昨今、知的財産権を巡る議論が活発化しているが、この傾向は2002年に小泉総理が知財立国を施政方針演説で表明し、それを基に知的財産基本法制定や知的財産戦略本部の設立等の動きを背景にしていると思われる。 しかしながらプロパテントの動き自体は90年代半ばまで遡ることができる。即ち当時はバブル崩壊後で、グローバル化や特に中国等の台頭から経済的に相当厳しい状況にあったが、それを克服するには80年代の米国にならい、いわゆるプロパテント化によりイノベーションを促進し、産業構造の更なる高付加価値化あるいは差別化を進め、もってわが国の国際競争力を維持発展させることが必要と考えられた。 当時の知的財産権、特に特許制度を巡っては、その権利化が遅い、特許権の範囲ないし解釈が狭い、侵害時等の訴訟遅延、勝訴しても賠償が不十分等の議論があった。このような状況の下、特許等に係る日米協議、またウルグアイラウンドでのTRIP