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ひとつのテーマを 深く掘り下げた連載講義 「根本仏教講義」は、協会機関誌パティパダーに連載されたスマナサーラ長老による法話集です。ひとつのテーマを数ヶ月に渡って深く掘り下げていくため、仏教をより深く学びたい方にとって貴重なテキストになると思います。 「根本仏教講義」は現在も機関誌パティパダーに連載中です。連載が終了したテーマの一部は、施本(無料配布される書籍)として冊子化されており、配布終了した施本はこちらでお読みいただくこともできます。 1.釈尊の根本的教え 四聖諦① 四聖諦② 八正道 心のカウンセリング 慈悲喜捨の瞑想 瞑想法の基本 真理を知る慈と愛の心 仏教と仏教の違い 心はこんなに汚れている 2.テーラワーダ仏教 テーラワーダ仏教とは テーラワーダ仏教の真意 すべては自ら確かめよ 二つの偈文に学ぶ教え 自分という人間の実態 3.祈り・感謝 恐れが宗教を生む 人は何のために祈るのか
四国にある天台宗の寺の住職から十数年にわたり性暴力などを受けたと訴え、尼僧が住職ら2人の僧籍を取り上げるよう、天台宗に申し立てました。 申し立てたのは四国に住む50代の尼僧の法名・叡敦さんで、代理人の弁護士と1月31日、都内で会見しました。 叡敦さんは2009年から去年1月まで、四国にある天台宗の寺の60代の住職から「逆らうと地獄に落ちる」などとどう喝され、繰り返し性暴力などを受けたと訴えています。 母親が亡くなった際に、親類にあたる80代の大僧正に相談したところ、この住職を紹介されたということですが、大僧正に助けを求めても相手にされなかったと主張しています。 このため、信仰心を利用し長期にわたり心理的監禁状態に置かれたとして、住職と大僧正の僧籍を取り上げるよう天台宗に申告書を送ったということです。 叡敦さんは性的暴行を受けたとして2019年に住職を刑事告訴し、不起訴処分となったということ
元禄五年(1692年)、京都の学者・坂内直頼が出版した『善光寺縁起』全5巻。それをもとにした『善光寺縁起ものがたり』小林一郎 著(光竜堂、2009)をベースに、内容を簡潔に説明する。 病に倒れる如是姫(坂内直頼『善光寺縁起』より) お釈迦様が生きていた頃のインド・ビシャリ国に月蓋(がっかい)長者という金持ちがいて、欲望のままに贅沢な暮らしをしていた。ある日、お釈迦様は長者を教え導こうと、その家の門前にやって来た。長者はガラスの杯に白米を盛り、自ら出迎えようと思うが、急に惜しくなって途中で家に戻ってしまう。 やがて長者の不善が原因となり、ビシャリ国を疫病が襲い、多くの人が亡くなる。そして長者の寵愛を受けた美しい娘・如是姫も病に倒れてしまう。名医も祈祷も役には立たず、周りの人々は長者にお釈迦様の教えを乞うしかないと勧めた。 長者はお釈迦様のもとに参詣し、罪を懺悔して娘の命、ひいては国の人々の苦
ブッダという男 ――初期仏典を読みとく (ちくま新書) 作者:清水俊史 筑摩書房 Amazon 19世紀以降、仏教研究は初期仏典を批判的に考察することで、「歴史のブッダ」を復元しようと努めてきた。瞬間移動や空中浮遊など、超常能力を用いる「神話のブッダ」にかわり、多くの仏教学の碩学によりさまざまなブッダ像が描かれてきた。だが本書によれば、それらのブッダ像もまた現代人の価値観が投影されたものだという。ブッダは平和主義者であったり、男女平等論者であったり、不可知論者であったといわれることがあるが、こうしたブッダ像は研究者が自分の願望をブッダに語らせたものであり、「新たな神話」だというのだ。本書はこうした「新たな神話」から離れ、初期仏典を虚心坦懐に読むことで、「ブッダという男」が何を説いたかを解きあかしていく。ここで見えてくるブッダ像は、現代人のイメージする理想の人格者とは異なる面も多い。 たとえ
AIブッダが質問回答 チャットGPTで追加説明―京都大など 2023年07月19日04時56分配信 ブッダボットプラス(写真左)とブッダボットの回答例。左側のかっこ内はチャットGPTが生成した補足説明(京都大提供) 京都大などの研究グループは18日、対話型人工知能(AI)「チャットGPT」を使って、仏教的観点から悩みなどに自動回答する「ブッダボットプラス」を開発したと発表した。質問に対して、機械学習した仏教経典の文言を示すだけだった従来の「ブッダボット」を改良し、質問内容に即した解釈や追加説明をAIが生成して提示する。まだ誤った解釈を示す場合もあり、国内での一般公開は当面予定していないという。 自由研究、生成AIがお助け テーマ選びや進め方で活用―ベネッセ 研究グループが2021年3月に開発したブッダボットは、ブッダと弟子のやりとりをまとめた仏教経典をAIが機械学習。質問に対して、約150
世の中を大きく変える「チャットGPT」など生成AI(人工知能)。イタコの口寄せで知られる恐山の菩提(ぼだい)寺(青森県むつ市)副住職を務め、一般向けの著作が多い禅僧の南直哉さんは、AIの進歩の末に「人類は消滅するかもしれない」と説きます。西洋哲学にも詳しい南さんが「死」とAIについて語ります。【聞き手・鈴木英生】 人間は凡庸。「創造的な仕事」は必要か? 人間の自意識がデジタルネットワークの中に溶けて消え去る、仏教の言葉をもじれば「デジタルニルバーナ(電子涅槃=ねはん)」の時代が、いずれ訪れるのではないか。AIの進歩を、そんな思いで見ています。 今のところ、AIは、精巧な道具に過ぎません。与えられた問いに対して、膨大なデータから答えを出すだけです。つまり、人間のような自意識、たとえば、自分の置かれた状態や自分のあり方を自ら疑問に思う能力はありません。それでも、今後、社会と人間のあり方を大きく
無料動画で『禅ZEN』を観た。 曹洞宗を開き禅の教えを説いた鎌倉時代の僧、道元禅師の生涯を描いたものだった。 私は、心配しても仕方がない事を、始終考えてしまい疲れていると感じた時、見よう見まねの坐り方で「瞑想」し、自分なりに不安定な気持ちを軽くしている。 この映画を観て、『坐禅』の意味の一端を知り、半跏趺坐(はんかふざ)、結跏趺坐(けっかふざ)のどちらかの座り方でただひたすらに坐ってみたいと思った。 映画『禅ZEN』のストーリー 曹洞宗を開き禅の教えを説いた鎌倉時代の僧、道元禅師の生涯を描く歴史ロマン。 幼い頃に母を亡くした道元は、人々の心の救いとなる悟りを得るため、仏道の正師を求める。24歳となった道元は入宋した。 しかし、この国の仏道も役人への賄賂が横行し、腐敗を極めていた。 失意の道元の前に、若いころの友人で将軍源実朝暗殺犯として処刑された源氏の御曹司源公暁に瓜二つの青年僧が現れる。
「できるだけ話したくない人」の共通点 世の中には2種類の人がいます。 「もっと話をしていたい」と思われる人と、「できるだけ話したくない」と思われる人です。 「できるだけ話したくない人」には、共通点が3つあります。 言いたいことを一方的に話す、はマナー違反 会話は言葉のキャッチボールです。言葉とは、その人が感じたこと、考えたことです。 つまり会話とは、思考や感情のキャッチボールなのです。互いに思ったこと、感じたことを投げかけ、受け取る。それが会話であることを忘れて、一方的に自分が言いたいことだけをまくし立てるのは、マナー違反です。これをやられたら、その人と話をするのが嫌になります。 問題は、自分の会話が自分で見えないことです。知らず知らずのうちに、つい、自分のことばかり話してしまいます。 私はこの現象を、「エゴのタレ流し」と呼んでいます。 エゴとは自我じがのこと。仏教では、人が自分をこの世で
これから最近ハマっている瞑想について相当に深く突っ込んで書いていく。 スピリチュアルさや超越体験、宗教色はほぼ皆無なので、そういうのが嫌いな人こそむしろ楽しめるかと思う。 瞑想に興味を持ったのはランナー&僧侶の人が書いた本を読んだ事がキッカケだ。この本が良くも悪くも僕の瞑想に対するイメージをぶっ壊した。 その本「限界を乗り超える最強の心身 チベット高僧が教える瞑想とランニング」はランニングを瞑想的な観点で眺め、瞑想で得られる効用をランニングという視点から、より一般化させて紹介するというものだ。 走ると何故か妙にスッキリする 「ランニングに瞑想的な要素がある」というのは前々から思ってはいた。 肉体・精神的に疲弊しきっていても走ると身も心もスッキリし、辛くて仕方がなかった現実を何故か「まあ、なるようにしかならないな」と処理できた事が何度かあり 「たぶん瞑想で得られる効用ってこれなんだろうな。じ
こじれた人間関係は愛情や努力では変わらない あなたは、人間関係で何か問題が生じたとき「自分の努力が足りないから、うまくいかないのだ」「私が愛情をもって接したら、相手は変わるはず」と思ってはいませんか? あるいは、人間関係の悩みを誰かに相談したら、「相手を変えたければ、まず自分が変わりなさい」と言われたことはありませんか? しかし、こじれた人間関係は、「愛情」や「努力」でどうにかなるものではありません。努力や愛で相手が変わると考えるのは、新たな苦しみを生むだけです。 たとえそれが家族であっても、同じです。 私は福井県の永平寺で僧侶として20年近くを過ごした後、縁あって青森県にある霊場、恐山の院代(住職代理)となり10年以上が経ちました。その間、生きづらさや苦しさを感じているという、たくさんの方々とお会いしてきました。 皆さんのお話を伺う中で、仏教の考え方がさまざまな問題の解決の糸口、生きるた
今一度、お付き合いいただければと思います。 まずは、今回の私の投稿をお読みいただき、重ね重ねありがとうございました。まさかここまでの反響をいただくとは夢にも思わず、ブックマークが1000を超えた辺りから身体が震え出し、喉はからからに渇き、手の痺れが止まらない体たらくで、よくも悪くも注目を集めることの重圧を初めて味わいました。お恥ずかしい限りの有り様です。 「きっかけをくれた(元)増田にもありがとう」 「この説法を読んだみんな (元)増田のお祖父さんのリモート葬儀に参列したようなものだ」 「(元)増田さんが勇気を出して書かなければ現れなかったご縁」 とコメントしてくださった方がおられましたが、正にその通りだと思います。 お祖父様の生前のご希望・ご親族のわだかまり・元増田さんの苦慮と懊悩・私が僧侶として学び感じてきたこと……様々な縁が積み重なって因となり、この果をもたらしました。 一連の記事を
最澄と徳一 仏教史上最大の対決 (岩波新書 新赤版 1899) 作者:師 茂樹 岩波書店 Amazon 仏教というより高度な論理学の本を読んだような、不思議な読後感が得られる一冊だった。本書『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』は、タイトル通り最澄と徳一の論争について解説してるが、ここでの争点は大ざっぱにいうと「人は誰でもブッダになれるのか」だ。最澄は一乗説(=衆生はいずれ皆ブッダになる)、徳一は三乗説(=ブッダをめざす道である菩薩乗と阿羅漢をめざす声聞乗・独覚乗が併存する)の立場である。大乗仏教の究極目的は「ブッダになること」なので、人がブッダになれるかどうかは一大問題だ。だからこの点について見解の相違があれば、大論争に発展する。 最澄と徳一の論争を理解するためには、最低限の仏教思想史をおさえておく必要がある。このため、本書の「はじめに」では最澄の時代にいたるまでの大乗仏教思想史が簡潔に説明
「マインドフルネス」という言葉は、もっぱら個人の能力開発を目的としたビジネスパーソンのために使われることが一般的です。しかしマインドフルネスの元となった仏教は、本来「個人」のエゴや執着を捨て去ることに重きを置いた思想でした。こうした昨今のマインドフルネス・ブームの背景と仏教思想とのすれ違い、そして今後向かうべき「わたしたちのマインドフルネス」の可能性について、現代仏教僧の松本紹圭さんに寄稿していただきました。 結論を先に言う。資本主義もマインドフルネスも、これまで共に「わたし」に閉じてしまっていたものが、相互にはたらき合いながら、両者は今、「わたしたち」の地平へと開けつつあるのではないか。それが私の見立てだ。 マインドフルネスとはなんだったか マインドフルネスの由来を尋ねれば、仏教の禅でいうところの身心脱落、つまり、自らを縛る自我(「わたし」)から解放された無我の体得に辿りつく。パーリ語の
草薙龍瞬(くさなぎりゅうしゅん) 僧侶・作家/興道乃里(こうどうのさと)代表。 <略歴> 奈良出身。中学中退後、十六歳で家出、上京。大検(高認)をへて東大法学部卒業。ビルマ国立仏教大学専修課程修了。 <活動> 仏教を「現実に役立つ合理的な方法」として紹介。宗派・伝統に属さない〝独立派〟の出家僧。●仏教講座&坐禅会を開催するほか、毎年夏に日本全国行脚(子供向けの勉強会・大人向けの講演会)を開催。●インド・マハーラシュトラ州に活動の拠点を持つ。社会改善NGOと幼稚園・小学校を運営。JICAプロジェクトの現地アドバイザー、看護専門学校講師<医療倫理>も。 <作品>『反応しない練習』KADOKAWA/『怒る技法』マガジンハウス/『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』筑摩書房/『心の出家』大和書房/『これも修行のうち。』KADOKAWA/『自分を許せばラクになる』宝島社/『こころを洗う技術』SBクリエ
友人はどう選べばいいのか。福厳寺住職でYouTuberの大愚元勝さんは「お釈迦様は悪友を避けて善友を求めよと教えている。たとえば『六法礼拝経』には、付き合ってはいけない4種類の人と付き合うべき4種類の人について説いている」という――。 仏教は「誰とでも仲良くしろ」とは言わない 「人」という漢字は、二人の人が寄りかかっている姿から作られた象形文字です。「人間」という言葉は、人の間(人の間)と書きます。これらの言葉が示す通り、人は、一人では生きていけません。だから家族をつくり、仲間をつくり、社会を作って、互いに助け合いながら生きています。 仏教では、こうした社会の中で私たちが関係するすべての人々を「友」と呼んでいます。しかし、一口に「友」といっても、世の中には、色々な「友」がいます。 当たり障りのない友もいれば、悪友もいれば、善友もいる。仏教では、「悪友を避けて、善友と関わりなさい」と教えてい
年明けから少し経った頃に悟りました。 とは言え、悟りとか涅槃とかそういうのについてあんまり期待をし過ぎるのもよくないかもしれない。知人に数年前に知り合った六十代の男性がいて、その人は真言密教への造詣がメチャクチャ深くて、僕は以前その人に「悟りっていうのは一体何なんですかね」という意味の質問をしたことがあったんですね。 更に続けて「やはり平穏というものが根本にはあるんでしょうか」と。 その知人の男性は少しばかり考えた後で、「例えば自分の命を捨てないと、ある子どもの命が助からないとするじゃないですか」、 「たとえば、そういう時になって自分の命をちゃんと捨てられるのが悟りなんですよね。だから、時にそれは平穏と矛盾していて、平穏を捨てる選択をしなければならないんですよ」と答えてくれたのでした。 この世には本当の苦しみというものがある。例えば、人間は拷問を受ければ簡単にぶっ壊れる。僕は、昔の中国のあ
仏教ウェブ入門講座で学べること 「仏教には結局何が教えられているのかよく分からない」 という方が、世の中にはたくさんあります。 そういう方は、仏教の教えを知りたいという仏縁深い方々です。 ただ仏教は非常に深いので、正攻法で正しく理解するには、 それなりの専門的な学問が必要になってしまいます。 ですが実は、そこまで学問しなくても、仏教の教えは知ることができます。 このサイトでは、もっと簡単に、学問をした人と同じかそれ以上の、深くて一般の人には知られていないような仏教の深い教えを学べるようにしました。 そして、その内容が間違いなく本物の仏教であることが分かるように、重要な所にはお釈迦さまの説かれたお経の出典をあげるようにしてあります。 お経の出典が分かりやすい それというのも、このサイトのお経の出典は、東京大学大学院の、 大正新脩大蔵経テキストデータベース にリンクをはってあります。 ですから
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