友人の女の子がブログをやめました。 なんでも2chとかの「ヲチするスレ」にURLが貼られたらしいのだ。 一過性のものかと思ったら、mixi経由で定期的にチェックしている女性コミュがあったそうな。 (なんかそのコミュは、そんなブログを見つけては見てまわるものらしい) 見ず知らずの人ににやにやされながら見られてて、 しかもmixiでは「イタイ子」「ナルシスト入ってる」みたいな叩かれ方をされてて さすがに耐えられないということで、ブログをやめるとのこと。 ちなみに彼女のブログはいたって普通のブログです。 女の子が書くような、「こんな洋服買った」「あの人が好きなんだけど、うまくいかない」というような。 結構、赤裸々に想いをつづってて、てことで共感を得ている固定ファンもいたんだけど。 うん。全然普通のブログだと思うんだ。 「今日はお昼にサンドイッチ食べた。ねむいー」みたいなブログより魅力があって。
何の気なしに始めて、別の特に目的も無く、ただただ衝動と思いつきのままに書いてきました。その間に色々な論争や、お別れや、出会いに触れてきましたが、それも自分が書いていなかったらふーんと言って眺めていただけかなあと思ってみると、書いている内容そのものはともかくとして、書いている、と言う行為自体が自分が他者から何かを得ようとする気持ちに影響を与えている、と言うことに気付きました。変なものです。 元々大学のサークルのページで徒然書いてきたり、自分のページも一応あったりしたけど、特に書く動機も無くなって自然消滅していて、それは多分他のことが忙しかったんだと思うけれども、ふとしたきっかけでまた書き始めてから、一年。ペースは落ちているかと言うとむしろ上がっていて、ただ長文を気合入れて書く事が少なくなったのは、本当に何かを強く主張することよりも、断片的なものでもとにかくアウトプットしようと思う気持ちの方が
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「Blog向上委員会」の「閉鎖」 http://mizunohosi.jugem.jp/?eid=172 僕も以前やっていたサイトを「閉鎖」したことがあるのですが、結局閉鎖は長続きしませんでした。なんだか落ち着かないんですよ本当に。そして、その経験から学んだことは、「普段はそんなにリアクションはなくても、ちゃんと読んでくれている人はいるのだ」ということと、結局、「サイトの更新に追われるのが嫌になったから」という理由で閉鎖しても、それが無くなったらけっこう寂しいものなのだ、ということでした。サイトなんて無ければ無いで死ぬわけでもないし、そもそも、こういう形で個人が書いたものをそれなりの数の人が読んでくれるなんていう状況が未来永劫続くわけもないのだろうな、とは思うのですけど。 例えば朝起きて、今は夏休みだけど、学校に行って、学校に行っている間もブログのネタを無意識の内に探しているような気がして
Unknown/・・・ Unknown/・・・ Unknown/・・・ Unknown/・・・ Unknown/なーにがユキマロちゃんだ 普通に会社員/頭おかしすぎる Unknown/いつまでヒマなことしてんだろなあ Unknown/なーにがユキマロちゃんだ Unknown/いつまでヒマなことしてんだろなあ Unknown/ウゼえ
Webサイトを始めて二年目ぐらいのとき、息切れして今後どうしようか迷ったことがありました。掲示板に毎日書き込みしてもらってそのレスを返すのにたくさんの時間を費やして、持ち札が少ないので更新は滞り、そのくせ現状を打ち破るには勇気が必要で現実よりいい人を演じている自分に疲れてしまったのかもしれません。 そんな時、何気にサザンオールスターズの『秘密のデート』だったかな、Googleで検索して見つけたとあるテキストサイトに通うようになりました。そこは、私がそれまで拘わっていたWebサイトとはまったく違う趣の、アンダーグラウンドな匂いの漂うテキストサイトでした。 自称「出会い系」のそこの掲示板で、これまたこれまでまったく係わり合いのなかったタイプの人たちに出会い、わずかですが今でも交流を続けています。 肝心のそのテキストサイトは、通い始めて間もないころある日突然閉鎖しました。coccoの歌を残して…
Weblogブログを削除閉鎖する自由があるとかないとか-日々是自己主張というエントリを読んでの感想。ブログの閉鎖は自由である。何故ならブログの閉鎖は、そのブロガーにとって、当該のウエブスペースに於ける活動の自らの死を自らの手によって行う事であるからだ。少し前の話になるが、パソコン通信時代のニフティのログが削除されるという話題があったのを記憶している方もいらっしゃるとは思うが、あれだってウエブアーカイブスという概念から言えば永久に残しておかなければならないという理屈になる筈だが、ニフティは敢えて削除という方針を出した。勿論、これを「削除して良い」という根拠とするわけではないのだが、自分の意思とは無関係に使っているウエブサービスが明日突然閉鎖してしまう、なんて事だって起きないとは限らない。さすがに「はてなダイアリー」が今日明日中にサービス休止という事は無いにせよ、いつサービス休止したり無料で使
本サイトをご覧いただくには Adobe Flash Player が必要になります。 お手数ですが、下記のリンクよりダウンロード後に、もう一度ご覧ください。 ドリコムからみなさまへ ドリコムブログユーザーの皆様。本当にありがとうございました。皆様とブログを通じて繋がっていられたこの数年は、我々にとっての誇りです。時に叱咤を、時に賛辞を、その全てがドリコムブログを形作っていたのだと痛感しております。今度お会いする時は読者とブロガーとして、再び繋がらせて頂ければと思います。 これまでドリコムブログを愛用していただきまして本当にありがとうございました。サービスが続けられなくなりましたこと大変申し訳なく感じており、ここまでご利用いただけましたこと深く、深く感謝しています。これからもブログという文化を楽しんでいっていただけますと幸いです。 ドリコムブログユーザーの皆様へ。ブログ創世記から利用いただき
ブログを休止する事、ログを削除すること Weblog ブログはひとりで作っているんじゃない。大勢の人のたくさんの記事との関わりの中で,新たな記事は生まれ,つながりを広げている。ブログを削除して数日たったとき,ぼくはそれに気づきました。つながりの切れた記事たちに教えられた。 Mugi2.0(むぎむぎ) - 系のなかで書くことと閉鎖について webmugiさんの、この感想には同意出来ないわけではありませんが、ブログを閉鎖した結果としてログを削除した人が読んだらどういう気持ちになるんだろう、と思うとちょっとつらいかな、と思いました。 webmugiさんが関連記事として張ってあるリンクさきのブログ、リンク先から辿る事の出来るエントリにはログが削除される事や所謂リンク切れ問題への不快感、そしてログ削除に対して残念であるという趣旨の書き込みが書かれています。 こういった書き込みは書き手にとっては自分の
■[Web] 系のなかで書くことと閉鎖について 例えば,リンク集のようなページにサイト名を載せリンクをはる。が,何かの事情であるサイトが閉鎖することになり,リンクを外す。それでも,リンク集はコンテンツとしての形を保つ。ひとつのサイトの閉鎖による影響はあまり大きくはない。 ブログでどこかの記事に言及した場合はどうだろう。ある記事の主張・意見・感想に対して,自分の考えや思いを書く。人の記事に大事な部分,根拠となる部分を頼った形でコンテンツは作られる。その元となった記事が削除されてしまったら。書いたものが意味不明になることもあるだろうし,根拠を失って力のないものになってしまうかもしれないし,議論の空振りになってしまうかもしれない。 削除までしなくても,大幅に書き換えられた場合も同じようなことは起こる。 言及することによってつながり合った記事は,「系」を作り出す。ある記事が他のある記事につながり
Web サイトには寿命がある 消す理由、悲しむ理由 内面の問題と、その解決策 ミラーサイトの提案 まとめ 補遺 参考 第1稿:2003年4月24~27日 第2稿:2004年12月2日 第3稿:2006年1月12日 Web サイトには寿命がある たいていの Web サイト(以下「サイト」と略す)には「寿命」があり、毎年、たくさんのサイトが閉鎖されています。きちんと死に向き合わずとも生を享受できるのが、この世界です。明るい未来を展望するばかりでサイトの死について考えない方が多いのは、不思議なことではありません。 言葉の定義 Web サイトの「閉鎖」は様々な文脈で用いられる言葉ですが、私は次の2項目をもって定義とします。 更新が停止する 管理されなくなる サーバの都合などにより閲覧不能となるサイトは多々ありますが、作者が更新の継続を望むならば、URI は変化してもサイトは復活します。また更新は止
えーと、私のブログを閉鎖するとか、そういう話ではないですが。。。 最近、巡回先のブログが突然閉鎖&削除されていて、びっくり。 いや、巡回先が閉鎖されていたら、残念だなーとか、さびしいなーとか思うけど、ある意味、気持ちの上では寂しいけれど、現実では巡回先が一つ減ったということで終わるだけではあるんですよね。 巡回だけしているブログなんかは、それでおしまいなんだけど、問題は、自分の記事にリンクなんて貼って、絡んでいる先のブログだった場合、寂しいという気持ちだけじゃない悩みが発生するというか。。。悩みって程でもないんだけど、でも、「あー、あそこ閉鎖しちゃったんだー。そういえば、この間、あそこの記事にリンクに貼ってトラバ送って記事書いちゃったよー。あのリンクどうしよう・・・」と気になってしまう。 トラックバックでも、時々見直すとトラバ先が既に閉鎖されてリンク切れになっている場合がある。 でも、
突然ですが本日を以って当ブログの更新を終了します。 まなめ先生の次回作をお楽しみに! 突然、このような言葉を目にしてショックを受けたことありませんか?大好きだったサイトがなくなるというのは大変悲しいものです。しかし、管理者の立場からしたら、いつかは自分のサイトを閉鎖するときがくると思います。 ネットワークの子供達よ 貴方達は私の誇り 貴方達は私の希望 どんなに些細な事でもいい どんなにくだらない事でもいい 貴方が心動かされた事を貴方の言葉で記し 貴方の手で次の世代に残しなさい 遥かなネットワークの地平に次の百年を夢見て 長い間ほんとうにありがとうございました 多くの人が覚えているでしょう、俺ニュースが最後に残した言葉。当時はじんわりしながら刻んだことばですが、今となってみれば、「ことば」が大好きな私としてはもっともっと良いことばを残して去りたいなとも考えています。 我がブログは永久に不滅で
diary/2005/2006_1/20050106_1111.htm : 指定のエントリは存在しません。
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