はてなキーワード: 作曲家とは
なんか作曲家の預かり知らぬところで進行してて、当日ライブ出来るの?的な人がけっこうな数居たけど馬鹿でしょ🤣
知らんけど。
作者が泣いて喚いても、金払ったらライブできるよ。
使うなー!って言っても使える。
そう、JASRACならね。
著作者人格権とかで歌手に「こいつには俺の曲を歌わせない!」とか出来たのはJASRAC信託してない昭和の作曲家やろ。
逆に作曲家が許可してても、歌手が金払わないと歌えないのがJASRAC信託じゃん。
いいよいいよ、無料でライブやってもいいよ!と作曲家が言ってもJASRACは取り立てる。
よく物事の善し悪しについて自分の頭で考えろみたいなこと言うヤツいるけど、完全に間違ってるからな
物事の善し悪しってのは「法律」「社会通念」「世論」「その場の空気」などによって決まるものであって、
誰か一人が頭で考えて「いい」と思ったか「悪い」と思ったかなんて全く関係ないわけ
その最たるところが近年のポリコレだよね
https://gamestalk.net/post-195436/
このニュース、堀井雄二をはじめとしたドラクエ関係者がポリコレについて批判している記事だけど、
以下のようなコメントがついている
casa1908 ポリコレに無批判に従うだけの人間は、自分のことをアップデートができている上等な人間だと思い込んでいるが、
はぁ〜〜〜(クソデカため息)
こういうバカがまだいるんだねぇ〜〜〜
お前は、法律に従うのも「長いものに巻かれている」って言うわけ?
それに従って社会が動いていくのは思考停止でも何でもなく、人権というものについて思考した結果なわけ
お前一人がその小さい頭でポリコレの善し悪しについて思考したところで、何の意味もありませんから
自分を出すより、まずは他人とかプロが何をやってるのか真似るのは重要だな
とりあえず、パワーコードだけは弾けるし、基本的なコード進行はできるし、作曲なんてほほいのほいですよ、と思っていたが、
~日でできる作曲、みたいなのさえ挫折した、というか、本の中の課題で曲にはできるが、なんか納得いかない
じゃあ、同じようなコード進行をしている曲はあるか?ある、その曲は面白いか、面白い、熱くなる、この差は何なのか
色々な理由があるが、例えば転調がある
マイナースケールから、サビでメジャースケールになると、雨空や曇り空に晴れやかな光が差すような感覚があることがある
もちろん、マイナー=暗い、メジャー=明るい、とはかぎらない、メジャーで暗い曲も書ける
あと、パワーコード弾きつつも、ちょこちょこコードトーンを基本に足してやるのも効果的だと思った
世代が分かるが、例えば、天空戦記シュラトのopがあったとして、あれをパワーコードだけで弾くのは簡単だ
でも、よく聴いてみると、ちょこちょこ高音で足してる音がある、これも意外と必要だと思った
なんにしても、知ってる曲、知らない曲でも初回からコード当てはめを試してみたり、どうしたも無理ならベーストラックだけ抽出して、オクターブを上げて聴く
そこから大体のコードを把握し、適当にパワーコードで弾いてみて、そこから上記のちょこちょこした細かいものを聴き取っていく
作曲するために買ったDAWだったが、完全にコピーするために使ってる
でも、前々から分かっていたことだけど、耳コピって作業は音を聴き取る作業と同時に、作曲をする作業だと思う
というか、原曲を作曲した作曲家の作曲の過程を追体験するのである
耳コピをしながら、こういうときはこうするとこうなるのか、という知見を積み重ねていく
しかし、作曲はまあとして、自分に致命的に駄目そうなのは歌詞の方だな
ウソは書けないとしたら、なんか憂鬱なものとか、ルサンチマンとか、そんなものになりそうである
サンボマスターみたいなのを書いてもいいけど、自分からするとやっぱりウソだと思うんだよね
ウソをつくならデカいウソをつけ、本当になるから、というから、逆ブレして、大嘘を書くのもありなんだろうけど
なんにしても歌詞は書けない、恥ずかしいのもあるし、なにか自分の外側に訴えたいものがない、正直、なくなってしまった、若い頃の方があったんだと思う
今は音楽理論こねくり回したり、ネットで自分よりできる人の演奏とかタブ譜を眺めては真似たり、とても他人の前で披露できるレベルじゃないし、
ジョン・アダムズ:ハルモニーレーレ / ジョン・アダムズ / 東京都交響楽団
https://www.youtube.com/watch?v=wFYCISMlqfI
現代最高の作曲家の一人 ジョン・アダムズ が都響 を、すなわち日本のオーケストラを初めて指揮した歴史的公演より、彼の代表作として絶大な人気を誇る《ハルモニーレーレ》を 特別配信!当時の感動と興奮が色鮮やかに蘇ります。
指揮/ジョン・アダムズ
アメリカ合衆国が生んだ現代最高の作曲家の一人であり、指揮者としても活躍する。東海岸はニューイングランド地方で生まれ育ち、ハーヴァード大学卒業後に本拠地を西海岸のサンフランシスコに移す。そして1982年にサンフランシスコ交響楽団のコンポーザー・イン・レジデンスに任命されると、《ハルモニウム》(1981)、《ハルモニーレーレ(和声学)》(1985)など斬新で華麗な管弦楽曲を次々と発表し、以来マイケル・ティルソン・トーマス、サイモン・ラトル、ケント・ナガノ、エサ=ペッカ・サロネン、アラン・ギルバートら著名指揮者がこぞって取り上げる人気作曲家であり続けている。
初期こそ、ライヒ、ライリー、グラスらミニマルミュージック創始者たちに続く世代の旗手として注目を集めていたが、彼の音楽は当時から交響的かつ新ロマン主義的だった。そうした作風から、オペラとオーケストラ曲を得意としており、いずれも現代の重要なレパートリーとみなされている。中でも、『中国のニクソン』(1987)、『クリングホーファーの死』(1991)、『ドクター・アトミック』(2005)や、《魂の転生》(2002)など現代の事件や世界情勢を扱った作品は、現在でも上演のたびに物議を醸している。
______
ただ、それはあくまで作曲という文脈においてであって、最近よく問題となっているイラストの方はだいぶ事情が違うことは理解しているつもりである。
少なくとも前者では(あまりにも前衛的でない限り)先人が発見した素晴らしいコード進行やメロディ、奏法の一部一部を繋ぎ合わせる場面が多く、結果的に人とSuno AIがやっていることにあまり大きな違いはないと個人的に思っているし、生成AIに対する絵師と作曲家の温度差はここに起因しているかもしれない。加えて、私にとっての作曲は趣味である以上、ほかの人がSuno AIを使うか否かは特に気にせず、従来通り自分の手で作り、実際に演奏や録音をすることを楽しんでいる。
しかし、イラストの生成AIをめぐる絵師と「AI絵師」の争いは遠目で見ていても熾烈である。
たとえばAIイラスト製作者のなかには、「あなたの絵はAI学習に使ったので、もう絵を描かなくてもいいですよ」といった心ないリプを、わざわざ絵師本人に送る人間がTwitterにいることを最近知った。
これは生成AIへの賛否にかかわらずシンプルにモラルが終わっていると思う。
査読者が意図的にリジェクトした論文を剽窃したうえで、執筆者に「あなたの論文を自分名義で投稿したおかげで、大学のポストが得られました。これからもサラミにして出し続けます」と、(剽窃行為自体がオワりすぎているが)直接報告するようなものだ。
こういう輩が増えれば、彼らに正義の鉄槌が下されてほしいと願う生成AI規制派もまた増えて仕方がないと言うほかない。
その一方で、一次創作ならまだしも、主に二次創作でインプレッションと知名度を稼いでいる絵師の方が生成AIに反対する姿には、たとえ各ガイドラインを遵守していたとしても、個人的にどこか違和感を覚えてしまう。これはとりわけ、オリジナリティも一緒に問題とされた場合に、より強くなる。
確かにイラスト生成AIと違って、誰かが何年もかけて会得した画風をそのまま盗用しているわけではないけれど、他の人やグループ、会社が時間をかけて練り上げたプロットをそのまま利用すること自体は、いわゆる「AI絵師」が使う呪文と近からず遠からずな気がしないでもない(これは絵に限らず二次SSも含まれるかもしれない)。これは「共通するテーマに基づいた作品群」というケースよりもはるかにコピー元の輪郭がはっきりしていると思う。
個人的には普段TLに流れる二次絵は本当に好きだし、楽しませてもらっているけれど、反生成AIの方々の動きが半ばデトロイトのアンドロイド狩りのようになりながら「オリジナリティ」についても言及し始めると、人間が一般に、文字通り1からオリジナルのモノを作れるのかどうかについて今一度考えた方がいいのではないかと感じる。
二次創作なら言わずもがな、「オリジナルキャラクター」でさえも、なぜツインテールにしようと思ったか、なぜ八重歯を生やそうと決めたのかといった理由の根源には、(個人の実生活における体験に基づかない場合は特に)別の作品が存在することの方が多いはずだ。
多くの人がいる場所でのモラルのなさ(引用元へのリスペクトのなさ)が目に余るために、公序良俗の観点から規制を求める。これ自体は理にかなっていると思う。けれども、モラルの話とオリジナリティの話は混同するべきではない。混同すると、創作者は創作者で結果的に自分の首を絞めることになる。生成AIだけでなく、人だって巨人の肩の上に立ってきたし、これからも立つことになるから。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・03 ひまわり
・06 二ツ目 ふたつめ
・07 ガンバレルーヤ
・08 [ペア]2番と8番
・09 どんぐりたけし
・13 クロム
・14 [すべて]ミルクボーイ マヂカルラブリー 錦鯉 ウエストランド 令和ロマン
・15 羽生善治 はぶよしはる
・18 スターダスト☆レビュー
・19 キリマンジャロ
・21 [3択]サン パチ
心臓(に毛が生えている
・25 [3択]200 8年
・26 鈴木福 すずきふく
・27 長野(県
・29e オズワルド
他害性が高まるのをヤバいというなら、女性30代のそれは入り口かもしれん。もっとヤバいのは40歳前後で定職についてない人だと思っている。実家にそこそこ金があったり、親の価値観が古く女は結婚が当たり前で必死で働かなくても良いとされたりして、いわゆる家事手伝いか、バイト程度の拘束時間の仕事しかしてこなかった女。
若い時に少し美人とか、文系学歴が少しあったり、家が少し立派とか、何か周りよりちょっと上の意識がある。でもぬるま湯の中で何も苦労せずに40まで来てしまった。そういう女が、アイドルではなく微妙にアクセスできるマイナー著名人、著者や学者などにハマる。そしてSNSで何かを勘違いし相手に好意を持たれていると思い込み(時には1回寝ていることも)、講演会や学会に現れてトラブルを起こす。ストーカー化する。何らかの病気だろうと思うが、社会的繋がりが少なく、親も高齢で対応ができない。
ある意味かわいそうな『天人唐草』のキェエェェ女系統だが、他害するところが恐ろしい。もっとも、こういうのは10年ほど前に某心理学者某政治学者某金融系作家某学会某マイナー作曲家などの周りで起きていたことであり、時代と世代が変われば状況も少し変わってくるかもしれない。
【初めに】
まずかったら削除する。ただ、以前はパンチラの映っているPVを紹介したので大丈夫だろうか。
英語にはtwerking、トゥワーキングという言葉がある。音楽に合わせて尻を上下に振る動作のことで、見ているだけで筋肉痛になりそうである。youtubeで検索すると、ものすごい大臀筋の女性が実演しているのが見られる。やったら筋トレ効果で健康になりそうだ。
元々ヒップホップで使われたらしい。ウィキペディアではサザン・ヒップホップとが由来だと書かれているのだが、ヒップホップとラップとR&Bの違いがわかっていない。おそらく、わかっている人からすればモネとシニャックみたいに全然違うよ! ってことになるんだろうが(それどころかエル・グレコくらい隔たっているかもわからない)、この辺についてはいずれ調べておきたい。
具体例に関してはこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=UNj05HL0UPw&ab_channel=RubiRose
Rubi Roseというラッパー、作曲家、モデルのミュージックビデオだ。ややこしいことにRuby Roseというオーストラリアの女優、モデルがいる。
ブルマーだったりミニスカだったりで腰を振る文化はよくわからない。評価をするだけの知識がない。
ただ、いきなり曲の途中でズボンを下ろしてパンツを見せる例があるのには驚いた。ブルマのようなしっかりと尻を覆うタイプではなく、ティーバックタイプの下着だ。
リンクを貼るのがためらわれるので名前だけ。「VI AMElI // TWERK CHOREO(bilibili動画にもあるやつ)」「АМЕЛИ // Twerk ВТ/ЧТ 18:00」がそれだ。かなり面食らっている。欧米圏にはムーニングという、ケツだけ星人のように尻を出して相手を嘲弄する動作があると言うが、これは相手を馬鹿にするというか、演者の絶対的優位を意図しているのだろうか。私は何も恐れないという宣言なのか。
道玄坂69のyoutube動画に、目が死んでいると批判的なコメントがあったのとは対照的である。
知らないことがまだ世界にはたくさんある。
社会的に認められた露出については、ルールが非常に恣意的だ。そこに道徳や法の柔軟さや二重思考が確認できて面白い。
World Naked Bike Rideのときはロンドン市内で全裸だし、トップレスが許されるプールもある。それが文化戦争の様相を呈することもある。
現に、エアロビ全盛期の頃は、タイツをはいていることもあるとはいえ驚くようなハイレグも見られた。
https://www.youtube.com/watch?v=3pm3TC57lHI&ab_channel=uwatenage
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=U6itxVo4T5A&ab_channel=foolicus
(35:00あたり)
https://www.youtube.com/watch?v=WTflOuT_nPI&ab_channel=Hatsumi
(1:52あたり)
とにかく、不思議でならない。
【お昼の追記】
バルセロナに行ったとき、十歳から十二歳くらいの女の子が、お腹のほとんどが露出していて、お腹を薄いレースで覆っているだけの格好をしていたけれど(見た目がほぼ裸エプロン姿)、一方で児童ポルノには極めて厳格だ。
小学校低学年の子どもがビキニを着ていると、なんだか不思議な感じもする。
性的であることと、実際に性交することとは別だという思考かもしれない。ウエルベックがどこかで、非モテの悲哀として、誘惑だけされるが情交には至らないと怒るキャラクターを出していたのを思い出す。欧米も一枚岩でははありえない。でないと激しい選挙戦や文化戦争を理解できない。
なんであれ、レッテルを貼らず、わからないことはわからないと認め、自分の感覚を精密に言語化していくこちが肝心だ。
昔はやった腰パンみたいなものか。そう思ったが、では腰パンについてもよくわからない。
【追加】