藤森照信が『タンポポの綿毛』(朝日新聞社)で諏訪の古代史について語っている。「敗戦の記憶」という章で。 藤森が生まれ育った長野県諏訪郡宮川村(現茅野市)高部に守矢家の屋敷があった。 村の立つ扇状地のやや上のほうに、集落を見晴らすようにしてジンチョウサマの屋敷がある。諏訪大社の筆頭神官の家柄で、正式には神長官(じんちょうかん)守矢家といい、高部の村はこの家を中心にずっと昔から営まれ、戦後になって事情は急変したけれど、格別な家であることは変わらない。 守也家の御先祖さまは、南アルプス北端の標高1650メートルの守屋山を聖なる山としてあがめ、山に宿るミシャグジさまを神として祀り、その麓の扇状地に住み、諏訪湖の周囲に広がる諏訪の盆地を拠点に周囲一円を広く治めていた。人々は、モリヤの当主を生き神さまとしてあがめ、鹿や猪を追い、魚を捕り、草の根を起こし、木の実を拾って暮らしていた。きっと平和に。 とこ