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「テューダー朝」の版間の差分

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'''テューダー朝'''(テューダーちょう、{{Lang-en-short|House of Tudor}})は、[[イングランド|イングランド王国]]([[1485年]] - [[1603年]])<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=チューダー朝とは |url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E6%9C%9D-97528 |website=コトバンク |access-date=2022-09-15 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ) |last=第2版,世界大百科事典内言及}}</ref>および[[アイルランド王国]]([[1541年]] - 1603年)の王朝。'''チューダー朝'''とも。[[薔薇戦争]]を勝ち抜き、[[ヨーク朝]]を倒して[[王位]]を得た。[[ランカスター朝]]から繋がる。<!--文化史の方面では、[[エリザベス1世]]の治世期間を特に「[[エリザベス朝]]」と呼ぶことが多い。--><!--意味するとことが違います。「テューダー朝」の「朝」は「王朝」、「エリザベス朝」の「朝」は「治世」。-->
[[Image:Tudor Rose.svg|thumb|テューダー家の紋章。ランカスター家の赤薔薇と[[ヨーク家]]の白薔薇を合わせた意匠である。]]
'''テューダー朝'''(テューダーちょう、英語:Tudor dynasty)は、[[イングランド|イングランド王国]]([[1485年]] - [[1603年]])および[[アイルランド王国]]([[1541年]] - 1603年)の王朝。'''チューダー朝'''とも。[[薔薇戦争]]を勝ち抜き、[[ヨーク朝]]を倒して王位を得た。女系を通じて[[ランカスター朝]]繋がる。<!--文化史の方面では、[[エリザベス1世]]の治世期間を特に「[[エリザベス朝]]」と呼ぶことが多い。--><!--意味するとことが違います。「テューダー朝」の「朝」は「王朝」、「エリザベス朝」の「朝」は「治世」。-->


== 概要 ==
== 概要 ==
テューダー家は[[ウェールズ]]を発祥とするかつての[[ウェールズの君主]]の末裔の家系であったが、ヘンリー7世の祖父[[オウエン・テューダー]]はイングランド王[[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]の未亡人[[キャサリン・オブ・ヴァロワ]]の納戸係秘書を務める下級貴族に過ぎなかった。しかしオウエンはキャサリンと結婚し、その間に生まれた[[エドマンド・テューダー (リッチモンド伯)|エドマンド・テューダー]]らの子供たちは一躍、[[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]の異父弟として、またフランス王家の血を引く者として上級貴族の一員となった。エドマンドが、[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の四男[[ジョン・オブ・ゴーント]]の曾孫である[[ボーフォート家]]の[[マーガレット・ボーフォート]]と結婚し、その間に生まれたリッチモンド伯ヘンリー・テューダーは母方の血統により最後の[[ランカスター朝|ランカスター家]]の王位継承権者となった。[[1485年]]、ヘンリー・テューダーは[[ボズワースの戦い]]で[[リチャード3世 (イングランド王)|リチャード3世]]を破って[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]として即位し、テューダー朝を開いた。
テューダー家は[[ウェールズ]]を発祥と12世紀における南[[ウェールズ]]{{仮リンク|デハイバース|en|Deheubarth}}国王{{仮リンク|リース・アプ・グリフィズ|en|Rhys ap Gruffydd}}と東ウェールズの[[ポーイス]]王女グウェンシアンの末裔であるとされるが、ヘンリー7世の祖父[[オウエン・テューダー]]はイングランド王[[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]の未亡人[[キャサリン・オブ・ヴァロワ]]の納戸係秘書を務める下級貴族に過ぎなかった。しかしオウエンはキャサリンと結婚し、その間に生まれた[[エドマンド・テューダー (リッチモンド伯)|エドマンド・テューダー]]らの子供たちは一躍、[[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]の異父弟として、またフランス王家の血を引く者として上級貴族の一員となった。エドマンドが、[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の四男[[ジョン・オブ・ゴーント]]の曾孫である[[ボーフォート家]]の[[マーガレット・ボーフォート]]と結婚し、その間に生まれたリッチモンド伯ヘンリー・テューダーは母方の血統により最後の[[ランカスター朝|ランカスター家]]の王位継承権者となった。[[1485年]]、ヘンリー・テューダーは[[ボズワースの戦い]]で[[リチャード3世 (イングランド王)|リチャード3世]]を破って[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]として即位し、<ref name=":0" />テューダー朝を開いた。


[[百年戦争]]、[[薔薇戦争]]で疲弊した諸侯を抑圧して[[絶対王政]]を推進し、海外進出にも積極的で、その政策は[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]、[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]、[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]、[[エリザベス1世]]に受け継がれ、テューダー朝の全盛期を築いた。エリザベス1世の死によりヘンリー8世の血筋が絶えたため、ヘンリー7世の血を引く[[スコットランド]]王ジェームズ6世が[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]としてイングランド王に迎えられ、イングランドにおける[[ステュアート朝]]を開いた。
[[百年戦争]]、[[薔薇戦争]]で疲弊した諸侯を抑圧して[[絶対王政]]を推進し、海外進出にも積極的で、その政策は[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]、[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]、[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]、[[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]]に受け継がれ、テューダー朝の全盛期を築いた。エリザベス1世の死によりヘンリー8世の血筋が絶えたため、ヘンリー7世の血を引く[[スコットランド]]王ジェームズ6世が[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]としてイングランド王に迎えられ、イングランドにおける[[ステュアート朝]]を開いた。


王家の出自もあって、この時代に国王の臣下として活躍した人物には、[[フランシス・ドレーク]]や[[ウォルター・ローリー]]など[[ウェールズ]]系が多いと言われている。
王家の出自もあって、この時代に国王の臣下として活躍した人物には、[[フランシス・ドレーク]]や[[ウォルター・ローリー]]など[[ウェールズ]]系が多いと言われている。
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== アイルランド王国 ==
== アイルランド王国 ==
{{Main|アイルランド王国}}
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ヘンリー8世は[[1541年]]に、[[アイルランド議会 (1297-1800)|アイルランド議会]]の決議に基づく形で正式にアイルランド王となり(それまでは[[アイルランド卿]](Lord of Ireland)を称していた)、イングランド・アイルランド両王国は[[同君連合]]ということになった。ただしアイルランドを実際に支配する有力諸侯は推戴も戴冠もしなかったので、史実的には詐称であると言える。とはいえ[[アイルランドの歴史]]では、[[1541年]]をもって[[アイルランド王国]]の始まりであるとされている(この時代にはまだ実効支配に程遠いものであった)。
ヘンリー8世は[[1541年]]に、[[アイルランド議会 (1297-1800)|アイルランド議会]]の決議に基づく形で正式にアイルランド王となり(それまでは[[アイルランド卿]] (Lord of Ireland) を称していた)、イングランド・アイルランド両王国は[[同君連合]]ということになった。ただしアイルランドを実際に支配する有力諸侯は推戴も戴冠もしなかったので、史実的には詐称であると言える。とはいえ[[アイルランドの歴史]]では、[[1541年]]をもって[[アイルランド王国]]の始まりであるとされている(この時代にはまだ実効支配に程遠いものであった)。


== ヘンリー・テューダーの王位継承権について ==
== ヘンリー・テューダーの王位継承権について ==
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== 歴代国王 ==
== 歴代国王 ==
{{See also|イングランド君主一覧#テューダー朝}}
* [[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]](在位 1485年 - 1509年)
* [[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]](在位 1485年 - 1509年)
* [[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]](在位 1509年 - 1547年)
* [[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]](在位 1509年 - 1547年)
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* [[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]](在位 1553年 - 1558年)
* [[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]](在位 1553年 - 1558年)
** [[フェリペ2世 (スペイン王)|フィリップ1世]](共同王 在位 1554年 - 1558年)
** [[フェリペ2世 (スペイン王)|フィリップ1世]](共同王 在位 1554年 - 1558年)
* [[エリザベス1世]](在位 1558年 - 1603年)
* [[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]](在位 1558年 - 1603年)


== 系図 ==
== 系図 ==
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== テューダー様式 ==
== テューダー様式 ==
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テューダー朝時代の美術・建築の様式を[[テューダー様式]] (Tudor style) という。
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== 脚注 ==
{{脚注の使い方}}

=== 出典 ===
<references />


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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2024年8月8日 (木) 20:05時点における最新版

テューダー家の紋章。ランカスター家の赤薔薇ヨーク家の白薔薇を合わせた意匠である。

テューダー朝(テューダーちょう、: House of Tudor)は、イングランド王国1485年 - 1603年[1]およびアイルランド王国1541年 - 1603年)の王朝。チューダー朝とも。薔薇戦争を勝ち抜き、ヨーク朝を倒して王位を得た。ランカスター朝から繋がる。

概要

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テューダー家はウェールズを発祥とし、12世紀における南ウェールズデハイバース英語版国王リース・アプ・グリフィズ英語版と東ウェールズのポーイス王女グウェンシアンの末裔であるとされるが、ヘンリー7世の祖父オウエン・テューダーはイングランド王ヘンリー5世の未亡人キャサリン・オブ・ヴァロワの納戸係秘書を務める下級貴族に過ぎなかった。しかしオウエンはキャサリンと結婚し、その間に生まれたエドマンド・テューダーらの子供たちは一躍、ヘンリー6世の異父弟として、またフランス王家の血を引く者として上級貴族の一員となった。エドマンドが、エドワード3世の四男ジョン・オブ・ゴーントの曾孫であるボーフォート家マーガレット・ボーフォートと結婚し、その間に生まれたリッチモンド伯ヘンリー・テューダーは母方の血統により最後のランカスター家の王位継承権者となった。1485年、ヘンリー・テューダーはボズワースの戦いリチャード3世を破ってヘンリー7世として即位し、[1]テューダー朝を開いた。

百年戦争薔薇戦争で疲弊した諸侯を抑圧して絶対王政を推進し、海外進出にも積極的で、その政策はヘンリー8世エドワード6世メアリー1世エリザベス1世に受け継がれ、テューダー朝の全盛期を築いた。エリザベス1世の死によりヘンリー8世の血筋が絶えたため、ヘンリー7世の血を引くスコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王に迎えられ、イングランドにおけるステュアート朝を開いた。

王家の出自もあって、この時代に国王の臣下として活躍した人物には、フランシス・ドレークウォルター・ローリーなどウェールズ系が多いと言われている。

アイルランド王国

[編集]

ヘンリー8世は1541年に、アイルランド議会の決議に基づく形で正式にアイルランド王となり(それまではアイルランド卿 (Lord of Ireland) を称していた)、イングランド・アイルランド両王国は同君連合ということになった。ただしアイルランドを実際に支配する有力諸侯は推戴も戴冠もしなかったので、史実的には詐称であると言える。とはいえアイルランドの歴史では、1541年をもってアイルランド王国の始まりであるとされている(この時代にはまだ実効支配に程遠いものであった)。

ヘンリー・テューダーの王位継承権について

[編集]

ランカスター家の祖ジョン・オブ・ゴーントは、最初の妻ブランシュ、2番目の妻コンスタンスとの間にヘンリー4世や娘たちをもうけていたが、愛人キャサリン・スウィンフォードとの間にも初代サマセット伯ジョン・ボーフォートら4人の子をもうけた。後にキャサリンとは正式に結婚したが、ヘンリー4世は子孫たちが王位継承を巡って争うことを危惧して、1407年にこの異母弟妹たちに対して「嫡出子であることは認めるが、王位継承権は認めない」とした。従って、ジョン・ボーフォートの子孫は、孫に当たるマーガレット・ボーフォートも含めて王位継承権を持たなかったことになる。マーガレット・ボーフォートの息子であるヘンリー7世も、ランカスター家の血を引くとはいえ本来ならば王位継承権を持たず、簒奪者であるとの見方もある。ただし、ヘンリー7世は正統な王位継承権を持つヨーク家エリザベス・オブ・ヨークと結婚し、以降の王たちはすべてその血筋であるため、以後の王たちの正統性には疑問の余地がない。

歴代国王

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系図

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エドワード3世
 
フィリッパ・オブ・エノー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ブランシュ・オブ・ランカスター
 
ジョン・オブ・ゴーント
 
キャサリン・スウィンフォード
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ライオネル・オブ・アントワープ
 
 
 
エドマンド・オブ・ラングリー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヘンリー4世
 
シャルル6世
フランス王
 
 
 
 
 
ジョン・ボーフォート
サマセット伯
 
ジョウン・ボーフォート
 
ラルフ・ネヴィル
ウェストモーランド伯
 
アン・モーティマー
 
リチャード・オブ・コニスバラ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヘンリー5世
 
キャサリン・オブ・ヴァロワ
 
オウエン・テューダー
 
ジョン・ボーフォート
サマセット公
 
 
 
 
 
 
 
セシリー・ネヴィル
 
リチャード・プランタジネット
ヨーク公
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヘンリー6世
 
ジャスパー・テューダー
ベッドフォード公
 
エドマンド・テューダー
リッチモンド伯
 
マーガレット・ボーフォート
 
 
 
 
 
 
 
エドワード4世
 
エリザベス・ウッドヴィル
 
ジョン・グレイ
 
リチャード3世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヘンリー7世
(1)
 
エリザベス・オブ・ヨーク
 
 
 
 
 
 
 
エドワード5世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トマス・グレイ
ドーセット侯
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジェームズ4世
スコットランド王
 
マーガレット・テューダー
 
アーチボルド・ダグラス
アンガス伯
 
アーサー・テューダー
 
キャサリン・オブ・アラゴン
 
ヘンリー8世
(2)
 
ルイ12世
フランス王
 
メアリー・テューダー
 
チャールズ・ブランドン
 
トマス・グレイ
ドーセット侯
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジェームズ5世
スコットランド王
 
マシュー・ステュアート
レノックス伯
 
マーガレット・ダグラス
 
フィリップ1世
スペイン王
(5)
 
メアリー1世
(5)
 
エリザベス1世
(6)
 
エドワード6世
(3)
 
 
 
フランセス・ブランドン
 
ヘンリー・グレイ
サフォーク公
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
メアリー1世
スコットランド女王
 
ヘンリー・ステュアート
ダーンリー卿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ギルフォード・ダドリー
 
ジェーン・グレイ
(4)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジェームズ1世
イングランド王・スコットランド王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


凡例
  •   テューダー家の人物
  •   ヨーク家の人物
  •   ステュアート家(嫡系)の人物

テューダー様式

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テューダー朝時代の美術・建築の様式をテューダー様式 (Tudor style) という。

脚注

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出典

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  1. ^ a b 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ). “チューダー朝とは”. コトバンク. 2022年9月15日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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  • ウィキメディア・コモンズには、テューダー朝に関するカテゴリがあります。