藤岡信勝氏の著作「教科書が教えない歴史」を見事に喝破するところは、痛快。
高橋源一郎さんのような人こそ、本当にこの国のことを憂いているのだと思う。
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文学なんかこわくない 単行本 – 1998/10/1
高橋 源一郎
(著)
- 本の長さ230ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日1998/10/1
- ISBN-104022572981
- ISBN-13978-4022572981
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「オウム」「教科書が教えない歴史」「失楽園」「酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文」…。文学探偵タカハシさんが「現代・日本・文学」を徹底推理する入魂の文学論。
登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (1998/10/1)
- 発売日 : 1998/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 230ページ
- ISBN-10 : 4022572981
- ISBN-13 : 978-4022572981
- Amazon 売れ筋ランキング: - 727,976位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,689位近現代日本のエッセー・随筆
- - 70,024位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1951年、広島県生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長編小説賞優秀作を受賞しデビュー。88年、『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞、02年、『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞を受賞。著書に『いつかソウル・トレインに乗る日まで』『一億三千万人のための小説教室』『ニッポンの小説―百年の孤独』他多数ある。10年5月には、『「悪」と戦う』も刊行された。
カスタマーレビュー
星5つ中4.1つ
5つのうち4.1つ
9グローバルレーティング
- 星5つ星4つ星3つ星2つ星1つ星5つ46%19%36%0%0%46%
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2007年9月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なんだろこれ。
ジャンルで言えば「エッセイ」なんだろうか? 「評論」なんだろうか?
高橋源一郎って人は本当に「文学」、「小説」が大好きなんだなって。
そして常に「文学」、「小説」の可能性を思考している。
そして僕はこの本を読んで、いや、僕「も」、文学の可能性について考えるようになった。
ちょっと古いけど、渡辺淳一の『失楽園』ってこんなクソみたいな文章だったんだって気付かされました。 まぁそこには狙いがあるって読みをタカハシさんはしているみたいですが。
その部分だけでも面白いんで是非。
と思ったら、AVについてまじめに語り始めるタカハシさん。
『ゴダールは、「ポルノ映画は保守的だ」と言った。』
この意味がわかりますか?
そして非常に印象的だったのが、最後の2章である「文学の向う側'T・'U」。
ちょっと長いけど以下引用。
それぞれの言葉は、それぞれの言葉を作りだした人間の世界の中で丁寧に吟味され、矛盾のないよう選ばれる。だから、それぞれの言葉を使うものはどちらも自分の正しさを疑わない。そしていつかそれが「言葉が作りだした空間の中での正しさ」ではなく、単なる「正しさ」であるように思いこむ。
それは言葉の持つ本質的な政治性である。
ではその「政治」性とは何なのだろう。
タカハシさんの好きなある作家は「政治」の本質は次の一行で言い表せると書いた。
「やつは敵だ。殺せ!」と。
それは言い換えるなら、「わたしは正しい。やつは間違っている」ということだ。そして「戦争」とは「政治」のとる最後の形態なのである。
そう、「戦争」は言葉の中にその根拠を持つのである。
=略=
「政治」の本質が「わたしは正しい、やつは間違っている」なら、「わたしは正しい」と訴える「文学」はすでに「政治」に冒されているのである。
そして「わたしは正しい」と主張する「文学」は「政治」であるが故に、ついにこの世界の「基底」にはなりえないのだ。
では、世界の「基底」に成り得る、世界を成り立たせることのできる「文学」とは何なのか。
ここまで来て、ようやくわたしたちは最後の問いにたどり着くのである。
引用終り
タカハシさんの思考はまだまだ終らないのです。
ジャンルで言えば「エッセイ」なんだろうか? 「評論」なんだろうか?
高橋源一郎って人は本当に「文学」、「小説」が大好きなんだなって。
そして常に「文学」、「小説」の可能性を思考している。
そして僕はこの本を読んで、いや、僕「も」、文学の可能性について考えるようになった。
ちょっと古いけど、渡辺淳一の『失楽園』ってこんなクソみたいな文章だったんだって気付かされました。 まぁそこには狙いがあるって読みをタカハシさんはしているみたいですが。
その部分だけでも面白いんで是非。
と思ったら、AVについてまじめに語り始めるタカハシさん。
『ゴダールは、「ポルノ映画は保守的だ」と言った。』
この意味がわかりますか?
そして非常に印象的だったのが、最後の2章である「文学の向う側'T・'U」。
ちょっと長いけど以下引用。
それぞれの言葉は、それぞれの言葉を作りだした人間の世界の中で丁寧に吟味され、矛盾のないよう選ばれる。だから、それぞれの言葉を使うものはどちらも自分の正しさを疑わない。そしていつかそれが「言葉が作りだした空間の中での正しさ」ではなく、単なる「正しさ」であるように思いこむ。
それは言葉の持つ本質的な政治性である。
ではその「政治」性とは何なのだろう。
タカハシさんの好きなある作家は「政治」の本質は次の一行で言い表せると書いた。
「やつは敵だ。殺せ!」と。
それは言い換えるなら、「わたしは正しい。やつは間違っている」ということだ。そして「戦争」とは「政治」のとる最後の形態なのである。
そう、「戦争」は言葉の中にその根拠を持つのである。
=略=
「政治」の本質が「わたしは正しい、やつは間違っている」なら、「わたしは正しい」と訴える「文学」はすでに「政治」に冒されているのである。
そして「わたしは正しい」と主張する「文学」は「政治」であるが故に、ついにこの世界の「基底」にはなりえないのだ。
では、世界の「基底」に成り得る、世界を成り立たせることのできる「文学」とは何なのか。
ここまで来て、ようやくわたしたちは最後の問いにたどり着くのである。
引用終り
タカハシさんの思考はまだまだ終らないのです。
2005年5月29日に日本でレビュー済み
この作品の中で取り上げられている作品は様々である。
ただ、文学というひとつの切り口で、政治を横断しているだけだ。
オウム真理教の石井久子氏が書いた作品から、
宗教というものを眺めている文章を読んでいたとき、
彼は本当に宗教というものを絶対的に信じていないのだ、
と実感した。宗教というものから、もっとも遠い人なのだろうか。
けれど、この文章を読み、納得する部分はあまりに多い。
うまく乗せられているとも思うし、
高橋源一郎もそんな風に乗せられる読者をばかだなぁ、と思うような
気がする。というのも、彼自身がいうように、
彼の言葉の半分も伝えていない気がするから。
わたしがもっとも気にかかった部分は、「透明な存在」こと
サカキバラ少年の犯行声明分を、彼が「名文だ」とたたえたことにある。これは、文学者が読んで名文だと思うような「作品」だという。
そんな視点をもった人はいるかもしれないけど、
少なくとも発表した作家は彼くらいしかいないのではないだろうか。
白眉な批評だったと思う。
ただ、文学というひとつの切り口で、政治を横断しているだけだ。
オウム真理教の石井久子氏が書いた作品から、
宗教というものを眺めている文章を読んでいたとき、
彼は本当に宗教というものを絶対的に信じていないのだ、
と実感した。宗教というものから、もっとも遠い人なのだろうか。
けれど、この文章を読み、納得する部分はあまりに多い。
うまく乗せられているとも思うし、
高橋源一郎もそんな風に乗せられる読者をばかだなぁ、と思うような
気がする。というのも、彼自身がいうように、
彼の言葉の半分も伝えていない気がするから。
わたしがもっとも気にかかった部分は、「透明な存在」こと
サカキバラ少年の犯行声明分を、彼が「名文だ」とたたえたことにある。これは、文学者が読んで名文だと思うような「作品」だという。
そんな視点をもった人はいるかもしれないけど、
少なくとも発表した作家は彼くらいしかいないのではないだろうか。
白眉な批評だったと思う。
2003年9月26日に日本でレビュー済み
すごいです。なんつったって渡辺淳一の失楽園に赤いれてるんですもの。そんなことしたら文学界から永久追放なのでは???と心配するぐらい納得の校正。さすがタカハシさん。泣かせるのは自作、ゴーストバスターズについて書かれた文章。文学への夢と絶望がありますね!!
2011年7月15日に日本でレビュー済み
源一郎は意味の分からない言葉でバックして迂回して回転して、僕が明日の計画を考えた時にはもうすでに
結局なんだかんだで最後に言いたいこといって、なんか愛の告白というかむしろ
なんかレイプされた後見たいな気分になって超不快なんだけど、最後の文学〜、の章ではまともにしゃべってるわけだから
あの堤さやかが言ったように、最初からそう言えよ、このやろうお前はサルか、って言葉を思い出しながら読んでた。
結局渡辺純一はブリブリくっさいうんこまんで、美恵子の、未映子タソのほうでなく、彼女の本を読んでみたいと思ったのと、
右翼教科書とオウムについての書評まがいのよくわからんイ。ヤミは読んでソンした、小バエレベルのつまらなさで
これだから絶。版になっちゃうんだよ源一郎、と思いながらも最後のあたりはゴーストバスターじゅ!って感じで好きか嫌いかなんて僕にとってはどうでもいいことで星4ぐらい。
結局なんだかんだで最後に言いたいこといって、なんか愛の告白というかむしろ
なんかレイプされた後見たいな気分になって超不快なんだけど、最後の文学〜、の章ではまともにしゃべってるわけだから
あの堤さやかが言ったように、最初からそう言えよ、このやろうお前はサルか、って言葉を思い出しながら読んでた。
結局渡辺純一はブリブリくっさいうんこまんで、美恵子の、未映子タソのほうでなく、彼女の本を読んでみたいと思ったのと、
右翼教科書とオウムについての書評まがいのよくわからんイ。ヤミは読んでソンした、小バエレベルのつまらなさで
これだから絶。版になっちゃうんだよ源一郎、と思いながらも最後のあたりはゴーストバスターじゅ!って感じで好きか嫌いかなんて僕にとってはどうでもいいことで星4ぐらい。
2007年4月4日に日本でレビュー済み
高橋源一郎さんのエッセイというか書評というか、くくり方はいろいろあるにしろ、かなり面白いです。
特に「実篤ウイルス」の部分だけでも良かったら、是非。
高橋さんの書評は基本的に褒める、天才だ、ばかりですが、珍しく怒っているのもあって希少価値です。
特に「実篤ウイルス」の部分だけでも良かったら、是非。
高橋さんの書評は基本的に褒める、天才だ、ばかりですが、珍しく怒っているのもあって希少価値です。
2006年6月29日に日本でレビュー済み
こういう人は稀有だろう。小説が好きで好きでたまらないんだとも思う。しかも、たぶんこの人自分の言いたいことの十分の一も言えてないんじゃないかと思う。理想を掲げたところで現実に阻まれるだけでしょうか。本当に小説を批評したければ、その小説の最低三倍の量は書かなければならない、と言っているけれど現実的にそれは極めて難しい。
できるだけそれに沿おうとしている。渡辺淳一の『失楽園』を引用しまくり一文一文に丁寧かつ真っ当な突っ込みを加えている。失楽園なんかどうでもいいから。こういうスタイルできちんとした現代文学の良作を批評してほしいと思う。
私たちは考えるときに、言葉を持って考える。文学の限界は世界の限界、というのが高橋さんの好きな言葉らしいのですが、一理ある。高橋源一郎の苦悩っぷりと、文学に対する一スタンスを知ることのできる良書。
できるだけそれに沿おうとしている。渡辺淳一の『失楽園』を引用しまくり一文一文に丁寧かつ真っ当な突っ込みを加えている。失楽園なんかどうでもいいから。こういうスタイルできちんとした現代文学の良作を批評してほしいと思う。
私たちは考えるときに、言葉を持って考える。文学の限界は世界の限界、というのが高橋さんの好きな言葉らしいのですが、一理ある。高橋源一郎の苦悩っぷりと、文学に対する一スタンスを知ることのできる良書。