中国・上海で1988年3月24日、高知学芸高校の修学旅行生らを乗せた列車が対向列車と正面衝突し、生徒ら29人が死亡した事故。29年後の真実を以下の構成であぶり出す。第1章「失われた現場の記憶」▽第2章「事故原因、疑問点相次ぐ」▽第3章「難航極めた補償交渉」▽第4章「学芸高への不信募る」▽第5章「『永遠の碑』3人の名前無く」
中国貴州省の貧困地域で兄妹4人が6月初め、農薬を飲んで自殺した。親が出稼ぎで家を離れ、孤独な暮らしを強いられていた「留守児童」だった。事件は社会に衝撃を与え、経済規模で世界2位の「大国」が抱える貧困問題を改めて浮かび上がらせた。兄妹が住んでいた村を訪ねた。 事件発生5日後の6月14日、現場となった中国内陸部、貴州省畢節市の茨竹村を目指した。市中心部から車で約3時間、起伏の激しい山道を進むと、トウモロコシ畑が広がった。その一角に、兄妹4人が住んでいた家があった。入り口には鍵がかけられ、警官らが見張っていた。 同じ村に住んでいる張啓付さん(40)が、事件当時の様子を語ってくれた。6月9日午後11時ごろ、「どん」という音が聞こえ、イノシシが鳴いているような声も耳にした。驚いて屋外に出ると、数十メートル先の兄妹の家の前で少年が倒れているのが見えた。少年はけいれんしながら水分を吐き、今にも息絶えそう
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