは ぼくとは無関係だ きみが静かな意味に血を流したところで そいつも無関係だ あなたのやさしい眼のなかにある涙 きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦 ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか きみの一滴の血に この世界の夕暮れの ふるえるような夕焼けのひびきがあるか 言葉なんかおぼえるんじゃなかった 日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる
木下闇(木の下闇)1 101句. 須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇 芭蕉. 青葉闇 木下闇(木の下闇) 下闇. 作品. 作者. 掲載誌. 掲載年月. 会はざれば不安な広さ木下闇, 山田弘子, 春節 ...
これ、一部の芸人さんが漫才やコントのネタをひねり出すときによく使われる手法で、無関係な言葉のギャップから醸し出される違和感や意外感で興味や注目を引き出すという。 新書のタイトルも芸人ネタの手法を取り入れてインパクト勝負になっているな。 https://t.co/GqmUYrACHP — unsʇo ıɯnɟɐsɐɯ (@otsune) June 20, 2019 およそ工学という言葉と釣り合わない単語の後ろに工学と付けるのは鬼門ということか>教育工学 恋愛工学というひどいのもあったよなあ。https://t.co/2lrvztKykm — 松浦晋也 (@ShinyaMatsuura) June 20, 2019 今朝(というか昼か\(^o^)/)、我がTLを流れて来たtweets。 《遠いものの連結》という西脇順三郎の詩の要諦を語る言葉、《手術台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように私
詩人であり、作家であり、また批評家でもあった清岡卓行さんが、去る6月3日に亡くなった。清岡さんのお宅は私の家と文字通り指呼の間にあり、隣人としてのおつきあいがあった。私の記憶のなかに生きている清岡さんのことを書き記しておくのは、隣人の責務だと考える。 ある日、といってもすでに数十年も過去のことであるが、家の近くの西武遊園地駅のホームで電車を待っていると、そのころ法政大学で教えていた清岡さんが悠然と現れた。そしていきなり、「石田幹之助の『長安の春』を読みましたか」ときかれた。清岡さんは突然に思いもかけないような質問をしてくる人であった。最初にお宅に伺ったときに、清岡さんに「あなたは形而上学をどう思いますか」と質問されたのを覚えている。清岡さんは『長安の春』のなかに、牡丹の花のなかに菩薩が存在するという中国人の詩的な想像力のことが書かれていると教えてくれた。そういう話をするとき、清岡さんは非常
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