ーー山口組の弁護士を長く務められた山内さんですが、子供のころはどんなお子さんだったのでしょう。 山之内 母の故郷の(香川県の)小豆島で昭和21(1946)年4月に生まれ、その後、大阪に移りました。父は魚店を営んでいましたが、儲かる商売ではなく貧しかった。裕福ではなかったですが、父と母、兄と妹の5人家族で不幸ではありませんでした。 ーー工業高校に進学した理由は。 山之内 大学なんて無駄飯を食いに行くところで手に職を付けた方がよいという感覚でした。両親にはまともに学歴がなく、子供をどのように指導していけばいいか分からなかった。高校を卒業して家計を助けるまでではなくとも、自立して自分で食っていこうと考えていました。 “劣等生”から早稲田大学法学部に合格 ーー高校時代に大学で法律の勉強をしようと目覚めたのでしょうか。 山之内 全くないです。勉強するのが嫌で本当に劣等生に成り下がってしまった。よく卒