− 目次 −
『六衛府』のひとつで、左右に分かれており、それぞれ内裏周囲の警衛、及び、行幸・行啓の際の供奉・雑役を担当します。
別名『兵乃舎人司〔つわもののとねりのつかさ〕』、また唐名に依って『武衛〔ぶえい〕』とも言います。(「武衛頼朝〔ぶえいよりとも〕」とか言うのはこれです。)
陰明門・宣陽門にそれぞれ『陣』(=詰め所)を置いて、陰明門・宣陽門の外側から宜秋門・建春門の内側までの内裏周囲を担当します。(※「府」六衛府所管区域参照。)
督 → 佐 → 大尉 → 大志 → 府生 → 番長→ 案主→ 府掌→ 吉上→ 兵衛 (各1名) (各1名) (各1〜25名) (各1名) (各6名) (各6名) (各400〜200名) 権佐 少尉 少志 (各1〜25名) (各1名)
※ 大尉ははじめ左右に各1名だったのが、各20名→各25名となります。
兵衛ははじめ左右に各400名だったのが、宇多天皇の代に各200名と減らされます。
吉上の位置はまだよくわかってないので、違うかもしれません。
従四位下
従五位上
※ 『尉』は中国の武官の称号を輸入したもので、現代の読み方のように[たいい][しょうい]とは言わないようです。
従六位上
正七位上
正八位下
従八位上
兵衛を総督する職で、行幸・行啓の際の供奉を担当します。定員は左右各1名。
従四位下相当の職ですが、概ね、中納言・参議が兼帯し、二・三位の人が任じられることが多いようです。
この左右兵衛督または左右衛門督で、参議以上の人のうち1名が、検非違使別当を兼任します。
『平家物語』中で、源頼朝(=右兵衛佐)を「佐殿〔すけどの〕」と言っているように、単に「佐」と言う場合、概ね、衛門佐ではなくこの兵衛佐を指すようです。定員左右各1名。
由来は不明。衛門府の役人を指して用いられることもあったようですが、通常は兵衛府の方を言うようです。
役名の由来は不明ですが、諸門の警衛を行います。六衛府のいずれにも置いてあり、兵衛府の吉上であれば「兵衛の陣の吉上」などと言います。(※「近衛府」の同項参照)
六位〜八位の下級役人の嫡子で、年齢21歳以上で、現任でない(=官職に就いていない)人を、能力によって上中下の三等に分け、上等は「大舎人〔おおとねり〕」、中等を「兵衛〔ひょうえ〕」、下等を「使部」として配属します。
他に、有位の人(位階がある人)の子息や、勲位がある人の中からも、弓馬に優れた人を試験して採用したようです。
定員ははじめ左右各400名でしたが宇多天皇の代以降は左右各200名となります。