フープフラフープ

はらの趣味です

バタフライ・エフェクト

胸がくるしいぜ。

 

昨日は仕事の後に友達とちょっといい焼き肉に行って、友達の誕生日が近かったからハーゲンダッツでお祝いした。ビールをたくさん飲んでいたから眠りが浅くなって、2時半くらいに寝たのに翌日9時には目が覚めてしまった。友達が夢に出てきた。『めくらやなぎと眠る女』の監督が実はその友達で、ミニシアター(なのにスクリーン10くらいある)のレイトショーに招待してもらって、満員の劇場のいちばんうしろの席で映画を観た。よくわかんないなあって思いながら観て、なんて感想言おうかなって思ってたら目が覚めた。起きる元気はないのに眠ることもできなくて、布団の中で12時くらいまでうとうと過ごした。映画に行こうと思っていたので、Filmarksでいい時間の映画を調べて、『チャチャ』と『ハッピーエンド』に決めた。今観たい映画なんて無限にある。だけど時間は無限にはない。無限どころか、ちょっとしかない。

シャワーを浴びて、ウーバーイーツで届いたなか卯のきつねうどんを啜りながらキングオブコントをちょっとだけ観る。ロングコートダディの採点まで観て家を出た。車で映画館に向かう。来月ライブに行くくるりの曲を流す。

 

『チャチャ』は大好きな伊藤万理華のかわいさが無限大に発揮されている映画だった。大画面でかわいい伊藤万理華が見られるというだけで大いに価値がある。内容は刺さらなかったというか、ノットヒロインムービーズと聞いていたのでおもてたんとちゃう状態になってしまいうまく入りこめなかった。

 

その後少し時間があったから近くのホームセンターをうろうろした。寝間着を入れておく場所が欲しかったから、見つけた布のラックを購入。重いけど持てないこともないくらいの大きめの段ボールに入っていて、よたよたしながら近くにあったカートに積んで車まで運んだ。このラックを買うところから組み立てまで全て自分でやったら、とうとうわたしはひとりで生きていくことになるんだな、と思った。カートがコンクリートで細かく揺れる振動が手のひらから体に伝わってきて、ずうっとこうしていたら手がおかしくなっちゃいそうだった。

カフェでサンドイッチと抹茶ラテを摂りながら、仕事のパワポの直しをちゃちゃっと済ませてZINE用の文章を作る。こんなの終わるんだろうか。去年はいっしょに作る人がいたからなんとかできたけど、ひとりで本を作るなんて並大抵のことではない。やっぱり文学フリマで平然と本を売っている人たちは本当にすごすぎる。

 

『ハッピーエンド』はレイトショーの時間だった。ちょっとネタバレもするかも。

観ている間よりも、終わった後にじわじわとこみ上げてくる映画だった。あれからずっとざわざわして胸がくるしい。言えそうなことはたくさんあっても、意見を言えるほどわたしは賢くないし、ものを知らないし、そういう部分の外側のことだってうまく言葉にできる気がしない。ただ、ゆれる影だけをうつした映像だったり、エンドロール前の一瞬が無限になるような描写だったり、音楽に身を任せて存在が溶け合う瞬間だったり、認めたくない有限に呑まれていく青春の時間だったりを、愛しく思えないわけがなかった。

大好きな友達と友達でいられたのはこの世界線だから?出会うのが早くても遅くても同じ関係性は築けないのだと、最近になって実感している。違う世界でもあなたといっしょにいたいけど、仮にわたしたちの関係性がこの世界線だけのものならば、これほど大切にしなきゃいけないものなんてないって思った。どうしたってわたしたちは時間とともに少しずつ、時に急激に人間性も関係性も変わってゆき、ずっと同じようになんていられない。それは学校という期間限定であることが決まっている空間だけじゃなくて、すべての場所や関係性で起こりうることだ。そういうことを理解していくのがわたしは上手じゃないから、作品の力を借りて改めて言葉にできるのをありがたく思う。

 

前を歩いていたカップルが映画館のロビーで立ち止まり、立て看板を眺めていた。つられてのぞき込むと、映画館が来月閉館するというお知らせだった。特別思い入れのある映画館ではなかったけど、自分がかつていたひとつの場所がなくなるのはやっぱり悲しい。なくなるなんてこと想像もしてなかったものが、知らないうちになくなるところだった。閉館までに、またもういちど映画を観に来ようと思った。

 

帰宅してすぐに、買ったラックを組み立てた。少しずつ買い足した収納のおかげで、だんだんと部屋が片付いてきて嬉しい。やっと友達が呼べそうだ。不愉快じゃない部屋だ。もっとアップデートして、帰るのがうれしい部屋にしたい。年内の目標はお花を飾ること。かわいい花瓶とその置き場所を考えなくちゃ。明日もやることがあるから、もう寝なきゃ。

その秘密にふれてはならない

文学フリマに出す本どうしよ~ってなって、もうなんにもできる気がしないけどやらないと始まらないので手をつけはじめた。完成するかどうかもわからないけど、やっていくので応援してください。がんばりたい。がんばるしかない。

forms.gle

本で使おうと思っているアンケートです。よかったら答えてね。

 

最近羊文学にはまっている。仲の良い友達が好きで、今年のJAPAN JAMで友達が前方指定席を当てて、前から二列目でライブを観たのがはまったきっかけ。そこからちょこちょこ聴くようになって、夏くらいにエイヤっとワンマンの抽選に応募して、当たって行ってきたのがこの間の木曜。先月、今月はSpotifyの「This is 羊文学」というプレイリストをよく聴いていて、好きな曲もいくつかできた。

東京ガーデンシアターの三階で、演者の表情はわからないけれど動きや全体の演出はよく見える距離の座席だった。JAPAN JAMの時と違い、音楽の力強さよりも演出の迫力を強く感じたライブだった。「心を守る膜」と言っていた幕でステージが客席と隔てられていて、ステージ上だけが違う世界の中にあるように感じた。宝石の国の地球からみた月の世界のような、生き物ではないもっと高次の存在の世界のような、神聖なステージだった。中盤の「光るとき」でその膜が取り払われてくっきりとステージが見えるようになった瞬間が圧巻で、そこからは今ここで生きる羊文学のライブだった。演出が本当に素晴らしくて、光の使い方、影の使い方、体の使い方、映像の使い方全てが音楽を引き立てていて、音楽に引き立てられていた。かっこよかった~。

好きな曲、たくさんあるけど、そのいくつかを紹介させてください。

youtu.be

「言葉よどうかいつもそばにありこれからの奇跡に全部形を与えてください」っていう歌詞を、ブログを書く度に思い出すようになった。

youtu.be

過去が歴史になって薄れていく寂しさと、歴史になったからこそ今こうしている自分と、そうやってきた歴史をどこかに残したままあなたと笑っていたいということ。

youtu.be

「あの頃に会いにゆく あの日のスカート靡かせて わたし今わたしを何より抱きしめていいとわかるのよ」しんどい思春期を過ごした自分を抱きしめてあげられる自分であろうと思える曲。

羊文学の曲は、音楽も耳馴染みよくて口ずさみたくなるんだけど、なんといっても歌詞が本当に良い。すごく文学だ。幸せであるために生きようという気持ちになれる。地続きだけど今ではない過去を許したまま置いておける気がする。

そんなこんなで羊文学初心者なので、おすすめの曲やMVがあったら教えてください。

 

今日は都内で美容室を予約していて、終わった後に近くでやっていた内藤礼「生まれておいで 生きておいで」に行ってきた。(内藤礼 生まれておいで 生きておいで | エルメス - Hermes | Hermès - エルメス-公式サイト)めちゃくちゃよかった!

内容に触れるので、行く予定のある人は読まずに体験してきてください。

 

吹き抜けになっている8階と9階を利用した展示で、開放感があってとても居心地がよかった。言語化が難しいのだけど、「作品のあるギャラリー空間」ではなく「空間に作品と人がある」という感覚になった。物理的に小さいサイズの作品が多い上に足下や天井付近にも作品があって、平面的な鑑賞では全てを見つけきることができない。8階をなんとなくまわった後、9階に上がることで初めて作品の立体的な配置に気付かされ、もういちど8階をまわって新しい発見をする。作品自体もかわいくて楽しいけれど、そうやって視点の推移を誘導されて新しくなにかを発見していくことが気持ちよくてとても楽しい展示だった。

一番好きだったのは一対の合わせ鏡が会場中にたくさんある「世界に秘密を送り返す」という作品。それは地面と天井だったり、壁と壁だったり、いたるところに設置されていた。地面と天井の合わせ鏡の地面の方が壁に光を落としていて、作品をのぞき込もうとすると自分の影で光の投影が消える。フォーラムという空間に放り出された秘密という名の光は、だれかが途中で触れると消えてなくなってしまうようだ。8階の鏡は一方向だったけど、9階の鏡は二方向からライトアップされていて、自分の動きにあわせて光や影が違う場所にあらわれたり隠れたりするのがすごく面白くて綺麗だった。9階奥にある同作品は壁の中の小さな鏡で、対となる窓側の鏡に自分が映り込むと鏡が黒く見え離れると白く見えるのが先ほどの壁に投影された光と相似しているようだった。

30分もかからずに回れるし入場無料なので、気になった方は是非行ってみてください。そして合わせ鏡の光で遊んできてください。

 

明日から一週間がんばったら二連休が待っている。楽しみな用事もある。

部屋の掃除もすすめたい。10月中に、友達を呼べる部屋にする。

 

そうだ、今月の目標を考えたので、宣言しておきます。

①部屋を綺麗にし、人を呼べるようにする

②汚い言葉や強い言葉を使わないようにする

文学フリマの本の中身を1/3くらいは作る

④ドラムで一曲形にする

 

よくばりすぎ?

どうかすこやかやすらかに

スマホでブログ書くの超久しぶりかも。

 

昨日はかなり遅くまで仕事してたから、今日は午後休をとった。午後休といっても、電話番みたいな仕事があるからチームの午前休みの人が来るまでは帰れない。結局、14時前くらいまでは働いていた。

着替えてからもしばらくはパソコンでスライド作りをしていた。月末におしごと発表会のようなものがあり、練習発表会が来週なので、それに間に合わせないといけない。夕方までやって帰ろうと思ってたけど、さすがに眠いし、半休とってまでなんでこんなことやってんだって悲しくなったので途中で切り上げて映画に行くことにした。パワーポイントもエクセルもぜんぜんわかんないよ。

 

一旦帰宅し、「忘れらんねえよ」のTシャツとチェックのずぼんに着替えて家を出る。行くのはいつも過疎ってる映画館なので誰に見せるわけでもないんだけど、こういう気合いは大事だと思ってる。観に行く映画はすごく楽しみにしてた「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」。主人公の女の子が過去作で着てたのと同じTシャツで映画を観るんだぜ。

 

映画、めちゃくちゃよかった。「殺しが生き甲斐ではないけれど、仕事としてそれなりにできるから生きていくためにやってる、むしろそれしかできない」という主人公の生き方にどうしても自分を重ねてしまう。個性豊かな殺し屋たちそれぞれの中に少しずつ自分の一部分があって、発される言葉や構築される関係性のひとつひとつが宝物になったり絆創膏になったりする。時には傷口に擦り込まれた塩のようになることもある。笑って「痛え〜!」って言えるくらいの傷もあれば、痛すぎてしんどい傷もある。今作は、過去作よりそういう部分がさらに丁寧に作られていたように感じた。

ドラマ「ベイビーわるきゅーれ エブリデイ!」で日常パートは思う存分摂取できていたので、映画はアクション多めだったけど日常とアクションの比率がちょうどよく感じた。このシリーズ、アクションすごいってよく言われるけど、本当にアクションすごい。な、なんじゃこりゃ〜!ってなる。アクションも過去作より格段に面白くかっこよくなってる。

もともといるキャラクターもみんな大好きだし、過去作からゆるやかに変化していく関係性も本当に最高だけど、池松壮亮前田敦子演じる新キャラもすごく良かった。

過去作も観た方がいい?と言われたらそりゃ観てからの方が絶対にいいけど、かっこいいアクションシーンはでっけえ画面で没入して見た方がいいので時間ないなら先に今作でもいいよ!って思う。う〜んいやでもやっぱり過去作観てた方がより感情持ってかれるから、時間作って過去作から観てほしい。逆に会話劇よりアクションが好きな人は今作からの方が入りやすいかもしれない。みんなにベイビーわるきゅーれ好きになってほしいな。もうすでにたくさんの人が大好きだろうけど、もっとたくさんの人に好きになってもらって、ずっと続いてほしい。

 

映画観た後、誰か誘ってシチューかカップヌードル食べよ!ビールのも!って思ったけど、唐突に誘って来てくれそうな近場の人なんてほとんど思い浮かばないし、来たとてその人がベビわるを観ていない場合映画の話ができないのがしんどすぎるからやめた。歯ぁ食いしばりながら友達に「おいおいベビわるやばすぎない!?」ってラインしたら「感想言いたいお化けだ」って返ってきた。よくおわかりで。

帰り道にハンバーグ屋さんを見つけて、シチューの口は簡単にハンバーグの口に変化した。炙られた岩の上で自分で種を焼くスタイルのお店だったから、髪の毛がめっちゃ焼肉の匂いになった。これはこれでよいです。

 

帰宅し、なんとなく自分を甘やかしたい気持ちになって、お風呂に浸かることにした。こないだの誕生日に友達に貰ったSABONの頭皮のスクラブと、去年の誕生日に友達に貰ったSABONのボディスクラブを全身に塗りたくってザリザリマッサージする。お湯で流して、シャンプーとボディーソープで全身を洗って、かなり前に美容室で貰ったミルボンのトリートメントと、去年おまけで貰ったTHREEのパックを使ってみた。そのまま湯船に浸かり、Spotifyでdaily mix1を流しながら羽田圭介の「ファントム」を読む。高校の時に好きだった人がおすすめしてくれた本で、FIREのために株式売買を行う人の話だった。税金とか社会保険とか積立とか株式とかめちゃくちゃ苦手で必要最低限のことだけやってる(しかもちゃんとやれてない)かんじだから、全然知らない世界の話で面白い。薄くてすぐ読み終わりそうなのも嬉しい。啓発されて、つみたてニーサのためにマイナンバーカードをちゃんと作ろうかな、という気持ちになってきた。

 

適当なところで本とスマホを外に出し、トリートメントを流して浴室から出る。パックをはがすと顔がいい感じにテカテカして、頬がもっちりしっとりしていた。髪に洗い流さないトリートメントを行き渡らせていたらいつもよりしっとり重く感じた。床に座り込み、レモンの香りのボディクリームを塗り込む。スクラブのおかげか、やたらすべすべしている気がする。無駄に肌を撫でてしまう。

スッキリしたところでスライドでも作るか、と思ってパソコンをリュックから取り出したら、コンセントを職場に置いてきてしまっていることに気づいた。パソコンの充電もゼロになっていて起動すらしない。ブログも書きたかったのにな〜、と思いながら、スマホを取り出して今日のことを書き始めた。頭上でそよぐクーラーが涼しい。

お風呂で流れた三浦透子の「風になれ」を聴いて、映画「そばかす」も久しぶりに観たいな〜って思ったけど、もうすぐ夜半に差し掛かるからやっぱり寝ることにする。最近のわたしは、早く寝たり、お風呂に入ったり、部屋を片付けたり、以前よりも自分を大切に扱えている気がする。まあたぶん、この後もうちょっと本を読んじゃうだろうから多少の夜更かしは予想されるけれども、それでも昔よりずっといい。

このまま、このままが続きますように。

こころまで散らからないで

 

部屋をきれいにしたい。

わたしは片付けと掃除がめちゃくちゃ苦手で、部屋はだいたい散らかっていて汚い。職場の机やロッカーも汚い。人が泊まりに来る予定ができたり恋人ができたりすると人を呼べるレベルに一時回復する。でも来訪の予定がなくなるとすぐ元に戻る。

今の汚さは、親友や部屋汚仲間(へやきたななかま)になら見られてもいいけど申し訳なくて泊めることができないレベル。中学時代の部屋を10とすると7くらい。

言いわけとホコリに埋もれていく - フープフラフープ←この時はたぶん8くらい。

ぎり人を呼べるのが4くらいで、好きなひとを呼べるのが2くらい。これは散らかりレベルであって綺麗レベルではないので、0がやっと「普通の部屋」だと思ってほしい。いまだかつで我が家が0であったことは一度もない。

 

二日前、部屋にクモが出た。巣を作るタイプのクモではなく、ぴょんぴょん跳ねて害虫を食べてくれる系のクモだった。捕まえようとしたけど逃げられてしまった。その後三回遭遇して、三回目に綿棒のケースとクリアファイルで捕まえて部屋の外に逃がした。益虫だからいてもらってもよかったんだけど、服の間とかから潰れて出てきたらめちゃくちゃ嫌だからご退場いただけてよかった。

だけどきっと部屋をきれいにしないとあの子はまたうちに来るだろうし、次はクモよりもっと嫌なものに遭ってしまう可能性が高い。それだけは避けたい。今、ぬらっと光る体と触角のことを想像してぞわっとした。数年以上遭ってなくて耐性もないから、まじでそれだけはほんとうに勘弁してほしい。やっぱクモ逃がさなきゃよかったかも。

 

というわけで昨日から部屋の掃除をがんばっている。一日で全部綺麗になるのが理想だけど、そんなの無理なので1日1カ所を目標にやっていきたい。昨日は玄関・キッチン・洗面所がきれいになった。今日はお風呂をきれいにした。

きれいになったのがすごく嬉しいので、どうだったのがどうなったのか記録していく。

 

①玄関

・靴箱の下にあったハンガーの入った袋を処分して、ハンガーを物干し竿に移動した。金属もついてるから捨てるなら燃えないゴミ?よくわからなくて物干し竿にぶら下げっぱなし。

・玄関の髪の毛を拾って捨てた。

・靴を靴箱にしまって、履かないVANSのスニーカーを一足捨てた。

・段ボールはゴミの日が遠いのでそのまま壁にたてかけておいた。来週絶対捨てる。

→ゆったり靴を履くスペースができて嬉しい。

 

②キッチン

・なぜかキッチンにあったBUMPのDVDの段ボール(めっちゃでかい)を開封してリビングに移動した。

・食べないお菓子を全部捨てた。

・薬が入っていた段ボールを捨てて、整理してカゴに入れた。

・掃除道具をまとめて置き場を作った。

→キッチンが広くなって嬉しい。使ってない掃除道具がたくさんあったから今回の掃除で使うことにした。

 

③洗面所

・物を全てどかして水拭きした。戻す時に、ぐちゃぐちゃにならないよう整理して戻した。

・排水溝の髪の毛をとって、歯ブラシで奥まできれいにした。

・化粧品は一軍だけ洗面台に置いて二軍未満はワゴンに片付けた。

・きっと二度と使わない口紅を5本くらい、ファンデーションを3つくらい捨てた。

・旅行で使う系の物はでかポーチに全部詰めた。

・洗面台下の物入れにストックする系のものを整理して入れた。

・床の髪の毛とほこりを掃除機でめっちゃ吸って水拭きした。

・ワゴン2つのうち1つをリビングに移動して、ワゴンがあったところに洗濯物カゴを移動した。ワゴンに乗りきらないものは捨てた。

・洗濯機のまわりのほこりもできるかぎり拭き取った。

・洗濯機の洗剤入れをきれいにした。

→洗面所が広くなって、トイレのドアがかなり開くようになって嬉しい。

 

④お風呂

・鏡のうろこは取れなかった。1年分のうろこだから、これはちゃんと調べてやらないと厳しそう。

・スポンジで浴槽を軽くこすった。

・排水溝の髪の毛をとって歯ブラシできれいにした。

・床の汚いところもこすってきれいにした。

→シャンプーが置いてあるところをきれいにするのを忘れた!鏡のうろこと併せて次回の課題にする。

→お風呂掃除は体にいろんなものが跳ねて付くから一番いやな気持ちになる。終わった後、肘までと膝までをよく洗って着替えたけど、なんとなくまだ嫌なかんじ。

→お風呂の排水溝について言いたいことがある。中の方のパーツは形が単純で少しこすっただけですぐに汚れが落ちるからとても楽なのに、いちばん外側のフタみたいなパーツがひどい。汚れはそれなりに落ちやすいけど、やたら複雑で細かい形をしていて、歯ブラシでこすってもこすってもまだこする余地がある。おまえそんな細かく区切られる必要あんの!?全部中のパーツみたいにすればいいのに。

→お風呂掃除は別に嬉しくなかった。どこも広くなってないし、どうせまたすぐに汚れるから。

 

こうやって書くと、他の場所のモチベーションも上がる気がする。

今回は「物を減らして部屋を広くする」がテーマなので、捨てられる物は捨てているんだけど、とりあえずでリビングに移動した物がそれなりにあって、そのせいでリビングが狭くなってしまった。はやくリビングきれいにしたい。

明日からしばらく予定があるから、次のなにもない日にトイレきれいにして、その後はリビングに取りかかる。今月中にどうか、部屋、きれいになってくれ・・・。

 

掃除のお供は昨日も今日もカネコアヤノだ。カネコアヤノが流れていると、他の誘惑に負けずに掃除ができる。なんとなく「生活が苦手な人の生活」の象徴というか、そういうかんじがするから。生活ができていない人じゃなくて、苦手な人の生活。わたしもそうなりたい。苦手なりに生活をやりたい。

音楽のよさって、何度も流れて頭に居着くうちにいつの間にかわかってくるってことが多い。聴いてすぐ「好き!」ってなることが、最近はかなり少なくなった。音楽ってともだちに似てる。何度も会ううちに、最初はわからなかったことがわかったり、居心地が変わったり、気付いたら一緒にいる時間を「うれしい」と思うようになっている。聴きたくなることはあっても、聴かないと生きていけないわけじゃない。なにかをしたとき、思い出したとき、特別に聴きたくなる曲がある。会いたくなる人がいる。カネコアヤノの音楽は、そうやってわたしとともだちになってくれた。今までなんとなく聴いていた『タオルケットは穏やかな』の曲たちは、この掃除期間ではっきりと好きになった。

 

「ともだち」についての作品を最近いくつか読んだり観たりした。

前回の日記でも書いた千早茜の『男ともだち』は、久しぶりに再会した学生時代の男友達との関係性を描いた本だった。張り詰めた緊張感と危うさが最後まで続いていて、ページをめくる手が止まらず一気に読んでしまった。フィクションで「関係性のゆくえを見届けるのが怖い」と思ったのは初めてだった。人とわかちあえないものを抱えた人の生き方を肯定してくれる本でもあって、最終章のとある言葉にわたしはとても元気づけられた。すごく大切な本になった。

野木亜紀子脚本ドラマの『獣になれない私たち』は行きつけのバーの飲み友達との話で、恋愛ドラマというていをなした「友達と連帯」のドラマだった。主人公と男友達の関係性を軸に、まわりの人たちとの関係性もゆるやかに変化し連帯していく。「女と男」「彼氏と彼女」「元カレと元カノ」「母と子」「職場の同僚」であるその前に、人と人がいるドラマだった。恋愛のある生活や関係も、恋愛のない生活や関係も、両方とも等しく肯定してくれる。許せないこと、悔しいこと、どうにもならないこともたくさん描かれていて特に序盤は観るのがかなり辛かったけど、完走して本当によかった。これもすごく大切なドラマになった。あと松田龍平がめちゃくちゃかっこいい。

以前読んだ向坂くじらの『いなくならなくならないで』も友達の話だったけど、これはあまり刺さらなかった。友達というには距離が近すぎて、友達の話というよりは自他の分離の話だと思った。メンタルヘルス的な側面の強い作品は、長く触れていると疲れてしまう。映画『ナミビアの砂漠』もそういった面が強くてすごく疲れた。

 

友達の話、もっと読みたいし観たいなあ。友達がテーマの作品があったらぜひとも教えてください。

たいせつをあげる

 

コロナに罹患していたせいでドラム教室が一回飛んで、木曜が一ヶ月ぶりの練習になる。その間家で全くスティックを握っていなかったから、前回と次回でたぶん全く進捗がない。せっかくやると決めてお金をと時間を費やして始めた趣味なのだからちゃんとやりたいと思って、仕事が終わってすぐに近所のスタジオを予約した。退勤して、予約時間までベローチェナポリタンを食べてカフェオレを飲んで過ごした。おかわりしたらカフェイン過多になって、あとあとから胃が痛くなった。

 

久しぶりのドラムの練習はすごく楽しかった。まだまだ初心者だから、ドラムを叩く度にできることが増えていく。毎月一回はスタジオに入って成果を録画しているけれど、まだド初心者なのでかなり恥ずかしい。でも進捗を定期的に形として残すことってきっと大切なことだから、いつもTwitterにアップロードしている。いいねがくると嬉しい。

練習中、鏡を正面に置いてみたら自分の顔が老けすぎていてびっくりした。寿命が近い沼の魚みたいな顔をしていた。これはやばいと思ったので、今日の残りの時間で自分をねぎらうことにした。

 

まずはお風呂。湯船に浸かるのは結構好きなんだけど、浴槽の掃除が面倒なのと時間がかかるので自宅では滅多に浸からない。だからお風呂は特別。お風呂に入るだけで嬉しくなれる。入浴剤だけはたくさんあるから、選ぶところから楽しい。パッケージの黄色がかわいかったから、「週末のレモネード」という入浴剤を選んだ。

「おふろ自動」ボタンを押してお風呂が沸くのを待つ。お風呂が沸く。「お風呂が沸きました!」とお風呂が言う。お風呂に入る。

入浴剤は粉タイプではなくて、紙パックに中身が入っていて紅茶のように煮出して使うようになっていた。見た目は完全にかつおぶしパックで、大きな鍋で黄色い出汁をとっているみたいだった。

 

ぬるいお湯に胸まで浸かって千早茜の『男ともだち』を読む。首を、肩を、背中を、なでるように垂れていく汗が心地よい。時折、給湯口からゆるやかに流れ出る温度の違う水が湯船をかきわけて体をなぞる。

 

ここ数ヶ月、職場の他部署の同期とその部署の人と月1くらいで飲むようになった。入職時の研修で1ヶ月一緒だった人で、友達ではなく同期、という距離感の人だった。7月にその人の家で飲んだ時に、大きなテーブルに単行本が散らばっているのを見てわくわくした。読書がしたいと思った。本が欲しいと思った。その日から読書の時間が増えた。先週飲んだ時におすすめの本をたずねて、『男ともだち』を推薦してもらった。

千早茜の言葉の選び方はすごくわたし好みだった。漢字のひらき方と擬音語・擬態語の使い方がしっくりくる。同じくおすすめしてもらって読んだ『あとかた』はそんなに刺さらなかったけど、『男ともだち』は心に残る言葉もあって、ページをめくる手が止まらない。章立てされていなかったら終わるタイミングがないことを言い訳にして永遠にお風呂で読書を続けていたと思う。

「傷のある人とじゃなきゃ仲良くできないわけじゃない。人はわかり合えないということを知っている人といる方が気持ちが楽なのだ。」

 

章がひとつ終わる頃には文庫本が少しやわくなっていて、頭もぼうっとしてきたから湯船からあがることにした。特別な時に使ういいにおいのボディーソープで体を洗って出ようと思ったけど、シャンプーもしちゃった方が絶対に気持ちがよくなると確信して頭も洗ってトリートメントもつけた。その後にボディスクラブがあることを思い出して膝から下に塗りたくった。洗い流してもう一度体を洗って、顔を洗って、ふかふかのタオルで水気をすいとった。とてもすっきりした。

顔にいろいろ塗って、カミソリで顔のうぶ毛を剃って、髪にいろいろつけて、ドライヤーの冷風で乾かした。ちょっとだけしっとりするくらいまで乾かしたら、誕生日に母が送ってくれたレモンのボディクリームがあることを思い出して体に塗った。父からのプレゼントのブラシのことも思い出して、申し訳程度に髪をとかした。とかしながら、今日使ったあれやこれやのほとんどが誰かからのいつかのプレゼントだったことを思い出した。自分をいたわるための物をプレゼントにするってすごく素敵なことだと思った。

 

いつだったか、自分の甘やかし方をいろんな人に尋ねたことがあった。(

健康な体があればいい - フープフラフープ)その時に教えてもらったホットアイマスク×音楽鑑賞がとてもよかったから、今日もそうすることにした。イヤホンをして聴くのは友達が作ってくれたSTUTSのプレイリストだ。「STUTSのおすすめを教えて」ってラインしたら秒で作ってくれて、こいつはなんて最高なやつなんだ!と思ったことを聴く度に思い出す。クーラーを強くして、使い捨てのアイマスクを目にのせて、ベッドに沈んで、しみこませるように音楽を聴く。いつの間にかちょうどいい眠気が併走していて、「これって寝る前にやるやつじゃないか・・・?」と気付いて、一回起きて洗濯物を干して、胃薬を飲んでノートパソコンを持ってベッドに戻ってきた。

ここまで驚くくらいすらすら言葉が出てきて、あっという間に日記を書き終わった。この後は、またホットアイマスクをして、プレイリストの残りを聴いて眠る。

お土産買ってきたよ!

BUMP OF CHICKENのツアー Sphery Rendezvous ベルーナドーム2daysに行ってきました。最近発売した『Iris』のアルバムツアーで、もうほんとすごくてものすごく楽しい2日間だったからブログが書きたくなった。とってもネタバレがあるし、好きじゃない人には意味わからないと思うし、自分の話ばっかりです。このバンドのことを話そうと思ったらどうやっても自分の話になっちゃうよ。

 

今まで一緒にBUMPのライブに行く友達がいなくて、母親が好きだから協力してチケットを取って行って、いつも会場で解散だった。でも今回は、最近仲良くなった他部署の同期の人が「車でいっしょに行こうよ」って誘ってくれて、帰り道にプレイリストを流して口ずさんだり、居酒屋でライブのことをたくさん喋ったり、そういうことができてめちゃくちゃ楽しかった。ライブのセットリストとか、どこで観たとか、どういう演出だったとか、そういうのいつも忘れちゃうんだけど、昨日と今日のことはたぶんずっと覚えているんだろうなと思った。

 

今まで遠慮気味だったチャマのMCが復活して、4人がとても仲よさそうに楽しそうに演奏していて、そして何より歌にこめられた気持ちが声や音を通じて伝わってきて、やっぱり今回も泣いてしまった。絶対に泣かないと思っていた曲や飽きるほど聴いた曲で涙が流れたことにとても驚いた。別に特別好きではなかった曲が特別な曲になった。

 

 

最近のBUMP OF CHICKENの曲たちに感じていることと一年前にシンエヴァに感じたことの性質はたぶん同じもので、思春期の自分に寄り添ってくれた存在がわたしを置いて先に行ってしまったような感覚なのだと思う。

新しく変わっていくひとやものを、無理に好きになろうとしたり受け入れようとしたりしなくていい。バンプエヴァに置いて行かれたのではなく、ただちょっと先で待っていてくれていただけだと思うから。これからもゆっくり後ろを歩いていけばいい。

2年前、『Silver Jubilee』というライブに行く日のブログ(黄色い花を飾ろうよ - フープフラフープ)でこういうことを書いた。

電車の中で、ライブに向けて新しい曲を聴いている。天秤が掲げた方を捨てるしかなかった藤原基央が「正しさは変わりゆくし、自分がそれに当てはまらなくてもいい」ってかんじの歌詞を書いている。そりゃ、取るもんな、歳。歳取ったらいろんなことがあるよね。たくさん経験してたくさん考えて、いろんな許しを得ていろんなものを許したんだろうな。

これは『なないろ』のこと。”相変わらずの猫背でもいいよ 僕が僕を笑えるから”という歌詞に「わたしはまだ笑えないよ」って思ったことはよく覚えている。あんまり自分のことを許せてなかった頃のわたしが書いた文章。

つまり最近の曲にハマれなかったってことなんだけど、『Iris』はどうやらそうはならずにお気に入りの曲ばっかりで聴くのがとても楽しい。『なないろ』もアルバムになって聴いたら、というより2年経って聴いたらめちゃくちゃ好きな曲になっていた。たぶん、自分の許し方がちょっとわかるようになったからだと思う。

そうはいっても許せただけで嫌いなままの部分はまだ全然あるからおとといみたいにだめになっちゃうこともあるんだけどね。相変わらずの猫背でもいいかい?腰に負担かからない程度ならいいよ~!

 

『記念撮影』は大学生の頃にリリースされて、卒業式の曲だと思ったからいつも高校時代のことを思い出しながら聴いていた。だけど今日はそうじゃなくて、4年前に職場の後輩たちと約束もせず毎週のように鍋を囲んで映画を観ていた季節のことを思い出していた。職場の人だけど仕事の話をしなくていい、目的も理由もなく好きなものの話だけしていていい魔法みたいな場所だった。その後輩は自分が迷子でどこに行けばいいかわからないっていう歌をうたっていた。迷子のままでも大丈夫らしいよ。もうみんな職場が変わってしまったから二度とこんな時間は過ごせないけど、すごく楽しそうな写真をiPhoneがたまにおすすめしてくるよ。

 

『飴玉の唄』は高校時代にコピーした思い出の曲。当時はアップテンポの曲の方が好きだったからやりたいと言った友達に「なんで飴玉なんだ」と思っていたけど、今思うと高校生でこのチョイスは渋いしハイセンスすぎる。ベースすごく複雑に動くのにチャマがめちゃくちゃ頭振ってて「すげ~」って思ってたら、Cメロで意味わかんないくらいえぐい歌声が現れて自分今ここで死ぬのかなと思った。「できるのかな ・・・・・・無理だろうな」でみんな同じように心臓刺されてる絶対。間違いなくday1のベストアクトだった。

 

『strawberry』の歌詞に「窓もない部屋」という言葉が出てきて、『太陽』の後の歌だ、と思ったけど、それを後ではなく前に演奏したこと。すごいよね。今まだ『太陽』の中にいる人のための順番だと思った。出れたらもう戻れないはずの部屋にわたしはたまに戻ってしまうから、というか金曜に窓のない部屋に吸い込まれちゃったから、この順番にしてくれてありがとうって思った。

”かくれんぼしてた”のパート、今まで突然のかくれんぼの意味がわからなかったんだけど、今日のライブで見つけてほしかったんだってことがやっとわかった。見つけてもらって部屋から出たかったんだね。自分から隠れたくせにね。わかるよわたしもそうだから。

このライブの締めくくりが『窓の中から』なのもすごくいい。結局自分の中からはどうやったて出られないんだから、壊れたドアノブをひねるんじゃなくて好きな大きさの窓を作ったらいい。外から見られるのが怖くなったらいつだってカーテンで覆えるから大丈夫。自分でいるままで生きていく方法はちゃんとある。ライブの最後にこの曲をみんなで歌ったのが本当に尊い時間で、ああここに来てよかったのだと思わせてくれた。

 

『レム』2日間やるんだ~!!!!!!!!!

day1でイントロ流れた時にまさかすぎてかなりくねくねしてしまった。ベストアルバムみたいに全曲が主役のアルバム出しといてそのツアーでレムやるんだ。レムやるんだ~!!!!こんなの中高時代の自分すぎてピェ〜ってなりながら聴いてた。まわりの人もみんなピェ〜ってなってた。

 

『SOUVENIR』では画面に落ちゲーのように歌詞が降りてきて、下の方で崩れて山になっていく演出があった。歌詞をじっくり読みながらライブを観ていたら、3年前に「あなたはこういう人だからこうやって生きるといいよ」と、自分の見つめ方を教えてくれた人のことを思い出した。どうしてそんなこと教えてくれたの、と聞いたら「だってすごくつらそうだったから」と言っていた。軽やかで愉快で、会う度に旅行のお土産をくれるその人にぴったりの曲だった。あなたに向かう道を、いつも急いで遅刻してごめんね。あなたがいたからわたしは今心から笑える日がいくつもあるよ。

 

『アカシア』のタイアップ最高だったな。聴く度にポケモン剣盾のことを思い出す。タイアップばっかりって言うけど、タイアップってタイアップ先のファンからすると最高だよね。好きな物のことを好きな人が歌っているんだから・・・・・・。

そういうわけで『クロノスタシス』を聴くと『劇場版名探偵コナン ハロウィンの花嫁』のクライマックスシーンを思い出していつもにやにやしてしまう。こんなしっとりした曲があのトンデモ映像の後に流れてくるのどう考えてもおもしろすぎるんだよ。

同じ理由で『邂逅』のときもにやにやしてた。

 

『天体観測』と『ray』が1日ずつ演奏されたということ。BUMPの代表曲がうつりかわっていくこと、昔は寂しかったけど今は全然寂しくない。『ray』の「生きるのは最高だ」のシンガロング、いつもここで泣いてしまう。生きるのは最高だってところに辿り着くまでに重ねてきた数えきれない最悪に思いを馳せてしまう。その最悪を最悪なまま抱えていけるようにしてくれるのがBUMPの音楽なのだと思う。

 

『カルマ』はいつもライブでやる度にカルマ警察の友達が怒っているから、イントロ流れた瞬間からずっとにやにやしてた。ライブの後にラインしたら案の定怒っていておもしろかった。そしてわたしはこのタイアップだけは許してないよ。テイルズオブジアビスのネタバレしすぎだよ!!!ゲーム中盤で全部察したよ!!!

 

『You were here』をこんなに最高のライブのアンコールでやるのはめちゃくちゃずるい。わたしはチームラボの演出やピックスモブがあんまり好きじゃなかったんだけど、2023年の『be there』で初めて「ピックスモブいいなあきれいだなあ」って思えた。そんで今回、この曲を聴きながら、ピックスモブって演奏者側のためにもあるものなんだなって思った。わたしがここにいることが、光があればよくわかるから。あれだけ「俺ときみの1:1だ」って言ってくれているのだから、そう思ったって傲慢じゃない。

 

ガラスのブルース』なんて何度も聴いたし「またガラスか~」なんて思いながら耳を傾けていたけど、「生まれてきたことが意味になるのさ」という歌詞変更と最後のサビの前のシンガロングで泣いてしまった。だって今回のライブ、生きろという思いのこもった歌ばっかりだったから。「どうして体は生きたがるの」「心臓が動いてることの確かな理由を」「たいして好きでもないでも繋いだ毎日」「だから私は生きている」「ちゃんと生きてからにしろ」「魂がここがいいと笑う」「ノルマで生き延びただけのような今日を」「仕事を止めない心臓」「いつの日か止まる鼓動を」「生きるのは最高だ」の最後が「生まれてきたことが意味になるのさ」なのは、生きるという問いへの最高のアンサーだ。

 

うわあもうこんな時間だ。夜中だ。寝よ!

朝になればまたわたしになる

 

 

書くことはケアに似ているな、というか、わたしにとっては書くことがケアになっているな、と思う。思考を言葉に換えていくことで、自分が何に怒っているのか、どこにどういう感情を向けるべきなのか、そういうことがぼんやり形になる。なんでこんなにしんどいんだろうって理由がわからないことが一番つらいから、しんどさの形をなぞるのは痛いけど、そうするのがしんどくなくなる近道な気がする。いやしんどいままかもしれないけど、その理由がわかればうまくしんどくなれるんじゃないかって思う。

 

ブログは読もうと思っている人しか読まないから、暗い話はできるだけブログの中だけにとどめておこうとしているけれど、最近は辛いことが多くて衝動的に暗い話もツイートしてしまう。わたしは辛いんですよ、ということを知ってほしいのかな。Xのフォロワーさんたちは、言葉を使わなくてもいいねでコミュニケーションがとれるし、知らないけど知っている人たちだから、距離感がちょうどよくてつい甘えてしまう。

 

今日しんどい一番の理由は、たぶんホルモンバランスの変化なのだ。大丈夫な月もあるけど、だめな月は月経の前日くらいに本当に苦しくて死にたくなる。わたしは今のところ子どもは産みたくないと思っているから、それなのに自動的に毎月悲しくなって出血して腹痛で丸まって眠ることに腹が立つし、その意味のなさに虚無感がわく。28日なんて短すぎる期間の中の7日という長すぎる日数、毎回トイレにこそこそポーチを持って行かなくちゃいけないのがむかつく。だいたい月経って、生理ってなんだってんだって。月を経る。生理現象。うるせ~

そんなホルモンの変化にいいように踊らされてまんまとしんどくなっている夜に文章なんか書き始めてしまったら止まらなくなるに決まっている。今週全然寝てないから今日は早寝したかったのにね。

 

今日、壁挟んで隣のブースから2年目の後輩の女の子が怒鳴られる声が聞こえてきた。移動するふりをして様子を見に行ったら、おじさんが「おい黙ってちゃわかんないだろ、どうしてくれんだよ、訴えるぞ」みたいなことを怒鳴っていた。黙らせたのはてめえだろうがよ、って思ったけど、通り過ぎることしかできなかった。わたしが2年目の時、おなじくらいの年齢のおじさんに、目と鼻の先で物をばんばん叩かれながら怒鳴られたことを思い出した。スタッフを呼んで、いったん間に入ってもらっておじさんがはけた。おじさんがいなくなってから、後輩は少しだけ泣いて状況を説明してくれた。後輩は悪くなかった。八つ当たりをされていた。人前で泣くの我慢してほんとうに頑張ったね、と思ったけど、それを言ったらもっと泣くだろうから言わなかった。結局、見た目の強そうな男性スタッフが時間外なのに代わりに対応してくれた。隣にいたのに怒鳴られるのが嫌で「わたしが代わりに対応するね」って言えなかったことが申し訳なくて後ろめたかった。おじさんは男性スタッフと静かに話していた。この人の心臓が今すぐ止まればいいのになって思った。デスノートがほんとうにあったらいいのになって思った。なんでわたしたちが強くならなきゃいけないんだ。だれかの威力に屈しない強さを得るための努力を、どうしてわたしたちがしなくちゃいけないんだ。仕事で理不尽なことがあると、偉い人は「みんな通る道だからね、経験して成長したね」と言う。みんなが通っていたら、わたしたちも我慢して通らなくちゃいけないのか。通らなきゃ成長できないのか。理不尽な目に遭った時、男性が感じる恐怖と女性が感じる恐怖は、ほんとうに同じ道にあるものなのか。

 

帰り道、人通りの少ない道で少し背の高い筋肉のありそうな男性とすれ違った。近寄られたら逃げられるように、10秒くらいの間体を固くして歩いた。この人がわたしを殺そうと思ったら簡単に痛い思いをさせられてしまうのだということがとても怖かった。言い返してこないから好きなだけ罵声を浴びせていいと思っているおじさんが当たり前に存在しているのなら、殴り返されなさそうなら好きなだけ暴力を振るってもいいと思っている人もそのへんにいる気がしてしまって、すごく怖かった。わたしは空手をやっていたけど、やっていたからこそ、自分が弱いことを知っている。男の人とも一緒に練習していたから、男の人には絶対に力で敵わないことを知っている。逃げなきゃ絶対に負ける戦いが勃発する可能性がゼロではない世界。不意打ちで即死攻撃してくる敵が低確率だけどいるダンジョンになんて潜らなくていいなら潜りたくない。現実じゃセーブもロードもできやしないのに。

 

昨日、川上未映子の『夏物語』を読み終わった。精子提供、血のつながり、反出生主義、女性の連帯と対立、男性性の暴力性、産むことと生まれること、育てること、他にもたくさんの事柄をテーマにした本だった。わたしにとってはかなり分厚い本でけっこう体力を使ったけど、子どもを持ちたくないことに本当は自信が持てていなかったから、読んで本当によかった。自分が子どもを持ちたくない理由が少し整理できた。わたしが衝撃を受けたのは終盤の公園のベンチでの会話だったけれどそれは置いておいて、『夏物語』という「力のある人の威力」も扱った作品を読んだ直後だったから、今日のわたしはむかつくことに遠慮がなくなっていた。むかついていいんだよ、と言ってくれる作品がもっと増えたらいい。「こんなことで文句言っちゃいけない」とか「自意識過剰なのかも」とか、そういう風に思ってしまう人が、言われてきた人が、「むかついていいんだ」って思えるようになってほしい。むかつけなかった人みんな、ちゃんとむかつけるようになってほしい。映画の『バービー』で、わかりやすく「それみんな嫌って思ってたよ、あなただけじゃないよ」をやってくれて、それで泣いたことを覚えている。高瀬隼子の本も「むかつく」がたくさんあって好きだ。特に『犬のかたちをしているもの』の「割に合わない」という言葉がとてもしっくりくる。今観ている『獣になれない私たち』というドラマも、理不尽やハラスメントへの「むかつく」がたくさん詰まっている。

 

仕事を辞めたい、という話はもうずっと前から言ってるし無理なこともわかったから書かない。本当は書いたけど消した。公開できない。

職場の雰囲気が悪い、という話が出ている。わたしのせいだと思う。学年が上がり、立場が上の方になってきて、調子に乗っていると思う。うざいと思う。怖いと思う。職場の後輩みんなに苦手だと思われている気がするし、上司にも嫌われているのがわかる。同期にはあきれられている。ずるいやつだと思われている。もう人間と関わりたくない。関係のうまれない場所で社会生活を送りたい。ただでさえ仕事辛いんだから、コミュニケーションで生じるしんどさはせめてなくなってほしい。人間関係リセット症候群の人の気持ちがすごくよくわかる。中学でも、高校でも、大学でもそうだった。みんなわたしのことは好きではない。わたしも職場での自分が大嫌いだ。

 

月経前、こうやって生き方がぜんぜんわかんなくなっちゃうくらい頭がおかしくなるの、もう20年くらいやってるはずなのにまだ全く慣れない。明日、BUMPのライブがめちゃくちゃ楽しみなはずなのに、その前の仕事が怖くて全く嬉しくない。こんなに落ち込んでいるのに、生きるために食事をした自分のことをちゃんと褒めて、お気に入りの香水をつけて、寝る。頑張る。