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学校と教育とメディアに関するsizukanayoruのブックマーク (3)

  • いじめ、無策のまま繰り返される「祭り」- 斎藤環氏(精神科医)

    斎藤環 『イルカと否定神学』医学書院 9月刊行予定 @pentaxxx 精神科医。被災期間限定で参入しています。リプライ、メンション、DMは読んでいますが反応はしないと思います。あしからず。 bit.ly/2vZ9q6E 斎藤環 対談集『臨床のフリコラージュ——心の支援の現在地』青土社 @pentaxxx 戦後の大きな「いじめ報道ブーム」は4回目か。第1回:1986年2月の中野富士見中の事件。第2回:1994年の愛知県西尾市立東部中学事件。第3回:2006年、福岡県筑前町立三輪中など複数、そして今回。 斎藤環 対談集『臨床のフリコラージュ——心の支援の現在地』青土社 @pentaxxx 毎度毎度、判で押したように反復される既視感にいささか眩暈が。臭気、おっと周期はだんだん短くなってますね。マスコミが学校側や教育委員会その他をまず叩き、ネット上では加害者とその家族が特定されて雁首並べて晒され

    いじめ、無策のまま繰り返される「祭り」- 斎藤環氏(精神科医)
  • メディアの病 - 内田樹の研究室

    怒るまいと思っても、つい。 今朝の毎日新聞の論説委員がコラムでが大学院教育の問題点について指摘していた。 90年代からの大学院重点化政策についての批判である。 「『世界的水準の教育研究の推進』をうたい文句に大学院定員が拡大されたが、大量に誕生した博士たちを受け入れるポストは用意されなかった。路頭に迷いアルバイトでいつなぐフリーター博士なる言葉まで生まれた。」 この現実認識はその通りである。 国策として導入された大学院重点化である。そのアウトカムについても国は責任をとるべきだろう。 責任というと言葉が強すぎるなら、せめて、「定員増には、受け皿になる職がないという『リスク』も帯同しております」ということを大学院進学志望者たちに事前にアナウンスしておくくらいの「良心」はあってもよかったのではないかと思う。 それはよい。 問題はその次の段落である。 意味不明なのである。 「何年か前、さる大学に新

  • 卒後教育の要件 - 内田樹の研究室

    A 日新聞の取材が続いて、今回は「仕事中おじゃまします」という企画。 入試部長として執務しているところを撮影して、その仕事の苦労談を語るという趣向である。 入試のハイシーズンに、入試部長がアドミッションポリシーについて語る記事を無料で全国配信してくださるという、他大学の入試担当者が聴いたら嫉妬の余り壁をかきむしりそうなお話である。 機会を賜ったのを奇貨として、神戸女学院大学がいかにすばらしい大学であるか、高等教育の社会的責務とは何かについて持論を申し上げる。 話しているうちに、記者のかたが奇妙な動物でも見るように私をみつめている。 自分が属している組織に対して「忠誠心」を示すということは別に珍しいことではないが、学者がそういうふるまいをするのはわりと例外的だかららしい。 なるほど。そうかも。 だって、A 日新聞の記者は A 日新聞の悪口しか言わないもの、という話になる。 私が会った限りのす

    sizukanayoru
    sizukanayoru 2010/01/23
    "軽々に自己評価を下さないということが、たぶん卒後教育の必須条件である。"( ..)φメモメモ
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