僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

ジョカー:フォリ・ア・ドゥ

www.youtube.com原題:Joker: Folie à Deux
監督・脚本・制作:トッド・フィリップス
脚本:スコット・シルヴァー
原作:DC COMICS
アメリカ映画 2024年
☆☆

賛否渦巻く「ジョーカー2」
逆に賛否あるくらいの方が、自分なりの解釈出せて面白いんじゃないの?と、思う方ですが、いやこれは・・・う~ん、やっぱり非の意見が出るのもやむなし。というか賛の人見かけない気が。

 

凄く簡単に言えば、前作を否定する内容でした。
前作が好きなら、そりゃあガッカリするわな。

 

でも、あえてあんなにヒットした前作を否定するような内容にしていながら、じゃあ今回は新しい何を描きたかったのか、ここに賛否が分かれる何かがあれば、前作のファンは面白くないだろうけど、こっちが好きと言う人も少数派だけど居るかもしれないなって思えるんですけど、ぶっちゃけそれがない。

 

いや、あるにはあるというか、意図的にはジョーカーとハーレイのすれ違う悲劇のラブロマンスなんだ。これは愛についての物語なんだ、ってのを描いたんだとは思うんだけど、う~んだから何だっていう感じは否めない。

 

素人考えですが、これってハーレイを主人公にしてジョーカーをあくまで脇役として描いたりした方がまだ見れたのでは?

 

基本、前作とは裏表的な関係と言うか、直接の続編で種明かしみたいな作品。もしこれがね、1作目の内から想定にあったものならまだ監督は本当はこういう部分も描きたかったんだなとか思えなくもないかもしれない。でもね~、前作の後、続編の予定は無い。作らないって言ってましたよね?

 

ただ、スタジオ(ワーナー)的には、低予算で超メガヒット。最初の想定以上に莫大な利益を生み出す結果を残した。これの続編作らない手は無いでしょって事で、半ば無理矢理の続編を作らせた感じですよね?
勿論、監督的にも、主演のホアキン的にもいや無理だよって断ればそれで終わりなんでしょうけど、多分どちらも良い人なのでしょう。じゃあ続編考えてみる?みたいな感じで無理矢理捻り出した感が凄い。

 

でもこれねぇ、私はパンフとか買わなかったし、ネットで少し見聞きした程度ですが、とりあえず前作の時から、作られた作品が現実に悪い影響を及ぼすのは想定外だったし意図するものではない的な事は言ってました。現実にまで影響を及ぼすような悪のカリスマを描いてしまった事に対する反省みたいな気持ちがある、みたいな事は言ってるらしい。(あとそう言う考察をしてる人も沢山)それは本心でもあるのかなとは思うけど、もしかして10年後とかに、実はやりたくない作品を無理矢理作らされたから、スタジオに嫌がらせのつもりで作ったんだよ、的な事を言い出したりしないかちょっと心配。

 

今の時代、まさにこの作品みたいに成功した作品のIPを生かす方が新規の作品より制作にGOサインが出やすいっていうのがあって、続編や版権物、リブートやリメイクばっかになっちゃってますが、80年代、90年代くらいのね、ヒットしたらとにかく2や3まで出涸らしが尽きるまでやっとけ、監督とか主演とか別に変わってもいいから無理矢理2や3を作りますよ、的な感じで作らされたパート2っぽい匂いもして、何だかなぁと。

 

今回から出てくるレディー・ガガ演じるハーレイクイン(リー・クインゼル)も、前作からいるジョーカーの教信者たちも、ある意味前作の映画のファンも、ジョーカーの帰還を待ち望んでた。

そこに対してさぁ、ジョーカーなんて幻なんですよ。悪のカリスマなんか実際は居ない。ほら見て下さい、ただの勘違いしたキモオタ童貞野郎ですよ、なんて否定のされ方をしたらさ、あんまり良い気分では無いですよそれは。

 

じゃあその怒りの矛先を実際にまた現実の世の中に向けた時、それこそ本物のリアルジョーカーが誕生する。それがフォリアドゥ(妄想の感染)なんだ!っていう主張がしたいわけではないよねぇ。

前作の時点でジョーカーではなくアーサーを本当は見てほしかったんですよ、という気持ちはあるのかもしれない。なのでジョーカーとアーサーは別人格と考えて良いのか?みたいな問いを裁判で描いてるんだろうなとは思う。

 

前作ではジョーカーという存在を理解不能の存在として描くんじゃなくて、不幸の連鎖で社会の闇に落ち、その怒りや鬱憤を解き放ったという描き方で、理解や感情移入のしやすいキャラクターに描いていました。
そういうリアリズムの先に、透明な存在だった自分を世間が称え、ましてや女性からあなたに惚れたわ、あなたにぞっこんなのとか言われたらさ、そりゃあそこに落ちるわなっていうのも嫌なリアリティはある。

 

もう、コンビニとか普通のお店で女の子に声掛けられただけで惚れてしまう系男子だよねこれ。私もすっごいわかるもの、そういうの。恥ずかしい黒歴史ですが、私も昔、コンビニの店員の女の子に告白した事ありますもの。今でももし、あなたのブログの大ファンなんですとか女性に言われたら、私はほわ~っと気持ち持ってかれると思う。気をつけないと。

 

って話がそれた。だから今回のジョーカー・・・っていうかもうアーサーですよね。ハーレイはあくまで「ジョーカー」という存在に惹かれたのであって、アーサーに興味は無い。でもアーサーは、ジョーカーとしてではなくアーサーとして本当は受け入れてもらいたかった。でも、悪のカリスマなんて大層なものでなくても、多少は他人の前では何かを演じる部分ってあるだろうし、そこも受け入れてハーレイとある意味破滅の道へと突き進めば良かったのか、あるいはそうできない、ありのままの自分を受け入れてほしい的な弱さこそがアーサーの本質なんだというのを描きたかったのか、なんとも釈然としない感じ。

 

いや、ジョーカーを自分の手で終わらせたかったんだろうなというのは伝わってきたけど。

長い旅の果ての大団円、とかじゃなく、前作の余韻も覚めやらぬまま、終了!撤収~!
みたいな感じが、えええええ~って感じでした。

 

一応ね、ジョーカーが感染したあの若い子とか、ジョーカーからは自立したハーレイクインという存在、顔が半分焼け爛れたハービー・デントとかで今回のなりの余韻は残したつもりではあるんだろうけど、自分のジョーカーは終わり!以上です。っていうのが何とも微妙。

 

なんかありきたりな感想しか書けぬ。
もし、あえての3部作としての次への仕掛けとかでないのであれば、普通に1は大傑作だけど2は蛇足、くらいの評価で終わりじゃないでしょうか。こういうのこそ誰か面白い解釈を出してくれるのを期待してます。

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機動戦士ガンダム THE ORIGIN III 暁の蜂起

機動戦士ガンダム THE ORIGIN III [DVD]

MOBILE SUIT GUNDAM THE ORIGIN III
Dawn of Rebellion
総監督・絵コンテ・キャラクターデザイン:安彦良和
監督:今西隆志
脚本:隅沢克之
原作:矢立肇富野由悠季機動戦士ガンダム』より
漫画原作:安彦良和機動戦士ガンダム THE ORIGIN』より
OVA 2016年 全6話
☆☆☆★

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冒頭、いきなり消されてしまう事になる本物のシャア・アズナブル
出て来た時から予想は出来た物の、可哀相な人でした。後付けだから仕方ないんだろうけど、後年もその存在がクローズアップされる事は無かったんだろうなと思う。

有名なジオンのエースパイロットだったシャア・アズナブルキャスバル・レム・ダイクンだった事は世間にも広く知られる事にはなるが、単純に偽名を使っていたというだけで処理されて、アズナブルさんとかは歴史マニアが詳細は不明だが実在のIDを使っていたようだとか知る人ぞ知る知識だったリ、或いは陰謀論者だけが語るシャアの過去とかになってるんだろうか、とか考えるとちょっと楽しい。


ただフィクションの設定を情報として受け取るのではなく、もしこれが現実だったらどういう事になるんだろうか?って考え方を持てるようになると、視野や世界が広がります。

 

で、そんな感じでガンダムの世界のこれまで描かれていなかった部分をリアリズム重視で、過去の歴史を参考に考えられたのが今回のシャアとガルマの士官学校時代と、連邦の弾圧を武装蜂起で解決に導くシャアという、なんかとんでもない事が今回は描かれる。

 

「君は、歴史の歯車を自分で回してみたいとは思わないのか」
って、安彦さんニヤニヤしながらこういう事でしょ!と思いながら書いたんだろうなと想像出来て微笑ましい。凄いシャアが言いそうなセリフだし、富野節っぽい。

 

いわゆる「事件」としては歴史年表にも富野小説にも、ましてや外伝ストーリーとかでも何も無い空白の部分だったはずで、ガルマとシャアの士官学校時代の接点をここまで掘り下げて考えたのかっていうのは、新しさがあって素直に見てて面白い部分ではありました。

 

BDについてる解説書を読むと、小規模な戦闘・戦争が後に大きな波紋に広がっていくというのはキューバ危機でのフィデル・カストロチェ・ゲバラを意識しての発想だったそうで、私はその辺の奴は映画を何本か観たくらいでそんなに詳しくないけど、変な話ゲバラとかTシャツのデザインとかそっちでむしろ知ったくらいでしたが、革命のアイコンとして考えてみればジオン・ズム・ダイクンとかにもそのイメージが多少は組み込まれてるのかとも思うし、そういうのがこうして更に別の形でガンダムの歴史の方のイメージソースにもなっていくって面白いです。

 

そして原作漫画の方には居なかった、かつての本当のシャアを知っていた、リノ・フェルナンデス。いやこれは正体に気付いてまた消されるパターンか?というのは想像できても、自分はダイクン派だ!誰にも言うつもりもないし、むしろ協力者にならせてくれ(殺されたくないからの演技ではなく本心だよねあれ)っていうリノを消すシャアというのがまたね。

 

いやぁ、やっさんひねくれてて面白いなと。
本物のシャアも、リノも自分で手を下すんじゃなくて、他人の手を使って始末するんですよこの男は!こんな最低なやつをカッコいいとかいうファンの気持ちがわからん」とか言ってしまう安彦さんも大概アナーキーだと思います。

 

メカ関係ではYMS-03ヴァッフが登場。といってもCGシミュレーター上だけですし、むしろこの辺はトレノフ・Y・ミノフスキー博士がこうしてアニメで初めて人物として登場した所に注目でしょうか。
かつてのサイバーコミックスという雑誌で「ミノフスキー博士物語」とかあったんですけど、確かあれ単行本化されてない。サイバー自体が単行本フォーマットでの刊行でしたしね。「エースパイロット列伝」と同じ作者だったりするので、いつかセットで復刻してほしい。いやサイバーも私はコンプリートしてるのですが、押し入れの中に押し込んだままなので。

 

という辺りで次は開戦編後半・第4章「運命の前夜」に続く

 

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わんだふるぷりきゅあ!LIVE2024 FUN☆FUN☆えぼりゅーしょん!トキメキないと公演

2024年10月12日(土)開催 KT Zepp Yokohama公演
ライブイベント
☆☆☆☆★

 

こちらももう定番イベントになってるプリキュア秋ライブ。
今年は前半に20周年ライブがあったので、流石にそれと比べると単品の寂しさはありますが、まあ流石に20周年は特別も特別。
15周年の時もライブあったのですが、当時は配信無かったんですよね。円盤も出ませんし(20の時も同様)配信で見れただけでも本当にありがたかったし、まさに奇跡であり軌跡でした。

 

それはさておき、わんぷりライブ。今回も配信でリアルタイム視聴。
あと、多分今回からだと思うんだけど、劇場版のシングルCDに配信の500円割引コードが入ってたんですよ。3000円なら私の金銭感覚だと安いので、そこは凄く有難いです。(つーか最近は現物CDが高くなっちゃったので)

 

いろはのキャラソンの「Chattin' Now!」コーラスが多いというのもありますが、種崎さんの今回のMCや事前インタビューとかでも、レコーディングの時点でライブの事も想像してた的な事を言っていて、プリキュア声優になる=こういったイベントとかも込みの体験(仕事ですが)という認識なんだなと思った。

ああ、因みにその「Chattin' Now!」、CDには無い演出でこむぎ役の長縄さんがコーラス愛の手で入ってくるという、嬉しいバージョンでした。

 

セットリストは

1.わんだふるぷりきゅあ!evolution!!
2.わんだふる♡わお
3.Chattin' Now!
4.ASOBO♪OSANPO
5.ほわいとDestiny
6.まごころ+INSPIRATI☆N
7.Wonderful Smile
8.わんだフル・わんデイ
9.For“F”
10.ひろがるスカイ!プリキュア ~Hero Girls~
11.Dokkin♢魔法つかいプリキュア!Part2
12.Dokkin♢魔法つかいプリキュア!Part3~MIRAI DAYS~
13.CLAP & CHANT!~アイノウタ~
14.大好きのキズナ
15.FUN☆FUN☆わんだふるDAYS!
16.Daybreak song
17.All for one Forever
18.Dear Shine Sky
19.Happy≒Future
20.やくそく
21.Wonder Flowers プリキュア
22.Hello・Bow・Mew~We are わんだふる!!!!~
23.しあわせえぼりゅ~しょん♡ ~ユキ&まゆVer.~

アンコール
24..FUN☆FUN☆わんだふるDAYS!

 

で、合ってるはず。全部にコメントは大変なので、印象に残った所をかいつまんで感想を書くと、声優陣は声のプロなので言葉に感情を籠めるのが強みなんだなって改めて思った。4人とも、歌詞がセリフっぽく聞こえるのが面白いなと。セリフ状にして歌ってるとかじゃないんですよ。普通に音に乗せてるんだけど、歌手側とは違う感情の込め方なんだなと感じた。

 

勿論、吉武ちゃんもMachicoさんも声優業もやってるんだけど、専業声優の人とはまた違った印象。まあ声優さんが歌ってるのあんまり見慣れないからというのもあるのかもしれませんが。

 

そしてシンガー側。後本萌葉がメチャメチャ化けた。
今までだとキャリアの浅さもあり、一生懸命歌ってます的な感じだったんだけど、歌い方、表情、動きに遊びが溢れてて、楽しさを全身で表現するみたいなテクニック(?)を身につけててちょっとビックリしました。
これね、今までだと北川さんがそういうノリで突出してたんですけど、多分何度も一緒にライブとか出てて、その影響なのかな?後本萌葉、すげーパワーアップしてる!って思いました。

 

わんぷりライブですが、映画や本編にも出てたのもあって、「オールスターズF」「ひろプリ」から、北川さんも居るしここはやっぱり「まほプリ」も歌うよね、という所からの「Dokkin♢魔法つかいプリキュア!Part2」を披露。午前の部はここパート1だった様子。

 

からの!まさかの
「Dokkin♢魔法つかいプリキュア!Part3~MIRAI DAYS~」
を初披露!しかもフルサイズ!


来年1月スタートの「魔法つかいプリキュア!~MIRAI DAYS~」からですね。そういや去年のひろプリライブでもオトナプリキュア曲の披露してたか。歌詞も色々想像出来て凄く楽しいし、良いサプライズでした。

 

そしてサプライズと言えば!
私が事ある毎にメッチャメッチャ大好きな曲と言ってきたMachicoさんのヒープリ映画ED「やくそく」をプリキュアシンガー5人バージョンで披露。

 

ヒープリの時はコロナ禍でライブが出来なかったので、お客さんが居る前で歌う機会が極端に少なかった、そういうのもあってその時のリベンジじゃないけど、ここで披露させてもらった的な感じで、私はこのライブの一番の号泣ポイントでした。

 

日頃の旅で日常のストレスを発散してる私は、コロナで遠征出来ない時期は予想以上につらくってね、気持ちも落ち込みました。先が見えない未来に、みんなで生きていこうって言ってくれた歌詞が凄く響いたんです。プリキュアは負けない、プリキュアは一緒に手をとって歩んでくれる、とか思えたのは本当に救いでね。普段は孤独を抱えて惨めに生きてるおっさんの私にはバカみたいだけどプリキュアも生きる糧に思えたりするものなんです。

 

「やくそく」という曲にはそんな思い入れがあって、それがね、こうしてそこから5年。生きる事を諦めないで繋がってきたことで、こういうものにそれこそ繋がるんだなと。心から嬉しかったです。

 

そして繋がると言えば、インタビューとかでも言ってたのですが「CLAP!」とか「シェアして!プリキュア」みたいな世代をまたいで引き継ぐ曲が今度は「Wonder Flowers プリキュア」になる様子。今回も皆で歌ってましたが、CDは吉武ちゃんのソロだったので彼女が一番手という話での収録だったようです。

 

という事はですよ、ここからまた数年先まで受け継いで行く想定で作ってるっていう事ですよね?今は10月なので、まだ来年のプリキュアは発表されてませんが、実際にもうオーディションは終了して、プリキュア声優最初の仕事のおもちゃの音声収録もすでに終わってる時期です。

 

今この瞬間のライブでありつつ、現行の他に未来も過去もリンクして繋がっていくとか考えるとやっぱり感慨深いものがあります。

 

次はラストで告知があった感謝祭。勿論私は配信で参加したい。
あとは開幕前の宣伝にも入ってた「ハピネスチャージ10周年祭」の方。まだ告知はされてないけど、配信あるのかなぁ?初代&SSのBD-BOXに絡めてやってたイベントの時は配信はしてなかったし、どうなるか微妙な所ですが、ハピチャの奴は配信&ソフト化はお願いしたい。

 

映画とライブの時期が逆になったのもあって、映画曲もじっくり楽しめるのは凄くありがたいですね。次の恒例行事はイベントじゃないけど、アニメージュプリキュア増刊が例年ならってとこですが、今の所情報出て無いですね。映画もヒットしてるし、本編も過去シリーズには無い恋愛話続きで盛り上がってるので、増刊の需要はあるはずなので、準備はしてると信じたい。

 

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機動戦士ガンダム THE ORIGIN II 哀しみのアルテイシア

機動戦士ガンダム THE ORIGIN II [DVD]

MOBILE SUIT GUNDAM THE ORIGIN II
Artesia’s Sorrow
総監督・絵コンテ・キャラクターデザイン:安彦良和
監督:今西隆志
脚本:隅沢克之
原作:矢立肇富野由悠季機動戦士ガンダム』より
漫画原作:安彦良和機動戦士ガンダム THE ORIGIN』より
OVA 2015年 全6話
☆☆☆

www.youtube.com

「ジ・オリジン」シャア・セイラ編後半。

地球へと脱出したキャスバルアルテイシア。(とルシファーとジンバ・ラル)
マス家に入りエドワウとセイラという名で新たな人生を歩むかと思われたものの、ジンバは討たれ、戦火に巻き込まれた再び二人は宇宙へ戻る。
テキサスコロニーで出会ったキャスバルと瓜二つの少年、その名はシャア・アズナブル

 

とまあ怒涛の展開。オリジン以前は単純な偽名かと思われていたシャア・アズナブルの名も、本物居たんかーい!と誰もが驚く展開でした。

 

お母さんのアストライアとか、マス家時代のシャアの二つ目の名前のエドワウは富野小説が初出のはずですが、本当のシャア・アズナブルという人物がいて、その人間になり済ましていたというのは安彦オリジンのオリジナルだったはず。

 

確かにただの偽名よりはその方が合理的とも言える。それを他のガンダム作品でシャア系譜の仮面キャラを既に演じた事のある関さんがやるっていうとこにも、当時はえ?凄い事ぶっこんできたな、と思ったものです。全くやっかいな存在だよ君は。

 

そしてまた別の部分で意外だなと感じたのは、ジンバ・ラルを炊きつけるのがアナハイム・エレクトロニクスだったというのは、え?安彦さんひよったのか?と正直思いました。だってファーストにアナハイムなんて設定無いよね?

 

「Z」もキャラデザ安彦さんですが、やっさんはファースト以外のガンダムなんて全部クソ以下としか思って無いはず。いわゆる死の商人とか、あるいは資産面で何かしらのバックアップとか無いと戦争なんて始まらないはず?みたいな感覚があって、そこが無いのはリアリティに欠けるし、じゃあ皆が言うからアナハイムとか嫌だけど丁度都合はつくので設定使うしか無いのか?みたいな妥協だったんでしょうか。

 

あとは勿論、モビルスーツの開発とかそんな物にも興味が無いし、むしろ嫌悪感を持ってる人のはず。
だって昔、ガンダムは今は公式年表あるんですよって安彦さんに見せたら、何でモビルスーツのロールアウトがどうのとか年表に載ってるの?実際の世の中の歴史年表にそんなもの載ってるか?お前らバカじゃないの?これのどこが歴史なんだよ。だからガンダムオタクは嫌いなんだよ的な事って言ってましたし。

 

ただ、元々はアニメ業界に居たんだし商業的にプラモとかメカも売らなきゃいけないコンテンツなのは流石にわかってはいるはずなので、今回で言えばMSの原型のモビルワーカー(MW-01)とか出してるのは、自分でちゃんとした歴史を描かせてもらう為に妥協したポイントだとは思う。

 

そういう意味では、逆に政治は得意分野だろうから、ドズルがラル家に恩情をかけてやる辺りは安彦さんらしい発想と言うか描きかただと思う。
ギレンとキシリアが暗躍してる中、政治的には疎いと思われているドズルが、いやラル家も色々巻き込まれて苦労してるんだし、派閥とは言えジオンであって連邦とかじゃないんだから、別に排除まではする必要無いだろうと。実際穏健派というかこういう人に付く人も居るだろうし、ここの描き方や発想は面白い。

 


それでいて主人公のシャア(キャスバルエドワウ)には感情移入させない辺りがそれはそれでやっぱり安彦さんらしいなと。壊れていく過程というか、復讐を募らせていく姿に、こうしてシャア・アズナブルと言う存在が作られて行くんだなというのは痛いほどわかる。でも、感情移入はさせないセンス。そこはやっぱり俯瞰した歴史の視点でしかない。

 

あ、因みに前回の少年期と違って今回から池田さんが普通に声当ててますし、若い声を頑張って作ってらっしゃいますが、私は声優変更した方が良かったと思う。劣化してるとかそういうネガティブな意見では無いんだけど、どうせ新しい物を作るんだったら、今後も考えて後任とかここで決めちゃってても良かったのかなと。

最近、シーブックとかジュドーの代役のケースがありましたけど、物真似みたいになってほしくはないけど、声質が似てて元の人のニュアンスを残せる人ならアリかなと思いますし。それこそブライトの成田剣とかマ・クベ山崎たくみとかは誰も文句つけてないですし。古谷さん、問題起こしてあちこち降板してますが、アムロも誰か引き継いでも良いと私は思う。勿論、若井おさむとかモノマネはNGで。

 

悲しみを抱えるアルテイシアを残してキャスバルは発つ。
どう考えてもヤバい未来しか見えてこないシャア・アズナブルさんの明日はどっちだ。

という事で3章開戦編・前編「暁の蜂起」に続く。

 

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ジョーカー

ジョーカー [DVD]

原題:JOKER
監督・脚本・制作:トッド・フィリップス
脚本:スコット・シルヴァー
原作:DC COMICS
アメリカ映画 2019年
☆☆☆☆★

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続編「ジョカー:フォリ・ア・ドゥ」本日より公開スタート。
本国では批評家からも観客からも低評価の嵐らしいですが、まあそんなの気にせず自分の視点で見たい所です。

 

その前に1作目を復習。劇場公開時に1度は見てますので今回が二度目。
ジョーカーと言えばやっぱりみんな大好き「ダークナイト」のヒース・レジャー。アメコミファン以外の人がやたら食いついた作品なので、逆にコミックファンとしては複雑な心境の映画ですが、勿論名作である事に変わりは無いし、ヒース版ジョーカーのインパクトは十分すぎるくらいのものは確かにありました。
その「ダークナイト」の衝撃がありながら、いやむしろそこで知名度が上がったのも大きいのでしょうか、有名キャラの人気にあやかった2番煎じになりそうな所を、きっちりこれはこれで、ある意味ダークナイト以上に評価されたのは単純に驚かされます。

 

ただ私的には先日書いた通り、この「ジョーカー」を見た後に、元ネタである「キングオブコメディ」を見て、あれ?これってほぼパクリというか原作みたいなものじゃん!しかもジョーカーよりパプキンの方が私は怖いし、映画としてもちょっとレベルが違う。と思って評価がダダ下がりしたんですよね。私の中ではそこで終わってました。

 

で、今回その時以来見返したのですが、思った以上にジョーカーはジョーカーで単発として成立してたっぽい。

 

やっぱり格差社会という時代背景が大きいと思うし、いわゆるスーパーヒーロー映画ブームの中で(ここ2~3年ですっかり衰退しましたが)ジョーカーというヴィランをヒーローとして描くというのがピタッとハマったんだなと。

 

ヒーローと対峙するヴィランとしてのカッコよさではなく、ヴィランそのものを単体として成立させるカッコよさが世間的には新鮮だったんだと思う。

 

やっぱり私はジョーカーとキングオブコメディのパプキンを比較したら、パプキンの方が遥かに恐ろしい存在だと思う。でもそうじゃないんですよね。ジョーカーは怖さでは無く逆の描き方をしてて、ジョーカーとなるアーサーに感情移入させる作りにしてある。同情を誘う描き方でした。

人殺しを肯定は出来ないけど、情状酌量の余地がある。アーサーは可哀相な奴なんだよ。どうしようもない状況に陥って、ある意味闇に落ちてしまった人なんだと。

 

ええと、これがもしコミックのジョーカーなら、最後にどうだ?泣けるでしょ?全部嘘だよーン!児童虐待受けた奴なら犯罪起こしても大丈夫だよね?ギャハハハ!


ってなるやつです。
多分、この映画でも、嘘が真かあえてわからなくしてるし、そこは自由に解釈してもらえるように作りました。と答えるはず。

ラストカットのとこ、アーカムに収容されてましたが、捕まるシーンは描かれて無いし、本編の事が本当にあった上でその後捕まってしまったという解釈と、最初からアーカムでジョーカーが嘘話でっちあげてるだけで、本当は悪のカリスマでも何でも無いおかしい人、という解釈どちらもOKなように作ってある。

 

勿論、途中で嘘と真実が曖昧な描き方になってたように、自分はこのシーンまでは本当にあった事だと思う、みたいなその人の感覚に委ねる作り。

 

私は今回見てて思ったのって、ロバート・デニーロ演じるパプキン・・・ではないらしいあのTVショーの司会者がアーサーをTVでピックアップするというのに正直合理的な理由とか感じられなかった。いかにも強引な都合の良い展開で、そういうのは凄く嘘臭いなと。TVショーに出た時の練習を前半でやってたのが前振りで、あれは全部妄想でしたってのが私的には納得の行く解釈。

 

勿論、本物だと信じたい人は信じて良い。そもそも映画ってフィクションですし。コミックの方でも昔からジョーカーのオリジンは時代に合わせて何度も描かれて来ましたが、果たしてそれが本当の事なのかはわからない、だってジョーカーの語る事だから、みたいなのがある種のお約束だし、それが面白味。恐らくはそういうのも作ってる方は意識してると思う。

わざわざブルース・ウェインを出して、もう百回繰り返されてきた真珠のネックレスパラパラ~とかやる辺りは、物凄くコミック映画として作ってあるのは明白ですし。

 

その上で描かれてるテーマに触れるなら、いやこれでね、社会的弱者に少しでも優しい目を向けてくれるのならこんなに素晴らしい事は無いですよ。でもきっと、ジョーカーカッコいい!って言ってる人は、実際は社会的弱者に制裁を加えたり、映画のアーサーだけは擁護するけど、現実の問題には目を背けるんでしょうね。

 

そして逆にジョーカーに感情移入して、自分がジョーカーなんだって思うタイプの人は実際にこの映画の後に本国でも日本でも模倣犯が出ましたし、そうやって自分を正当化しようと、或いは自分に酔ってこの映画も貶めるんでしょうね。

 

みんなもっと他人に対してやさしくなろうよ!とか呼びかけてる人も選挙に行って、弱者に軽蔑の視線を向ける差別主義者集団の自民党とかに票を入れるんでしょう。いやあ、まさに理不尽とはこの事です。世の中って不条理に満ち溢れてますねぇ(ニヤリ)

 

とまあ皮肉めいたことを言ってしまいますが、私もね、こういうのには凄く昔は感情移入するタイプでした。そっち側に居た人でしたしね。

 

今の世の中、定期的に「無敵の人」と呼ばれる人が出て来ますし、逆に自死を選んでしまう人も多い世の中、一人で悩みを抱えてる人も居ると思います。そんな人達に一応言っておきます。

 

冷静に考えてみて下さい。「ジョーカー」みたいな映画に感情移入する人がこの世界には100万人も居るんですよ?(ゴメン、数字はテキトーです)この世界でたった一人で孤独を抱えて、今にも壊れてしまいそうだと思ってる人、山ほど居ます。そういう悩みってね、もう何十年も昔から、誰もが抱えるベタな悩みなんですよ。
だからジョーカーみたいな映画がヒットするの。だから昔のボンクラはみんな「タクシードライバー」のトラヴィスにあこがれてヒーロー視したんですよ。それと同じ構造。

 

孤独だと思ってる人が百万人居て、同じ悩みを抱えてる。それってベタじゃね?
っていうか孤独じゃなくね?

 

っていうような考え方は私は実は学生時代に筋肉少女帯大槻ケンヂに学びました。はい、私はクラスで一人きりでした。でもそれは隣のクラスにも一人の子が居るんですよ。学年に4~5人居る、じゃあ他の学年は?はい、一つの学校で20人とか30人。もうそれは一つのクラスと言っても良い人数ですよね。じゃあ隣町の学校は?地区では?県では?全国では?世界では?何千人何万人と居るんですよ。当時はそんな言葉なかったけど、今で言うマーケティングみたいなもので、そういう層に向けて自分のメッセージを発信しようと思ったって大槻ケンヂは言ってました。見事にその中の一人だったわけです私は。

 

ジョーカーの劇中で、「自分は透明な存在」だとか「人を殺した時に初めて自分の中に明りが灯った」とか、いやオーケンの詩でそんなの散々聞かされてきたから、と私は思ったし、そのオーケンの歌詞だってオリジナルじゃないんですよ。過去の作品の引用とかなの。そんなの50年も100年も前からきっと受け継がれてるものです。

 

孤立の反対って何でしょう?連立?連帯?ここ5年10年の社会派映画のトレンドって何かご存知でしょうか?疑似家族とかです。血が繋がってるかどうかなんてどうでもいい、繋がりあえる何かがあればそれで十分、そこに縋って生きようよ、ユニオン(同盟)を結ぼうよ、っていう。
世界で一番ヒットした映画の「アベンジャーズ」だって同じなんですよ。みんなの力を合わせれば理不尽だって乗り越えられるよっていう空気があれをヒットさせたんだと私は思う。ストレートなメッセージ性とかじゃなくても、時代の空気感というか。

 

これ以前のジョーカーは、ジョーカと言うキャラクターそのものが理不尽や不条理の象徴だったわけですよ。でも今回の映画は、そのジョーカーの内面やバックグラウンドを明かして、不条理ではなく条理、理解出来る存在として描いたわけですよね、一応表面は(それも全部嘘だよーンって場合をとりあえず置いといて)なら、この世界の理不尽や不条理を解き明かしてしまえば良いんですよ。そうすれば恐怖や不安から解放される。

 

ジョーカーがこの映画で怖い存在で無くなったのと同じように、この世界の恐怖や不安にきちんと向き合えば、きっと前を向けるはず。と私は言いたい。

 

という所で「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」に挑んで来たいと思います。

 

え?ハーレイクイン?ジョーカーに本物の彼女が出来たの?
メンヘラ彼女とは言えそんなのもう孤独じゃないじゃーん!
んんんんんー、許るさーん!

 

というジョークは置いといて、見返してみると本当に表情の一つ一つとかが凄すぎて今まではあんまり好きな作品じゃ無かったのですが、認めざるを得ない良い作品だったなと気持ちを改められました。

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インビンシブル・アイアンマン:ザ・サーチ・フォー・トニー・スターク

インビンシブル・アイアンマン:ザ・サーチ・フォー・トニー・スターク インビンシブル・アイアンマン(2016-2018)

INVINCIBLE IRON MAN:THE SEARCH FOR TONY STARK
著:ブライアン・マイケル・ベンディス(作)
 ステファノ・カッセリ、アレックス・マリーブ 他(画)
訳:吉川悠
刊:MARVEL 小学館集英社プロダクション ShoProBooks
アメコミ 2023年
収録:INVINCIBLE IRONMAN #593-600(2017-18)
☆☆★

トニー・スタークが姿を消し、
ドクター・ドゥームが
動き出す!

 

アイアンマンの後継者争いが勃発!

昏睡状態だったはずのトニー・スタークが、突如として行方不明になった。アイアンハートことリリ・ウィリアムズと仲間たちは、総力を挙げてトニーの捜索を開始する。混乱を極める状況のなか、アイアンマンの後継者として名乗りを挙げたのは……マーベル・ユニバースの超大物ヴィラン、ドクター・ドゥームだった!?アイアンマンを巡る壮大な物語は、クライマックスに向けて加速する!


ベンディス期のアイアンマン最終章。この後すぐにDCに移籍したそうで、ある種の置き土産みたいなものでしょうか。

 

この辺は作家としての考え方なのかな?自分の蒔いてきた伏線をきっちり丁寧に回収して行って、第1部完的なキリ良く終わっていくタイプと、最後に爆弾投げっぱなしにしていって、引きは作ったからあとはよろしく!みたいな感じがあるけど、今回は後者でした。

 

コミックじゃなく映画の方ですが「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」でつじつま合わせとか考えなくて良いから、エンドクレジットで強烈な引きをよろしく!って言われたとかありましたが(結局本人が3作目も作ったので自分でしりぬぐいはしてますが)そういうのもある意味マーベルの社風としてあるのかなぁと。先日読んでたヒックマン期のX-MENも、話たたまなくて良いからこの路線で次のクリエイターにまかせるっていう形でしたし。

 

とは言え、トニーやローディの死から今回の復活までという意味では一応はストーリーラインの区切りとしてやってる部分は当然ある。

 

話的には前巻の「インビンシブル・アイアンマン:アイアンハート2/リリの選択」からの続きなのだけど、時系列的には前巻と今回の間に「シークレット・エンパイア」イベントが入ることで、シールドが崩壊。後続の組織が再編されつつある中で、リリ/アイアンハートはそちらの組織にスカウトされる。
アーマー系ヒーローチームのアーマースクワッドはわかる。同じくスカウトされてきたマイルス君と再会するのもわかる。
でも何故ここでブレイド?とか思いつつ、それ以上にそもそもレオナルド・ダ・ヴィンチって誰だよ?あのダヴィンチなのか?とビックリする。

 

そして本物のトニー・スターク。ハッキリ明かされないものの、肉体そのもののリブート的な禁断のテクノロジーを使ったらしい。
クラコアX-MENとか先に読んでしまうと、今更?感がしなくもないけど、人としての倫理感もグレーだからこそ、仲間の誰一人にも頼らず、全ては自分一人の自己責任。誰にも明かせない秘密を抱える。

 

自身の心の中の葛藤の中、養父ハワード・スタークとの対峙、そしてトニーが唯一心の奥底で助けを求める存在であり、倫理を超えてでも贖罪したい相手がローディってのが面白い部分。
これね、シークレットエンイアの時のキャップなら、サム、バッキー、シャロンの3人が心を許せる存在だったけど、トニーにとってはローディ一人なんだなと。

 

天才の思考を唯一理解してくれる存在としてのリードとかも結構特別な印象もありますけどね。(シビルウォーでも一緒でしたし)まあそこはFFという別枠になっちゃうか。

 

そんなFF枠から、インファマス・アイアンマンことドクター・ドゥーム。ここに関しては個人誌を読まないと、こっちのほうだけでは結局本心はわからず。フッドと延々とやりあってました。解説読むと個人誌の方ではついに母親を解放できたっぽい?

 

他だと、トニーの実母、アマンダ・アームストロングもかつて自分で殺めたヒドラの旦那が実は・・・と今後へ風呂敷を広げたまま終了。

 

そしてAIトニー。この時点では本人が復活したから消滅とかではなく、自我を持ち始めている自分を自覚したまま終わる。
某、草薙素子さんみたく、「ネットの世界は広大だわ」と、肉体からの解放を肯定的に捉えるのではなく、エゴの収束体とも言える自分はSF映画の将来人間に反乱を起こすAIになる可能性は十分にありえる、と不安な気持ちを露わにする。

 

うん、この後の展開知らないけど、仮に本物が戻ったからお役御免になったとしても、5年後とか10年後とかに他のライターが悪のアイアンマンとして絶対使うよねこれ?まるで映画のウルトロンみたく!って思う。

 

そして未来。至高の魔術師ソーサラー・スプリームとなったトニー・スタークの姿を見せて終了。これは今回のみのビックリドッキリではなく、昔からベンディスは進化した技術は魔法との堺が無くなるという主張をしてきており、その象徴という事らしい。
ハイテク技術と高度な魔術の融合という部分ではそれこそドクタードゥームの専売特許みたいな所がありますし、そりゃあ後継者争いとしてドゥームは話に絡めたいでしょうね。

 

といった所で「インビンシブル・アイアンマン」全4巻終了。
全体としてはリリの所がそこそこ面白かったくらいで、私的にはそんなには・・・という感じでした。

続きの話、というわけではないですが、トニーの兄、ハワード・スタークの実の息子のアルノ・スタークの反乱を描く「アイアンマン2020:ロボット・レボリューション」というのも出てるので、次はそこを読もうかと思います。

 

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機動戦士ガンダム THE ORIGIN I 青い瞳のキャスバル

機動戦士ガンダム THE ORIGIN I [DVD]

MOBILE SUIT GUNDAM THE ORIGIN I
Blue-Eyed Casval
総監督・絵コンテ・キャラクターデザイン:安彦良和
監督:今西隆志
脚本:隅沢克之
原作:矢立肇富野由悠季機動戦士ガンダム』より
漫画原作:安彦良和機動戦士ガンダム THE ORIGIN』より
OVA 2015年 
☆☆☆

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全国で順次展開中のガンダムシネマフェスという企画で、ファーストガンダム劇場版3部作、逆襲のシャア閃光のハサウェイの5作が限定上映中。まだ詳しいスケジュールは出てないけど、それが今月に地元に来る予定です。

 

劇場のスクリーンでファーストと逆シャアが見れる!
こんなに嬉しい事は無い、ガノタならわかってくれるよね。
DVDや配信ではいつでも見れるから・・・

 

という気持ちです。はい、私は30年ガノタやってますが、ファーストも逆シャアも劇場で見た事はありません。1週間上映っぽいので、果たして4本も見れるのかという感じはしますが、せめて「めぐりあい宇宙」と「逆シャア」だけは何とかしたい。可能なら「哀戦士」も、でもそこまでいくなら1も見るべきじゃね?という感じでいます。

 

先日は「劇パト1」も初めて劇場で見れました。私のオールタイムベスト映画の「ゾンビ」も日本公開版という形でしたが、それでも1度は劇場鑑賞出来たのはメチャメチャ嬉しい体験。いつかは「イデオン」も発動編だけでも良いから、劇場で体験してみたいものです。
好きな作品は山ほどあれど、劇場では見た事が無い、スクリーンでは見ていない、という作品はいっぱいあります。当たり前の話ですが、映画は劇場のスクリーンで見るように作られているものです。全ての作品をスクリーンでとは言いませんが、自分の好きな作品、こだわりの作品くらい、本来あるべき形で見たいじゃないですか。

 

そこに対しての前哨戦としての「オリジン」を今回から観ていく。
ああそういえばこのオリジンも2話繋げた劇場版になるっぽいですね。申し訳ありませんが、そこはスルーで。

 

基本、私は富野信者(元と言った方が良いけど)なので、原作漫画のオリジンの時点から、ありがたいけどちょっと残念、みたいな気持ちでいました。
それはこちらのアニメも同様。リリース時にレンタルで全話視聴済み。良い部分悪い部分両方ある。あくまでこれが本来のガンダムの姿と言うよりは、あくまで安彦アレンジ版みたいな感覚。それを言えば小説版とかだって富野アレンジ版みたいな感覚です。

 

散々言われてますが、本来はここからTV版リメイクまで繋げたかったようですが、成功例だった「ガンダムUC」程の利益は生み出せず、TV序章の6章で完結。話が違うじゃないのと詰め寄るも、じゃあ最後にもう1本だけ自由に作って良いからと手切れ金みたいな形で作ったのが「ククルス・ドアンの島」でした。

 

同時期に富野に対しても「Gレコ」5部作構想に対して、成績悪いから5本目の予算は無し。まとめて4作と5作出してあとは終わりね、という、作品の生みの親だろうが功労者だろうが、利益出せない奴はバッサリ切る、クリエイターより株主の方が大事だよ、という方針をとってたのは、大人の視点から見ると時代が変わったなと思わざるを得ませんでした。

 

いやこの「オリジン」もですよ。OVA6話を作って、それをバラしてTV放送版13話に再構成。今度はそれをまた映画3部作にする、という少しでも利益を絞り出す方式。「サンダーボルト」とかも、配信版をまとめて劇場版にして、今度は再びTV放送用にバラすとか、特撮のスーツ改造かよ!と突っ込みたくなるコスりっぷり。なんか逆に笑えて来ますね。もはやガンプラの金型流用バリエーションみたいなもんでしょうか。

 

それはともかくOVA第1章「青い瞳のキャスバル

ジオン・ズム・ダイクンの暗殺からザビ家の台頭。
シャア・アズナブルの少年時代の覚醒を描く。

 

一応ですが、知らない人の為に初心者講座みたいなものも書いておきましょう。
安彦良和は言わずと知れたファーストガンダムのキャラクターデザイン兼アニメーションディレクター。その後も「巨神ゴーグ」「クラッシャージョウ」「ヴイナス戦記」といったアニメ作品の監督もしましたが、やがてはアニメ業界から身を引き、漫画の方に軸足を置く事になる。大ヒットとまで言われるものは無いものの、基本的には歴史物を(それこそ古代史から近代史まで)ずっと描き続けてきて、一定の評価は受けている。

 

その中でファーストガンダムのリメイク漫画を描いて欲しいと言う角川の依頼で最初は断っていたものの、わざわざその為に雑誌まで立ちあげるという事で(ガンダムエース)始めたのが「ジ・オリジン」。

 

自分の得意分野の歴史物のフォーマットでガンダムを再構成という感じですので、視点が基本的に俯瞰なのです。

 

ハッキリ言ってしまえば、オリジンがつまらない理由はそこが全て。アニメ全6章で言えば、シャアを主人公にこそ置いてはいるものの、シャアの感情に軸足を置いたドラマではなく、シャア・アズナブルという人の伝記物みたいなものだと思った方が良い。

 

こんな事件が起きました、こんな風な行動をとりました、こんな結果になりました。どう?面白いでしょ?歴史ってドラマですよね、というのが恐らく安彦氏の感覚。

 

キャラクターの感情の動きとかそういうドラマでは無く、歴史そのものがドラマとして面白いと考えてる人なので、多分アニメを見る人、ガンダムが好きな人との感覚がずれてる。

 

富野由悠季の、誰もついてこれない狭い視点に対して、現場がそれは違いませんが?ここは分かりにくいですよね?とか言えないのと同じように、安彦良和も同様、誰も意見が出来ない状況。もし何か言っても、お前は何もわかってないと一蹴されるだけなので、怖くて意見も言えなくなる。まさに老害とはこういうものだっていうお手本です。

 

じゃあファンが求める物が正しいのかと言えば、実は必ずしもそうではない。ファンがファーストガンダムをリメイクとか言われて求める物って、開戦前ならそれこそジョニー・ライデンがこの場に居たとか、外伝のキャラがちゃんと本編の歴史に組み込まれたりする奴ですよね?私もそういうの見たいし。

多分、オリジンの漫画なりアニメの時にも、今はこういう後付けの設定があるのでそれを組みこめませんかみたいな事を言う人は居たと思うんですよ。でもオリジナルクリエイターである安彦氏は、いや自分が作ったガンダムにはそんなの居なかったから知らないし、そんなパチモノガンダムなんか入れるわけないじゃん!っていう所でしょう。

 

自分が関与してないものまで責任持てないっていうのは当然だし、例えばファンが望むとおりに、今の設定とかキャラとかを入れるなりしたとしましょう。これがまた10年後、もっと別のものが増えてて、今度はこれが居ないあれが無いだの結局はイタチごっこになるだけなので、そこは媚びなかったのはある意味正しいとも言える。いや外伝オール出演の1年戦争再構成とか私はぶっちゃけスゲー見たい&読みたいけどさ。

 

ニュータイプという概念が大嫌いな安彦氏ですので、まずジオン・ダイクンを神聖化せずに、頭のおかしい宗教家というクズに仕立て上げる。勿論これはファンに対する嫌がらせです。ニュータイプなんてインチキを信じてんなよお前らっていう。(これは「ククルスドアン」でアムロに人間を踏みつぶさせたのと同じ)

 

あくまで歴史物なので、誰かに感情移入させる気はサラサラ無いものの、逆にそういう客観性の良い部分というのもあって、男性女性に特別な差をつけて描く事はしないので、キシリアの感情を個別に描いたりとか、ハモンの自立性とかを描いたりも出来る。

 

例えばこれが富野なら「Z」の時にやたら戦場に女性を出して、シロッコにもこれからは女性の時代だ的な事を言わせたりしてたけど、あれはウーマンリブ運動とか、女性の自立みたいな時代背景を作品に取り込んでいるのであって、安彦さんの場合だと、歴史が前提としてあるので、その中で活躍してきた女性とかも沢山居るし、自分の歴史物でも描いたりしてるので、別に男だから女だからでは無く、個人の資質を描くだけという描き方の差があって、そこは面白い部分だし、特徴の一つ。

 

多分ね、これでもメチャメチャ妥協はしてると思うんですよ。OPに戦闘シーン入れたり、クライマックスで一応はメカ描いたりね。絶対本人はこれいらなくね?って思ってる。というか少なくともOPのCGパートは今西さんに丸投げしただけですよねこれ。

 

キャスバル田中真弓さん使ったのだって、今の声優なんか知らないからゴーグの時に信用してる田中さん使っただけで、今の時代に田中さんを使った時の視聴者の受け止め方とか1ミリも考慮して無い感じが老害度120%な感じ。

 

ただ、だからこそ幼いキャスバルアルテイシアがまるで世界名作劇場の主人公みたいに見えて、そこから見えるギャップが面白かったりもするので善し悪しではある。

 

と、あとはこの後もずっと続くけど、学生運動ムーブの茶化しかたですよね。渦中に居た富野と違って、安彦さん的には歴史と同じようにああいうのも俯瞰して冷笑してたのでしょう。この空気をね、今の人が見てどう思うのか?

 

正直、これは誰が望んだ作品なんだろう?誰が得したんだろう?とか思ってはしまいますが、世の中に出た以上は別に無視する必要もないし、こういうものなりの楽しみ方を模索して行くのが建設的なのかなと思います。

さて次はシャア・セイラ編後編「哀しみのアルテイシア」です。

 

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