父に関するkintaorgHのブックマーク (61)

  • お父さん分かりますか

    2013年7月12日からはじめたこのブログ、「お父さん分かりますか」は、閉鎖いたします。  今までご訪問くださった方々、応援してくださった方々に御礼を申し上げ… もっと読む もっと読む

    お父さん分かりますか
  • 娘が気持ち悪い

    中学生の娘がに 「お父さんの洗濯物は気持ち悪いから別にしてほしい」 と伝えているのを聞いてしまった。 びっくりした。 ドラマにありそうだけど実際そんなにないことを自分が言われるとは。 年頃になると父親を疎ましく思うのが普通、と聞いたことがあるが、 いざ言われると冷静になれなかった。 「おい」 と俺が言って出てくると、娘はしまったという顔をする。 「物理的に汚いのはお前のほうだから、洗濯物はお前だけ別にしろ」 と俺は言って、適当な段ボール箱を空にして投げつけた。 「これがお前の洗濯カゴな。これに分けて入れること」 そう言うと娘はキレて、 「ハァ? 何言ってんの? 使うわけないじゃん」と 言って立ち去ろうとする。 ますます俺も苛立ち、 「それが嫌ならこの洗濯機を使うな。誰の金で買ったと思ってるんだ。 このドラム式買うのにどれだけ節約したかわかってるのか」 と、くどくど説教し続けた。 結局、洗

    娘が気持ち悪い
  • 我が家の父のトリセツ

    事の内容について… ・一汁三菜は厳守すること。 ・根菜は野菜には含みません。 ・もやしなど、色が鮮やかでないものも野菜として認めません。 ・スープに入れた緑黄色野菜は野菜と認めない。基的に生で出すこと(※ただし当日の気分による) 生だと味気ないと怒る日もあれば、炒めると水分が抜けしんなりしていてお腹にたまらないという日もあります。 ・タンパク質の重複は許さない。決して肉類を同時に出してはいけません。 ・だがしかし肉類のない卓は気に入らないので、たまにボリュームのある肉おかずを用意すること(※ただし当日の気分による) ・日によって4品でまだ何かべるものはないのかと冷蔵庫をひっくり返す日もあれば、 4品も作るとこんなに作ってべきれないだろう費のやりくりどうなっているのだ!と怒鳴る日もあります。 ・できるだけ買い物をせずに事を作ること。冷蔵庫の中は常に空っぽにしておくこと。 (※た

    我が家の父のトリセツ
  • 土地がないところにエレベーターを設置するな

    父が、うちの外にエレベーターを設置すると言い出して聞かないのだが、そこは外が過ぎているので床がなく、空中になっている。 来は1階と2階の間を縮めるためのものなのに、これではキリがないからやめた方がいいと思うのだけど、父は聞く耳をもたず、業者と話を進めている。 母もはじめは反対していたのだが、業者が見せてきた絵の、エレベーターの外側のデザインがひどく気に入ったらしく、今ではエレベーターの話ばかりしている。 2階から始めたら、1階を抜かしてしまうので、費用も普通に比べて多くかかるし、そもそも階段を使えばいいじゃないかと思っている。 階段なら上からでも下からでも開いている点で開放的だが、エレベーターは片側だけを向いているので息苦しさもある。 (最近は両側を向いているものもあるのだが、まだまだ珍しい) このままでは家が行き止まりの外みたいになってしまいそうで、不安ばかりが募る。

    土地がないところにエレベーターを設置するな
  • つまらない父親の話 - ICHIROYAのブログ

    おやじが怖かった。 殴られた覚えはないけど、子供のころ、ほんとうにおやじが怖かった。 おやじは会社員で、一生ヒラのままだった。 ヒラだった理由は、おやじの話によると、学歴と中途採用によるものだったそうだ。 そのわずかな給与をコツコツ貯めた。 おふくろが家計を助けるために、家をパン屋兼文房具屋にしたり、着物の仕立てをやっていた。 おやじは社会的な成功とお金を熱望していた。 会社が終わると毎日まっすぐに帰ってきて勉強した。 最初は、司法試験だったか公認会計士だったかを目指した。僕はまだ小さく、どちらだったかはっきり覚えていないのだが、とにかくめちゃくちゃ難しい試験におやじがチャレンジしているということはわかった。 何年か、おやじがそうやって勉強しているところを見て育った。 やがて、おやじはそれを諦めた。 おそらく、そのとき、社会的な成功や名声を得ることを完全に諦めたのだと思う。 しかし、絶対に

    つまらない父親の話 - ICHIROYAのブログ
    kintaorgH
    kintaorgH 2014/09/08
    たぶんなん回も読むと思う
  • 家族全員、一人暮らしになった - ohnosakiko’s blog

    窓から首を出し、「じゃあね。また週末来るね」と努めて明るく言って車を出した。バックミラーに映った、チワワを抱いた泣きそうな顔の義父の姿。 先週の月曜日、義母が突然亡くなってから、バタバタのうちに9日が過ぎようとしている。 その日の明け方、いつも鼾をかいているのに静かなのを怪訝に思った義父が何度呼んでも揺すっても義母は起きず、頬に触ってみるとものすごく冷たかった。心肺停止の状態で病院に運ばれ、そのまま彼女は帰らぬ人となった。 朝を作っている時に連絡を受け、信じられない思いで夫の実家に飛んでいくと、義母が可愛がっていたペットのチワワが飼い主を探して走り回っていた。義父はまだ病院から戻ってきておらず、電話で「警察が現場検証に来るので、いろんなものに触らんように」と言われた通り、チワワをケージに入れて立ったり座ったり落ち着かない気分でいると、やがて義父が警察官4名を伴って帰ってきた。 家で突然死

    家族全員、一人暮らしになった - ohnosakiko’s blog
    kintaorgH
    kintaorgH 2014/07/09
    カシミヤの
  • 父親があまり好きじゃない

    ギャンブルはしない、たばこは吸わない、お酒は休前日と休みの日に缶ビール一、車の運転は超安全で一度も違反なし。子供二人を奨学金なしで私立大学を卒業させたし、定年後も65になるまで働いた。普通に真面目な人なんだとは思うけど、好きになれない。 昔「お前を養ってやっているのに、生意気な口をきくな」と言われてから、あまり好きではなくなった。これは義務教育は終えていた、高校生の時の話だ。確かに働くという選択肢もあるのに進学させてもらっているのは事実なのだから、反論はできないな、と思ったので黙るしかなかった。 誰かに何かをする事は父にとっては全て「してやっている」事なのだ。 買い物に行く時、「車で送ってやるしかないじゃないか」。電球が切れた時「電球を取り換えてやるしかないじゃないか」。 家族同士で諍いが起こると過去に自分がやった「やってやった」事を持ち出して、自分が優位に立とうとする。 定年後、家にい

    父親があまり好きじゃない
  • 将来が不安すぎる

    父親が身体障害者で将来介護必須で、母親がそれも見越して働きながら社会福祉士の資格とった。 それは素直にすごいと思うけど俺には無理だ。 父親はもあるし頑固で完璧主義者だから偏屈じじいになってめんどくなりそうだし、もともと妹ばっかかわいがって俺とあからさまに差をつけて育ててくれやがったから恨んでるし。 長男の俺は逃げるように上京して底辺下請けプログラマやってるけど将来が怖すぎる。 ヘルプマンってマンガも読んでみたけど、ほんとにやばい。 不安しかない。 俺も将来は実家に戻って介護の手伝いをしないといけないだろうし、結婚もできないだろうし、もう毎日無気力に呆然と過ごしてる。 とりあえず国は福祉にもっとマジになってもらわんと困る。 理想とか予算丸投げじゃなくてさあ。。。制度があっても実態が中間搾取とかもうほんと国の怠慢だろ。いろんなところにあるけど。 介護が大変だなんて、実感を持った途端にこわくて

    将来が不安すぎる
  • 無声慟哭 - kom’s log

    朝の5時半、寝ていた無珍先生が起こされた。 「いいかい、パパは今ドイツに戻る。無珍先生はネエネと日で暮らすんだよ」 私はそう伝えた。無珍先生は目を見開いた。その目がみるみるうちに潤んでいった。たちまち大粒のナミダがボロボロと流れた。しかし表情はかわらず、目を大きく開けたまま、声も出さずにナミダだけがこぼれ頬を伝い寝間着に染みこんでゆく。一言も泣き声をあげずに、口を結んだまま。私は絶句した。産みの母親を生後二ヶ月半で失い、四歳になって一ヶ月、父親の私も離れていこうとしている。 私は玄関でを履きバックパックを肩にかけ、義理の妹がだっこしている無珍先生に向き直った。無言の私、無言の無珍先生。義理の妹も無言のままじっと無珍先生を抱きしめている。じゃあ、オーベン(肩車)してあげようか、というと、無珍先生はいつものようにうれしそうな顔で両手をめいっぱい伸ばしてきた。肩にのると、毎度のことながら私の

    無声慟哭 - kom’s log
  • 父の病状 覚え書き (退院→再入院) | カリノ トウコ

    「数年前に帰省した時には、ちょっとおかしいところはあったものの、まだ会話できて一緒に出掛けられたのに、短期間のうちにすっかり別人のようになってしまった」 父のことを書き留めた、昨年7月15日付けの私のメモ。 そのメモを書いた7月に、このままでは自分の方がまた倒れそうだとの母の訴え(母は前年春のガン手術後リンパ浮腫で足がやや不自由になっており、この年の春には激しいめまいで動けなくなって入院し、退院後も心房細動の症状が出て薬服用中)が聞き入れられて、夜眠らず歩きまわっていた父は、睡眠障害治療の名目で精神科に入院できた。 今の制度では認知症患者の90日以上の入院は難しいそうで、来なら父は10月半ばに退院する予定だったけれど、退院前に腸閉塞(イレウス)を起こし、転院して入院継続。 絶等の内科的治療で腸閉塞が改善したので、11月末に退院となった。 この時点で父の体重は10kgほど落ちていたらしい

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  • まとめよう、あつまろう - Togetter

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    まとめよう、あつまろう - Togetter
    kintaorgH
    kintaorgH 2012/10/26
    「山中教授の母が語る「天才の育て方」」「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」山中先生のおばちゃんが橋下先生を育ててたらどんな表紙だったんだろう
  • 寿命を削って働いてきたのも、すべて家族のためだったのに。家族に戻ってきてほしい - 子育てちゃんねる

    615 :名無しさん@お腹いっぱい。 : 2012/10/22(月) 21:24:35.42 高校生の息子に、いきなり「あんた(俺)は母さんと次男にしかいばれない男。 これからは俺が守るから、母さんと次男はもっと自由になっていい」と言われました。 それから、俺が何を言っても長男が怒鳴ってきて話にならない。 そんなことが続き、ついに別居です。 どうしたらいいのかわかりません。家族に戻ってきてほしい。 寿命を削って働いてきたのも、すべて家族のためだったのに。 家族のために辛い労働にも耐え、上司に怒鳴られ泣きながら仕事をしてきました。 616 :名無しさん@お腹いっぱい。 : 2012/10/22(月) 21:28:03.78 で、いばってたわけ? 618 :名無しさん@お腹いっぱい。 : 2012/10/22(月) 21:32:46.64 >>616 いばってはない。見に覚えがないというか、家

  • 父との会話 - ohnosakiko’s blog

    入院中の父を夫と見舞いに行った。ちょうど昼が終わったところで、父はベッドの上に起きていた。 「お父さん、気分どう?」 「‥‥‥ああ」 「お昼、全部べた?」 「‥‥ここの事は、おいしくない」 父は言葉がスムーズに出てこないようだった。目を瞑って考え考え、喋る。母からは、「母の具合が良くないので、父は家に帰らず近いうちに”別のもっと良い施設”に入る」ことを、やんわりと父に伝えてくれと言われている。母から直接より、ワンクッション置いた方がいいだろうということで。 「ところでお母さんが体調崩してね、お医者さんにしばらく療養しなさいって言われてるの。もう今までみたいにお父さんの面倒看れないの、お母さんは。だからお父さん、ここ出たらもっと御飯のおいしい、お部屋も広いところに移るからね。お母さんも元気になったら時々来れるから。ね?」 目を閉じて聞いていた父は、薄笑いを浮かべて私を見、 「何言ってる

    父との会話 - ohnosakiko’s blog
    kintaorgH
    kintaorgH 2012/07/17
    ohno先生とおとうさんのはなし
  • 「お母さんを、抱きしめたい!」と父は大声で言った - ohnosakiko’s blog

    先日、父(87歳)は原因不明の激しい痙攣を起こし、意識不明となって救急車で運ばれた。救急車で搬送されるのは先月、先々月に続いて三度目だ。連絡を受けてようやく病院に駆けつけると、憔悴しきった顔の母(75歳)が入院の荷物を脇に、ポツンと廊下のベンチに座っていた。私の顔を見るなり、「もう私には無理。もうお父さんが痙攣起こしたとこ見るの厭。卒倒しそうになる。もう無理」と言って泣き出した。 前回の発作の後、父は要介護2の判定を受けている。認知症も進行しつつあり、目を離せない状態になってきた。先日、母が見てないところで転倒してタンスの角に頭を強打し、怪我をしたばかりだ。母が応急手当をしたが、父はどうしても病院に行くのを拒んだ。 夜中にもゴソゴソ動き回る父の心配をしなければならない母は、慢性睡眠不足になっている。体重も30キロを切りそうだ。父は来週から週2でデイケアサービスに通うことになっていたが、自宅

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  • 死刑判決・木嶋佳苗被告の手記 朝日新聞 読後雑記帳/ウェブリブログ

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

    kintaorgH
    kintaorgH 2012/04/17
    4まででヘトヘト おんもらぎのきずというはなしのこういんさんを思い出した
  • 【虐待越えて タエコの40年(1)心の救済】親に2度も殺されかけた 虐待2000日、女性社長の壮絶人生(1/5ページ) - MSN産経west

    両親からの虐待、父親の自殺、自閉症児の子育て、認知症の義父の介護…。人生の荒波に次々と遭遇し乗り越えてきた女性が、虐待のない社会を目指して講演活動を始め、壮絶な内容に驚きと共感の輪が広がっている。大阪市中央区でビデオ制作会社を経営する島田妙子さん(40)。虐待の記憶の封印を解いたのは、1つ違いの兄の死だった。「人の役に立ちたい」と願いながら逝った兄の遺志を受け、「虐待をしてしまう大人を助けたい」と、講演で“心の救済”を呼びかけている。「やさしかった父、おかしくなっていった」 「わたしはこれまでの人生で2度、命を落としかけました」 大阪府高槻市の富田ふれあい文化センターで、3月17日開かれた講演会。島田さんがこう切り出すと、補助椅子(いす)まで埋めつくした約150人の聴衆が息をのんだ。 3人兄妹の末っ子で長女の島田さんは、小学2年から中学2年までの約6年間、実父と継母からべらで殴られたり、

    kintaorgH
    kintaorgH 2012/04/09
    母の父 母の母 父の母 継母の母 継母の父 継母の兄 父 母 継母 長兄 次兄 タエコ 弟 夫の父 夫の母 夫 タエコ 長男 長女
  • 渡辺真也氏の「祖父をめぐる物語」

    Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya 芹沢光治良の作品に、五銭のよっちゃん、という、沼津の漁師に五銭で売られてきた子供の詩がある。私の祖父は小学校に通えず文盲だったが、沼津の漁師に売りに出された弟を追って実家を抜け出したからだった。私の祖父が義男(よしお)だったことを考えると、よっちゃんがとても身近に感じられる。 2012-03-19 08:00:54 Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya 私は祖父が立てた魚問屋マルヨ渡辺商店を継ぐことを逃れてアートの道を歩み、ニューヨークへと渡ったが、溺愛してくれた祖父の辿った人生を考えることが良くある。祖父が通過した困難を考えれば、私の抱える困難なんて、困難のうちに入らないだろう。 2012-03-19 08:03:44

    渡辺真也氏の「祖父をめぐる物語」
  • Ohnoblog 2

    kintaorgH
    kintaorgH 2012/03/18
    「いつも普段着で行くのにカシミヤのよそ行き着て行ったし」
  • 12年1月10日(火)「#1654 娘と息子」 - 解説委員室 無難でなく

    kintaorgH
    kintaorgH 2012/01/12
    人間と野球がごちゃごちゃ
  • 物ごい:11歳長男に指示 父を逮捕 大阪  - 毎日jp(毎日新聞)

    長男(11)に路上で物ごいをさせ、現金を受け取らせたとして、大阪府警吹田署は18日、父親で同府池田市の建設作業員の男(33)を、児童福祉法違反(禁止行為)容疑で逮捕した。現場を署員が見つけた際、長男は近くにいた男を「お父さんは関係ない」とかばったが、男は長男を放置して車で走り去ろうとした。 逮捕容疑は9月12日午後9時25分ごろ、吹田市豊津町の大阪市営地下鉄江坂駅近くの歩道で、小学5年の長男に物ごいをさせ、通行人の女性(31)から現金200円を受け取らせたとされる。「子どもが勝手にやった」と否認している。 吹田署によると、男は、母親である元仕事をしている夜間だけ長男を預かっていた。午後9~10時に街角に立たせ、「財布を落とした」などと言って路上で現金をもらうよう指示。長男の話や目撃証言などから、8月下旬~9月中旬に5、6回、江坂駅周辺で通行人やタクシー運転手らに物ごいをさせたとみられる

    kintaorgH
    kintaorgH 2011/10/23
    かき