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過去に2回創設されており、第1期は[[エドワード・ハイド (初代クラレンドン伯爵)|エドワード・ハイド]]が[[1661年]]に[[イングランド貴族]]爵位として叙されたのに始まるが、4代で絶家した。現存する2期目は[[トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]]が[[1776年]]に[[グレートブリテン貴族]]として叙されたのに始まる。
過去に2回創設されており、第1期は[[エドワード・ハイド (初代クラレンドン伯爵)|エドワード・ハイド]]が[[1661年]]に[[イングランド貴族]]爵位として叙されたのに始まるが、4代で絶家した。現存する2期目は[[トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]]が[[1776年]]に[[グレートブリテン貴族]]として叙されたのに始まる。
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=== ハイド家 ===
=== ハイド家 ===
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[[エドワード・ハイド (初代クラレンドン伯爵)|エドワード・ハイド]]<small>(1609-1674)</small>は[[清教徒革命]]([[イングランド内戦]])の際に立憲[[騎士党|王党派]]として行動して[[イングランド共和国|共和政]]期には[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]の亡命宮廷に仕え、[[1660年]]の[[イングランド王政復古|王政復古]]後にチャールズ2世の宰相([[大法官]])となり、[[1667年]]の失脚まで国政を主導した{{sfn|松村赳|富田虎男|2000|p=148}}。彼の娘[[アン・ハイド]]は[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]の最初の妻であり、後の女王[[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー2世]]と[[アン (イギリス女王)|アン]]の母である<ref name="CP EC1661" />。
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エドワード・ハイドは王政復古まもない[[1660年]][[11月3日]]に[[イングランド貴族]]爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンの'''初代ハイド男爵'''<small>(Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)</small>」に叙され、ついで[[1661年]][[4月20日]]にイングランド貴族爵位クラレンドン伯爵と「オックスフォード州における'''コーンベリー子爵'''<small>(Viscount Cornbury in the County of Oxford)</small>」に叙せられた<ref name="CP EC1661">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/clarendon1661.htm|title=Clarendon, Earl of (E, 1661 - 1753)|accessdate= 2016-01-11 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p10277.htm#i102769 |title=Edward Hyde, 1st Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
エドワード・ハイドは王政復古まもない[[1660年]][[11月3日]]に[[イングランド貴族]]爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンの'''初代ハイド男爵''' <small>(Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)</small>」に叙され、ついで[[1661年]][[4月20日]]にイングランド貴族爵位'''クラレンドン伯爵'''と「オックスフォード州における'''コーンベリー子爵''' <small>(Viscount Cornbury in the County of Oxford)</small>」に叙せられた<ref name="CP EC1661">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/clarendon1661.htm|title=Clarendon, Earl of (E, 1661 - 1753)|accessdate= 2016-01-11 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p10277.htm#i102769 |title=Edward Hyde, 1st Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。


初代伯の長男第2代クラレンドン伯{{仮リンク|ヘンリー・ハイド (第2代クラレンドン伯爵)|label=ヘンリー・ハイド|en|Henry Hyde, 2nd Earl of Clarendon}}<small>(1638-1709)</small>とその一人息子の3代クラレンドン伯{{仮リンク|エドワード・ハイド (第3代クラレンドン伯爵)|label=エドワード・ハイド|en|Edward Hyde, 3rd Earl of Clarendon}}<small>(1661-1723)</small>は、ともに襲爵前に[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]の[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員を務めた<ref name="CP EC1661" /><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p12806.htm#i128056|title=Henry Hyde, 2nd Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p2930.htm#i29298|title=Edward Hyde, 3rd Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>
初代伯の長男第2代伯{{仮リンク|ヘンリー・ハイド (第2代クラレンドン伯爵)|label=ヘンリー|en|Henry Hyde, 2nd Earl of Clarendon}}<small>(1638-1709)</small> とその一人息子の3代伯{{仮リンク|エドワード・ハイド (第3代クラレンドン伯爵)|label=エドワード|en|Edward Hyde, 3rd Earl of Clarendon}}<small>(1661-1723)</small> は、ともに襲爵前に[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]の[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員を務めた<ref name="CP EC1661" /><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p12806.htm#i128056|title=Henry Hyde, 2nd Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p2930.htm#i29298|title=Edward Hyde, 3rd Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>


3代伯が死去した際、生存している男子がなかったため、クラレンドン伯爵位は初代伯にさかのぼっての分流である第2代ロチェスター伯爵[[ヘンリー・ハイド (第4代クラレンドン伯爵)|ヘンリー・ハイド]]<small>(1672-1753)</small>(初代伯の次男{{仮リンク|ロチェスター伯爵|en|Earl of Rochester}}[[ローレンス・ハイド (初代ロチェスター伯爵)|ローレンス・ハイド]]<small>(1642-1711)</small>の子で3代伯の従弟)に継承された。しかし彼が死去した際にも生存している男子はなく、彼の死去をもって継承者は絶え、爵位は廃絶した<ref name="CP EC1661" /><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p1701.htm#i17007|title=Henry Hyde, 4th Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
3代伯が死去した際、生存している男子がなかったため、クラレンドン伯爵位は初代伯にさかのぼっての分流である第2代ロチェスター伯爵[[ヘンリー・ハイド (第4代クラレンドン伯爵)|ヘンリー・ハイド]] <small>(1672-1753)</small>(初代伯の次男{{仮リンク|ロチェスター伯爵|en|Earl of Rochester}}[[ローレンス・ハイド (初代ロチェスター伯爵)|ローレンス・ハイド]] <small>(1642-1711)</small> の子で3代伯の従弟)に継承された。しかし彼が死去した際にも生存している男子はなく、彼の死去をもって継承者は絶え、爵位は廃絶した<ref name="CP EC1661" /><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p1701.htm#i17007|title=Henry Hyde, 4th Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。


=== ヴィリアーズ家 ===
=== ヴィリアーズ家 ===
[[ファイル:ThomasVilliersEarlClarendon.jpg|サムネイル|225x225ピクセル|初代伯[[トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]]]]
[[ファイル:ThomasVilliersEarlClarendon.jpg|サムネイル|225x225ピクセル|初代伯[[トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]]|左]]
第2代[[ジャージー伯爵]][[ウィリアム・ヴィリアーズ (第2代ジャージー伯爵)|ウィリアム・ヴィリアーズ]]<small>(1682-1721)</small>の次男であり、第4代クラレンドン伯(第1期)ヘンリー・ハイドの孫娘の夫にあたる[[トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]]<small>(1709-1786)</small>は、外交官としてザクセン公使(在職:1740年 - 1747年)、ウィーン公使(在職:1742年 - 1743年)、ベルリン公使(在職:1746年 - 1748年)などを歴任した後、[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の政治家として政界で活躍し、{{仮リンク|イギリス郵政長官|label=郵政長官|en|United Kingdom Postmaster General}}(在職:1763年 - 1765年、1786年)や[[ランカスター公領大臣]](在職:1771年 - 1782年、1783年 - 1786年)などの閣僚職を務めた。[[1756年]][[6月3日]]に[[グレートブリテン貴族]]爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンの'''ハイド男爵'''(Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)」、[[1776年]][[6月14日]]にグレートブリテン貴族爵位クラレンドン伯爵に叙せられた。これが二期目のクラレンドン伯爵位の創設である<ref name="CP EC1776">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/clarendon1776.htm|title=Clarendon, Earl of (GB, 1776)|accessdate= 2016-01-11 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p1701.htm#i17003|title=Thomas Villiers, 1st Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
第2代[[ジャージー伯爵]][[ウィリアム・ヴィリアーズ (第2代ジャージー伯爵)|ウィリアム・ヴィリアーズ]] <small>(1682-1721)</small> の次男であり、第4代クラレンドン伯ヘンリー・ハイドの孫娘の夫にあたる[[トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]] <small>(1709-1786)</small> は、外交官としてザクセン公使(在職:1740年 - 1747年)、ウィーン公使(在職:1742年 - 1743年)、ベルリン公使(在職:1746年 - 1748年)などを歴任した後、[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の政治家として政界で活躍し、{{仮リンク|イギリス郵政長官|label=郵政長官|en|United Kingdom Postmaster General}}(在職:1763年 - 1765年、1786年)や[[ランカスター公領大臣]](在職:1771年 - 1782年、1783年 - 1786年)などの閣僚職を務めた。[[1756年]][[6月3日]]に[[グレートブリテン貴族]]爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンの'''ハイド男爵''' {{Small|(Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)}}」、[[1776年]][[6月14日]]にグレートブリテン貴族爵位'''クラレンドン伯爵'''に叙せられた。これが二期目のクラレンドン伯爵位の創設である<ref name="CP EC1776">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/clarendon1776.htm|title=Clarendon, Earl of (GB, 1776)|accessdate= 2016-01-11 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p1701.htm#i17003|title=Thomas Villiers, 1st Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。


その孫である4代クラレンドン伯[[ジョージ・ヴィリアーズ (第4代クラレンドン伯爵)|ジョージ・ヴィリアーズ]]<small>(1800-1870)</small>もホイッグ党・[[自由党 (イギリス)|自由党]]の政治家として政界で活躍し、[[外務大臣 (イギリス)|外務大臣]](在職:1853年 - 1858年、1865年 - 1866年、1868年 - 1870年)などの閣僚職を歴任した<ref name="CP EC1776" /><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p1392.htm#i13919|title=George William Villiers, 4th Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
その孫である4代伯[[ジョージ・ヴィリアーズ (第4代クラレンドン伯爵)|ジョージ]] <small>(1800-1870)</small> もホイッグ党・[[自由党 (イギリス)|自由党]]の政治家として政界で活躍し、[[外務大臣 (イギリス)|外務大臣]](在職:1853年 - 1858年、1865年 - 1866年、1868年 - 1870年)などの閣僚職を歴任した<ref name="CP EC1776" /><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p1392.htm#i13919|title=George William Villiers, 4th Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。


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[[2016年]]現在の当主は8代伯[[ジョージ・ヴィリアーズ (第8代クラレンドン伯爵)|ジョージ・ヴィリアーズ]] <small>(1976-)</small> である<ref name="CP EC1776" />。


一家の屋敷は[[ハンプシャー]]の{{仮リンク|スワンモア|en|Swanmore}}のホリウェル・ハウス(Holywell House)である<ref name="CP EC1776" />。
一家の屋敷は[[ハンプシャー]]の{{仮リンク|スワンモア|en|Swanmore}}のホリウェル・ハウス (Holywell House) である<ref name="CP EC1776" />。


== 現当主の保有爵位 ==
== 現当主の保有爵位 ==
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*'''第8代クラレンドン伯爵''' <small>(8th Earl of Clarendon)</small>
*'''第8代クラレンドン伯爵''' <small>(8th Earl of Clarendon)</small>
:([[1776年]][[6月14日]]の[[勅許状]]による[[グレートブリテン貴族]]爵位)
:([[1776年]][[6月14日]]の[[勅許状]]による[[グレートブリテン貴族]]爵位)
*ウィルトシャー州におけるヒンドンの'''第8代ハイド男爵''' <small>(8th Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)</small>
*'''第8代ウィルトシャー州におけるヒンドンのハイド男爵''' <small>(8th Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)</small>
:([[1756年]][[6月3日]]の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) ※[[法定推定相続人]]の[[儀礼称号]]
:([[1756年]][[6月3日]]の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) ※[[法定推定相続人]]の[[儀礼称号]]


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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author1=[[松村赳]] |author2=[[富田虎男]]|date=2000年|title=英米史辞典|publisher=[[研究社]]|isbn=978-4767430478|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author1=松村赳|authorlink1=松村赳 |author2=富田虎男|authorlink2=富田虎男|date=2000年|title=英米史辞典|publisher=[[研究社]]|isbn=978-4767430478|ref=harv}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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[[Category:イングランド貴族の伯爵位]]
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クラレンドン伯爵(第2期)

紋章記述

Arms:Argent on a Cross Gules five Escallop Shells Or Crest:A Lion rampant Argent ducally crowned Or Supporters:On either side an Eagle wings endorsed Sable ducally crowned Or charged on the breast with a Plain Cross Argent
創設時期1776年6月14日
創設者ジョージ3世
貴族グレートブリテン貴族
初代初代伯トマス・ヴィリアーズ
現所有者8代伯ジョージ・ヴィリアーズ
相続人エドワード・ヴィリアーズ
付随称号ハイド男爵
現況存続
邸宅ホリウェル・ハウス
モットーFidei Coticula Crux
(The cross, the test of faith)

クラレンドン伯爵 (Earl of Clarendon) は、イギリス伯爵位。

過去に2回創設されており、第1期はエドワード・ハイド1661年イングランド貴族爵位として叙されたのに始まるが、4代で絶家した。現存する2期目はトマス・ヴィリアーズ1776年グレートブリテン貴族として叙されたのに始まる。

歴史

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ハイド家

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初代クラレンドン伯(第1期)エドワード・ハイド

エドワード・ハイド (1609-1674)清教徒革命イングランド内戦)の際に立憲王党派として行動して共和政期にはチャールズ2世の亡命宮廷に仕え、1660年王政復古後にチャールズ2世の宰相(大法官)となり、1667年の失脚まで国政を主導した[1]。彼の娘アン・ハイドジェームズ2世の最初の妻であり、後の女王メアリー2世アンの母である[2]

エドワード・ハイドは王政復古まもない1660年11月3日イングランド貴族爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンの初代ハイド男爵 (Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)」に叙され、ついで1661年4月20日にイングランド貴族爵位クラレンドン伯爵と「オックスフォード州におけるコーンベリー子爵 (Viscount Cornbury in the County of Oxford)」に叙せられた[2][3]

初代伯の長男第2代伯ヘンリー英語版(1638-1709) とその一人息子の3代伯エドワード英語版(1661-1723) は、ともに襲爵前にトーリー党庶民院議員を務めた[2][4][5]

3代伯が死去した際、生存している男子がなかったため、クラレンドン伯爵位は初代伯にさかのぼっての分流である第2代ロチェスター伯爵ヘンリー・ハイド (1672-1753)(初代伯の次男ロチェスター伯爵英語版ローレンス・ハイド (1642-1711) の子で3代伯の従弟)に継承された。しかし彼が死去した際にも生存している男子はなく、彼の死去をもって継承者は絶え、爵位は廃絶した[2][6]

ヴィリアーズ家

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初代伯トマス・ヴィリアーズ

第2代ジャージー伯爵ウィリアム・ヴィリアーズ (1682-1721) の次男であり、第4代クラレンドン伯ヘンリー・ハイドの孫娘の夫にあたるトマス・ヴィリアーズ (1709-1786) は、外交官としてザクセン公使(在職:1740年 - 1747年)、ウィーン公使(在職:1742年 - 1743年)、ベルリン公使(在職:1746年 - 1748年)などを歴任した後、ホイッグ党の政治家として政界で活躍し、郵政長官英語版(在職:1763年 - 1765年、1786年)やランカスター公領大臣(在職:1771年 - 1782年、1783年 - 1786年)などの閣僚職を務めた。1756年6月3日グレートブリテン貴族爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンのハイド男爵 (Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)」、1776年6月14日にグレートブリテン貴族爵位クラレンドン伯爵に叙せられた。これが二期目のクラレンドン伯爵位の創設である[7][8]

その孫である4代伯ジョージ (1800-1870) もホイッグ党・自由党の政治家として政界で活躍し、外務大臣(在職:1853年 - 1858年、1865年 - 1866年、1868年 - 1870年)などの閣僚職を歴任した[7][9]

2016年現在の当主は第8代伯爵ジョージ・ヴィリアーズ (1976-) である[7]

一家の屋敷はハンプシャースワンモア英語版のホリウェル・ハウス (Holywell House) である[7]

現当主の保有爵位

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現当主8代クラレンドン伯ジョージ・ヴィリアーズは以下の爵位を保持している[7]

  • 第8代クラレンドン伯爵 (8th Earl of Clarendon)
(1776年6月14日勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第8代ウィルトシャー州におけるヒンドンのハイド男爵 (8th Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)
(1756年6月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) ※法定推定相続人儀礼称号

一覧

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クラレンドン伯爵 第1期(1661年創設)

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クラレンドン伯爵 第2期(1776年創設)

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系図

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初代クラレンドン伯
エドワード・ハイド

(1609-1674)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イングランド国王
ジェイムズ2世

(1633-1701)
 
アン・ハイド
(1637-1671)
 
2代クラレンドン伯
ヘンリー・ハイド
英語版

(1638-1709)
 
初代ロチェスター伯
ローレンス・ハイド

(1642-1711)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イングランド女王
メアリー2世

(1662-1694)
 
イギリス女王
アン

(1665-1714)
 
3代クラレンドン伯
エドワード・ハイド
英語版

(1661-1723)
 
2代ロチェスター伯
4代クラレンドン伯
ヘンリー・ハイド

(1672-1753)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代ジャージー伯
ウィリアム・ヴィリアーズ

(-1721)
 
3代エセックス伯
ウィリアム・カペル

(1697-1743)
 
ジェーン
(-1724)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3代ジャージー伯
ウィリアム・ヴィリアーズ

(-1769)
 
初代クラレンドン伯爵
トマス・ヴィリアーズ

(1709-1786)
 
 
 
シャーロット
(-1790)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジャージー伯爵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代クラレンドン伯
トマス・ヴィリアーズ
英語版

(1753–1824)
 
3代クラレンドン伯
ジョン・ヴィリアーズ
英語版

(1757–1838)
 
ジョージ・ヴィリアーズ英語版
(1759–1827)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4代クラレンドン伯
ジョージ・ヴィリアーズ

(1800–1870)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5代クラレンドン伯
エドワード・ヴィリアーズ
英語版

(1846–1914)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6代クラレンドン伯
ジョージ・ヴィリアーズ
英語版

(1877–1955)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7代クラレンドン伯
ローレンス・ヴィリアーズ
英語版

(1933–2009)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8代クラレンドン伯
ジョージ・ヴィリアーズ

(1976-)
 

脚注

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出典

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  1. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 148.
  2. ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Clarendon, Earl of (E, 1661 - 1753)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月11日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “Edward Hyde, 1st Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “Henry Hyde, 2nd Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “Edward Hyde, 3rd Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “Henry Hyde, 4th Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
  7. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Clarendon, Earl of (GB, 1776)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月11日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Thomas Villiers, 1st Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
  9. ^ Lundy, Darryl. “George William Villiers, 4th Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。

参考文献

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  • 松村赳富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478 

関連項目

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