俺は男だけどさ、自分で言ってて恥ずかしくならねぇか。 なにも1000万2000万稼げなんて言ってるわけじゃああるめぇし 最低限の収入は欲しいと言ってるだけなのに、こんなことを言い出す
国会の自民党労働部会で、勤務先が完全禁煙でない場合、がん患者が働く場所を選べないことを訴えた議員に対し、心ないヤジが飛んだと話題になっている。ヤジを飛ばした議員は発言を謝罪したようだが、がん患者はそんな事業所で無理して働かなくてもいいという主旨だったと釈明し、また炎上している。 1985(昭和60)年、秋本治の人気連載マンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(こち亀、単行本第34巻)の中で、それまでヘビースモーカーだった主人公の両さん(両津勘吉)が高らかに「禁煙宣言」をした。その2年後の1987(昭和62)年10月、厚生省(当時)がいわゆる『たばこ白書』を出し、国と政府は喫煙や受動喫煙の健康被害を正式に認める。 30年以上経っても変わらない日本それ以来、約30年以上経つが、こうした発言を耳にすると、タバコによる健康被害への無理解は当時と比べ、いっこうに解消されていないように思える。 「国民の
Furchtlos bleibt aber, so er es muss, der Mann Einsam vor Gott, es schützet die Einfalt ihn, 私にとって『この世界の片隅に』は受け入れがたい映画であった。一言で言えば「男がいない」映画だということだ。とりわけヒロインの夫、海軍勤務の文官・北條周作の影が極めて薄い。インテリである彼は当時の高等教育の教養と仕事による戦況に関する情報を持っているだろうに。そうした話題は出てこない。妻との間でもそうした話はしない。妻をまともなパートナーとして扱っていないということだ。 また周作はクロソウスキー流「歓待の掟」の実践者でもある(当時は死地へ向かう男に対して、そうしたことがあったらしい)。本作品の肯定論者はここをスルーしてるのはなぜだろうか? 『この世界の片隅に』の3P(未遂)エピソードは、ホモソーシャル共同体の
id:macska氏のツイートひとつに対する反発のみをまとめたTogetterがあった。 エミコヤマ氏「マジョリティをいくら罵倒してもそれは差別ではない」 - Togetter たとえるなら、「頭部をいくら殴打してもそれは強姦ではない」という主張に対して、暴行を正当化していると反発するかのような内容だ。それを反発者のひとりid:ryoFC氏が自分でまとめている。 すでにmacska氏は反応への回答となるツイートを複数おこなっているが、なぜかTogetterにはひとつもまとめられていない。 ryoFC氏への直接的な回答もされているのだが、あたかもmacska氏がまだ回答していないかのようにryoFC氏はまとめている。 そんな上記Togetterも頭が痛いが、はてなブックマークで読解をこばむコメントの多さも暗澹となる。 一例として、id:locust0138氏のコメントをとりあげる。 はてなブ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く