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「鈴木正文 (空手家)」の版間の差分

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'''鈴木 正文'''(すずき まさふみ、[[1929年]] - [[1991年]])は、[[日本]]の[[空手家]](十段)。[[日本正武館]]館長、[[全日本硬式空手道連盟]]会長。
'''鈴木 正文'''(すずき まさふみ、[[1929年]][[3月11日]] - [[1991年]][[9月18日]]<ref name="bukko">『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.329</ref>)は、[[日本]]の[[空手家]](十段)。[[日本正武館]]館長、[[全日本硬式空手道連盟]]会長。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[福島県]]に生まれ、青年期に[[柔道]]、[[合気道]]、[[剣道]]、[[居合道]]や[[古武道]]等の多数の武術を学んだ。[[中央大学]]に通い、[[検事]]になり辞めてからは[[弁護士]]資格を保有した。
[[福島県]][[郡山市]]に生まれ<ref name="bukko"/>、青年期に[[柔道]]、[[合気道]]、[[剣道]]、[[居合道]]や[[古武道]]等の多数の武術を学んだ。[[中央大学]]に通い、[[検事]]になり辞めてからは[[弁護士]]資格を保有した。


宮里栄一のもとで[[剛柔流]]空手を修行し[[1955年]]に<ref>京都商工会議所への届出による。</ref>、[[京都府|京都]]で日本正武館を設立した<ref>[http://shohyo.shinketsu.jp/originaltext/tm/1170977.html 商標登録無効審判事件の審決]によれば1968年に設立とある。</ref>。
宮里栄一のもとで[[剛柔流]]空手を修行し[[1955年]]に<ref>京都商工会議所への届出による。</ref>、[[京都府|京都]]で日本正武館を設立した<ref>[http://shohyo.shinketsu.jp/originaltext/tm/1170977.html 商標登録無効審判事件の審決]によれば1968年に設立とある。</ref>。


[[千葉真一]][[主演]][[映画]]『[[激突! 殺人拳]]』([[1974年]]) への出演を皮切りに、空手家や[[合気道]]の達人などで、複数の東映製作映画に出演していた。
[[千葉真一]][[主演]][[映画]]『[[激突! 殺人拳]]』[[1974年]]への出演を皮切りに、空手家や[[合気道]]の達人などで、複数の東映製作映画に出演していた。


鈴木は長く[[日本プロレス]]コミッションのコミッショナーを務め、[[アントニオ猪木]]の[[ウィレム・ルスカ]]戦や、[[ザ・モンスターマン]]戦のレフェリーを務める。その他アントニオ猪木の引退時に[[佐川急便]]の[[佐川清]]を紹介した。
鈴木は長く[[日本プロレス]]コミッションのコミッショナーを務め、[[アントニオ猪木]]の[[ウィレム・ルスカ]]戦や、[[ザ・モンスターマン]]戦のレフェリーを務める。その他アントニオ猪木の引退時に[[佐川急便]]の[[佐川清]]を紹介した。


[[1981年]]に発足した日本硬式空手道協会(全日本硬式空手道連盟)の設立に久高正之らとともに尽力し、会長を務めた。[[1991年]]9月、[[台北]]の病院で死去。
[[1981年]]に発足した日本硬式空手道協会(全日本硬式空手道連盟)の設立に久高正之らとともに尽力し、会長を務めた。[[1991年]]9月、高血圧性脳出血のため<ref name="bukko"/>[[台北]]の病院で死去。


{{要出典範囲|[[笹川良一]]の秘書役、付き人的な立場の人でもあった|date=2011年5月}}。
{{要出典範囲|[[笹川良一]]の秘書役、付き人的な立場の人でもあった|date=2011年5月}}。


== 出演映画 ==
== 出演映画 ==
*[[シーマンNo.7 波止場のドラゴン]](1973年)※香港映画 日本劇場未公開
*シーマンNo.7 波止場のドラゴン(1973年)※香港映画 日本劇場未公開
* [[殺人拳シリーズ]] (1974年) - 政岡憲道
* [[殺人拳シリーズ]] (1974年) - 政岡憲道
** [[激突! 殺人拳]]
** [[激突! 殺人拳]]
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** [[逆襲! 殺人拳]]
** [[逆襲! 殺人拳]]
* ザ・カラテシリーズ (1974年)
* ザ・カラテシリーズ (1974年)
** [[ザ・カラテ]] (1974年)
** ザ・カラテ (1974年)
** [[ザ・カラテ2]] (1974年)
** ザ・カラテ2 (1974年)
** [[ザ・カラテ3 電光石火]] (1975年)
** ザ・カラテ3 電光石火 (1975年)
* [[武道ドキュメント 拳豪の祭典]]<ref>企画も担当している。</ref> (1974年)
* 武道ドキュメント 拳豪の祭典<ref>企画も担当している。</ref> (1974年)
* [[激突! 合気道]] (1975年)
* [[激突! 合気道]] (1975年)
* [[女必殺五段拳]] (1976年)
* [[女必殺五段拳]] (1976年)
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== 著作 ==
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鈴木 正文(すずき まさふみ、1929年3月11日 - 1991年9月18日[1])は、日本空手家(十段)。日本正武館館長、全日本硬式空手道連盟会長。

経歴

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福島県郡山市に生まれ[1]、青年期に柔道合気道剣道居合道古武道等の多数の武術を学んだ。中央大学に通い、検事になり辞めてからは弁護士資格を保有した。

宮里栄一のもとで剛柔流空手を修行し1955年[2]京都で日本正武館を設立した[3]

千葉真一主演映画激突! 殺人拳』(1974年)への出演を皮切りに、空手家や合気道の達人などで、複数の東映製作映画に出演していた。

鈴木は長く日本プロレスコミッションのコミッショナーを務め、アントニオ猪木ウィレム・ルスカ戦や、ザ・モンスターマン戦のレフェリーを務める。その他アントニオ猪木の引退時に佐川急便佐川清を紹介した。

1981年に発足した日本硬式空手道協会(全日本硬式空手道連盟)の設立に久高正之らとともに尽力し、会長を務めた。1991年9月、高血圧性脳出血のため[1]台北の病院で死去。

笹川良一の秘書役、付き人的な立場の人でもあった[要出典]

出演映画

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著作

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  • 『日本の伝統武道』 すずらん書房、1978年11月

脚注

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  1. ^ a b c 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.329
  2. ^ 京都商工会議所への届出による。
  3. ^ 商標登録無効審判事件の審決によれば1968年に設立とある。
  4. ^ 企画も担当している。

関連項目

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