阿武隈(あぶくま)とは、大日本帝国海軍に所属していた長良型軽巡洋艦6番艦「阿武隈」をモデルとした、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘である。
CV:野水伊織 イラストレーター:コニシ 図鑑番号はNo.110(改二はNo.200)
長良型六姉妹の末の妹。2013年5月15日のアップデートにおいて姉の「鬼怒」、五航戦の「翔鶴」「瑞鶴」と同時に実装された。サービス開始後の追加艦娘なので時報音声付きである。
長良型では唯一の金レアであり、初期状態では長良型では一番性能が高い。が、ぶっちゃけ誤差の範囲内である上に、改装後まで視野に入れると、長良型の上の姉3隻には遠く及ばない。現実は非情である。
しかし、ひとたび改装を施すと対潜値が急激に上昇する特性がある。さすがに姉妹の五十鈴改二や、(僅差だが)由良には及ばないものの、姉の長良や名取より数値が高い。そのため潜水艦狩りの主力として据える事も十分可能である。余談だがこの特性は鬼怒も持っている。
改装すると長良型姉妹の中で唯一虹背景(いわゆるホロ)となる。五十鈴改二は何故か金背景止まりである。
また阿武隈の改装可能レベルは17と、五十鈴を除く他の姉妹より早いうえ改装時に電探まで持ってきてくれる。この改装の早さは五十鈴同様に新米提督にとって強い味方……と思いきや、五十鈴と違って阿武隈の入手難易度は桁外れに高く、序盤での入手は困難だったりする。理由は後述。
鬼怒同様、ドロップ海域が少ないうえ大半がボスドロップのみと入手には難儀する。唯一3-1のみ道中でドロップするが、一箇所しかない。レア艦の大放出と言われている5-4では全くドロップしないので、狙うなら3-1や2-3のボスドロップ辺りか。ボス限定ではあるが、西方海域では全ての海域でドロップする可能性がある。
その一方で建造でも入手可能である。潜水艦レシピで低確率ながら出現する可能性があり、鬼怒と同じ建造時間(1時間15分)である。しかし人によって鬼怒が出るか阿武隈が出るか大きく偏る場合があり、鬼怒が欲しいのに阿武隈しか出ない、または阿武隈が欲しいのに鬼怒しか出ない現象が頻出するとか。
後から追加された艦娘なので姉3人を差し置いて、時報と放置ボイスが付いている。
前髪のセットをひたすら気にしてる子。ただ、髪型で目を引くのは前髪よりむしろ某月に代わっておしおきする美少女戦士っぽい金髪おだんごツインテールであろう。由良・鬼怒と共に、後期長良型共通の薄い水色のセーラー服に身を包んでいる。
由良・鬼怒より心なしか幼げとはいえ女子中学生くらいの容姿に反して発せられる甲高いガチロリボイスは、軽巡というよりむしろ駆逐艦っぽい。加えて、長良型姉妹の中ではひときわ貧乳である点も、やはり軽巡というよりむしろ駆逐艦っぽい。こうした幼さが目立つのは、下記、史実にあるように他の姉妹に比べ竣工が大幅に遅れたという経緯を反映したものと思われる。
すぐ上の姉にあたる「鬼怒」ほどではないが両手を挙げた(というか前に突き出した)ポーズをとっており、よく「うろたえるな小僧-っ!!」のコラに使われている(だいたい吹き飛ばされているのは脱衣パワーに定評のある「妙高」と「川内」だったりする)。ただし、実際に「ひぇっ!?やだ、私!?」と滅茶苦茶うろたえているのは出撃を命じられた際の阿武隈本人である。
追加された艦娘の中でも北上さま関係でキャラが立っている方である。北上さまとの因縁の関係は史実参照。また、他の艦娘との絡みに関しては、「どこかの夜戦バカには負けないんだから!」という発言もある。
提督諸氏における二次創作的な組み合わせでは、さり気なくチームクマーの一員でもある[1]
2015/7/17のメンテで改二が実装。
要設計改装図で、改装レベルは75となっている。
天津風のようなグレーのジャケットにプリーツスカート、そして黒スパッツと制服も一新(なんか陽炎型っぽいとか言われるんですけど!)。表情も一転して自信に満ちたものになっている。艤装も足に魚雷発射管を装備、手にしている砲塔は14cm単装砲が12.7cm連装高角砲になり非常にコンパクトになっているが、代わりに大発を積むための大きなレール付の後部甲板が設けられている(なお、史実では小発は積んだことがあるが、大発を積んだことはない)。
これまでの改二で艦種がそのままの艦娘は元の衣装のイメージを比較的残したスタイルだったのが、彼女に関してはこのように大幅なイメチェンを行っている。
ただし、お気に入りの髪型は変わりなし。そして胸部装甲も慎ましいまま
改二になってセリフも一部新しくなっている。提督にはまだ名前の漢字を覚えてもらえてないようだ。
ちなみに阿武隈改二の図鑑番号はNo.200と、すごくキリのいいところに入れてもらえた。またレアリティも軽巡改二としては初のSホロとなった(川内型姉妹の改二はいずれもホロである。なお、軽巡初のSホロではない(大淀改が既にSホロ))。
これまでが性能だけなら神通改二一強であったこと、事前に設計改装図を要する事を匂わせる「if改装」との公式発言があったこと、そして阿武隈のその多大な戦歴からどういう調整を受けるのか注目が集まっていたが、見事に予想の斜め上を行ってくれました。
ステータスだけで見ると、火力56+雷装94で夜戦火力150と、先の軽巡改二たちはもとより、長良など一部の高性能軽巡にも及んでいない。というか火力は改時代から下がってすらいる。
対空はやや高いが飛びぬけている訳でもなく、五十鈴改二よりは低い。耐久も装甲も平凡で、一部で「奇跡の作戦から運爆上げになるのでは?」と言われていたが運も20と普通。
装備スロットも3のままで変わらず。射程も「短」になっている。
総合すると中の上程度の性能しかない・・・ように見える。
しかし改二実装当時の阿武隈だけの性能として甲標的&大発動艇が装備可能。
まず前者。
今まで雷巡と潜水艦という、編成条件枠で弾かれやすい艦種だけの特権だった先制雷撃を普通の軽巡枠でできるようになるということ。雷装は神通改二には及んでいないものの高めではあるので、敵の小型艦くらいなら後期型でも十分ワンパン可能。
連合艦隊や水雷戦隊で必ず1必要とされる軽巡枠で手数を増やし道中の安全性を上げる役割が持てる。
なお上では夜戦火力は高くないと書いたが、この甲標的を含めた装備込みの値ならば夜戦火力は軽巡で第3位となり火力もかなり高い(素火力168+3号砲+OTO副砲×2で194の神通が1位、素158+3号砲+OTO副砲×2で184の長良/名取/球磨が2位、素150+3号砲×2+甲標的で182の阿武隈が僅差で3位)
また、軽巡としては高いが雷巡には及ばないために重装甲艦へのダメージが期待できない雷装を補うために、主砲や副砲ではなく魚雷が選択されることも多い。こちらの場合は夜戦がカットインとなり、未改修の運が20と平凡な阿武隈改二では火力の発揮が不安定となってしまうため、それを補うための運改修は必須。阿武隈改二が運改修の最優先候補に挙げられるのはこれが理由である。魚雷カットイン装備なら素150+五連装酸素魚雷×2+甲標的で186となり(19年1月現在では試製六連装酸素魚雷×2+甲標的丙型で192でほぼキャップ値に到達する)、また魚雷カットインの倍率は連撃よりも高いため、連撃装備の神通をも上回るダメージが期待できる。雷装も130⇒136(上記の六連装+丙型の場合)になるため、強力な開幕雷撃も撃つことができる。
次に後者。
今まで大発動艇を積んで資材獲得水増しを計るには、燃費が良いとは言えない方の水母かあきつ丸を遠征に入れざるを得ず、そしてそれらは殆どの場合自由枠を使うので、海上護衛任務では最少編成ができず、そしてそもそも自由枠が無い東京急行(1)には入れる事ができなかった。
しかし阿武隈は先にもある通り普通の軽巡なので、殆どの遠征で必須枠にある軽巡枠で大発動艇を持ち込める。燃費は25/35(2メモリ分の消費で言えば5/7)と一般軽巡よりは僅かに弾薬消費が多いがそれだけで、あきつ丸などを遠征に行かせるよりは遥かにローコストであるのは変わらない。
ちなみに大発動艇は初期装備としても持参。大型建造限定のあきつ丸以外で大発動艇を手に入れる事ができるようになった。
かくして、阿武隈改二は一度に2つも「彼女にしかできない役割」を作り出し、当時の軽巡業界に新たな風を吹き込んでくれたのだった。(後に姉の由良・鬼怒にも改二が実装され大発動艇を装備できる軽巡と先制雷撃が出来る軽巡が増えたがそれでも希少価値は高い。)
なお阿武隈改二の実装に合わせ、彼女の最大のエピソードであるキスカ島撤退作戦をモチーフにしていた海域3-2「キス島撤退作戦」のルート分岐条件が変更され、今まで駆逐6隻でないといけなかったのが、軽巡を1隻までなら連れて行けるようになった。また、任務にも阿武隈旗艦でのキス島撤退部隊の編成任務と出撃作戦が追加された。
(「一水戦」の編成任務に、開戦時は四水戦所属第二駆逐隊の五月雨が入っているのはご愛敬[2])
阿武隈改二が登場してから約1ヶ月後となる2015/8/10より、恒例の夏イベント『反撃!第二次SN作戦』が開始された。これまでイベントの最深部では、ハイパーズが大暴れするというのが恒例だったのだが、今回は最深部のE-6とE-7では雷巡を編成に組み込むとボスに到達できないという罠が仕込まれていた。しかも、敵はこれまでなら置物だった駆逐艦ですら、火力だけなら軽巡フラッグシップに匹敵する新型の駆逐艦後期型エリートに置き換えられている。
つまり、「雷巡ではなく」「先制雷撃で敵の数を減らし」「夜戦であわよくばボスをスナイプすることも出来る」艦が一躍スポットライトを浴びることになった。
実際、連合艦隊の第二艦隊の旗艦は不動の阿武隈改二だった、という提督も少なくなかった(第二艦隊旗艦は大破しても轟沈しないと言われており、さらに連合艦隊の編成には軽巡が最低一人必須という理由から)
そして激闘を制した阿武隈改二が、勝利の余韻に浸る間もなく、減った資源の回復のために大発を積んで遠征に駆り出されるのも、よく見られる風景であった。
なお、後に実装された鬼怒改二も大発が装備可能である上に、こちらは何も装備していなくても遠征の獲得資源が5%増加するという大発の効果をデフォルトで持っているため、遠征に駆り出されるケースは以前よりは減少している。
以上のように軽巡は阿武隈一強に近い形で活躍していたのだが、2017/6/23、同型艦の由良にも改二が実装された。
由良改二は阿武隈に続いて2人目の「軽巡で甲標的搭載可」という性能を引っさげており、阿武隈の固有スキル状態だった軽巡甲標的装備可はようやく崩れた。そして由良は大発系と甲標的に加え水上爆撃機と熟練整備員まで使えるというマルチな娘。
しかし阿武隈の出番がなくなってしまうのかというとそんなことはなく、火力で3、雷装で14も阿武隈の方がそれぞれ上回っている。熟練整備員や補助増設設備をもってしても覆らない火力差があるので、純粋な戦闘用としては明らかに阿武隈の方が強いのだ。まだまだ連合艦隊第二艦隊旗艦枠では引っ張りだこになりそうである……
最近だとイベント海域は道中が長丁場になる事が多く、かつ雷巡が編成に組み込めない(もしくは遠回りを強いられる)ケースも発生しており、第二艦隊旗艦に給油艦を置いて先制雷撃出来る阿武隈改二の運を引き上げたうえで第二艦隊の後備(具体的には5番または6番艦)に置く雷巡の代替と云えるフィニッシャー的運用も増えつつある。上記にもある通り、雷巡より雷撃は劣るが火力が高いので総合的な夜戦火力は装備の選択・改修次第で補えるようになった(≒夜戦火力のキャップ値に到達した)のが大きい。
また、同じくイベント海域のボス戦において敵連合艦隊に水上目標と地上目標が混在する事が多くなったので甲標的で先制雷撃を行いつつ、大発動艇系統を載せて対地攻撃を行う運用も見られる。甲標的のみだと流石に火力は乏しいがこちらの連合艦隊同様、敵の艦隊も第二艦隊は小型艦が多いので露払いとしては充分でありかつ大発動艇系統を全て搭載出来る阿武隈改二は「特二式内火艇と大発動艇(+戦車隊)」といった高火力の対地上攻撃が出来る(場合によっては甲標的も降ろしてWG42を載せて対地攻撃特化も可能)
このように艦隊の整備状況であらゆる戦局に投入できる万能艦としての役割を担うようになっているのである……どちらにしても酷使されてるのは事実であるが
艦隊10年目にして初となる期間限定グラとしてハロウィンmodeが改二限定で実装された。ゲーム外では姉の鬼怒と一緒に雑誌の表紙をサンタ&トナカイmodeで飾ったことはあったのだが、こちらはゲーム内には反映されていなかった。
長良型軽巡洋艦6番艦「阿武隈」は、1925年5月26日、浦賀船渠で二等巡洋艦として竣工した。
ちなみに24年中に完成はしていたのだが、竣工が遅れたのは艤装中に関東大震災に遭って造船所の設備が被害を受け、艤装作業が大幅に遅延したため。結局、阿武隈の起工はすぐ上の姉である鬼怒の1ヶ月後であったのだが、就役はなんと2年半後となってしまったのである。近所の横須賀海軍工廠における被害[3]に較べれば、無事竣工できた阿武隈はまだましだったが・・・。
それでも完成した「阿武隈」は、第1艦隊第3戦隊に編入され、晴れて軍艦となる。
1930年10月の大演習中には、僚艦だった「北上」と衝突してしまう。ただ、北上さまが余裕でスルー何も言わないのに阿武隈がぶつぶつ言っているので、北上さまが悪いように思われがちなこの一件だが、史実は以下の通りである。
事故から復旧した後は上海事変や日中戦争で走り回り、1938年までには第二艦隊第二潜水戦隊に所属を移る。
太平洋戦争の頃にはさらに第一水雷戦隊旗艦となり、第六・第十七・第二十一駆逐隊などを従え水雷戦隊を率いる事になる。
太平洋戦争の幕開けとなった真珠湾攻撃における空母の護衛として参加した事を始めとし、その後の各地の戦線にも多数参加。
1942年末ごろにはそれまで南方海域が主だったのを北方へと移り、キスカ島やアッツ島への物資補給などにも参加している。
ちなみに開戦前に改修を受けて酸素魚雷を発射可能となっているが、これは長良型では唯一である。
また余談だが二次創作でも人気の高い第六駆逐隊はお守りとして天龍がついている事が多いが、史実の第六駆逐隊は天龍率いる水雷戦隊の指揮下に入った事は無く、実際は上記の通り阿武隈の指揮下で活動している。
阿武隈の戦歴の中で最も輝かしいのは、奇跡の作戦と言われた「キスカ島撤退作戦」に旗艦として参加した事だろう。
1942年6月、ミッドウェー作戦の一環で日本軍はアリューシャン方面に位置するキスカ島とアッツ島を占領する。両島は無人島ではあったが、れっきとしたアメリカの領土であり唯一アメリカの領土が日本軍の手に落ちた例となった(今までに日本軍が米軍を駆逐して占領してきた地域・島々は全て植民地であった)。
もちろんこのままアメリカが黙っているはずが無く、反攻作戦開始とともにアッツ島・キスカ島の奪還を試みるのだが、日本軍の大本営はアリューシャン方面を重要視しておらず、こちらには大した戦力が割かれていなかった。日本軍が「まずはキスカ島に来るだろう」と読み違えていたのもあり、アッツ島が早速奪還されてしまった上に、キスカ島に集中されていた残存戦力は完全に包囲されてしまう形となった。
この局面に際し、陸軍と海軍は協議。アッツ島の将兵を見捨てる代わりにキスカ島の守備隊は必ず救出すると海軍が約束し、ここに陸海軍共同の撤退作戦が立案された。
まずは潜水艦による撤退作戦が行われたのだがアメリカの厚い包囲網に対しては成果の割に損害が大きすぎ、2回の作戦実施をもって打ち切られ、水雷戦隊による救出作戦に移ることとなる。
その作戦とは、この地域特有の濃霧に紛れてコッソリ救出するというもの。そしてその救出艦隊の旗艦を任されたのが、阿武隈である。キスカ島の将兵の命運は彼女たちの双肩にかけられた。
1943年6月29日、キスカ島撤退作戦こと「ケ号作戦」発動。
阿武隈たちは何度も濃霧に乗じた接近を試みるも直前で霧が晴れてしまい反転せざるを得ない日が続き、やがて燃料が乏しくなってくる。燃料の不足を見た阿武隈座乗の司令官である木村提督は幌筵への撤退を決める。「帰ろう、帰ればまた来られるから」の言葉はこの時に発したという。
キスカ島の将兵を救出せずに帰ってきた木村提督への非難は凄まじかった。何故なら8月に入ってしまうと最早濃霧の発生は望めず、キスカ島の救出作戦がほぼ不可能になってしまうからである。加えて度重なる出撃で幌筵の重油備蓄量も減少しており、あと1回しか艦隊行動は出来るチャンスは残されていなかった。
そして運命の7月22日、最後の濃霧発生のチャンスが訪れる。
出撃した阿武隈たちは濃霧のせいで味方艦と衝突するなどのトラブルを起こしつつもキスカ島へと到着したが、またもや霧が晴れる兆候が見え始める。一時は反転の意見も出たが気象班やキスカ島の将兵、潜水艦からの報告により濃霧確実と判断され作戦は続行された。
日付が変わった29日0時、キスカ湾に突入した艦隊は同日13時に錨を投じ将兵の収容を始めた。初めから将兵たちが撤退準備をしていたためスムーズに収容が進み、約5200人の守備隊員の収容を僅か55分で終了。そして全速力でキスカ島から離れ、無事に空襲圏内からの脱出に成功した。31日から8月1日にかけて全艦帰投。たった一人の戦死者も出す事無く撤退作戦は終了し、ここに奇跡の作戦と呼ばれるキスカ島撤退作戦が誕生したのだった。
あたしだってやれば出来る!
ちなみに阿武隈と島風が「島に魚雷を命中させた」と言う逸話はこの時のものである。
ちなみにアメリカ軍はキスカ島に対し包囲網を敷いていたが、兵員の交代のため1日だけ包囲を解いていた。その1日が、まさに阿武隈たちが突入した日であった。まさに奇跡である。
その後の8月15日、既にキスカ島から日本軍の撤退が完了していると知らなかったアメリカ軍は上陸作戦を開始。この日も濃霧が発生しており、前が見えづらかったため、上陸したアメリカ兵の部隊同士が互いを敵と誤認し、同士討ちが始まる事態が発生。死者が約100人出たという。日本側は無傷であったが、アメリカ側は戦死者が出てしまった。
奇跡の作戦を完遂させた阿武隈は、北方海域での作戦行動を終えて1944年6月下旬に横須賀へ帰還。内地の鎮守府や各拠点を転々とし、カタパルトを撤去したり対空兵装を強化したりしている。1944年7月には22号電探を装備している。
そんな「阿武隈」が最期に参加したのが、1944年10月に行われたスリガオ海峡海戦。志摩艦隊の一員として、あの西村艦隊に続いて深夜にスリガオ海峡に突入した。しかし阿武隈の左斜め後ろより雷跡が伸びてきて、避ける間もなく左舷前部に被雷。
被雷およびそれに伴う災害で乗員に死者を出した事により速力が大幅に落ちてしまった阿武隈は、応急処置を施すも艦隊に置いていかれてしまう。なんとか米の魚雷艇の追撃を免れながら北上しスガリオ海峡の先で追いつくも、既に西村艦隊が壮絶な最後を迎えつつある状況だった。
スガリオ海峡から撤退した阿武隈はミンダナオ島ダピタンへに寄航し応急修理を行い、駆逐艦「潮」と共にコロンへと向かうが、その道中で米爆撃機「B-24」30機の襲撃を受ける。
直撃3発、至近弾4発を受け、上甲板の乗員は全滅、艦橋の人員も大部分が負傷もしくは戦死して指揮系統が壊滅、おまけに機関も停止して火災が発生する大損害を受けてもなんとか浮いていた「阿武隈」だが、最終的に火災が魚雷に誘爆し、艦体に亀裂が走り重油が流れ出すに至る。ここに至ってはどうしようもなく、総員退艦が発令され、「潮」に生存者が全員退艦してから3時間後、艦首を立てた状態でフィリピンはネグロス島沖に沈んだ。1944年11月20日除籍。潮に救助された生存者はマニラへ送られた。
艦これでは自分に自信が無い阿武隈であるが、その戦歴は決してちっぽけな物ではなかった。
戦後、二代目「阿武隈」として、海上自衛隊の小型護衛艦あぶくま型のネームシップ、DDE-229「あぶくま」が1989年から活躍している[4]。
このように、阿武隈には強烈なエピソードや個性が数多くある。箇条書きにまとめてみると
と事欠かない。武勲艦である事に変わりは無いので、もし手に入れたのなら育ててみるのも良いかもしれない・・・というかイベント海域での連合艦隊編成には軽巡が最低一人必須な上に、追加された彼女の改二での優先順位が軽巡の枠以上に全艦娘でもトップクラスに有用(先制雷撃・大発装備可能・持参装備ete)なので是非とも育てておきたい
(甲種勲章を二桁所持している提督には出撃札対策として複数の阿武隈改二を育成するケースがある)
第2次大戦中の部下たる駆逐艦娘は2023年8月9日までに全艦の実装が完了した。彼女が旗艦を務めていた第一水雷戦隊隷下の駆逐隊は以下の一覧のとおりである。各駆逐隊の編成は一覧表に併記の駆逐隊一覧を参照願いたい。
残す部下は、阿武隈がはじめて第一水雷戦隊旗艦を拝命した際の部下である第29駆逐隊(未実装の神風型姉妹)のみとなった。
編成年月 | 34.11 | 35.11 | ※ | 39.11 | 40.11 | 41.9 | 42.4 | 42.7 | 43.4 | 44.1 | 44.4 | 44.8 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
所属 駆逐隊 |
21駆 | 2駆 | 7駆 | 17駆 | 24駆 | |||||||
22駆 | 30駆 | 24駆 | 6駆 | 9駆(v) | 18駆 | |||||||
29駆 | 9駆(iv) | 27駆 | 7駆 | |||||||||
21駆 | 21駆 |
第29駆逐隊(神風型ii)追風・疾風・朝凪・夕凪 第22駆逐隊(睦月型)皐月・水無月・文月・長月 第30駆逐隊(睦月型)睦月・如月・弥生・卯月 第7駆逐隊(綾波型)朧・曙・漣・潮 第6駆逐隊(暁型)暁・響・雷・電 第21駆逐隊(初春型)初春・子日・若葉・初霜 |
第9駆逐隊iv→第27駆逐隊(初春型/白露型) |
【北方ケ号作戦参加艦】第21戦隊:木曾 多摩(多摩は第2次のみ) 第9駆逐隊 朝雲 薄雲 第10駆逐隊 秋雲 夕雲 風雲 第31駆逐隊 長波 二水戦付属 島風 五月雨 第21駆逐隊 若葉 初霜 千島列島根拠地隊 国後 |
やはりというか、北上さまと一緒に描かれることが多かったり。
2013年 春イベント「敵泊地に突入せよ!!」 新規実装艦娘 |
長良型軽巡洋艦 - 鬼怒 阿武隈 翔鶴型航空母艦 - 翔鶴 瑞鶴 |
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最終更新:2024/10/15(火) 07:00
最終更新:2024/10/15(火) 07:00
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