2021年4月にオンラインで開催された「米国クロスワードパズル大会」には1,000人以上が参加し、そのなかでも際立った腕をもつ参加者がニュースになった(143位までは上り詰めたものの、残念ながら筆者ではない)。

誰よりも素早く正確に単語をマス目に埋めていくその戦いで、初めて人工知能AI)が全ての人間の参加者を上回るスコアを叩き出したのだ。これは、10年近くにわたって人間のクロスワードマニアたちと競ってきたクロスワードAI「Dr. Fill(ドクター・フィル)」にとっての大勝利だった。

人間が努力を重ねてきた分野をまたもやAIがひとつ制覇してしまっただけだ、と感じる人もいるかもしれない。ジャーナリストのオリヴァー・ローダーは、オンラインマガジン「Slate(スレイト)」の記事でDr. Fillの成功についてこう述べた。

「チェッカー、バックギャモン、チェス、囲碁、ポーカーなどのゲームは次々と機械の侵略に遭い、最強のAIを前に陥落していった。今回、クロスワードがそこに加わった」。しかし、Dr. Fillが今回の偉業を成し遂げるまでの軌跡を見てみると、いままでと同じような人間とコンピューターの戦いとは違うことがわかる。

脳の働きについて新たな洞察

10年と少し前、IBMのスーパーコンピューター「ワトソン」が人気クイズ番組「ジョパディ!」で人間チャンピオンのケン・ジェニングスとブラッド・ラッターに勝利したとき、ジェニングスは「わたし個人としては、コンピューターという新たな支配者を歓迎します」とコメントした。

だが、ジェニングスが人類の敗北を宣言するのは少し早かった。当時もいまも、最先端AIの進歩は、コンピューターが自然言語を理解することの可能性だけでなく、その限界も示してきたからだ。

またDr. Fillのパフォーマンスは、クロスワードを解くという独特の言語的挑戦において、人間が心という武器をどのように駆使して創造的なパズル作成者たちと知恵比べをしているのかも教えてくれる。ソフトウェアが難解なクロスワードのヒントを分析する過程を詳しく見てみると、言語を扱うときのわたしたちの脳の働きについて新たな洞察が得られるのだ。

Dr. Fillの生みの親は、コンピューター科学者でありクロスワード作成者としても活躍しているマット・ギンズバーグだ。12年以来、ギンズバーグは非公式にDr. Fillを米国クロスワードパズル大会に参加させ、毎年改良を重ねてきた。そして21年、ギンズバーグはカリフォルニア大学バークレー校のダン・クライン教授が監督する大学院生と学部生で構成される「バークレー自然言語処理グループ」と手を組んだ。

クラインと学生たちは21年2月に本格的にプロジェクトを始動したのち、同年の大会に向けて協力しないかとギンズバーグにもちかけた。そして大会本番のわずか2週間前、バークレーが開発したニューラルネットワークを用いるヒント解釈法と、効率的にマスを埋めるべくギンズバーグが開発したコードを組み合わせたハイブリッドシステムが完成したのだ。

(以下、米国クロスワードパズル大会で出題されたパズルを解いてみたい人にはネタバレになるので注意。)

改良版Dr. Fillは問題をこう解いた

新たな改良版Dr. Fillは慌ただしいまでに次々とマスを埋めていく(その様子はこちらでご覧いただける)。しかし実際、このプログラムは非常に秩序だったアプローチをとり、ヒントを分析して正解候補のランキングをつくってから、他の箇所の答えとの適合性などを考慮して可能性を絞っていく。初めは正解がランキングの下のほうに埋もれていても、充分な情報があればトップまで浮かび上がることができるのだ。

Dr. Fillは、さまざまな媒体に掲載されてきた過去のクロスワードのデータをもとに学習する。それまでに“見た”ことのあるヒントや答えを参考にしながらパズルを解いていくのだ。人間と同様にDr. Fillも、初めての問題に直面したときには過去に学んだことを頼りに新しい経験と古い経験の関連性を探る。

『ウォール・ストリート・ジャーナル』のクロスワード編集者であるマイク・シェンクが作成した今大会第2問目のパズルは、字数の多い答えはもともと存在する単語の末尾に「ITY」が足されて別の意味の造語になっているというのがテーマだった。例えば、「OPIUM DENS(アヘン窟)」が「OPIUM DENSITY(アヘン濃度/アヘン密度)」になるといった具合だ(この答えのヒントは「ケシの実からつくる製品の効き目を左右する?」だった)。

ギンズバーグが収集してきた800万以上のヒントと答えのデータベースのなかには10年に『ロサンゼルス・タイムズ』に掲載された同様のテーマのクロスワードがあり、運よくそこに今回と同じ答えもいくつか含まれていたおかげで、Dr. Fillは一般に使われない言葉にも対処できた。しかし、今大会の問題のヒントとはかなり異なっていたので、正解を導き出すのにはたしかに苦労した(10年のパズルで、例えば「OPIUM DENSITY」のヒントは「その地域で麻薬が密売される度合い?」だった)。

Crossword AI

COURTESY OF DAN KLEIN

そのパズルのテーマ[編注:上のパズルのテーマは「きっぱりとした態度で」]に関わるものかどうかに関係なく、Dr. Fillはすべての答えに対して何千もの可能性を検討し、ヒントに合致する正解候補を挙げて可能性の高い順に並べ、横方向と縦方向の重なりなどマス目上の制約と照合する。

初めから最上位だった候補が実際に正解という場合もある。例えば、「imposing groups(堂々とした集団)」というヒントに対し、Dr. Fillは正解である「ARRAYS(隊列、整列)」を最優力候補とした。その答えに対するヒントとして「imposing」という単語が過去のパズルで使われたことはなかったが、「impressive(印象的な)」などの類語は登場していたので、意味的なつながりから推測できたのだ。

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マス目の重なりが候補を絞るのに役立つことも多い。例えば、「Aw, that’s a shame!(ああ、残念!)」をヒントとする答えが5文字で、2文字目がOであることがわかっていれば、正解の「SO SAD」が最有力候補に浮かんでくる。

Crossword AI

COURTESY OF DAN KLEIN

Dr. Fillはクローズド・システムであり、答えをグーグルで検索することはできない。その結果、知識の偏りが生じる。記憶力と処理スピードは人間の脳をはるかに凌駕していても、この点においては人間の不完全な精神能力をも模倣してしまっているのだ。

「“ジェリクルキャッツは陽気”と詠んだ詩人(5文字)」というヒントの答えがT・S・エリオットであることは、その詩人のファンならすぐにわかるだろうが、Dr. Fillは「ELIOT」よりも「KEATS」(ジョン・キーツ)と「YEATS」(ウィリアム・バトラー・イェイツ)を上の候補に挙げた(バークレーのチームが開発したこの解答システムは「ブラックボックス」的なアプローチを採用しており、後から思考の過程を調べられるものではないので、どのように詩人たちの間で優先順位をつけたのか知ることは難しい)。

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また、だじゃれなどの言葉遊びがヒントに含まれている場合(たいていはクエスチョンマークで終わることがそれを示している)、Dr. Fillにとって特に厄介となる。今大会のパズルでは、「PERISCOPE(潜望鏡)」という答えに対して「Sub standard?(標準未満/潜水艦の標準装備)」というヒントが与えられたが[編註:substandardは「基準を満たしていない」の意味をもつ単語だが、ここではsubがsubmarine(潜水艦)の略語として示されている]、これにはDr. Fillも戸惑いを見せた。「Sub」をサンドイッチに関係していると考え、「TUNA ON RYE(ライ麦パンに載ったツナ)」などを上位の正解候補に挙げたのだ[編註:長楕円状のパンをふたつにスライスして具材を挟んだものを「サブマリン・サンドイッチ」と呼ぶ]。

ただ、このような勘違いからもわたしたちが学べることはある。バークレーチームが開発したこのニューラルネットシステムは、違う種類の「サブマリン」に引っかかってしまったとはいえ、クエスチョンマークがヒントに含まれていることで何かが通常と違うと判断できたのだ。クエスチョンマークがあれば何らかの言葉遊びが絡むと明白に教えたことはないが、通常のヒントに基づくよりも単純でない選択肢を探る必要があると機械学習によって徐々に推測できるようになるとクラインは説明する。

「いまだ多くの点で人類が優位に立っている」

結局Dr. Fillはそのクロスワードを1分未満で解くことができた。全ての人間の参加者よりも丸2分早い完成だった。だが、200人以上の参加者が出題されたパズルを全問正解した一方、Dr. Fillが全てのパズルを完璧に解くことはできなかった。ふたつのパズルでは途中で挫折していくつもミスをしてしまった。しかしそれで減点されても、Dr. Fillはその圧倒的なスピードを武器に、7問を解いた時点でランキングのトップに君臨し、最終的に最速の人間プレイヤーに僅差で勝利したのだ。

『ニューヨーク・タイムズ』のクロスワード編集者で、1978年の創設以来この年次大会を監督してきたウィル・ショーツは、今年の大会の問題はDr. Fillにとって好都合だったかもしれないとしてこう語った。「すべての答えが左から右、上から下に読める、理解しやすい英語だったので」(年によっては答えがその通りにマス目に入らない難問も出題される)。

ショーツは、「難しく、ときにはトリッキーなクロスワードをあれほどうまく解けるようにDr. Fillをプログラムした創意工夫には畏敬の念を抱きます」と言いながらも、いまだ多くの点で人類が優位に立っていると考える。「現時点では、クロスワードのような無秩序で非論理的な現実世界の問題に対処するのは人間のほうが上手です」と述べ、特別ややこしいわけでないパズルでもDr. Fillは人間ならありえないようなつまずき方をしてしまうことを指摘した。

待ち受ける自然言語処理の課題

今回最も注目を集めたのはトーナメントでのトップ争いだったが、それほどの話題性はなくとも、ギンズバーグとバークレー校のチームによる共同研究は他の成果も生んでいくかもしれない。例えば、機械学習がさらに進歩し、パズルのデータや学習データも増えれば、Dr. Fillは今後数年間でさらに鮮やかな成績を残していくだろう。

しかしクラインは、自然言語処理の分野で一般的に生じる課題がいまだ多く待ち受けていると考える。例えば人間の頭脳は、異なる種類の知識を組み合わせて思考を展開する「マルチホップ推論」をしばしば行なう。このような論理の飛躍をAIに教えるには、曖昧だったり誤解を招いたりするような言葉の意味を人が察するときの繊細な思考プロセスをインプットしなければならない。

また、「sub」というヒントに戸惑ったことからもわかるように、Dr. Fillの脳は単語の第一義以外の意味を認識するのにはいまだ苦労する。先日わたしが協力した『ニューヨーク・タイムズ』のクロスワードのヒントには、「ある意味、キング(王)にふさわしい」というややこしいものがあった。答えは「MACABRE(不気味な、ホラー趣味の)」だ。ここでの「キング」は小説家のスティーヴン・キングを指しているからだ。もしAIがこのような問題を解く方法を編み出したら、わたしはコンピューターという新たな支配者を迎える用意ができるかもしれない。

クラインは、Dr. Fillのパフォーマンスは人間が極めて難解なクロスワードのヒントを解き明かす方法を知るための第一歩にすぎないと考える。また、推論の連鎖などとりわけ頭を使う例については、「人間を悩ませる問題はこの種のシステムをいっそう悩ませる可能性があります」と言う。言語が単純なコミュニケーション法以上のものであることを実証するクロスワードは、今後もAIにとって他とは異なる挑戦であり続けるだろう。言葉に楽しく悩まされるのは、人間の本質的な特性なのだ。