胸がくるしいぜ。
昨日は仕事の後に友達とちょっといい焼き肉に行って、友達の誕生日が近かったからハーゲンダッツでお祝いした。ビールをたくさん飲んでいたから眠りが浅くなって、2時半くらいに寝たのに翌日9時には目が覚めてしまった。友達が夢に出てきた。『めくらやなぎと眠る女』の監督が実はその友達で、ミニシアター(なのにスクリーン10くらいある)のレイトショーに招待してもらって、満員の劇場のいちばんうしろの席で映画を観た。よくわかんないなあって思いながら観て、なんて感想言おうかなって思ってたら目が覚めた。起きる元気はないのに眠ることもできなくて、布団の中で12時くらいまでうとうと過ごした。映画に行こうと思っていたので、Filmarksでいい時間の映画を調べて、『チャチャ』と『ハッピーエンド』に決めた。今観たい映画なんて無限にある。だけど時間は無限にはない。無限どころか、ちょっとしかない。
シャワーを浴びて、ウーバーイーツで届いたなか卯のきつねうどんを啜りながらキングオブコントをちょっとだけ観る。ロングコートダディの採点まで観て家を出た。車で映画館に向かう。来月ライブに行くくるりの曲を流す。
『チャチャ』は大好きな伊藤万理華のかわいさが無限大に発揮されている映画だった。大画面でかわいい伊藤万理華が見られるというだけで大いに価値がある。内容は刺さらなかったというか、ノットヒロインムービーズと聞いていたのでおもてたんとちゃう状態になってしまいうまく入りこめなかった。
その後少し時間があったから近くのホームセンターをうろうろした。寝間着を入れておく場所が欲しかったから、見つけた布のラックを購入。重いけど持てないこともないくらいの大きめの段ボールに入っていて、よたよたしながら近くにあったカートに積んで車まで運んだ。このラックを買うところから組み立てまで全て自分でやったら、とうとうわたしはひとりで生きていくことになるんだな、と思った。カートがコンクリートで細かく揺れる振動が手のひらから体に伝わってきて、ずうっとこうしていたら手がおかしくなっちゃいそうだった。
カフェでサンドイッチと抹茶ラテを摂りながら、仕事のパワポの直しをちゃちゃっと済ませてZINE用の文章を作る。こんなの終わるんだろうか。去年はいっしょに作る人がいたからなんとかできたけど、ひとりで本を作るなんて並大抵のことではない。やっぱり文学フリマで平然と本を売っている人たちは本当にすごすぎる。
『ハッピーエンド』はレイトショーの時間だった。ちょっとネタバレもするかも。
観ている間よりも、終わった後にじわじわとこみ上げてくる映画だった。あれからずっとざわざわして胸がくるしい。言えそうなことはたくさんあっても、意見を言えるほどわたしは賢くないし、ものを知らないし、そういう部分の外側のことだってうまく言葉にできる気がしない。ただ、ゆれる影だけをうつした映像だったり、エンドロール前の一瞬が無限になるような描写だったり、音楽に身を任せて存在が溶け合う瞬間だったり、認めたくない有限に呑まれていく青春の時間だったりを、愛しく思えないわけがなかった。
大好きな友達と友達でいられたのはこの世界線だから?出会うのが早くても遅くても同じ関係性は築けないのだと、最近になって実感している。違う世界でもあなたといっしょにいたいけど、仮にわたしたちの関係性がこの世界線だけのものならば、これほど大切にしなきゃいけないものなんてないって思った。どうしたってわたしたちは時間とともに少しずつ、時に急激に人間性も関係性も変わってゆき、ずっと同じようになんていられない。それは学校という期間限定であることが決まっている空間だけじゃなくて、すべての場所や関係性で起こりうることだ。そういうことを理解していくのがわたしは上手じゃないから、作品の力を借りて改めて言葉にできるのをありがたく思う。
前を歩いていたカップルが映画館のロビーで立ち止まり、立て看板を眺めていた。つられてのぞき込むと、映画館が来月閉館するというお知らせだった。特別思い入れのある映画館ではなかったけど、自分がかつていたひとつの場所がなくなるのはやっぱり悲しい。なくなるなんてこと想像もしてなかったものが、知らないうちになくなるところだった。閉館までに、またもういちど映画を観に来ようと思った。
帰宅してすぐに、買ったラックを組み立てた。少しずつ買い足した収納のおかげで、だんだんと部屋が片付いてきて嬉しい。やっと友達が呼べそうだ。不愉快じゃない部屋だ。もっとアップデートして、帰るのがうれしい部屋にしたい。年内の目標はお花を飾ること。かわいい花瓶とその置き場所を考えなくちゃ。明日もやることがあるから、もう寝なきゃ。