不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 例えば、ある事業のアイデアが浮かんだときに、それが将来的にどのくらいの規模のビジネスになるかを試算する。そのとき、とうぜん、数字を使った試算をするわけですが、それを単なる数字としてみるか、自分の身体が腑に落ちて納得するような物質的なイメージとして感じとれるかでは、大きな差があると思っています。差があるというのは、事業が成功する確率が高いか低いかという意味で。 数字や抽象的な言葉をみて、物質的なボリューム感やかたちとして捉えることができるかどうか。さらに物質的な質量をともなった動きまで感知できるとさらによい。 フィギュラリズム。高山宏さんならきっと「かたち三昧」とルビをふるだろう、そんな身体能力。それって意外と大事なんじゃないか。最近、そう感じます。 測定することは悪いことじ