タグ

対人能力と社会に関するenemyoffreedomのブックマーク (25)

  • Twitter / Hagiasophia765: それは違う。断言する。政治や熟議というモノは、成熟すればするほど、最後は集団帰属と利害対立という「共感原理」に還元される。ロジックや理解度というものは、

    それは違う。断言する。政治や熟議というモノは、成熟すればするほど、最後は集団帰属と利害対立という「共感原理」に還元される。ロジックや理解度というものは、「共感原理」を補助するものでしかない。保身は現象でしかない。RT @tsuda https://t.co/V5hpCzW4

    Twitter / Hagiasophia765: それは違う。断言する。政治や熟議というモノは、成熟すればするほど、最後は集団帰属と利害対立という「共感原理」に還元される。ロジックや理解度というものは、
    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2012/07/04
    "空気"というのはある種この上なく成熟した政治だろうし / コミュマッチョな方々が熟議を強調するのは単に自分たちの得意とする土俵にひきずりこみたいだけの場合もある
  • 牛丼屋で接客の達人のおばちゃんに会った - G.A.W.

    私、餡子のためなら逆立ちだってしますよ。 こじらせている。 べたいと思ったらべたいのである。 ここが北カリフォルニアの片田舎であろうと、私があんみつがべたいと思えば、あんみつは今すぐ作ってべなくてはいけないものになる。いしん坊の思考は凄まじい。 子供が観ていたアニメで、赤ちゃんが空の…

    牛丼屋で接客の達人のおばちゃんに会った - G.A.W.
  • 大学で得た自信は何だったのだろう - 泣きやむまで 泣くといい

    大学2回生のとき、生まれてはじめて「ゼミ発表」というものをした。 社会学専攻の2回生の所属ゼミは選択制になっておらず、学籍番号で強制的に決定された。自分が所属することになったのは社会人類学の教授のゼミで、当時、専攻内でもっとも厳しい教授として知られていた。 初回のゼミでまず「自己紹介を3分しろ」と言われた。多くの学生は、そんなに長い時間にわたって自分のことを話せない。十数人の学生がいたと思うが、たしか数人しかできなかった記憶がある。そして、初回でのこの出来事は、学生たちを萎縮させるには十分だった。 2回生ゼミは社会学の理論的基礎を身につけることが目指されていたと思われる。他ゼミが入門書的なを教科書にするなどして敷居を低くする中で、自己紹介後にこのゼミで渡されたのは500枚ぐらいの紙の束であった。中身は、社会学理論の古典文献のコピーである(後に「この用意を教授から頼まれたTA(ティーチング

    大学で得た自信は何だったのだろう - 泣きやむまで 泣くといい
  • 2010年代の「銀河通信」を考える - ARTIFACT@はてブロ

    最近、Facebookが話題になったけど、コミュニケーションを主体とした新しいウェブサービスが流行るたびに、サイコドクターで書かれた「銀河通信」の記事を読み直したくなる。 読冊日記 2003年 5月下旬 ウェブログはコミュニケーションを重視する。盛んに他人の記事を引用するし、たいがいコメントエリアがついている。明快で活発なコミュニケーション。実にわかりやすい。これぞ新時代のコミュニケーション! という印象だ。しかし、日型のウェブ日記の世界には、かつてからもっと別種のコミュニケーションがあったのではないか。 それについては2001年6月15日や2001年9月7日にも書いたことがあるのだけれど、たとえばRead Me!や日記才人の一票のような、きわめて間接的で淡々としたコミュニケーション。日々誰に向けているのでもないテキストを淡々と書き、そしてどこかにそれを読んでくれる読み手がいる、というこ

    2010年代の「銀河通信」を考える - ARTIFACT@はてブロ
    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2010/11/16
    返信義務をともなわないコミュニケーションサービスの利用者に対して、"この○○弁慶め!"的な同調圧力をかけたがる方々もいるからなぁ
  • uessai-text — 街の自転車店に、自転車を引いて小学生がやって来た。しかし、一言も発しない。店主がしびれを切らして「どう...

    “街の自転車店に、自転車を引いて小学生がやって来た。しかし、一言も発しない。店主がしびれを切らして「どうした」と聞くと、一言「空気」。タイヤに空気を入れてほしいことは百も承知で、店主は言った。「空気ならどこにでも、いっぱいあるよ」 ニュースキャスターの草野仁さんが、1月21日付の日経新聞夕刊で書いていたコラムである。会話ができない子供の急増を嘆く内容だが、今やこんな経験は、だれにでもあるだろう。私もその一人。なかでも印象深いのは約5年前、取材で訪れた大阪府茨木市内の公立中学校での見聞だ。 山間部にあるその中学校は3階建て、7コースのプールもあるが、肝心の生徒が62人しかいない。1学年1クラス、20人前後。ピーク時には3学年で310人が学んでいたという。 職員室に入ってくる生徒たちがやはり会話下手だった。「先生、そろった」「先生、部活」。その一言一言を校長先生自ら、言い直させていた。

    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2010/09/24
    店主の"どうした"だって子供客の"空気"なみに文脈依存じゃね、という非対称性 / 目下の者が一方的にコミュ力という名の空気読み能力を要求される上下構造も透けて見える
  • ギリギリ制裁を受けない程度の暴力はイイこと尽くしなのをDQNは知ってるからね。

    ギリギリ制裁を受けない程度の暴力はイイこと尽くしなのをDQNは知ってるからね。言い合いになりそうになれば恫喝したらいい。掴みかかろうとしてきたらテーブルを力一杯叩いたり身近な物に暴力を振るって威嚇したらいい。人に暴力を行使したら傷害罪か暴行罪。物を破壊したら器物損壊罪になる。だから物には壊れない程度に暴力を振るう。他人には恐怖感と「この人を怒らせたら面倒なことになる」という印象だけ植え付ける。反抗しようとする気が起こらないように思考停止させる。そういう目的で普段からでかい声で暴力的に周囲を抑圧していたら、DQNは快適な暮らしができるわけ。

  • 4歳からの人心掌握術

    東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 娘によれば、娘のクラスの女子8人は、「ママ」「おねえちゃん」「こども」「あかちゃん」の4つの階級に分化しているらしい。ママはひとりで、その子が女子軍団を仕切っている。ちなみに男子8人のほうは統一組織をもっていない。 2009-11-09 15:59:03

    4歳からの人心掌握術
  • Thirのノート

    thir ノート:覚え書き。断片的かつあまりまとまりのない文章を記録/公開しています。詳しい方針は自己紹介にて。

  • ケータイとPCの孤独の違い - 試作型思索と詩作

    雑感秋葉原の事件の犯人が、携帯電話で書き込む掲示板にいろいろ書いてたっていうのが、多くの人に知れ渡っているわけだが、それを知った時に自分が思い出したのは、自分が携帯サイトを利用していた時期の事。今はもう、携帯電話は電話としてしか使っていない上に、家に置きっぱなしで携帯すらしていなかったりするのだが、一時期、興味位で携帯専用の掲示板を見ていたりしてたことがあった。それで、思うのが、ケータイとPCでは増幅する孤独の質が違う、ということ。おそらく、インターフェイスの差によるところが大きいと思うのだが、ケータイの小さい画面でカチカチとボタンを押して情報を取り込んでいると、PCとは全く違う形で感情に影響するものがあると思うのだ。手軽で、どこにでも持ち歩けて、どこでも繋がれるけれど、世界と繋がっている窓は小さい。ボタンや画面の小さい携帯電話のインターフェイスはそういう感覚を強調する気がする。 普段か

    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2008/06/14
    一覧性の低さがより孤独を増幅するのか、一対一(あるいは少数)には向いていても一対不特定多数には向いていないUIなのか
  • 「窓が開いてますね」問題 - finalventの日記

    まあ、仮に問題とかしてしまう。 「窓が開いてますね」というのは、どういう意味があるか? 「窓が開いている」という認識表明以上の意味はないとしてもいいけど。 日語の場合。 「窓が開いている」と「窓が開いてます」は同じではない。というか、そういう対比のスタイルに置かれるというか、いちおう純粋にはラングではなく、ソーシャルというかプラグマティックスの問題でもあるのだけど、ラング的な部分がい込んでいる。 簡単に言うと、「窓が開いてます」は不可避に会話、対人関係の文脈に組み込まれ、「窓が開いている」はそうした文脈に自由であるというより、対人関係の別の含みが出る。 そして、それらに、「ね」「よ」「な」とかいろいろな、対人関係的なニュアンスを付加する辞が存在し、それらは結局、対人関係での機能をもつ。 で。 「窓が開いてますね」は、他者に対して、「締めろよ」であったり、「寒いじゃないか、場所を変えろよ

    「窓が開いてますね」問題 - finalventの日記
  • [書評]あなたの職場のイヤな奴(ロバート・I・サットン): 極東ブログ

    読んだ理由を忘れたが良書だった。ある意味、ごく普通の経営書でもある。私は普通に書店で買ったのだが、献速報の弾小飼さんあたりがすでに書評していいんじゃないのか、なぜ漏れたんだろうと疑問に思って検索したら、いや、すでに、あった(参照)。というわけで、私がなんか書くほどのことでもないかなと思ったが。弾さん指摘に首を傾げたのをきっかけに少し書いてみよう。弾さんの指摘はこう。 書に「クソッタレから逃げろ」という対処法が出てこなかったのが不思議であったが、それは書の欠点というにはあまりにささいなものであろう。 というのはあれ?と思った。私の読書としてはそこはちゃんと書かれていると思ったからだ。たとえば。 逃げろ、無理なら近づくな --- 予防法2 (略) 〈ダ・ヴィンチ・ルール〉はこんなときにも役立つ。大切なのは、できるだけ早くその職場から逃げ出すことだ。 (略) たとえば、クソッタレが出席する

  • はてブ現象 - jkondoの日記

    ブログを更新したあと、ブックマークがどれくらい増えたかを見るのが楽しみで、家族と映画を観ている間にも、トイレにiPhoneを持ち込んでこっそりブックマークを見ている、という方に出会った。 最初なぜそんなことをしなくちゃいけないのか分からなかったんだけど、映画を観るときにパソコンを開いてネットをしたりすることを家族の方が快く思わないかららしい。なるほど。 それは何なのかなあとしばらく考えていたんだけど、世界を共有したいということなのかなと思った。狭い空間に一緒にいる人がいきなり携帯電話で話し始めるのも嫌だし、電車の中で携帯やゲーム機とにらめっこしている人に感じる多少の違和感にも通じるところがあるように思う。 でもこれは少し複雑な問題だ。一緒に映画を観ていても、思考がどこかに飛んでしまって別のことを考えている場合はある。デバイスがあるかどうかが問題なのだろうか? 電車の中の携帯電話も何が一番の

    はてブ現象 - jkondoの日記
  • ファーストフードのマナー - 不動産屋のラノベ読み

    遙さん、それはマナー違反です。 女性店員に「天ぷらうどんください」と言った。 店員は、「うどんと、そばとありますが・・・」と言うので、もう一度言った。 「天ぷら“うどん”ください」 店員は答えた。 「では、うどんのほうでよろしいんですね?」 私はもう一度言った。 「ですから、天ぷら“うどん”ください」 「確認いたします・・・」 「しなくていいから、天ぷらうどんください」 しかし店員は確認した。 「天ぷらをうどんのほうで。おひとつでよろしいですね」 私は言い方を変えた。 「天ぷらうどんを、うどんのほうで。私は一人ですから、ひとつください」 「わかりました」 うどん屋で、「天ぷらうどん」とひとこと言えば、うどんが出てくる時代は終わった。 日人はバカになったのか?:日経ビジネスオンライン チェーン系ファーストフードで注文する時の正しいマナーは、以下の通り。 「ご注文をどうぞ」と聞かれるまで、注

    ファーストフードのマナー - 不動産屋のラノベ読み
    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2007/12/23
    文化が違う
  • 技術系の非喫煙者で喫煙室が羨ましいと思った事が無い人っているのかな? - gobbledygook

    最近のはてな系な飲みで度々話題になるのだけど、喫煙室で交わされる情報って、普段とは違う情報が含まれる事が多々ある。それが非常に有効な場合もある。 社内では、喫煙室という虐げられた環境だが、逆に違う部署の違う肩書きの方々と様々な会話を交わす切っ掛けになっている。で、自分が抱えている問題とかを違う視点でみてくれるとか、今まではそういう機会はあまり無かったけど、喫煙室という環境がそれを可能にしているんじゃないかなと。*1 社外で講習会とかに参加すると、もっと極端になる。 大体50代から60代の方が講師になっている事が多いのだけど、講習後の質問時間には質問しにくい内容でも、その方が喫煙者なら一緒に煙草を吸いながら、フランクに個別に話を訊くことが出来る、その日初めて会った方だけど。 こういう話を飲みの席で技術系の喫煙者にすると「うちもそうです」的な反応が返ってくる事が多い。非喫煙者の場合「煙草を吸わ

    技術系の非喫煙者で喫煙室が羨ましいと思った事が無い人っているのかな? - gobbledygook
  • Tech Mom from Silicon Valley - 「パプリカ」の今敏監督がいいこと言った件について

    ちょっと前になるが、昨年日で最も評価の高かった劇場用アニメ映画、「パプリカ」の今敏監督と、「時をかける少女」の細田守監督が、たまたま相次いでアメリカに来られた。いつも映画関係の記事素材を提供してくださるハリウッドの映画ライター、はせがわいずみさんが、お二方にインタビューしたものを、私が現在、慶応大学デジタル・メディア・コンテンツ機構の英語ニュースレター記事に仕立て直しているところだ。 はせがわさんのインタビューは、いつも面白い発言を引き出していて、記事を書きたい意欲がわく。今回も英語だけではもったいなくて、日語でも書きたい良いネタがいろいろあるのだが、日語記事ははせがわさんご自身がどこかに書いておられるだろうし、彼女は仕事でやっているので、このような個人のブログに書くわけには当はいかない。でも、彼女の記事はだいたい映画専門誌なので、ギーク世界の皆様の目にはあまり触れないだろう、とい

    Tech Mom from Silicon Valley - 「パプリカ」の今敏監督がいいこと言った件について
  • socioarc | 非コミュ指数テスト

    Back Numbers | Home 非コミュ指数テスト (想定対象年齢: 20歳以上) 非コミュ指数テスト | 統計モード | ホームに戻る 質問(全ての質問に回答してください) あまり興味のない人にまで好かれようとは努力しない。 よくあてはまる1 2 3 4 全くあてはまらない 小中学生の頃、先生に「好きな子とペアになって(好きな子同士でグループになって)」と言われるのが嫌だった。 よくあてはまる1 2 3 4 全くあてはまらない 休日は友人と過ごすことが多い。 よくあてはまる1 2 3 4 全くあてはまらない 何気ない雑談が苦手だ。 よくあてはまる1 2 3 4 全くあてはまらない 「キモい」と言われたことがある。 よくあてはまる1 2 3 4 全くあてはまらない 話題があまり豊富な方ではない。 よくあてはまる1 2 3 4 全くあてはまらない メールはともかく、電話で話すのは得意

  • 人間関係によって生産性は上がりもすれば下がりもする

    当は、昨日書こうと思ってたんだけど、ダラダラしてたんで、今日になってしまったお話なんだけどね。 というわけで、今日は、「豚もおだてりゃ木に登る」ならぬ「人をおだてると生産性が上がる」というお話ね。それと、人間関係が組織の基という当たり前の話。まぁ、物凄く噛み砕いた話で、大まかな言い方だし、当たり前の話というか。 Life is beautiful: なぜ日企業による米国企業の買収がしばしば失敗に終わるのか 実は、この中嶋さんのエントリを読んだ時に、書こうと思っていた話なんだけど、何か、だらだらしてしまい、あとであとで思っているうちに、 電通「鬼十則」、そして電通「裏十則」 - GIGAZINE ギガジンで、こんな話がでて、そうそうこれこれと思っていたら、 小野和俊のブログ:IT業界の大企業での生々しい話を5つほど 小野さんのブログでも、こんな話が出て、そんでもって、 My Life

    人間関係によって生産性は上がりもすれば下がりもする
    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2007/03/23
    ホーソン実験とか
  • 文系はコミュニケーション能力という名の処刑斧を振るった

    # 「コミュニケーション能力」という言葉には2つの意味がある。1つは「波風を起こさない能力」という意味で、もう1つは「腹芸をする能力」という意味だ。両者は意味合いとしてはかなり遠いが、とりあえず同じ記号で表されている。 「波風を起こさない能力」というのは、誰かが考えを述べるたびにおだてて気分よくさせてみたり、誰かが自慢を始めるたびにおだてて気分よくさせてみたり、誰かが怒るたびにおだてて気分よくさせてみたり、そういう行動に疑問を持つ奴をコミュニティから排除したり、誰かが赤信号の横断歩道を渡ったら後をついて渡ってみたり、クラスでいじめられている奴がいたら一緒に蹴りを入れてみたり、大統領が殺せと言ったら殺してみたり、クソゲーだけど金を貰っているので9点付けてみたり、blogでひたすら晩飯のメニューを書いたりするような能力の事を指している。「多数派に埋もれる能力」とか「長い物に巻かれる能力」と言っ

    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2007/03/05
    「詰まるところ、コミュニケーション能力とは、本質的には単なる多数決システムか、あるいは行動支配手法の別名でしかない」
  • にょきにょきネットワーク - Mellow My Mind

    【「当の人脈」の作り方<第6回>】http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20060925/110499/(リンク先をすべて参照する場合、要登録(無料))これすごく興味深かった。ビジネスの話に限らず、交友関係全般にあてはまる話だなーと思って。わたし自身の話をしますと、30年近くずーっと、上記のリンク先でいうところのFig.3の中で生きてきましたけども、ここ数年で(ちょうどこの日記を始めたころから)だいぶFig.4に近づいてきて、それとともに視界が開けて、劇的に日々がおもしろくなってきたなあという実感があります。数年前の自分とくらべて、さびしいなーとかつまらないなーとか思うことがなくなって、毎日なんとなく楽しいなー、ワーイ、って感じで過ごせるようになりました。(画像の引用は上記サイトより)Fig.3でいた頃は、見えてる世界もせまくって、

  • http://hikikomori.in/2006/07/060724_193902.html

    enemyoffreedom
    enemyoffreedom 2006/07/26
    「弱者は自己弁護が下手なのもあるし、他者と協力関係が結べないから永遠に弱者なのだ」