母を失った喪失感にさいなまれる“母ロス”が増えている。今回、本誌が40代以上の女性500人に実施したウェブアンケートによると、半年後までに立ち直ったケースが4割強だった一方、3人に1人は「自分が死ぬまで続くと思う」と回答しており、精神的なダメージが長引くことがうかがえた。ライターの松田亜子が、その解決法を探った。 * * * 遺児の支援活動などでグリーフケアに携わる一般社団法人「リヴオン」代表の尾角光美(おかくてるみ)さん(30)は、母の他界から11年経った今も、折に触れて“悲しみスイッチ”が入る。 「親の死への悲しみや苦しみは、人生の節目ごとに形を変えて生まれてきます。今はその悲しみを、そのまま大切にするように生きています。喪失感、怒り、憎しみ、罪悪感は、つながりの表れ。親の死とは卒業したり乗り越えたりするものではなく、ともに生きるものだと思う」 今回のアンケートで“母ロス”に陥った
「自分の母親だけは絶対に死なないと思い込んでいた」 母の死後も淡々と続いていく日常の中で作者が発見したこと。そして、現実と真摯に向き合っていく過程で見えてきた"母の死"の意味とは―――。 どこか勝手の違う"母親のいない世界の違和感"を新鋭が紡ぎだす自伝的エッセイ漫画。 宮川さとし 鋭い切り口で人間以上に人間味あふれる地方出身妖怪たちの笑いと哀愁が混じり合う日常を描いたギャグ漫画『東京百鬼夜行』(「月刊コミック@バンチ」2013年9月号)で連載デビュー。記念すべき第一話「OL妖怪・百目雅子」では、百個の目を持つ女の子が東京でステキ女子になるべく頑張る姿を描く。雅子の健気な頑張りには、各地でファンが続出。このたび自身も上京し、日夜奮闘中。
母が元旦(2014/01/01)の午前10時49分に、老衰で亡くなった。大正10年5月13日生まれ、享年92歳。 故人を思い出すことは、供養になるという。自分の記憶の中で、たぶんこれから徐々に薄れていくだろう母の死までの経緯。それをメモしておくことも、ひとつの供養の姿かな・・・と思ってメモしておく。 茨城県竜ヶ崎市の実家で一人で住んでいた母は、2年少し前の2011年10月3日、自宅の玄関で転んで大腿骨転子部(足の付け根)を骨折した。それが全ての始まり。たまたま玄関だったため、大声で助けを呼び、近くの人が気が付いてくれて病院に入院した。それから1ヶ月余、入院中にいわゆる痴呆の症状が出始め、夜おとなしく寝ないため、付き添い婦さんを頼んで話し相手になって貰ったり、大変だった。 このまま実家に一人で帰すわけにも行かず、結局、2011年11月25日介護付き有料老人ホームに入れた。(ここ) しかし老人
24年にわたる介護生活を作品にしたためてきた長崎市の詩人、藤川幸之助さん(51)=「上」は19日掲載。昨年9月末に逝った母キヨ子さん(享年84)は、人生の3分の1を認知症として過ごした。つまり藤川さんは、人生の半分を認知症の母に寄り添ったことになる。 自宅で見せてくれたキヨ子さんの遺影。認知症になる前の笑顔の写真の隅に、認知症を患ってからの小さな写真が挟んであった。藤川さんにとって「一番、母らしい写真」であり、その姿を「天衣無縫の母になった」と表す。そんな思いは詩作「遺影」「愚かな病」などににじむ。認知症の母を「恥ずかしい」と思っていた藤川さんの心は、どうして変わったのか。 2000年、キヨ子さんを実家のあった熊本県から長崎市の介護施設に移した。これを境にキヨ子さんは言葉を失い、食べられなくなる。藤川さんの判断で胃に穴を開ける胃ろうを施し、寝たきりになった。 弱っていく母を前にして、紙オム
自分は世から去るべき…休職3回目で知ったギフテッド、人生が一変 NEW キャリア 2024.01.22
東日本大震災の津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町。死者・行方不明者の数は800人以上に上りました。骨組みだけになった防災庁舎は、震災遺構として保存すべきかどうか検討されましたが、年内をめどに解体が決まり、作業に入る前の11月2日、慰霊式が行われました。 この日を特別な思いで迎えた1人の女性、遠藤美恵子さん。遠藤さんの娘、未希さんは当時、津波が押し寄せるなか、最後まで無線で避難を呼びかけ亡くなりました。 決して戻ってこない娘に対し、美恵子さんは、みずからの思いを日記を通して語り続けてきました。 その日記が今回初めてNHKに紹介されました。日記を通して、悲しみを乗り越えるため一歩一歩前へ進もうとする母親の思いを紹介します。 <関連番組> おはよう日本 11月3日(日)※終了 →番組の動画はこちら NHKジャーナル 11月1日(金)※終了 →番組HPの「ピックアップ」で聴
2013年06月21日08:00 【相談】親父の遺骨を散骨した結果… Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/19(水) 13:19:25.33 ID:TOOtjyhe0 母が精神に異常をきたし始めてる ずっと見張られている気がするらしい なんか助けるいい方法ないでしょうか 3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/19(水) 13:19:47.50 ID:LxXUgKKv0 お祓い 6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/19(水) 13:21:15.30 ID:tGUa+GIq0 どこに散骨したの? 12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/19(水) 13:22:25.34 ID:UYI6nxqy0 素直に心療内科とか連れてけ 素人が変なことして悪化させたりしたら
中日新聞メディカルサイト「つなごう医療」は 2018年3月末をもって終了いたしました。 長らくご愛顧いただき、 ありがとうございました。 今後、中日新聞の医療関係記事は 中日Webの「医療」コーナー(http://www.chunichi.co.jp/article/feature/iryou/) でご覧ください。 中日新聞社
2013年04月30日 家だから カテゴリ:カテゴリ未分類 昨夜も90歳をお看取りしました。 死後処置をしながら色々とご家族のお話を聞きました。 息子さんが熱心に介護されていました。最期の一週間は寝ずの介護でした。 息子さんは出張の多い仕事で、家を空けることが多かったそうです。その分、ずっとそばで介護ができてよかった。家だからできた。と。 「家だからできた」という言葉が嬉しかったです。 家で家族に囲まれて、ご家族も大変ながらも、大切な親のためにできることをできる限りやってやれた、という安堵感をもって生きていく。残された家族が、生きていくための、エネルギーとしても、看取りの期間は大切な時間なのだと思います。 ちなみに、男の介護は、女の介護と違って、理屈っぽくそれでいてこだわりもあり、ちょっとめんどくさいところがあります。 でも、それも親への愛情です。やりたいように、悔いのないようにやっていた
3日、NHK「クローズアップ現代」で『”凛(りん)とした最期”を迎えたい~本人の希望をかなえるには~』で、高齢者自ら延命措置無用の意志表示の潮流を取り上げていました。 当方の認知症の母親(92歳)は病院で終末期医療中であり、仮に本人の意志が延命措置無用であっても支離滅裂の会話が出来る間は、家族として人口栄養を止める決断は出来ませんね。 延命無用は時の流れであり、NHKニュースでは、『肉親の終末医療 演劇で考える』(3月30日)で、”「肉親の延命医療を巡って悩む家族の姿を通して、患者の本人らしい最期の迎え方を考えてもらおうという演劇が、30日、松山市で上演されました。」”と、『高齢者の終末期 医師らが討論』(3月31日)で、”「高齢者の終末期医療をテーマにしたシンポジウムが松山市で開かれ、訪問診療を専門とする医師などが延命処置や自然なみとりの在り方を巡って意見を交わしました。」”と報道。 内
米国に、今年2月までいじめを受けて大いに悩み、何度も死を考えた13歳の男の子がいる。メリーランド州コロンビアに住むノア・ブロックルバンクくんは、周囲からのいじめが原因でうつ状態に陥り、2月8日の誕生日に「自殺する」とネットに投稿、両親を驚かせた。息子の状態に悩んだ母親は彼を病院で治療を受けさせる傍ら、何とか生きる希望を見つけさせてあげたいと、Facebookや開設したサイトから、世の人たちへ1つのお願いをしたそうだ。 米放送局CBSやCBS系列WJZ-TVなどによると、以前から学校の同級生らから容姿や性格を罵られ、仲間外れに遭うなどいじめの対象になっていたノアくん。それが原因で、ここ数年はひどく落ち込むなどうつの傾向が見られるようになった彼を何とか支えようと、両親は病院での治療を1年以上受けさせ、学校や生徒の保護者には、いじめを止めさせるよう訴え続けてきた。 しかし改善が見られぬまま迎えた
母が逝った。 11月3日の夜十時半頃。 静かに息を引き取った。 だんだんに呼吸が浅くなり、だんだんに間隔が長くなり 消えるように呼吸が止まった。 そして私は親がいなくなった。 でも感謝している。 アルツハイマーが進行し、物事がわからなくなり、いつもにこにこしているだけになった。 その後は食事をしなくなった。 何かを話すけど、声にならなくなった。 医者から 看取り の話をされて、二週間頑張ってくれた。 下顎呼吸になっても二日いてくれた。 すべては私の心に準備をさせる為。 そう思う。 心の準備もでき、部屋も片付け、葬祭部の人にお願いもした。 それを見届けるようにしてから逝った。 何でも段取りする人だったからなぁ・・って思うと今回もそうだったのかも。 葬式からはあっという間に過ぎ去った。 もう少し落ち着いたら葬式の事も書きしるしておこうと思う。
母を弔い北海道1周 函館の70歳佐藤さん 徒歩で2750キロ 2カ月半かけ (10/10 16:00) ミヱさんの着物を仕立て直して身に着け、北海道1周に挑戦した佐藤守彦さん。後ろの地図には歩いた道のりが記されている 函館市堀川町の元高校教師佐藤守彦さん(70)が6月29日から9月16日までの約2カ月半をかけ、北海道の海岸沿いを歩いて1周した。2006年に亡くなった母ミヱさんの供養も兼ねて、行く先々の北海道三十三観音霊場と八十八カ所霊場へも巡拝して約2750キロの道のりを歩ききった。 6月に70歳を迎え、「ひとつの区切りとして、広い北海道を歩いてみよう」と思ったのがきっかけだ。今までに四国八十八カ所の巡拝や、自宅から9キロ離れた陣川町の第2新東山墓園に毎年88日間、歩いて墓参するなどミヱさんの供養を続けてきた。体力と脚力には自信があり、数々のハーフマラソンやフルマラソンを完走。「精いっぱい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く