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ネイサン・クラインが2年前に大学院に入学したとき、指導教員から提案された研究計画は控えめなものだった。理論計算機科学分野で最も有名で、かつ長年未解決のままになっている問題のひとつに、教員たちと一緒に取り組むというものだ。

たとえ解決できなかったとしても、クラインはその過程で多くのことを学ぶだろうと指導教員たちは考えた。クラインは提案に同意した。「特に気おくれはしませんでした。大学院に入ったばかりで、まだ何もわかっていませんでしたから」とクラインは語る。

そして、2020年の7月にインターネット上に公表した論文で、ワシントン大学のクラインとその指導教員アンナ・カーリン、シャヤン・オヴェイス・ガランは、コンピューターサイエンティストたちが半世紀近く追求してきた目標をついに達成した。「巡回セールスマン問題」の近似解[編註:最適解にできるだけ近い精度の解]を見つけるためのよりよいアルゴリズムを考案したのだ。

この最適化問題は複数の都市を通る総移動距離(あるいはコスト)が最小の巡回ルートを求めるもので、DNAの塩基配列を読み取る作業からライドシェアサーヴィスの経路算出まで、さまざまに応用されている。

何十年にもわたって、それはコンピューターサイエンスの最も基本的な進歩の多くに影響を与え、線形計画法などいろいろな計算技法の有用性を明らかにするのに役立ってきた。しかし、研究者たちの努力にもかかわらず、この問題がもつ可能性はまだ完全に明らかにされてはいない。

科学者たちの心理的な壁を破る証明

計算複雑性理論の第一人者であるクリストス・パパディミトリウは、巡回セールスマン問題について「これは『問題』ではなく『中毒』なのです」と好んで表現する。

ほとんどのコンピューターサイエンティストは巡回セールスマン問題において、あらゆる都市の組み合わせに対し真に最適な解を効率的に求めるアルゴリズムは存在しない、と考えている。だが1976年、ニコス・クリストフィードは近似解を効率的に見つけるアルゴリズムを考案した。

それは最良の経路よりも最長で50%までしか長くならない巡回ルートを計算する方法だ。クリストフィードのアルゴリズムが発表された当時、コンピューターサイエンティストたちは、すぐに誰かがこのシンプルなアルゴリズムを改良してより精度が高いやり方を考案するだろうと考えていた。しかし、期待されたような進歩は起きなかった。

「より優れたアルゴリズムを見つけるために、多くの人々が膨大な時間を費やして研究してきました」とスタンフォード大学のアミン・サベリは言う。

そしていま、カーリンとクライン、オヴェイス・ガランは10年前に考案されたあるアルゴリズムが、クリストフィードの手法による「最適解プラス50%」よりも計算効率が高いことを証明したが、改善したのはほんの2×10-32%だった。ごくわずかな進歩だけれど、長年突破できなかった理論上の壁が破られたことで、心理的な壁もまた取り払われた。研究者たちは、これがさらに大きな改善へとつながる突破口になることを期待している。

「これは自分がずっと達成したいと思っていた研究成果です」と、1980年代から巡回セールスマン問題を研究しているコーネル大学のデヴィッド・ウィリアムソンは語る。

巡回セールスマン問題は、理論計算機科学者たちが計算の効率性を検証するために頻繁に利用する、数少ない基本問題のひとつだ。クラインたちの新しい成果は「最先端の高効率な計算手法が、わたしたちが考えていたより優れたものであると示す第一歩です」とウィリアムソンは言う。