チームラボ代表の猪子寿之氏が、大学生に対して「デジタル社会の未来と生き方」をテーマに行なった講演。チームによる創造性の高いアウトプットが求められるなか、暗記中心で個人の結果のみを判断しようとする日本の学校教育を批判しました。 チームラボはどういうプロセスで作品をつくるのか 猪子寿之氏(以下、猪子):せっかくなので質問を受けて話そうかな。 司会者:質問したい方は挙手していただいていいですか? 質問者:チームラボとして何を次につくるかというのはどういうふうに決めていらっしゃるんですか? 例えば誰かがアイデアを出して、それをみんなで話し合うプロセスなのか、それともみんなでテーマを話し合ってそこからアイデアを出すというものなのか。そういうプロセスをちょっとお聞きしたいんですけれども。 猪子:基本的には仕事の9割方は相談があって、その相談に対して答えていくみたいな感じ。例えば、Pepperというロボ
2015-01-27 オタクのいう「リアル」の正しさと誤り オタクのあいだでは作品の弁護のためにしばしば「リアル」ということばが使われる。「蛸壷屋の同人誌は不道徳だがリアルだ」「アニメ『艦これ』の三話での死は突然だがリアルだ」など。「リアリズム(real-ism)」「現実-主義」という二語からなる単語は多様な意味を派生させる。また、フィクションがつねに現実の模倣である以上、現実に近いということは絶対的な価値をもつ。よって、その用法のあいまいさに対して、リアルということばは作品の弁護や称賛に頻繁に用いられる。また、リアルということばはつねにはなし手-きき手の現実と関係しているために、価値観の対立から過剰に否定されることもある。そのどちらもことばのあいまいさが原因だ。議論や思考にはことばを使うが、そのことばがあいまいでは、論理的な立論は不可能だ。よって、リアリズムということばを明確に定義する必
下記の記事を読みましたー。 けいろー(id:ornith)さんの、「良い」「悪い」が分からないので「好き」「嫌い」で考えるという美術館の楽しみ方はまったく正しくて、というか正しいとか正しくないとかそもそもないので、反論というわけではなく、補足です。 なお、後半は元記事をはなれて話がとんでもなく飛躍しておりますので、ご注意ください(けいろーさんごめんなさい)。 「好き」「嫌い」のその先 美術、映画、小説、その他諸々のさまざまな芸術作品を鑑賞するとき、けいろーさんがいうように、基本的には「好き」とか「嫌い」とか「面白い」とか「つまんない」とか、そういった基準で考えてOKだと私も思います。知識があればもっと面白い発見ができるかもしれないけど、それは絶対ではありません。 でも、このブログでいつも美術やその他諸々の芸術作品のことをエラソーに取り扱っている私としては、これを読んでくれているみなさんには
岡田斗司夫さんのメルマガがけっこう好きで、毎朝配信されるたびに読むのが日課になっているんですけど、今回はそのメルマガと、最近読んだ本の感想です。私が考えた「芸術」というものの未来について、ぐだぐだと語ってみようかなと思います。 というわけで本題ですが、以下は、「好きな美術作品はありますか?」という質問に対して、岡田さんがメルマガ内で回答した内容です。強調部分は私が勝手に太字にしています。 ニューヨークも行ったときに、メトロポリタン美術館へ行ったんだよ。まあ本当に退屈で、一直線に入って、グーグルマップで見たら、メトロポリタン美術館の真ん中辺まで行ったから、一直線に帰ってきたんだよね。それぐらい、何の興味もない。 「上手な絵に何の価値があるの?」って思っちゃう。そんなものより、あるアーティストや工芸家たちが考えて、「こうやれば早く飛ぶんじゃないか?」「いっぱい人を乗せれるんじゃないか」「いっぱ
私のなかでけっこう長くひっかかっていた問題があったのですが、「でもまぁ、これたいしたことじゃないのかな?」と思って、表立ってはあまり深く考えてこなかったんですね。でも先日とある本を読んでいたら、まさに私がひっかかっていたその問題が出てきてたので、「あ、やっぱりたいしたことあったんだ」と考え直した次第です。 というわけで、今回はその”問題”、東京の美術館についていろいろ書きます。 奈良美智の作品はどこで観る? 最初にいっておくと、東京の美術館てすごく面白いんです。ルーブルなりオルセーなりエルミタージュなり、世界中の有名美術館のコレクションが次々にやってくるし、現代アートだって充実していると思います。でも、こういった期間限定の〈企画展〉に夢中になれるのって、たぶん私が「首都圏に住んでいる日本人」だからなんですよね。自分の住んでいるところに目新しい作品が次々にやってきたら、楽しいに決まってます。
プラモデルのボックスアート(箱絵)の第一人者として知られる画家、高荷(たかに)義之さん(78)。その仕事は昭和30年代の少年雑誌の戦記物挿絵から、戦車模型の箱絵、さらにはガンダムなどのアニメにも及び、今も現役で活躍中だ。弥生美術館(東京都文京区)で初の本格的展覧会を開催中の高荷さんに、約60年にわたる画業について聞いた。(磨井慎吾) 「下絵を描かない」は事実だった --最近の仕事は 「今は注文される仕事をただひたすら喜んで描いている。最近やったのは、文庫本の表紙と、船のプラモデル。月に3点くらい描けば、描いた方かな。でも今は挿絵の仕事が本当にないよ。特に子供の雑誌なんか、(写実的)イラストがありゃしない。漫画だけだよ。今の若い絵描きさんはどうやって暮らしているんだろうね」 --描くスピードは 「早ければ1枚に3日。でもそういうことはなかなかないね。ねちねち描いて1週間かかっちゃう時もあるし
実力・学費・教授陣等から判断。括弧内には該当すると思われる一般大学を示す。美術・デザイン界隈内でその大学がおおまかにどういうレベルの大学として受け止められているのかの一つの目安として理解頂きたい。 S 東京藝術大学(東京大学)A+ 多摩美術大学(慶應義塾大学)A+ 武蔵野美術大学(早稲田大学)——————————————————【一流美大の壁】——————————————————A 京都市立芸術大学(京都大学)A 金沢美術工芸大学(大阪大学)A- 愛知県立芸術大学(名古屋大学)A- 東京造形大学(上智大学)B+ 女子美術大学(津田塾大学)——————————————————【二流美大の壁】——————————————————B+ 沖縄県立芸術大学(九州大学)B+京都工芸繊維大学(北海道大学)B+ 九州大学芸術工学部(神戸大学)B 広島市立大学美術学部(広島大学)B 尾道市立大学美術学科(
2014年03月11日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(毎週水 25:00 - 27:00)にて、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、佐村河内守氏のゴーストライターとして一躍有名となった現代音楽家・新垣隆氏について、なぜ本気で大衆音楽をやらないのか、と疑問を呈していた。 糸 新垣隆 太田:佐村河内の件も、何が問題なのか分からなくなってきたね。 田中:最初、新垣隆さんが、最初にイイモンになりかけた時があったじゃない? 太田:今もそうなってるじゃない。 田中:最初、佐村河内さんが記者会見する前にね、「嘘だった」って、記者会見して。その時、太田さんも言ってたじゃない。『サンデージャポン』(TBS系)でも、「新垣さんだってゴーストライターやってたんだから、その人を良い人ってするのも問題だ」って風潮もあったりして。 太田:うん。俺は、そういうことじゃなくなってきちゃったんだよね。
佐村河内氏の一件で思ったことを書く。 佐村河内守 4声ポリフォニー合唱曲 REQUIEM“HIROSHIMA” CD付 作者: 佐村河内守,松居弘道出版社/メーカー: 全音楽譜出版社発売日: 2013/10/12メディア: 楽譜この商品を含むブログ (1件) を見る ミィア猫さん (id:meerkat00)が書かれたこの記事がとても良くまとめられているので事件の概要はこちらで確認していただきたい。 耳が聴こえなくても作曲はできるし、譜面は単なる設計図ではない。 - 夜の庭から ミィア猫さんは聴覚障害のある状態でも音楽的理論や技術が聴覚を失う前に確立されていれば作曲は可能であると主張されている。 俺もその見立ては正しいと思う。 俺は音楽の専門的知識もないし楽譜も読めるには読めるが初見でスラスラと読めるほどではない。 まあ趣味の範囲だと思ってくれればいい。 今回俺が書きたいのは佐村河内氏の功
ジャック・ドーシーのStartup School 2013でのスピーチを全文書き起こし&翻訳。「今までにやったことがないことをします」と前置きした上で、彼が感銘を受けた2冊の本と、ドーシー自身が作成し、日々実践している"あるリスト"の内容を紹介しています。少し長いですが、起業家はじめビジネスに身をおく人は必見のスピーチです。 今日はすごくたくさんの方に来て頂きました。ありがとうございます。 今日はいつもとは違うこと、今までに一度もやったことがないことをします。これまで私の人生の岐路で役に立った本をいくつか朗読したいと思います。 私からはこれらのポイントをご紹介しますが、これらの本からたくさんの教訓を学ぶことができます。皆さんもお時間があればご自身で読んでみてください。 他人になんと言われようと、自分自身にとって重要なものを創造せよ 初めに画家のロバート·ヘンリー著「アートスピリット」をご紹
母も姉も私も美術系の仕事で 人に言わせりゃアート一家ってことになるだろうが 私は本当にアーティスト様って奴が嫌いだ。 だいたい世の中の非美術の人が良くないのだけど とにかく作家と言うものに対して好意的な誤解や情状酌量の用意を持ちすぎている。 「芸術家気質」とさえ言えば、非常識や奇矯な振る舞いが許されるようになっている。 度を越して非社会的、生活態度が堕落的、約束を守れない、言うことが幼稚、 …のような欠点が、むしろ何か創作的な才能の証明として美点のように取り扱われてしまう。 いいですか。 すべてのクリエイターっぽい職業人や学生で、幼稚な人や変な人がいたら、 それは特殊な才能の副作用でそうなっているのではなく、 単に世間並みの経験や責任から逃げ続けたせいでそうなってるだけです。 だいたい「アマデウス」みたいなものが”アーティスト”像として一等に出てくるの状況が良くない。 アーティストに馴染み
男女の性愛を描いた春画の本格的な展示会が今秋、英国の大英博物館で開かれる。この巡回展が日本でも計画されているが、主要な美術館などから、軒並み受け入れを断られている。春画は近年、芸術性が評価され、女性の鑑賞者も増えている。一方で「わいせつ画」のレッテルを貼られた歴史が長く、公の場での展示には難しい問題を抱えている。 (森本智之) 大英での展示は、葛飾北斎や喜多川歌麿など名だたる浮世絵師の百五十点余を紹介し、春画の起源から現代絵画への影響まで解き明かす。期間は今年十月から来年一月まで。日英交流四百年を記念し、春画だけの展示は同館でも初の試みだ。 「春画は奥深いアート。単純なポルノとは違う」。立命館大特別研究員の石上阿希(あき)さん(33)は話す。数少ない春画研究者の一人として、昨年まで大英の特別学芸員としてロンドンに駐在。出品作品の選定などに当たった。石上さんらによると、欧州では早くから春画の
神社の御札は、機能がないのによく売れる。構造は簡単で、恐らくは寸分違わぬコピーを量産することも容易であって、神社で販売されている本物にしたところで、売っているのは本職ではなくアルバイトであることも多い。 熊野神社の牛王符宣誓あたりになると、そもそもあれは和紙に印刷された木版画であって、同じ品質、同じ材料で、レーザープリンターで何枚でも量産できる。同等の機能を持った安価なコピー品をいくらでも作れるはずなのに、神社の御札を求める人達は「本物」を求めて、山奥にある神社までわざわざ出向く。 映画であったり音楽であったり、同等機能を持ったコピー品が安価に出回る昨今にあって、神社の御札にはなんのコピープロテクトもかけられていないのに、コピー品を求めるユーザーがどこにもいない。あれはヒントなのだと思う。 宣誓は大事 熊野神社の熊野牛王符は、お守りとして飾られる場合と、誓約書として使われる場合とがあって、
もちろん、会田誠は天才ではない。というよりも、かれはきわめて明敏な思考力に恵まれた作家であり、美術における「天才」などというものを信じるようなナイーヴさは、みじんも持ち合わせていないのである。そうでなければ「天才でごめなんなさい」なんていう展覧会名を付けられるわけがない。ではこの、一見人をくったような日本語タイトル(英語ではもちろん"Sorry for Being Genius"などとはなっていない)はいったい何なのだろうか? 実はこれは、ある暗号めいたものではないかとぼくは感じた。そのことをちょっと考えてみたい。 会田誠は天才ではないが、実に突出した才能に恵まれた美術家である。絵画の才能もコンセプチュアルな操作の才能も兼ね備えており、無敵のようにみえる。しかも村上隆のように隠したり防衛したりする傾向もなく、自分の手の内をあっさり見せてしまう。自己を神秘化せず、素朴さ、素人臭さへの通路を常
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く