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historyに関するtvskのブックマーク (186)

  • アルドゥス・マヌティウス - Wikipedia

    マヌティウスの肖像画アルドゥス・ピウス・マヌティウス(羅: Aldus Pius Manutius 1450年頃 - 1515年2月6日)は、ルネサンス期ヴェネツィアで活躍した出版人。商業印刷の父と言われる。イタリア語名でアルド・マヌーツィオ(伊: Aldo Pio Manuzio)とも呼ばれる。1494年にアルド印刷所を設立して多くの名著を出版し、子・孫の3世代に渡って印刷文化を牽引した。 生涯・業績[編集] バッシアーノに生まれ、ローマで成長する。古典のギリシャ語、ラテン語を学び、人文主義者のピコ・デラ・ミランドラとも交友があり、非常に学識豊かであった。1475年から20年かけて、ヴェネツィア印刷工房を設け、ギリシア、ラテンの古典(約120点)を校訂し、出版した。ギリシャ文字の活字を製造し、また、イタリック体やアンティカ体を開発した。 近代の印刷技術の祖であるヨハネス・グーテンベルクと

    アルドゥス・マヌティウス - Wikipedia
    tvsk
    tvsk 2014/10/05
    印刷技術を使ってビジネス的に成功した最初の人。イタリア・ベネチア。1475〜1500年頃にギリシャ・ラテンの古典を校訂、出版した。書体の開発。据え置き型であった書籍をポータブルにした。
  • インキュナブラ - Wikipedia

    インキュナブラ(incunabula、単数形はincunabulum)は、西欧で作られた最初期の活字印刷物のことであり、15世紀(グーテンベルク聖書以降、1500年まで)に活版印刷術を用いて印刷されたものを指す(だけではなく、一枚物(ブロードサイド broadside)も含む)。揺籃印刷、インクナブラともいう(incunabula はラテン語でゆりかごの意味)。 『Facta et dicta memorabilia』Valerius Maximus 作の一頁。Peter Schöffer (Mainz, 1471)による印刷で、頭文字Uがルブリック(赤題目)され、蔵書印 "Bibliotheca Gymnasii Altonani" (Hamburg)が押されている。 1455年にグーテンベルクによる「グーテンベルク聖書」が出版されてから、およそ半世紀の間に、ヨーロッパ各地の都市(ド

    インキュナブラ - Wikipedia
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    tvsk 2014/10/05
    印刷技術史上、若い時代の活字印刷物。
  • ヨハネス・グーテンベルク - Wikipedia

    ヨハネス・ゲンスフライシュ・ツア・ラーデン・ツム・グーテンベルク(ドイツ語: Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg、1398年[1]頃 - 1468年2月3日)は、ドイツ出身の金細工師、印刷業者である。印刷に改良を加えた活版印刷技術の発明者といわれ、広く知られている。 グーテンベルクの古い記録は、裁判記録以外ほとんどなく、活版印刷技術の真の発明者は誰かという論争が古くから行われてきたが、グーテンベルクとする説が最も有力である[2]。1445年までに活版印刷技術を考案し[3][4][5]、その機器の実用に成功して、自ら印刷業・印刷物出版業を創設したといわれる[6]。金属活字を使った印刷術を発明したことで印刷革命(英語版)が始まり、それが一般に中世で最も重要な出来事の1つとされている[注釈 1]。活版印刷はルネサンス、宗教改革、啓蒙時代、科学

    ヨハネス・グーテンベルク - Wikipedia
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    tvsk 2014/10/05
    ドイツ、1400年頃〜1470年頃。金属加工職人であり、印刷技術の発明者であり、印刷業・出版業を創設した。1439年頃活版印刷。1455年聖書を印刷。「初期の印刷技法や活字をどうやって作ったかの詳細は知られていない」
  • マインツ - Wikipedia

    復元されたローマ時代の建造物 マインツ河川港 1840年頃 第二次大戦で破壊された教会 マインツの街並み 上空から 左側がマインツ マインツ(独: Mainz [maɪ̯nt͡s] ( 音声ファイル))は、ドイツ連邦共和国の都市。ラインラント=プファルツ州の州都。中世よりマインツ大司教の司教座聖堂の所在地であり、活版印刷の発明者ヨハネス・グーテンベルクの出身地でもある。一時フランス領であった時期には、フランス語のマイヤンス(仏: Mayence [ma.jɑ̃s])の名で呼ばれた。ラインガウ(Rheingau)とプファルツ(Pfalz)のワインの集散地であり、当地産のスパークリング・ワイン「クプファーベルク」(Kupferberg)は特に有名である。楽譜出版で著名なショットもこの地にある。ローレライはじめ様々な伝説に彩られた風景や古城の景色を楽しめるライン下りの観光船はマインツを出港地とし

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    tvsk
    tvsk 2014/10/05
    ドイツ。グーテンベルクの生誕地であり、楽譜出版社ショットの地場
  • 懐かしいものから名作まで、AppleのCM全485本がYouTubeで公開中

    1977年から2012年にかけてApple社が作ってきたCM全485がYouTubeで公開されています。アメリカやイギリスでのみ公開されているものから日でも流された懐かしいものまで圧巻のラインナップで、スローガンや商品ごとにリスト化されており、これまでAppleがどのような広告の変遷を辿ってきたかをじっくりと見ることができます。 Every Apple TV Ads (ever made) - YouTube https://www.youtube.com/user/EveryAppleAds 485のCMのうちの一例は以下から。 ◆01:Think Different ad (1997) - YouTube 1997年におけるAppleの広告スローガンThink differentのCMシリーズ。「彼らはクレイジーだと言われるが、私は天才だと思う。自分が世界を変えられると気で信じ

    懐かしいものから名作まで、AppleのCM全485本がYouTubeで公開中
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    tvsk 2014/04/16
    She's a Rainbow
  • 団地自動電話|日本電信電話公社

    昭和40年代?に提供された団地自動電話のパンフレット。 ひとつの団地群で180名以上の利用希望者がいた場合に、 団地内に自動交換機を設置し、そこから各戸へ電話をひくというサービス。 現在のフレッツマンションタイプや、フレッツ 光マイタウンのようなサービスでしょうか。 個人での電話加入は負担が大きかったためか、 急速な電話需要に対応する電電公社側の策なのか、 昭和という時代を感じさせてくれる興味深い通信サービスです。 団地自動電話のあらまし 住宅団地にお住まいの方々から電話の架設について、数多くのご要望がありますが、これにおこたえするものとして「団地自動電話」の制度があります。 この団地自動電話は、一団地内で電話を希望される方が180名以上まとまった場合、ご要望におこたえできるようにしたものです。 団地内の適当な場所に、最新式の自動交換機を置き、そこからそれぞれのお宅にダイヤル式の自動電話を

  • 電話の歴史 ~発明にまつわるお話~

    このページは資格試験とは離れ、電話の歴史、特に最初の発明についての小話を紹介したいと思い作成したものです。既に書き始めてから20年を超えてますので、不足の部分や、勘違いしていた部分を少しづつ改訂中です。 さて、電話の発明者がグラハム・ベルであることは一般常識ですが、事実はそう単純でなさそうなのです。 私が初めてこの事を知ったのは高校生ぐらいだったでしょうか、「栄光なき天才たち」というマンガがきっかけです。第1巻の第1話だったことはよく覚えています。そこには孤高の天才として「もう一人の発明者」エリシャ・グレイが描かれていたのです。これは読んだ当時、衝撃的に思えました。 時は流れ、電話技術の勉強をするようになった私はグレイのことが気になりました。調べが進むにつれて、マンガにはかなりの脚色が入っていて、背後にはもっとドロドロした人間同士の争いがあったことに気付きました。これは予想を超えた面白さで

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    tvsk 2014/03/30
    イライシャ・グレイの記載あり
  • EJBコンテナが分散コンポーネントモデルから軽量なDIコンテナに変化してきた歴史を振り返る - 達人プログラマーを目指して

    十年一昔といいますが、文字通り一昔前の書籍ではJ2EEのEJBコンポーネントはプロセスが分散化されたリモート呼び出しにより処理を行う分散コンポーネントとして説明されています。そして、残念ながら現状Java EE関連の日語の書籍はこうした古い時代に書かれたものがほとんどとなっています。それゆえ、 開発効率がきわめて悪い 実行性能が悪い*1 仕様がきわめて複雑で理解が大変 といった悪いイメージが定着してしまっているのではないかと思います。しかしながら、最新バージョンのJava EE6では、Spring、Guice、SeamなどのOSSの軽量コンテナのアイデアを取り込むことにより、以前とは比較にならないくらい開発効率が改善されているという事実があります。 ここでは、Hello WorldのEJBの書き方を以前の古いバージョンから順次振り返りながら比較してみることで、EJBのプログラミングモデル

    EJBコンテナが分散コンポーネントモデルから軽量なDIコンテナに変化してきた歴史を振り返る - 達人プログラマーを目指して
  • VisualAge - Wikipedia

    VisualAge(ビジュアルエイジ)は、IBMによって開発された統合開発環境(IDE)のファミリーの名称であり、コンピュータ用の多数のプログラミング言語に対応した。VisualAgeの中からEclipseが生まれ、大半の製品はWebSphere Studio Application Developer、更にRational Application Developerに引き継がれた VisualAge の名称は開発チームのメンバー間のコンテストにより選ばれた。最初にリリースされたVisualAge for Smalltalk 以後、VisualAgeの名称はSmalltalkを含む、複数の言語およびプラットフォームに共通のブランド名称となった。個々の製品名は「IBM VisualAge for Smalltalk」、「IBM COBOL for OS/390」などである。 主な製品(対応言

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    tvsk 2013/12/19
    eclipseのご先祖
  • Freescape - Wikipedia

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    tvsk 2013/08/29
    Amigaの3dFPSゲームエンジン
  • First-person shooter engine - Wikipedia

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    tvsk 2013/08/29
    FPS視点のドローイングの概要
  • ロイヤルコペンハーゲン ミュージアム[ROYAL COPENHAGEN Museum]

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    tvsk 2012/08/27
    建築家アーノルド・クローと化学者にして最高技術担当者のアドルフ・クレメント
  • Dr.ダグラス・エンゲルバート

    ※この記事は『インターネットマガジン2005年3月号』(2005年1月29日発売)に掲載されたものです。文中に出てくる社名、サービス名、その他の情報は当時のものです。 すべてはここから始まった いまから37 年前の1968 年、サンフランシスコで開催されたFall Joint ComputerConference(FJCC)で行われたDr.Douglas Engelbart(ダグラス・エンゲルバート)のデモ(写真1)は、コンピュータ関係者に衝撃を与えた。 いまでも、「The Demo」とも呼ばれるDr. Engelbart のデモは、マウスを使い、アウトライン構造のデータを扱い、他のファイルへのリンクを実現したハイパーテキストやウィンドウによる複数データの表示、カメラで撮影した映像とコンピュータ出力画面とのスーパーインポーズ、コンピュータ画面を共有した会議機能(写真2)や電子メールなどを実

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    tvsk 2012/06/30
    5本指キーボード、マウスの当初の使い方
  • http://crimson-systems.dyndns.org/fllopy5/etc82.htm

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    tvsk 2012/05/04
    2インチフロッピー 初期のデジカメ用
  • Eliot Noyes - Wikipedia

    Eliot Fette Noyes (August 12, 1910 – July 18, 1977) was an American architect and industrial designer, who worked on projects for IBM, most notably the IBM Selectric typewriter and the IBM Aerospace Research Center in Los Angeles, California. Noyes was also a pioneer in development of comprehensive corporate-wide design programs that integrated design strategy and business strategy. Noyes worked o

    Eliot Noyes - Wikipedia
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    tvsk 2012/05/04
    IBMの初期スタイルガイド作成者、電動タイプライタのデザイナ(1961)
  • Space age desktop calculator

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    tvsk 2012/05/04
    電卓の中でもデザインにこだわった事例。
  • Digicus - Sorocal Soroban Abacus and Digital Calculator Hybrid - Sorokaru

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    tvsk 2012/05/04
    ソロカル 英語で言うところの digicus
  • Busicom

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    tvsk 2012/05/04
    ビジコンの各種モデル
  • 電卓の歴史<その他のコンピュータ<コンピュータの歴史<歴史<木暮仁

    瀬尾悠紀雄「電子式卓上計算機技術発展の系統化調査」 http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/021.pdf アイコム「エレクトロニクス立国の源流を探る」 http://www.icom.co.jp/beacon/electronics/ 日のエレクトロニクスを支えた技術「電卓」 http://www.icom.co.jp/beacon/electronics/000841.html 大崎眞一郎「電卓博物館」 http://www.dentaku-museum.com/ 見澤 浩「日のエレクトロニクスを支えた技術「電卓」」 http://www.icom.co.jp/beacon/electronics/000841.html Rick Bensene「the Old Calculator Web Museum」(eng

    tvsk
    tvsk 2012/05/04
    電卓の歴史 シャープ、カシオ、ビジコン。卓上〜ハンドサイズ〜ポケット
  • Busicom desktop calculator

    1957年(株)昌和商店と日計算器(株)から計算機部門が独立して設立された日計算器販売(株)(後のビジコン(株))は、国産手動式計算機、外国製電動計算機のほか三菱電機のメルコム・コンピュータを販売していたことから世界の動きに敏感で電子式計算機への移行を考えていた。このため、英国のサムロック・コンプトメーター社が世界で最初に製作した電卓、アニタ・マーク8の輸入を行うとともに、大井電気がパラメトロン計算機アレフゼロ101を発売するとその販売を買ってでたりした。 同社はリレー計算機の開発にもチャレンジしたがカシオに先を越され発売にこぎつけることができなかった。 同社は電卓分野には非常に早い時期に進出し、最初の電卓ユニコン160を、シャープが日で最初のオールトランジスタ電卓を発売した翌年、1965年5月に発売した。しかしユニコン160は価格が55万円と高く、競争力はなかった。 翌年ビジコンは

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    tvsk 2012/05/04
    ビジコンの卓上計算機。ニキシー管。