「アカン。この人、ハンパないわ――」

 学生時代にアメリカンフットボールに打ち込んでいた頃、富士通フロンティアーズというチームの練習に参加させてもらったことがあった。フロンティアーズと言えば、日本一に何度も輝いた社会人リーグの強豪で、当時も多くのアスリートが所属していた。

「高校時代は3番手ピッチャーだったんだよ」

 中でも衝撃を受けたのは、植木大輔という日本代表選手の動きだった。

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富士通フロンティアーズ時代の植木大輔さん ©AFLO

 身体は決して大きくはない。だが、スピードもパワーも異次元。何より驚かされたのは全身がバネの塊のような瞬発力だった。「こういう人が日の丸を背負うんだなぁ」と妙に納得した記憶がある。

 だが、そんな身体能力のインパクト以上に驚いたのが、練習後の雑談で彼が漏らしたこんな一言だった。

「高校時代は野球をやっていたんだけど、3番手ピッチャーだったんだよ。甲子園までは行けたんだけど、1回もマウンドには立てなかったなぁ」

「ウソだろ」と思った。

 これだけの能力のある人でも試合に出ることすらできないなんて――。「高校野球」という世界には、どんな化け物がいるんだろうか?

甲子園の土を踏めるのはほんの十数人

「僕の時代の近江高校野球部は、部員も100人以上いましたからね。1番手、2番手の投手は各プロ球団も注目の選手でしたから、レギュラー争いは厳しかったですよ」

2006年の決勝は、駒大苫小牧対早稲田実業の対戦だった ©共同通信社

 今、38歳になった植木は、自身の高校時代をそう振り返る。

 滋賀県出身の植木は、中学時代は軟式野球に打ち込んだ。だが、チームは市大会で敗れるレベルで、野球は高校では続けるつもりはなかったのだという。

「最初は高校へ行かずにボクシングで世界チャンピオンを目指すつもりだったんです(笑)。でも、いろいろあってそれが頓挫して、たまたま近江高校に入学した。最初の1カ月は帰宅部だったんですけど、当時の野球部の監督やクラスメイトが経歴を知って声をかけてくれて」

 当初はその部員の多さや、先輩たちの身体能力の高さに驚いたという。近江高校は、今年の夏の甲子園(100回記念大会)にも出場し、1回戦で優勝候補の一角とされていた智弁和歌山から勝利を挙げている。

「常連校と言っても、甲子園の土を踏めるのはほんの十数人。1年生だった1996年にチームが出場した夏の甲子園で運よくボールボーイをやらせてもらって、それで球場の雰囲気を感じて一気にやる気に火がついた感じでした」