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2012年11月29日、国連総会 |
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2024年5月16日 (木) 19:28時点における版
パレスチナ国 大統領 رئيس دولة فلسطين | |
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大統領旗 | |
任命 | パレスチナ大統領選挙(直接選挙) |
任期 | 4年 |
創設 | 1989年4月2日 |
初代 | ヤーセル・アラファート |
俸給 | 年額 120,000アメリカドル[1] |
ウェブサイト | Palestinian President Office |
パレスチナの大統領(パレスチナのだいとうりょう、アラビア語: رئيس دولة فلسطين)は、パレスチナ国の元首たる大統領。
概要
パレスチナ解放機構(PLO)のパレスチナ中央評議会(PCC)が選ぶState of Palestine(SoP)のرئيس(大統領または議長)と、パレスチナ人が直接選挙で選ぶパレスチナ自治政府(PA)のرئيس(大統領または議長)とがある。
رئيسは、President(大統領)またはChairman(議長)と訳される。
沿革
1974年10月14日、国連総会は、国連総会決議3210で、PLOを「パレスチナ人民の正統な代表」として認め、PLOを国連総会のオブザーバー組織として招待した[2][3]。
1988年11月15日、パレスチナ解放機構(PLO)はパレスチナ国(SoP)樹立を宣言し、PLO議長であるヤセル・アラファトが「パレスチナ国大統領」に就任した。PLOはパレスチナ国民評議会と臨時政府(パレスチナ解放機構執行委員会)を設立した。
1988年12月15日、国連総会は、国連総会決議43/177で、PNCのState of Palestineの宣言を承認し、PLOをパレスチナ(Palestine)と呼称することを決めた[4][5]。
1993年8月のオスロ合意により翌1994年自治政府(PAまたはPNA)と立法評議会が設立され、アラファトは自治政府大統領に就任した[要検証 ][6]。
1996年1月、第1回パレスチナ自治政府大統領選挙と第1回パレスチナ立法評議会(PLC)議員選挙が行われた。アラファトとファタハが勝利した[7]。ハマスはボイコットし、不参加。アラファトが自治政府の大統領になったことにより、国家(SoP)と自治政府(PA)の大統領職が事実上統一された。しかし、PLOあるいはSoPとPAは完全に一体なわけではない[8][9]。
2003年3月、それまで大統領制だったパレスチナ自治政府は、首相とその内閣を置き、半大統領制に移行した。アラファトはアッバスを初代首相に指名した[10]。
2003年4月、中東カルテットが提案したイスラエルとパレスチナの和平ロードマップが公表される。2003年6月までに、ロードマップをイスラエル・パレスチナ双方が受け入れた[11]。しかし、ロードマップのほとんどは履行されていない。
2004年11月、アラファトが病気で死亡した。アッバスがPLOの執行委員会(EC)議長になる。
2005年1月、第2回パレスチナ自治政府大統領選挙が行われ、アッバスが当選した。ハマスはボイコットし、不参加[12]。
2005年5月、PLOのPCCは、パレスチナ国家の大統領代理になるようアッバスに要請した[13]。
2005年6月に選挙法が改正され、自治政府の大統領と立法評議会議員の任期は4年と決められた[14]。それまで、任期は決められていなかった[15]。
2006年1月、第2回立法評議会議員選挙が行われた。ハマスも「変革と改革」として参加し、単独過半数を獲得した。ハマスはPLOに参加しておらず、オスロ合意など過去のPLOとイスラエルなどとの合意を受け入れていない[16]。2006年3月、ハマスのハニヤが首相になる。イスラエル、アメリカ、EUはこのパレスチナ自治政府への経済制裁を開始(協力を停止)した[17][18]。ファタハとハマスの交渉は決裂し、この頃からファタハとハマスの対立は戦闘に発展した。
2007年6月、ガザでのファタハとハマスの戦闘の結果、ハマスが武力でファタハのパレスチナ自治政府をガザ地区から追い出した。パレスチナ自治政府のアッバス大統領はハニヤを首相から解任し、パレスチナ自治政府からハマスを排除し[19]、ファタハでもハマスでもないファイヤードを新しい首相に任命した。アメリカとEUは「パレスチナ基本法に則っている」としてアッバスを支持し[20]、停止していたパレスチナ自治政府への支援を再開(経済制裁を解除)した[21][22]。立法評議会は機能しなくなった。ファタハのパレスチナ自治政府によるガザの統治は終わり、ハマスのガザ政府によるガザの統治が始まる。以降、ファタハとハマスの大きな戦闘は収まった。
2007年9月、選挙法が改正された。パレスチナ立法評議会(PLC)議員はPLOの基本法に従うよう定められた[23]。
パレスチナ自治政府大統領としてのアッバスの任期は2009年1月までだったが、PAの基本法を根拠に[24]アッバスは任期を1年延長した。2009年12月、PLOの中央評議会PCCは、大統領の任期を無期限に延長した[25]。ハマスは、2009年1月から2014年4月にファタハとハマスが暫定統一政権の樹立で合意するまでと、暫定統一政権が崩壊した2016年10月以降、アッバスを大統領として認めていない。ファタハとハマスの対立のため、次回の選挙の日程は決まっていない。
2012年11月29日、国連総会は国連総会決議67/19を採択し、パレスチナ(PLO)にオブザーバー国家の地位を与えることを決定した[26]。
2013年1月、アッバスはパレスチナ自治政府の名称をパレスチナ国家(State of Palestine)に変更した[27]。パレスチナ自治政府(PA)の首相は、パレスチナ国家(SoP)の首相になった。
ハマスは、パレスチナ人民の代表を自称している[28][29]。
大統領の一覧
代 | 大統領 | 所属政党 | 期 | 在任期間 | 備考 | 首相 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ヤーセル・アラファート ياسر عرفات |
ファタハ | - | 1989年4月2日 - 1994年7月5日 |
5年 + 94日 | パレスチナ国大統領 | (不在) | ||
- | 1994年7月5日 - 1996年 |
(計 15年 + 223日) |
10年 + 129日自治政府大統領 | ||||||
1 | 1996年 - 2004年11月11日 |
任期満了前に死去 | |||||||
マフムード・アッバース 2003年5月19日 - 2003年9月6日 | |||||||||
アフマド・クレイ 2003年10月7日 - 2004年11月11日 | |||||||||
- | ラウヒ・ファットゥー روحي فتوح |
ファタハ | 2004年11月11日 - 2005年1月15日 |
65日 | 大統領代行 (立法評議会議長) |
アフマド・クレイ 2004年11月11日 - 2005年5月8日 | |||
2 | マフムード・アッバース محمود عباس |
ファタハ | 2 | 2005年5月8日 - (現職) |
19年 + 220日 | アフマド・クレイ 2005年5月8日 - 2005年12月18日 | |||
ナビール・シャアス(代行) 2005年12月18日 - 2005年12月24日 | |||||||||
アフマド・クレイ 2005年12月24日 - 2006年3月29日 | |||||||||
イスマーイール・ハニーヤ[注 1] 2006年3月29日 - 2007年6月15日[注 2] | |||||||||
サラーム・ファイヤード[注 3] 2007年6月15日 - 2008年11月23日 | |||||||||
サラーム・ファイヤード[注 3] 2008年11月23日 - 2013年6月6日 | |||||||||
ラーミー・ハムダッラー[注 4] 2013年6月6日 - 2019年4月14日 | |||||||||
ムハンマド・シュタイエ 2019年4月14日 - (現職) | |||||||||
ガザ政府 (2009-2014) | |||||||||
代 | 大統領 | 所属政党 | 期 | 在任期間 | 備考 | 首相 | |||
- | アジズ・ドウェイク عزيز دويك |
ハマース | - | 2009年1月15日 - 2014年6月2日 |
5年 + 138日 | 大統領代行 (立法評議会議長) |
イスマーイール・ハニーヤ 2009年1月15日 - 2014年6月2日 |
脚注
注釈
出典
- ^ “قانون مخصصات وتعويضات رئيس السلطة الوطنية الفلسطينية رقم (18) لسنة 2005م”. muqtafi.birzeit.edu. 2023年10月2日閲覧。
- ^ “国連創設70年の歩み”. 国際連合広報センター (2015年12月). 2024年5月17日閲覧。
- ^ “General Assembly of the United Nations Question of Palestine”. UNITED NATIONS. 2024年5月17日閲覧。
- ^ “General Assembly forty-third session”. UNITED NATIONS. 2024年5月17日閲覧。
- ^ “主な活動 国際の平和と安全 平和のための行動 中東”. 国際連合広報センター. 2024年5月17日閲覧。
- ^ 外務省: パレスチナ概況
- ^ “The 1996 Presidential and Legislative Elections” (PDF). Central Elections. Commission - Palestine (2005年10月18日). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “外務省 ODA広報・資料 ODA個別評価報告書 第2章 パレスチナの政治・経済・社会動向”. 外務省. 2024年5月16日閲覧。
- ^ “PALESTINIAN AUTHORITY (PA)”. The European Council on Foreign Relations (ECFR). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “Arafat chooses Palestinian prime minister”. CNN (2003年3月6日). 2024年5月17日閲覧。
- ^ “よくある質問集 中東”. 外務省. 2024年5月17日閲覧。
- ^ “Abbas achieves landslide poll win”. BBC NEWS (2005年1月10日). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “PLO asks Mahmud Abbas to be acting president of "state of Palestine"”. NewsLibrary. Al Jazeera (2005年5月8日). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “Elections Law No9 of 2005” (PDF). Central Elections. Commission - Palestine (2017年9月5日). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “General Election Laws”. Central Elections. Commission - Palestine. 2024年5月17日閲覧。
- ^ 横田貴之(研究員) (2006年7月10日). “コラム ハマース(ハマス)のイスラエル承認問題”. 公益財団法人 日本国際問題研究所. 2024年5月16日閲覧。
- ^ “Q&A: Hamas and Fatah”. NPR. 2024年5月16日閲覧。
- ^ 日本国際ボランティアセンターエルサレム事務所 小林和香子 (2007年6月18日). “占領下のパレスチナ:40年の占領の実態とその影響” (PDF). 外務省. 2024年5月16日閲覧。
- ^ “Abbas sacks Hamas-led government”. BBC NEWS (2007年6月15日). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “Framers of Palestinian constitution challenge Abbas”. REUTERS (2007年8月10日). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “CHRONOLOGY-Key events since 2006 Hamas election victory”. REUTERS (2007年8月10日). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “U.S. ends embargo on Palestinian Authority in move to bolster Fatah”. International Herald Tribune (2007年6月19日). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “A decree issued by a law number ( ) of 2007, pertaining the general elections” (PDF). Central Elections. Commission - Palestine (2007年10月9日). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “Hamas: Abbas no longer heads PA”. Jerusalem Post (2009年1月9日). 2024年5月17日閲覧。
- ^ “P.L.O. Extends President Mahmoud Abbas’s Term”. The New York Times (2009年12月16日). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “Resolution adopted by the General Assembly on 29 November 2012”. UNITED NATIONS (2012年11月29日). 2024年5月17日閲覧。
- ^ “Palestinian Authority rebrands itself ‘State of Palestine’ after U.N. vote”. CNN (2013年1月8日). 2024年5月16日閲覧。
- ^ “Secretary Antony J. Blinken At McCain Institute’s 2024 Sedona Forum Keynote Conversation with Senator Mitt Romney”. U.S. DEPARTMENT of STATE (2024年5月3日). 2024年5月17日閲覧。
- ^ “ガザでの戦闘休止や人質解放巡る詰めの協議、隔たり埋まらず…イスラエル各地で合意求めるデモ”. 読売新聞 (2024年5月5日). 2024年5月17日閲覧。