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'''大湊空襲'''(おおみなとくうしゅう)とは、[[青森県]][[むつ市|大湊町]]が受けた[[空襲]]のこと。[[1945年]][[8月9日]]~[[8月10日]]にかけて |
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2007年9月11日 (火) 13:37時点における版
大湊空襲(おおみなとくうしゅう)とは、青森県大湊町が受けた空襲のこと。1945年8月9日~8月10日にかけて の空襲はアメリカ軍との戦いでもある。
概要
大湊湾は大日本帝国海軍の基地があり、この日も戦艦常磐を旗艦とする機雷敷説艦高栄丸、千歳丸、海軍特設輸送艦浮島丸が停泊していた。 また芦崎湾にも、損傷中の駆逐艦柳などが停泊しており、総数20隻にもなっていた。
早朝6時に大湊町に空襲警報発令。数時間後には2回目の空襲警報が発令され、大湊湾にグラマンが急襲した。 大湊基地からも応戦したが、常磐、柳が大破した。 常磐は浸水が激しく、ビヂルポンプを使って懸命に排水し芦崎湾に擱座して、辛うじて沈没を免れた。
空襲とは言えども大湊町民への被害は微々たるもので、被害のほとんどは基地へのものであった。
死者129名(常磐の乗組員が109名、柳の乗組員が20名) 死傷者は300名以上。