太平洋戦争末期、アメリカ軍が訓練のために投下した「模擬原爆」で犠牲になった人たちを追悼する式典が、26日、富山市で行われました。 「模擬原爆」はアメリカ軍が原爆投下の訓練用に作った、長崎に落とされた原爆と同じ形の火薬が詰められた爆弾です。 77年前の昭和20年7月26日午前8時ごろ、富山市豊田本町に投下され、この地区で暮らしていた15人が犠牲となりました。 26日、爆弾が投下された場所の近くに建てられた「平和記念の碑」の前に地元の住民5人が集まり、犠牲者を追悼する式典が行われました。 式典では僧侶がお経を唱え、参加者たちが手を合わせて犠牲者を悼みました。 爆弾で祖父母を亡くし、毎年、式典を主催している鈴木善作さんは「平和の意義を後生に伝えていく機会になると思い、毎年欠かさずやっています。きょう一日だけでも、ご近所の方が爆弾の被害を思い出してくれればよいと思います」と話していました。