笹井一個【staff】 @sasaiicco @toshi_fujiwara @yamtom @watarloo はじめまして。(watarlooさんはおひさしぶりです。)漫画の性描写規制などの反対運動にささやかながら参加している者です。お三方の昨日のやりとりを、自分で読むために先ほど非公開でまとめたのですが、(続きます)
私はアカデミズムの場でフェミニズムに携わる若年フェミニストとして、フェミニズムに対して違和感を抱き続けている。フェミニズムによって私自身が救われた経験を持ちつつも、何か、やり過ごせないひっかかりが残る。この違和感はいったい、何なのか。 「フェミニズムに対する違和感」が、異議申し立てや反動などの形で現れたのは、最近のことではない。海外に視点を移せばフェミニズムに対する批判は、もっと以前から展開されてきた。1980年代のアメリカにおいて、「フェミニズムは白人高学歴女性の諸権利を拡大していくもの」という異論を唱え、「ブラックフェミニズム」としてその意義を唱えていこうとした1人に、ベル・フックスがいる。彼女の著書『ブラック・フェミニストの主張──周縁から中心へ』から、当時彼女がどれほどの勇気を持って、黒人女性として声を上げていったのかがうかがえる。白人のフェミニストたちについて、フックスは次のよう
日記 801ちゃんより名指しで質問きてますが、腐女子研究やっている方々どう答えるんだろうか?この手の事に猛っても仕方ないのは百も千も万も承知だけど、大阪の件ついて腐女子でもない人が勝手に腐女子を分析した挙句、俺の考えた正義を披露してだから腐女子は駄目なんだとか、ほざいているのを見ると、腐女子どころじゃないくらいのド腐れだなあと思います。分析したいだけだろ、お前ら。http://twitter.com/801_CHAN/status/13794510792 特にフェミフェミいうてる人たちは、他人のそういうデリケートな部分を、したり顔で分析したり批判したりすることの失礼さとか、他人の生き辛さを再生産していることについてどう思われますかね。まじで。失礼にもほどがある。http://twitter.com/801_CHAN/status/13794573911 腐女子ってさーと語ってるお利口さんな
日記私は「腐女子」のサンプルとして、インタビューを受けたことがあります。その研究の中で、「腐女子」の代表の一人になっていたかな。 そういう意味で、801ちゃんのいう「生きづらさの再生産」に加担した方ですね。 おまえが、代表するなよ!っていう。 私は19歳から26歳くらいまで、毎日やおい(その頃はBLという呼び名でなかったので)ばっかり読んで、引きこもってオナニーしたりしてました。 自分が女であることが嫌で嫌で、男みたいな服装をしたり、人と話すのをやめたり。 そんな自分を引っ張りあげてくれたのは、たぶん、腐女子研究だと思います。 いや、研究もそうだけど、「腐女子」について語る人かな?私はやおいばっかり読んでた時期、そればっかりで、他に言葉を受け付ける準備なんてまるでなかったんですね。 BLを無邪気に好きな人たちは、こうしてBLをフェミニズムとくっつけることを嫌う。「すぐに結びつけないでほしい
id:nagano_haruさんの経由で、801ちゃんからフェミニストへ質問が来ていることを知りました。 nagano_haru「801ちゃんより、腐女子を分析中のみなさんへ」 http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20100511/1273595010 私はフェミニストです。腐女子研究者というアイデンティティは持っていませんが、一度、出版物でヤオイについて分析しているので、応える立場にあると思いレスポンスします。twitterの発言は追っていないので*1、nagano_haruさんが引用している部分に応えます。 この手の事に猛っても仕方ないのは百も千も万も承知だけど、大阪の件ついて腐女子でもない人が勝手に腐女子を分析した挙句、俺の考えた正義を披露してだから腐女子は駄目なんだとか、ほざいているのを見ると、腐女子どころじゃないくらいのド腐れだなあと思います。分析
岡井崇之 (おかいたかゆき) 1974年、京都府生まれ。 上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士後期課程単位取得退学。現在、法政大学、日本大学などで非常勤講師。専門はメディア研究、文化社会学、社会情報学。メディア言説と社会や身体の変容をテーマに研究している。主著に、『レッスル・カルチャー』(風塵社、2010年、編著)、『プロセスが見えるメディア分析入門』(世界思想社、2009年、共編著)、『「男らしさ」の快楽』(勁草書房、2009年、共編著)など。 →bookwebで購入 「女はポルノをどう読んでいるのか」」 「ポルノグラフィは、『悪いもの』という前提でだけ考察されることが多い主題である。アダルトビデオやインターネットのアダルトサイト、ポルノコミック、アダルトゲーム、写真雑誌、小説・・・・・・とポルノが社会に蔓延している状況に顔をしかめる人は多い。しかしその一方で、マスターベーション
アメリカ発DV再発防止・予防プログラム―施策につなげる最新事情調査レポート 作者: 山口佐和子出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2010/03/01メディア: 単行本 クリック: 5回この商品を含むブログ (2件) を見る 3月に出た、米国のDV関連プログラムを調査し、研究した文献である。日本語で読める文献の中では、最新の情報が得られる本だということになるだろう。資料として有用である。シェルター職員の給与、被害者のためのプログラム、加害者のためのプログラム、被害を受けた子どものためのプログラム、DV防止プログラムなどが紹介されている。 とりわけ重要なのは、いままで取り上げられることの少なかった、「女性加害者のためのプログラム」が紹介されている点だろう。女性が男性に暴力をふるうという問題は、矮小化されがちであり、男性被害者が声を上げにくい状況にもつながっている。山口さんは、女性加害
いつみても「キリンが逆立ちしたピアス」っていいブログ名だよなあと思ってしまうのだけれど、その id:font-da さんが、山口佐和子著『アメリカ発 DV再発防止・予防プログラム』を紹介している。わたしもこの本については「某秘密主義ML」(検索キーワード)で知り、気になっていたので、信頼できるレビューが出てきて助かる。いずれ入手するつもりだけれど、いつになることやら。 それにしても、「アメリカ発」の報告なら、なんでわたしに取材に来なかったんだ!という自意識過剰はともかくとして、どれくらい米国の反DV運動の中におけるさまざまな視点や主張を集めているのかという点は気になる。肝心なところは、大手団体に連絡して紹介してもらう先を取材していては全然見えてこないはずなので、著者自身が運動内部の状況をよく理解しているか、そうした状況がわかっている内部協力者が必要なはず。いやわたしに声がかからなかったから
いまだにフェミニズムは対抗勢力やその行動を「バックラッシュ」と呼びつづけている(例えば、上野千鶴子「安倍新保守政権の読み方・処し方」『インパクション』36号、2006年秋号)。しかし、反・男女共同参画派の安倍晋三が政権をとっているのだ。同じく反・男女共同参画派の高市早苗が男女共同参画大臣の座に就いているのだ。主流の座を射とめている勢力をいまだに「バックラッシュ」や「反動」と呼ぶのはやめたほうがいいと思う。安倍政権下では、これまでとは異なり、反・男女平等へと政策転換しているはずだ。この危機的なな事態について冷静に批判していく必要があるのに、バックラッシュ呼ばわりしていると、自分たちはあくまで正しいと言い張っているように見える。その陰で地方自治体の男女平等政策まで地滑りのように後退してしまわないかと心配だ。いや、もうすでに地滑りの予兆は起きているから言うのだ。 この上野インタビューは、『ピープ
東京裁判のとき「あなたと東条の間に思想的対立があったそうだが」と尋ねられた石原莞爾が、「東条には思想などというものはない。ないから対立するはずがない」と答えたのは有名な話だが、山下悦子にも思想などというものはない。今の若い人は、十五年くらい前にどかどか出た山下の雑な著作など読んでいないだろうが、単に上野千鶴子を叩いて名を挙げようという「思想」があっただけで、必要もないのに丸山圭三郎や浅田彰が出てきて、ひたすらニューアカ・ブームの尾っぽに載ってマスコミ出世しようという意図が透けて見えるばかりで、高田里恵子など一歩間違ったら山下になっていたのではないかと思われる。『マザコン文学論』を出したあとで、青野聰の「母よ」にからめての文藝評論を『群像』に書いて、谷崎の「母を恋ふる記」が何の屈折もなく母恋いを綴っているのに対して青野は云々と書いて、翌月の「侃侃諤諤」で、谷崎作品はかなり屈折しているのに山下
↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao ・コミットメントを欠く「フェミニズムへの助言」への懐疑 http://macska.org/article/151 (※改行の関係で引用が読みにくいので、原文に当たることを推奨) フェミニズムの運動は社会における男女の平等を主張しつつ、現実の政治的行動において必ずしも女性の問題と男性の問題を対等に扱うということはしない。それは運動内において「男性のマージナリティ(周縁性)」が「フェミニズムの条件」(フェミニズムにおいて男性は周縁化されるべき)だからなのではなく、社会における「男性のセントラリティ(中心性)」という現状認識がフェミニズムの大前提だから。わたしはフェミニズムが女性だけのものだ
『バックラッシュ!』を読んだ。 バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか? 作者: 上野千鶴子,宮台真司,斎藤環,小谷真理出版社/メーカー: 双風舎発売日: 2006/06/26メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 323回この商品を含むブログ (131件) を見る ブログの論戦などを合わせてよむと、フェミニズム/ジェンダーフリー/バックラッシュに関わる議論に、「男性弱者/オトコになれない男/メンズリブ系?」のことが混入していて、気になった。いまその辺を少し文章にしている。 それはそれとして、『バックラッシュ!』の最後に掲載されている上野千鶴子へのインタビュー「不安なオトコたちの奇妙な〈連帯〉」には、月までブッ飛ぶ衝撃を受けた。 端的にいって、男はカネと権力に弱い。ホモソーシャルな連帯における最大の価値とは何かわかりますか? それは、男が同じ男から「おぬし
ベティ・フリーダン死去のニュースをhttp://diary.jp.aol.com/mywny3frv/ で知った。ネットでは『朝日新聞』http://www.asahi.com/obituaries/update/0205/002.html『読売新聞』http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060205i512.htm?from=main5共同配信http://www.shikoku-np.co.jp/news/kyodonews.aspx?id=20060205000147の3つが読める。この記事を読んで思ったことは3つある。 第1は、ウーマンリブ運動について調べている私には、世の中を大きく動かしたこの女性のことがこんなにちっぽけにしか報道されないことにびっくりすると同時に情けなく思ったこと。1963年に出たFeminine Mystiqueはベストセ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く