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アニメに関するzyzyのブックマーク (9)

  • 少女趣味としてのアイドルマスターシンデレラガールズ22話 - 玖足手帖-アニメブログ-

    第22話 The best place to see the stars. 脚:高橋龍也 なんだよなあ・・・。 ワイも葉鍵世代のアラサーだからな…。今回の少女たちの描き方は逆にワイの高校生時代の青春時代の雫痕To Heartなどのギャルゲー文脈の懐かしさを感じさせるものだった。そう言うわけで、ヤングアニメファンには唐突なシリアス展開とか、ライブがトライアドプリムス以外は止め絵とか、そう言う批判的に見えるかもしれんねえ。だが、この少女に対する感覚はすごくエロゲ全盛期を感じた。 そして、 監督 - 高雄統子 シリーズ構成 - 高雄統子、高橋龍也 なんですよ! つまり、京アニAIR、Kanon、CLANNAD、けいおん!を手掛けた高雄監督のリリカルな少女漫画的・key的な感性とLeaf Visual Novel Seriesの文脈が合わさり最強に見える。 少女への欲望 エロゲーとはレイプです。

    少女趣味としてのアイドルマスターシンデレラガールズ22話 - 玖足手帖-アニメブログ-
    zyzy
    zyzy 2015/09/14
    そもそも葉鍵世代のエロゲーって、少女漫画の文脈や手触りを男性向けエロに取り入れようとする意思を感じたので、女性監督の感性と葉鍵の感性は親和できると思う。内省的な問題と外部の問題の曖昧さが主題になる。
  • 『響け! ユーフォニアム』総評 - 新・怖いくらいに青い空

    演出・ストーリーについて 個人的な好みもあるが、7話、8話あたりから大化けした印象が強い。そこから最終回まで、各話それぞれに異なる見どころや味わい深さがあった。 この手の作品に有りがちな「主人公補正」が一切無く、あくまでも吹奏楽部という組織の一員として主人公を描いていたのが新しいと思った。例えば他の作品なら、新人特有の柔軟な発想で危機を乗り越えるとか、主人公の行動がきっかけとなって部の雰囲気が変わっていったとかいう感じで、主人公にはある程度の活躍の場が設けられている。しかし作の主人公・久美子は終始、吹奏楽部という組織の中で流され、振り回され、苦悩する一人の部員として描かれていた。 部員の数だけ頭の中に思い描く理想の部活像があり、一人ひとり部活に対する考え方も能力も性格も違っている以上、全員が納得できるルールや方針を作ることは不可能だし、摩擦や不満が生じるのは避けられない。例えば、第2話で

    『響け! ユーフォニアム』総評 - 新・怖いくらいに青い空
    zyzy
    zyzy 2015/07/02
    「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」もペットボトルぶつける事で始まる少女の友情だったなぁ。飼いならされた檻の中で、失われていない野生への渇望、みたいなイメージはある。普通男の子の描写で使われるものだけど。
  • エコーニュースR – 「アニメ声優の演技は気持ち悪いと言ったせいで、根に持たれている」・・『百日紅』、原恵一監督記者会見

    江戸時代末期の浮世絵師らの生き様と町人文化、街並みを写したアニメ映画百日紅が5月9日に公開されるのに先立ち、日外国特派員協会で5月7日に監督の原恵一氏が試写会に来られ、会見と質疑応答が催されたので、一部を抜粋してお伝えする。 江藤 今回の映画では、典型的なアニメ声優を起用してませんね(注1*)。これは以前監督が仰っていた「アニメの演出や声優の演技特有の気持ち悪さ」を避けたかったからでしょうか?あと、典型的な江戸の時代劇、例えば『必殺!』や『大岡越前』とも違う演出傾向の様に思えますが、これも意図的でしょうか? 原恵一監督 最初の質問は答えたくないんです。10数年前にそのこと(声優の過剰演技が気持ち悪いとか)を言ったら、未だに根に持ってる人がいるからです。 あと、後者の質問に関して言うと、私は単純に杉浦日向子さんの原作『百日紅 (上) (ちくま文庫)“>(さるすべり)』の味を出そうとしただけ

    エコーニュースR – 「アニメ声優の演技は気持ち悪いと言ったせいで、根に持たれている」・・『百日紅』、原恵一監督記者会見
    zyzy
    zyzy 2015/05/25
    前にもどっかで書いたけど、能や歌舞伎と同じパターンに入りつつあるよね、日本のアニメの演技は。その界隈独特の様式美に入っていって、リアリズムから遠ざかっていく傾向が常にあるっぽい。良くも悪くも。
  • ストーリー展開の都合でキャラがただの馬鹿になってしまうのは許せん

    何とは言わないけどさ… ヒロインが主人公のためにすごく良い武器を調達してきて、今ちょうどそれが手元にあるというのに 敵に襲われて主人公の武器が壊れた瞬間ヒロインが「あ、この武器渡してあげよう!」と思いつきもしないのはダメだろう。 「次回、なんかこう感動的な感じで武器を渡す演出があるからここでは思い出さないことにさせとこっ☆」みたいな、 展開に都合良くキャラを動かしたという軌跡がはっきり見えてて不快だ。 せっかくの「主人公のためにすげえ頑張ってるヒロイン」という描写がその馬鹿行動でチャラになるじゃねえかよ! 主人公をサポートすべき時にきちんとサポートできる行動を思いつかないってのは、主人公の為に最善を尽くしていない、努力を放棄してるように見えるだろうが。 せめて「武器のことを思い出して渡そうとするんだけど、邪魔が入って渡せない」というのを入れて、ご都合主義を隠す努力くらいしろよ。 ストーリー

    ストーリー展開の都合でキャラがただの馬鹿になってしまうのは許せん
    zyzy
    zyzy 2015/04/15
    その手の奴な……。敵の邪魔をいれずとも、そもそもヒロインを描写から外して、主人公と別の奴の葛藤に読者を集中させるだけで何とかなるんだけどね。意識・絵面両面でのカメラアウトさせるの大事。舞台物は難しいが
  • セーラームーンの子どもたち―日本発「魔法少女」アニメの進化 | nippon.com

    『セーラームーン』『プリキュア』など世界的人気を得た日発「魔法少女」たち。西洋の「魔女」をベースに独自の進化を遂げたガールヒーローたちからジェンダーをめぐる日の少女たちの闘いが見えてくる。 日テレビに「魔女」到来(1960年代)―「サリー」と「アッコちゃん」 ドジで勉強も嫌い。おまけにスポーツも苦手。いつもパッとしないけど、魔法の力で変身すれば、強くカワイイ「魔法少女」として、颯爽(さっそう)と敵に立ち向かう・・・。 1990年代世界的にヒットした『美少女戦士セーラームーン』のインパクトによって、「魔法少女」(magical girl)は、魔法で変身(ドレスアップ、メークアップ)し、ステッキなどの魔法アイテムを駆使して勇敢に敵と戦う、<変身戦闘>魔法少女として、国内外で認識されている。しかし、「魔法少女」(魔法を使う少女)アニメは、国産テレビアニメの黎明(れいめい)期である1960

    セーラームーンの子どもたち―日本発「魔法少女」アニメの進化 | nippon.com
    zyzy
    zyzy 2015/02/18
    自分的にはセラムンの系譜は「バトルプリンセス=高貴な存在が自ら戦う」ものであって、「魔女っ子≒魔法少女」の系譜じゃないんだけどな……。関連性の高い怪盗ものも抜けてるし
  • 野球漫画の形式とか選手に関わる親御さんとか考えながら『おお振り』を語ってみる - 歩き回る虎

    昨日、ついったーのTLで、ある漫画家先生お二人が野球漫画『おおきく振りかぶって』談義に花を咲かせておりました。 流石面白い比喩を交えての鋭い考察でそれには一部同意できるところもあるけど、「おお振りクラスタ」を自認する私としては素直に頷けない読みがあったので、脳内で対抗意識を燃やしつつダラダラと考察をポストしてました。 以下は私のつぶやきまとめです。と言いつつまとまりのない文章なので、お忙しい方は一番最後のまとめ部分だけ読んでください。 まず上の漫画家お二方をはじめ、『おお振り』絡みで非常に多く見られるのが「女性作者が独自の視点で男の世界を云々」という類の感想です。確かに真ではあるのでしょうが、この作品の構造を「女性独自の」と括ってしまうのは、解釈としていささか大雑把な感がします。 「どこに視点があるのか」をもっと厳密に(田島用語のゲンミツに非ず)絞り込んで言わせてもらえば、あれは主に球児を

    野球漫画の形式とか選手に関わる親御さんとか考えながら『おお振り』を語ってみる - 歩き回る虎
    zyzy
    zyzy 2014/11/30
    元の一連のツイートの中であった「野球漫画は喧嘩のアナロジー、サッカー漫画は戦争のアナロジー」ってのも大きいポイントだと思う。これはそのスポーツが流行りだした時期の少年漫画全体の傾向を反映したのかも。
  • 『ガサラキ』でツイッターを検索していたら『魔法科高校の劣等生』が似ているというツイートを見かけて慟哭しながら能を舞っている - 法華狼の日記

    いや当に舞っているわけではないが、精神的に。 むろん『ガサラキ』もそれはそれで問題があったとは思うし、ひとりの思想に作品が飲みこまれてしまったことは似ているが。 それはさておき、『魔法科高校の劣等生』のTVアニメに不満を表明しているskipturnreset氏のエントリを読んで首をかしげた。まだ映像化されていない原作の情報にもとづいているとはいえ、要求しているキャラクターイメージが作品描写と根的に乖離している。 『魔法科高校の劣等生』の司波達也・深雪兄妹の異常性について、原作小説八巻まで(というか主に八巻)をふまえた話。 - 【蝸牛の翅(かたつむりのつばさ)】 一方、"これはひどすぎる俺TUEEE!"云々という話は、司波達也というキャラクターへの感情移入を前提にしていると思えるのですが。 原作小説においては達也について感情移入を意図的に拒む作りがされていますし、そもそも「移入すべき感情

    『ガサラキ』でツイッターを検索していたら『魔法科高校の劣等生』が似ているというツイートを見かけて慟哭しながら能を舞っている - 法華狼の日記
    zyzy
    zyzy 2014/05/13
    結局根底はメアリー・スーと同じなのかな。他キャラから異質な存在としてちやほやされる天才キャラが、読者から見ればまったく天才らしいところがない、俗人の欲望駄々漏れで批判されるという。天才キャラは難しい
  • TVアニメ『魔法科高校の劣等生』を見て納得できる視聴者はいるのか - 法華狼の日記

    とりあえず第3話まで見た今のところ、私自身は無理だった。もともと原作も、アマチュアWEB小説として原作が大人気だった時に読もうとしたが、機能しない設定ばかり垂れ流される筆致そのものが読みづらくて、すぐに投げ出してしまった。 とりあえずTVアニメ化されて、初回のアバンタイトルで激しい戦闘が描かれ、原作ほど説明過多でもなく、それなりに興味を失うことなく見ることができたのだが……主人公の凄さを表現する展開のパターンが、映像作品としてひどすぎる。 第一に、動きのなさが根的につまらない。激しく動くことなく敵を倒すことは凄みを演出する一手法ではあるが、この作品の魔法戦では敵も棒立ちな上、格闘戦でも時間をとらずに倒すため、アニメーションを見る楽しみがない。同期のTVアニメ『シドニアの騎士』も、主人公の劣等的な立場や特異な強さ、膨大な設定といった類似点が多いが、情景が絵になるかどうかで印象が段違い。 第

    TVアニメ『魔法科高校の劣等生』を見て納得できる視聴者はいるのか - 法華狼の日記
    zyzy
    zyzy 2014/04/30
    @Isuzu_T ゴルゴはゴルゴに対して、徹底的に感情移入できないように、怪物的に描かれていて、俺TUEEEEEできないおかげかも。ゴルゴは俺じゃないというか。愛される存在ではなく恐れられる存在だから、あれでいいというか
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