「クラレンドン伯爵」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
(2人の利用者による、間の2版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{infobox peerage title|name=クラレンドン伯爵(第2期)|present holder=8代伯[[ジョージ・ヴィリアーズ_(第8代クラレンドン伯爵)|ジョージ・ヴィリアーズ]]|motto='''Fidei Coticula Crux'''<br>(The cross, the test of faith)|former seat=|family seat=ホリウェル・ハウス|extinction date=|status=存続|subsidiary titles=ハイド男爵|remainder to=|heir presumptive=|heir apparent=エドワード・ヴィリアーズ|last holder=|image=[[File: |
{{infobox peerage title|name=クラレンドン伯爵(第2期)|present holder=8代伯[[ジョージ・ヴィリアーズ_(第8代クラレンドン伯爵)|ジョージ・ヴィリアーズ]]|motto='''Fidei Coticula Crux'''<br>(The cross, the test of faith)|former seat=|family seat=ホリウェル・ハウス|extinction date=|status=存続|subsidiary titles=ハイド男爵|remainder to=|heir presumptive=|heir apparent=エドワード・ヴィリアーズ|last holder=|image=[[File:Arms of Earl of Clarendon.svg|200px]]|first holder=初代伯[[トマス・ヴィリアーズ_(初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]]|baronetage=|peerage=[[グレートブリテン貴族]]|monarch=[[ジョージ3世_(イギリス王)|ジョージ3世]]|creation=|creation date=[[1776年]][[6月14日]]|caption=<div class="toccolours mw-collapsible mw-collapsed"> |
||
'''[[紋章記述]]''' |
'''[[紋章記述]]''' |
||
<div class="mw-collapsible-content">'''Arms''':Argent on a Cross Gules five Escallop Shells Or '''Crest''':A Lion rampant Argent ducally crowned Or '''Supporters''':On either side an Eagle wings endorsed Sable ducally crowned Or charged on the breast with a Plain Cross Argent</div> |
<div class="mw-collapsible-content">'''Arms''':Argent on a Cross Gules five Escallop Shells Or '''Crest''':A Lion rampant Argent ducally crowned Or '''Supporters''':On either side an Eagle wings endorsed Sable ducally crowned Or charged on the breast with a Plain Cross Argent |
||
</div> |
|||
</div>|alt=|image_size=|footnotes=}}'''クラレンドン伯爵''' |
</div>|alt=|image_size=|footnotes=}}'''クラレンドン伯爵''' (Earl of Clarendon) は、[[イギリス]]の[[伯爵]]位。 |
||
過去に2回創設されており、第1期は[[エドワード・ハイド (初代クラレンドン伯爵)|エドワード・ハイド]]が[[1661年]]に[[イングランド貴族]]爵位として叙されたのに始まるが、4代で絶家した。現存する2期目は[[トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]]が[[1776年]]に[[グレートブリテン貴族]]として叙されたのに始まる。 |
過去に2回創設されており、第1期は[[エドワード・ハイド (初代クラレンドン伯爵)|エドワード・ハイド]]が[[1661年]]に[[イングランド貴族]]爵位として叙されたのに始まるが、4代で絶家した。現存する2期目は[[トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]]が[[1776年]]に[[グレートブリテン貴族]]として叙されたのに始まる。 |
||
9行目: | 10行目: | ||
=== ハイド家 === |
=== ハイド家 === |
||
[[File:WH 1st Earl of Clarendon.png|180px|thumb|初代クラレンドン伯(第1期)[[エドワード・ハイド (初代クラレンドン伯爵)|エドワード・ハイド]]|代替文=|左]] |
[[File:WH 1st Earl of Clarendon.png|180px|thumb|初代クラレンドン伯(第1期)[[エドワード・ハイド (初代クラレンドン伯爵)|エドワード・ハイド]]|代替文=|左]] |
||
[[エドワード・ハイド (初代クラレンドン伯爵)|エドワード・ハイド]]<small>(1609-1674)</small>は[[清教徒革命]]([[イングランド内戦]])の際に立憲[[騎士党|王党派]]として行動して[[イングランド共和国|共和政]]期には[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]の亡命宮廷に仕え、[[1660年]]の[[イングランド王政復古|王政復古]]後にチャールズ2世の宰相([[大法官]])となり、[[1667年]]の失脚まで国政を主導した{{sfn|松村赳|富田虎男|2000|p=148}}。彼の娘[[アン・ハイド]]は[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]の最初の妻であり、後の女王[[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー2世]]と[[アン (イギリス女王)|アン]]の母である<ref name="CP EC1661" />。 |
[[エドワード・ハイド (初代クラレンドン伯爵)|エドワード・ハイド]] <small>(1609-1674)</small> は[[清教徒革命]]([[イングランド内戦]])の際に立憲[[騎士党|王党派]]として行動して[[イングランド共和国|共和政]]期には[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]の亡命宮廷に仕え、[[1660年]]の[[イングランド王政復古|王政復古]]後にチャールズ2世の宰相([[大法官]])となり、[[1667年]]の失脚まで国政を主導した{{sfn|松村赳|富田虎男|2000|p=148}}。彼の娘[[アン・ハイド]]は[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]の最初の妻であり、後の女王[[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー2世]]と[[アン (イギリス女王)|アン]]の母である<ref name="CP EC1661" />。 |
||
エドワード・ハイドは王政復古まもない[[1660年]][[11月3日]]に[[イングランド貴族]]爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンの'''初代ハイド男爵'''<small>(Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)</small>」に叙され、ついで[[1661年]][[4月20日]]にイングランド貴族爵位クラレンドン伯爵と「オックスフォード州における'''コーンベリー子爵'''<small>(Viscount Cornbury in the County of Oxford)</small>」に叙せられた<ref name="CP EC1661">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/clarendon1661.htm|title=Clarendon, Earl of (E, 1661 - 1753)|accessdate= 2016-01-11 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p10277.htm#i102769 |title=Edward Hyde, 1st Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
エドワード・ハイドは王政復古まもない[[1660年]][[11月3日]]に[[イングランド貴族]]爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンの'''初代ハイド男爵''' <small>(Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)</small>」に叙され、ついで[[1661年]][[4月20日]]にイングランド貴族爵位'''クラレンドン伯爵'''と「オックスフォード州における'''コーンベリー子爵''' <small>(Viscount Cornbury in the County of Oxford)</small>」に叙せられた<ref name="CP EC1661">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/clarendon1661.htm|title=Clarendon, Earl of (E, 1661 - 1753)|accessdate= 2016-01-11 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p10277.htm#i102769 |title=Edward Hyde, 1st Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
||
初代伯の長男第2代 |
初代伯の長男第2代伯{{仮リンク|ヘンリー・ハイド (第2代クラレンドン伯爵)|label=ヘンリー|en|Henry Hyde, 2nd Earl of Clarendon}}<small>(1638-1709)</small> とその一人息子の3代伯{{仮リンク|エドワード・ハイド (第3代クラレンドン伯爵)|label=エドワード|en|Edward Hyde, 3rd Earl of Clarendon}}<small>(1661-1723)</small> は、ともに襲爵前に[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]の[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員を務めた<ref name="CP EC1661" /><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p12806.htm#i128056|title=Henry Hyde, 2nd Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p2930.htm#i29298|title=Edward Hyde, 3rd Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref> |
||
3代伯が死去した際、生存している男子がなかったため、クラレンドン伯爵位は初代伯にさかのぼっての分流である第2代ロチェスター伯爵[[ヘンリー・ハイド (第4代クラレンドン伯爵)|ヘンリー・ハイド]]<small>(1672-1753)</small>(初代伯の次男{{仮リンク|ロチェスター伯爵|en|Earl of Rochester}}[[ローレンス・ハイド (初代ロチェスター伯爵)|ローレンス・ハイド]]<small>(1642-1711)</small>の子で3代伯の従弟)に継承された。しかし彼が死去した際にも生存している男子はなく、彼の死去をもって継承者は絶え、爵位は廃絶した<ref name="CP EC1661" /><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p1701.htm#i17007|title=Henry Hyde, 4th Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
3代伯が死去した際、生存している男子がなかったため、クラレンドン伯爵位は初代伯にさかのぼっての分流である第2代ロチェスター伯爵[[ヘンリー・ハイド (第4代クラレンドン伯爵)|ヘンリー・ハイド]] <small>(1672-1753)</small>(初代伯の次男{{仮リンク|ロチェスター伯爵|en|Earl of Rochester}}[[ローレンス・ハイド (初代ロチェスター伯爵)|ローレンス・ハイド]] <small>(1642-1711)</small> の子で3代伯の従弟)に継承された。しかし彼が死去した際にも生存している男子はなく、彼の死去をもって継承者は絶え、爵位は廃絶した<ref name="CP EC1661" /><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p1701.htm#i17007|title=Henry Hyde, 4th Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
||
=== ヴィリアーズ家 === |
=== ヴィリアーズ家 === |
||
[[ファイル:ThomasVilliersEarlClarendon.jpg|サムネイル|225x225ピクセル|初代伯[[トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]]]] |
[[ファイル:ThomasVilliersEarlClarendon.jpg|サムネイル|225x225ピクセル|初代伯[[トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]]|左]] |
||
第2代[[ジャージー伯爵]][[ウィリアム・ヴィリアーズ (第2代ジャージー伯爵)|ウィリアム・ヴィリアーズ]]<small>(1682-1721)</small>の次男であり、第4代クラレンドン伯 |
第2代[[ジャージー伯爵]][[ウィリアム・ヴィリアーズ (第2代ジャージー伯爵)|ウィリアム・ヴィリアーズ]] <small>(1682-1721)</small> の次男であり、第4代クラレンドン伯ヘンリー・ハイドの孫娘の夫にあたる[[トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)|トマス・ヴィリアーズ]] <small>(1709-1786)</small> は、外交官としてザクセン公使(在職:1740年 - 1747年)、ウィーン公使(在職:1742年 - 1743年)、ベルリン公使(在職:1746年 - 1748年)などを歴任した後、[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の政治家として政界で活躍し、{{仮リンク|イギリス郵政長官|label=郵政長官|en|United Kingdom Postmaster General}}(在職:1763年 - 1765年、1786年)や[[ランカスター公領大臣]](在職:1771年 - 1782年、1783年 - 1786年)などの閣僚職を務めた。[[1756年]][[6月3日]]に[[グレートブリテン貴族]]爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンの'''ハイド男爵''' {{Small|(Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)}}」、[[1776年]][[6月14日]]にグレートブリテン貴族爵位'''クラレンドン伯爵'''に叙せられた。これが二期目のクラレンドン伯爵位の創設である<ref name="CP EC1776">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/clarendon1776.htm|title=Clarendon, Earl of (GB, 1776)|accessdate= 2016-01-11 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p1701.htm#i17003|title=Thomas Villiers, 1st Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
||
その孫である4代 |
その孫である4代伯[[ジョージ・ヴィリアーズ (第4代クラレンドン伯爵)|ジョージ]] <small>(1800-1870)</small> もホイッグ党・[[自由党 (イギリス)|自由党]]の政治家として政界で活躍し、[[外務大臣 (イギリス)|外務大臣]](在職:1853年 - 1858年、1865年 - 1866年、1868年 - 1870年)などの閣僚職を歴任した<ref name="CP EC1776" /><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p1392.htm#i13919|title=George William Villiers, 4th Earl of Clarendon|accessdate= 2016-01-11 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
||
[[2016年]]現在の当主は8代 |
[[2016年]]現在の当主は第8代伯爵[[ジョージ・ヴィリアーズ (第8代クラレンドン伯爵)|ジョージ・ヴィリアーズ]] <small>(1976-)</small> である<ref name="CP EC1776" />。 |
||
一家の屋敷は[[ハンプシャー]]の{{仮リンク|スワンモア|en|Swanmore}}のホリウェル・ハウス(Holywell House)である<ref name="CP EC1776" />。 |
一家の屋敷は[[ハンプシャー]]の{{仮リンク|スワンモア|en|Swanmore}}のホリウェル・ハウス (Holywell House) である<ref name="CP EC1776" />。 |
||
== 現当主の保有爵位 == |
== 現当主の保有爵位 == |
||
32行目: | 33行目: | ||
*'''第8代クラレンドン伯爵''' <small>(8th Earl of Clarendon)</small> |
*'''第8代クラレンドン伯爵''' <small>(8th Earl of Clarendon)</small> |
||
:([[1776年]][[6月14日]]の[[勅許状]]による[[グレートブリテン貴族]]爵位) |
:([[1776年]][[6月14日]]の[[勅許状]]による[[グレートブリテン貴族]]爵位) |
||
*ウィルトシャー州におけるヒンドンの |
*'''第8代ウィルトシャー州におけるヒンドンのハイド男爵''' <small>(8th Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)</small> |
||
:([[1756年]][[6月3日]]の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) ※[[法定推定相続人]]の[[儀礼称号]] |
:([[1756年]][[6月3日]]の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) ※[[法定推定相続人]]の[[儀礼称号]] |
||
101行目: | 102行目: | ||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
||
*{{Cite book|和書|author1= |
*{{Cite book|和書|author1=松村赳|authorlink1=松村赳 |author2=富田虎男|authorlink2=富田虎男|date=2000年|title=英米史辞典|publisher=[[研究社]]|isbn=978-4767430478|ref=harv}} |
||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
112行目: | 113行目: | ||
[[Category:イングランド貴族の伯爵位]] |
[[Category:イングランド貴族の伯爵位]] |
||
[[Category:ハイド家|*くられんとんはく]] |
[[Category:ハイド家|*くられんとんはく]] |
||
⚫ | |||
[[Category:グレートブリテン貴族の伯爵位]] |
[[Category:グレートブリテン貴族の伯爵位]] |
||
⚫ |
2024年4月16日 (火) 05:25時点における最新版
クラレンドン伯爵(第2期) | |
---|---|
Arms:Argent on a Cross Gules five Escallop Shells Or Crest:A Lion rampant Argent ducally crowned Or Supporters:On either side an Eagle wings endorsed Sable ducally crowned Or charged on the breast with a Plain Cross Argent
| |
創設時期 | 1776年6月14日 |
創設者 | ジョージ3世 |
貴族 | グレートブリテン貴族 |
初代 | 初代伯トマス・ヴィリアーズ |
現所有者 | 8代伯ジョージ・ヴィリアーズ |
相続人 | エドワード・ヴィリアーズ |
付随称号 | ハイド男爵 |
現況 | 存続 |
邸宅 | ホリウェル・ハウス |
モットー | Fidei Coticula Crux (The cross, the test of faith) |
クラレンドン伯爵 (Earl of Clarendon) は、イギリスの伯爵位。
過去に2回創設されており、第1期はエドワード・ハイドが1661年にイングランド貴族爵位として叙されたのに始まるが、4代で絶家した。現存する2期目はトマス・ヴィリアーズが1776年にグレートブリテン貴族として叙されたのに始まる。
歴史
[編集]ハイド家
[編集]エドワード・ハイド (1609-1674) は清教徒革命(イングランド内戦)の際に立憲王党派として行動して共和政期にはチャールズ2世の亡命宮廷に仕え、1660年の王政復古後にチャールズ2世の宰相(大法官)となり、1667年の失脚まで国政を主導した[1]。彼の娘アン・ハイドはジェームズ2世の最初の妻であり、後の女王メアリー2世とアンの母である[2]。
エドワード・ハイドは王政復古まもない1660年11月3日にイングランド貴族爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンの初代ハイド男爵 (Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)」に叙され、ついで1661年4月20日にイングランド貴族爵位クラレンドン伯爵と「オックスフォード州におけるコーンベリー子爵 (Viscount Cornbury in the County of Oxford)」に叙せられた[2][3]。
初代伯の長男第2代伯ヘンリー(1638-1709) とその一人息子の3代伯エドワード(1661-1723) は、ともに襲爵前にトーリー党の庶民院議員を務めた[2][4][5]
3代伯が死去した際、生存している男子がなかったため、クラレンドン伯爵位は初代伯にさかのぼっての分流である第2代ロチェスター伯爵ヘンリー・ハイド (1672-1753)(初代伯の次男ロチェスター伯爵ローレンス・ハイド (1642-1711) の子で3代伯の従弟)に継承された。しかし彼が死去した際にも生存している男子はなく、彼の死去をもって継承者は絶え、爵位は廃絶した[2][6]。
ヴィリアーズ家
[編集]第2代ジャージー伯爵ウィリアム・ヴィリアーズ (1682-1721) の次男であり、第4代クラレンドン伯ヘンリー・ハイドの孫娘の夫にあたるトマス・ヴィリアーズ (1709-1786) は、外交官としてザクセン公使(在職:1740年 - 1747年)、ウィーン公使(在職:1742年 - 1743年)、ベルリン公使(在職:1746年 - 1748年)などを歴任した後、ホイッグ党の政治家として政界で活躍し、郵政長官(在職:1763年 - 1765年、1786年)やランカスター公領大臣(在職:1771年 - 1782年、1783年 - 1786年)などの閣僚職を務めた。1756年6月3日にグレートブリテン貴族爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンのハイド男爵 (Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)」、1776年6月14日にグレートブリテン貴族爵位クラレンドン伯爵に叙せられた。これが二期目のクラレンドン伯爵位の創設である[7][8]。
その孫である4代伯ジョージ (1800-1870) もホイッグ党・自由党の政治家として政界で活躍し、外務大臣(在職:1853年 - 1858年、1865年 - 1866年、1868年 - 1870年)などの閣僚職を歴任した[7][9]。
2016年現在の当主は第8代伯爵ジョージ・ヴィリアーズ (1976-) である[7]。
一家の屋敷はハンプシャーのスワンモアのホリウェル・ハウス (Holywell House) である[7]。
現当主の保有爵位
[編集]現当主8代クラレンドン伯ジョージ・ヴィリアーズは以下の爵位を保持している[7]。
- 第8代クラレンドン伯爵 (8th Earl of Clarendon)
- (1776年6月14日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- 第8代ウィルトシャー州におけるヒンドンのハイド男爵 (8th Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)
一覧
[編集]クラレンドン伯爵 第1期(1661年創設)
[編集]- 初代クラレンドン伯爵エドワード・ハイド(1609年 - 1674年)
- 第2代クラレンドン伯爵ヘンリー・ハイド (1638年 - 1709年)
- 第3代クラレンドン伯爵エドワード・ハイド (1661年 - 1723年)
- 第4代クラレンドン伯爵・第2代ロチェスター伯爵ヘンリー・ハイド (1672年 - 1753年)
クラレンドン伯爵 第2期(1776年創設)
[編集]- 初代クラレンドン伯爵トマス・ヴィリアーズ(1709年 - 1786年)
- 第2代クラレンドン伯爵トマス・ヴィリアーズ (1753年 – 1824年)
- 第3代クラレンドン伯爵ジョン・チャールズ・ヴィリアーズ (1757年 – 1838年)
- 第4代クラレンドン伯爵ジョージ・ウィリアム・フレデリック・ヴィリアーズ(1800年 - 1870年)
- 第5代クラレンドン伯爵エドワード・ハイド・ヴィリアーズ (1846年 – 1914年)
- 第6代クラレンドン伯爵ジョージ・ハーバート・ハイド・ヴィリアーズ (1877年 – 1955年)
- 第7代クラレンドン伯爵ジョージ・フレデリック・ローレンス・ハイド・ヴィリアーズ (1933年 – 2009年)
- 第8代クラレンドン伯爵ジョージ・エドワード・ローレンス・ハイド・ヴィリアーズ(1976年 - )
- 法定推定相続人は現当主の長男ハイド男爵エドワード・ジョージ・ジェームズ・ヴィリアーズ(2008年 - )
系図
[編集]初代クラレンドン伯 エドワード・ハイド (1609-1674) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イングランド国王 ジェイムズ2世 (1633-1701) | アン・ハイド (1637-1671) | 2代クラレンドン伯 ヘンリー・ハイド (1638-1709) | 初代ロチェスター伯 ローレンス・ハイド (1642-1711) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イングランド女王 メアリー2世 (1662-1694) | イギリス女王 アン (1665-1714) | 3代クラレンドン伯 エドワード・ハイド (1661-1723) | 2代ロチェスター伯 4代クラレンドン伯 ヘンリー・ハイド (1672-1753) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代ジャージー伯 ウィリアム・ヴィリアーズ (-1721) | 3代エセックス伯 ウィリアム・カペル (1697-1743) | ジェーン (-1724) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代ジャージー伯 ウィリアム・ヴィリアーズ (-1769) | 初代クラレンドン伯爵 トマス・ヴィリアーズ (1709-1786) | シャーロット (-1790) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャージー伯爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代クラレンドン伯 トマス・ヴィリアーズ (1753–1824) | 3代クラレンドン伯 ジョン・ヴィリアーズ (1757–1838) | ジョージ・ヴィリアーズ (1759–1827) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4代クラレンドン伯 ジョージ・ヴィリアーズ (1800–1870) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5代クラレンドン伯 エドワード・ヴィリアーズ (1846–1914) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6代クラレンドン伯 ジョージ・ヴィリアーズ (1877–1955) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7代クラレンドン伯 ローレンス・ヴィリアーズ (1933–2009) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8代クラレンドン伯 ジョージ・ヴィリアーズ (1976-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 148.
- ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Clarendon, Earl of (E, 1661 - 1753)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Edward Hyde, 1st Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Henry Hyde, 2nd Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Edward Hyde, 3rd Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Henry Hyde, 4th Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Clarendon, Earl of (GB, 1776)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Thomas Villiers, 1st Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “George William Villiers, 4th Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。