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noteと人間に関するyuzuk45のブックマーク (3)

  • 転ばぬ先の杖を折る|ガメ・オベールNOTE

    毎晩毎晩友人たちと会って遅くまで遊んでいるのでわしはだんだんヘロヘロになってきた。モニさんは、結構へーきです。 日では冬のやまねのように眠っておったのに、クライストチャーチでは俄然元気である。 のみならず、東京ではずっと、すこ-し透き通っているような青ざめた白い磁器のような皮膚の色であったのが、うすい薔薇色がさして別のひとのよーである。 肌の色は、わっしも赤くなったがの。 くびの後ろが赤くなって、妹に「おにーちゃん文字通りレッドネックよねー、だっさーい」とゆってバカにされた。 とっても、くやしいです。 町中が遊んでおる。 当たり前だが、レストランもいまごろは混んでおるの。 モニとわしがクルマで町を走っていると交差点でクルマが止まるたびに前を走っているくるまの後ろ座席のドアがピャッと開く。 高校生の女の子がふたり、ぱっと飛び出して、ひとりがボンネットに仰向けになり、もうひとりはそれに覆い被

    転ばぬ先の杖を折る|ガメ・オベールNOTE
    yuzuk45
    yuzuk45 2024/08/09
    "そうして日本人は「転ばぬ先の杖」を握りしめて、転ばぬことだけを人生の大望にしてめいめいの人生に向かって出発してゆく。 わっしの観察では、どーも、転ばないこと以外には人生の目的がないよーだ。"
  • 【新型コロナウイルス】を軽視した2020年を振り返る|小野ほりでい

    新型コロナウイルスとともにあった2020年に私たちが知ったただひとつの事実は、よく言われるように、たとえ人類共通の危機にあっても人々は協調するどころか分裂し、仲違いするということだった。私たちの敗因は、ウイルスという見えないリスクへの認識を統一し、それに立ち向かうための共同の文化を形成できなかった点にある。 ウイルスのリスクは、まずその多寡の評価において分裂しており、続いてその[責任]の所在―――発生源である外国にあるのか、対策を怠る政府にあるのか、身勝手な市民にあるのか、あるいは[騒ぎ立てるマスコミ]にあるのか、といった具合に分岐する。 しかし、これらの「イデオロギー的な対立」は表層的なものであり、むしろこのリスクを「イデオロギー的に見る」こと自体がひとつの罠にはまっている。この前提を得るためにそもそもの「文化」の意義を振り返ってみたい。 自然には、人間のいかなる強制もあざ笑うようなさま

    【新型コロナウイルス】を軽視した2020年を振り返る|小野ほりでい
    yuzuk45
    yuzuk45 2021/01/08
    自然の脅威を擬人化して矮小化してないと怖くて発狂してしまうからな
  • 非モテは不幸だという呪い|小野ほりでい

    人間ははじめ無能の役立たずとして産声をあげ、そして遅かれ早かれ無能の役立たずになって死んでいくものである。人間の質を有用さと無能さのどちらに置くかで迷ったら、まず後者と考えて間違いないだろう。したがって、私たち人間は大なり小なり自分の無能さを受け容れなければ立ち行かなくなる時がやってくる―――無能な自分に対する否定的感情は、自分自身に対してか、それを転嫁された他人に対する攻撃として結末するだろう。相模原障害者施設殺傷事件などはその結末の一例である。 無能で役立たずな自分に対する愛情を私は自己肯定感と呼んでいる。しかし、無能で役立たずな人間に対する愛情のまなざしを示すもっと普遍的な名前がある。人権である。人権は、どのような人にも変わらない条件で一様に存在している。私が人権を、ほかの何を差し置いても最も偉大な発明だと感じざるを得ないのは、それが存在するという主張なしには存在し得なかったものだ

    非モテは不幸だという呪い|小野ほりでい
    yuzuk45
    yuzuk45 2020/10/05
    よくわからん。よその庭を見なければ幸せって気もする。
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