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Japanese Imperial Navyに関するel-condorのブックマーク (2)

  • 76年前の今日、ミッドウェーで大敗した海軍指揮官がついた大嘘(神立 尚紀) @gendai_biz

    日大アメフト部の反則問題、国会の森友、加計問題……、昨今の日では、責任ある者たちの言い逃れとしか思えない言動がまかり通っている。いつの間に、日社会はこんな風になってしまったのかと思うのだが、太平洋戦争の最前線で戦闘を経験した多くの搭乗員を取材した神立氏によれば、この責任逃れ体質は、日人をどん底に追い込んだあの戦争においてもおおいに発揮されていたという。 現場の声と参謀たちの発言のズレ 太平洋戦争が始まって約7ヵ月後の昭和17(1942)年6月5日、それまで無敵を誇っていた日海軍は、ミッドウェー海戦で、南雲忠一中将率いる「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の主力空母四隻を撃沈され、開戦以来はじめての大敗を喫した。圧倒的に優勢な戦力を擁しながら、劣勢のアメリカ艦隊に敗れたこの戦いが、「あの戦争」の一つのターニングポイントになったことに、議論の余地は少ないと思う。 ところが、この海戦に参加し

    76年前の今日、ミッドウェーで大敗した海軍指揮官がついた大嘘(神立 尚紀) @gendai_biz
    el-condor
    el-condor 2020/04/03
    これ平和ボケとしか言いようがないのでは。実際に開戦しててこれか。これで戦争に勝てたらそれこそ奇跡だよ。
  • 電探の重要性を帝国海軍軍令部が真から気づいたとき

    ► 海軍電測学校の開校は1944年9月1日からである。初代の学校長は高橋雄治大佐。 あまりにも遅きに失した。 これは 「あ号作戦」の大敗で後がなくなった時期であった。 海軍が開発した電探(レーダー)はこちら 南太平洋海戦(1942年10月26日)、日の空母艦載機の攻撃を受け大きく傾いた空母「エンタープライズ」 すでに、艦橋や櫓にはレーダーアンテナが観察できる。 FDレーダー ドップラー効果による機速測定用レーダーである。もう一つは 対空見張用SCレーダーアンテナ。 早くから実戦経験を積み重ね1年8カ月後のマリアナ沖海戦で空戦管制システムを完成させたのである。 日海軍でも昭和16年(1941)12月には艦船に搭載する対空見張用レーダー二号一型の試作機が完成する。 そして、1942年12月二号二型の量産が決定されたが、艦政部はその資材を充分に提供しなかった。  紆余曲折をえながらも

    el-condor
    el-condor 2014/06/09
    こんな日本を取り戻したい、というなら別に今でも十分に取り戻せている希ガスwww/本当に戦争できる国にするなら、まず改憲せずとも出来る、この辺りの問題をクリアした組織作りが先決だよねえホント。
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