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'''小島 康史'''(こじま やすふみ、男性、[[1962年]] - )は、[[岐阜県]]出身の[[ドキュメンタリー]][[映画監督]]。[[浜松大学]]准教授。映像制作[[プロダクション]]・[[シネマユース]][[主幹]]。 |
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| 芸名 = 小島 康史 |
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| ふりがな = こじま やすふみ |
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| 生年 = 1962 |
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| 職業 = [[映像作家]]、[[大学教員]] |
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| ジャンル = [[ドキュメンタリー]]、[[広報]][[宣伝|プロモーション]] |
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| ブルーリボン賞 = |
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| 日本アカデミー賞 = |
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'''小島 康史'''(こじま やすふみ、[[1962年]] - )は、[[岐阜県]]出身の[[映像作家]]。[[日本文理大学]]教授。 |
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== 来歴・人物 == |
== 来歴・人物 == |
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[[専修大学北海道短期大学]]商科から[[専修大学]]商学部へ編入し、[[1985年]]3月に卒業。[[西武百貨店]]へ入社するも、[[1989年]]に[[日本映画学校]]に入学(1期生)。監督コース(2年)、ドキュメンタリー専科(1年)を卒業。 |
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[[1985年]]、[[専修大学]]商学部商業学科卒業。 |
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[[1989年]]、[[日本映画学校]]映像科ドキュメンタリーコース卒業。 |
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西武百貨店入社日に見た[[今村昌平]][[監督]]の「[[楢山節考 (1983年の映画)|楢山節考]]」に深い感銘を受け、1年で退社。その後、日本映画学校に入学。在学中は[[武田一成]]監督に師事し、2時間ドラマ「[[火曜サスペンス]]・[[霊感を売る女たち]]」でスタッフデビューする。在学2年次に[[ドキュメンタリー]]作品「[[瞼の紙芝居節]]」で監督をし(構成:[[伊藤康隆]]、編集:[[辻裕之]])、[[ヒロシマ国際アマチュア映画祭]]にて[[優秀賞]]を受賞する。卒業制作のドキュメンタリー作品「らせんの素描・牙子編」が[[武重邦夫]]の目に留まり、同氏に師事しながら演出を学ぶ。3年の年月を掛けた劇場用ドキュメンタリー映画「[[らせんの素描]]」を完成させると、日本初の男性同性愛を扱った作品として評判を呼び世界各地の映画祭から出品依頼を受ける。翌年、[[久保田傑]]の[[城戸賞]]受賞作「[[福本耕平かく走りき]]」をプロデュースする。 |
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大学時代に民族音楽を試聴していた[[六本木WAVE]]に就職しようと、西武流通グループのディスクポート西武に入社する。配属先が、ビデオレンタル事業部であったため、新作映画を毎日3本見るのが日課となった。[[今村昌平]][[監督]]の[[楢山節考]]に深い感銘を受け、今村監督が校長を務める[[日本映画学校]]に入学する。 |
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ドキュメンタリー映画からテレビ番組、CM、プロモーション作品、広報ビデオ制作など、ジャンルを問わず映像制作を手掛けている。 |
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一方で教育活動にも従事し、日本映画学校映像科専任講師(1995年~2009年)、[[日本大学文理学部]]国文学科非常勤講師(1998年~2010)、[[浜松大学]]ビジネスデザイン学部准教授(2008年~2015年)を経て、[[日本文理大学]]工学部情報メディア学科教授(2016年~)。 |
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日本映画学校では[[武田一成]]監督に師事し、在学中に武田監督の2時間ドラマ「[[火曜サスペンス]]・[[霊感を売る女たち]]」にてフォース助監督としてスタッフデビューする。在学2年次にはドキュメンタリー作品[[瞼の紙芝居節]]を監督(構成は[[伊藤康隆]]、編集は[[辻裕之]])し、[[ヒロシマ国際アマチュア映画祭]]にて[[優秀賞]]を受賞する。卒業制作のドキュメンタリー作品らせんの素描・牙子編が今村監督の右腕であった[[武重邦夫]]の目に留まる。この後、武重に師事しながら演出手法を学ぶ。さらに今村組制作担当であった[[莟宣次]]プロデューサーの協力を受け、3年の年月を掛けた劇場用ドキュメンタリー映画[[らせんの素描]]を完成させる。日本初の男性同性愛を扱った作品として評判を呼び、世界各地の映画祭から出品依頼を受ける。翌年、映画らせんの素描の劇場公開を決めた[[ヘラルド・エース]][[原正人]][[社長]]の指名で、映画学校の2年後輩・[[久保田傑]]の[[城戸賞]]受賞作[[福本耕平かく走りき]]をプロデュースする。 |
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[[日本映画学会]]会員。 |
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[[1995年]]より、日本映画学校映像科専任講師を務め、[[1998年]]より[[日本大学]]文理学部国文科講師を務め、[[2008年]]より[[浜松大学]]准教授を務めている。 |
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== 受賞 == |
== 映画祭作品招待・受賞歴 == |
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*第 |
*第8回ヒロシマ国際アマチュア映画祭 優秀賞(朝日新聞社賞)受賞 |
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*第3回アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭 作品招待 |
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*第47回教育映画祭 優秀作品賞(社会教育部門)受賞 |
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*第15回香港国際映画祭 作品招待 |
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*第3回ニューヨーク国際L&G映画祭 作品招待 |
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*第15回サンフランシスコ国際L&G映画祭 作品招待 |
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*第14回アジア・アメリカン国際映画祭 作品招待 |
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*第16回トロント国際映画祭 作品招待 |
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*第10回バンクーバー国際映画祭 作品招待 |
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*第4回東京国際映画祭「NIPPON CINEMA NOW」作品招待 |
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*第47回教育映画祭 優秀作品賞(社会教育部門)受賞 |
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*第23回トリノ国際L&G映画祭 作品招待 |
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== 作品 == |
== 主な作品 == |
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*「瞼の紙芝居節」(1987年)監督 |
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=== 映画 === |
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*「らせんの素描・牙子編」(1989年)監督 |
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*[[らせんの素描]](1991年)監督 |
*「[[らせんの素描]]」(1991年)監督 |
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*「福本耕平かく走りき」(1992年)プロデューサー |
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*「JAPAN'S RALLWAY」(1993年)監督 |
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*「あの人のために」(1994年)プロデューサー |
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*「ステンドグラス」(1995年)監督 |
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*「明日のアジアとシネマ」(1996年)構成 |
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*「古武術・体術」(1996年)監督 |
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*「きのこはバイオの力」(1997年)監督 |
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*「国際ペア囲碁大会」(1997年)監督 |
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*「健康の秘訣はごはん食・講義編」(1998年)監督 |
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*「健康の秘訣はごはん食・料理編」(1998年)監督 |
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*「健康長寿は日本型食生活から」(1999年)監督 |
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*「地域に広がる長寿食の知恵」(1999年)監督 |
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*「川崎21世紀〜カウントダウンイベント」(2000年)監督 |
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*「[[農業協同組合|JA]]改革の実践とリーダーシップ JA南すおうの改革」(2001年)監督 |
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*「何のための改革か JA愛知東の改革」(2001年)監督 |
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*「[[日本農業新聞]]」(2002年)監督 |
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*「組合員組織の活性化とリーダーシップ JA松本ハイランドの改革」(2002年)監督 |
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*「棋士・[[藤沢秀行]]の世界」(2003年)監督 |
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*「大都市にあり農の心を忘れずに JA福岡市の改革」(2003年)監督 |
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*「何をすべきか、また何ができるか JAとぴあ浜松の改革」(2004年)監督 |
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*「私たちのJA III」(2004年)監督 |
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*「地域に同化する JA十日町の改革」(2005年)監督 |
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*「小さな書家 [[金澤翔子]]の世界」(2005年)監督 |
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*「小さなJA 大きな貢献 JA相馬村の改革」(2006年)監督 |
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*「めっけもん広場を核にして JA南紀の里の改革」(2007年)監督 |
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*「オリエンタル・グリーン」(2008年)監督 |
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*「遊行舎公演・しんとく丸」(2009年)映像制作総指揮 |
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*「柳田泰山・楷書千字文」(2010年)監督 |
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*「ファーマーズマーケットが守る食と農業」(2011年)制作統括 |
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*「教えます、振込み詐欺の手口!」(2012年)制作統括 |
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*「羽ばたけドラ1☆[[鈴木翔太]]選手の素顔」(2013年)監督 |
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*「拡がる病児のきょうだい支援」(2014年)監督 |
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*「西湖山 [[龍雲寺]]」(2014年)監督 |
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*「[[金澤翔子]]・仏の書」(2015年)監督 |
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*「[[金澤翔子]]・感謝の書」(2017年)監督 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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*[https://sites.google.com/view/kojimakenkyusitu 日本文理大学小島研究室] |
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*[https://www.nbu.ac.jp/education/teacher/post.php?12745248 教員基本情報]|NBU日本文理大学 |
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*[http://blog.livedoor.jp/nihon_eiga/archives/678789.html 日本映画学校 週刊コラム] |
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2024年9月14日 (土) 19:56時点における最新版
こじま やすふみ 小島 康史 | |
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生年月日 | 1962年 |
出生地 | 日本・岐阜県 |
国籍 | 日本人 |
職業 | 映像作家、大学教員 |
ジャンル | ドキュメンタリー、広報プロモーション |
小島 康史(こじま やすふみ、1962年 - )は、岐阜県出身の映像作家。日本文理大学教授。
来歴・人物
[編集]専修大学北海道短期大学商科から専修大学商学部へ編入し、1985年3月に卒業。西武百貨店へ入社するも、1989年に日本映画学校に入学(1期生)。監督コース(2年)、ドキュメンタリー専科(1年)を卒業。
西武百貨店入社日に見た今村昌平監督の「楢山節考」に深い感銘を受け、1年で退社。その後、日本映画学校に入学。在学中は武田一成監督に師事し、2時間ドラマ「火曜サスペンス・霊感を売る女たち」でスタッフデビューする。在学2年次にドキュメンタリー作品「瞼の紙芝居節」で監督をし(構成:伊藤康隆、編集:辻裕之)、ヒロシマ国際アマチュア映画祭にて優秀賞を受賞する。卒業制作のドキュメンタリー作品「らせんの素描・牙子編」が武重邦夫の目に留まり、同氏に師事しながら演出を学ぶ。3年の年月を掛けた劇場用ドキュメンタリー映画「らせんの素描」を完成させると、日本初の男性同性愛を扱った作品として評判を呼び世界各地の映画祭から出品依頼を受ける。翌年、久保田傑の城戸賞受賞作「福本耕平かく走りき」をプロデュースする。
ドキュメンタリー映画からテレビ番組、CM、プロモーション作品、広報ビデオ制作など、ジャンルを問わず映像制作を手掛けている。
一方で教育活動にも従事し、日本映画学校映像科専任講師(1995年~2009年)、日本大学文理学部国文学科非常勤講師(1998年~2010)、浜松大学ビジネスデザイン学部准教授(2008年~2015年)を経て、日本文理大学工学部情報メディア学科教授(2016年~)。
日本映画学会会員。
映画祭作品招待・受賞歴
[編集]- 第8回ヒロシマ国際アマチュア映画祭 優秀賞(朝日新聞社賞)受賞
- 第3回アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭 作品招待
- 第15回香港国際映画祭 作品招待
- 第3回ニューヨーク国際L&G映画祭 作品招待
- 第15回サンフランシスコ国際L&G映画祭 作品招待
- 第14回アジア・アメリカン国際映画祭 作品招待
- 第16回トロント国際映画祭 作品招待
- 第10回バンクーバー国際映画祭 作品招待
- 第4回東京国際映画祭「NIPPON CINEMA NOW」作品招待
- 第47回教育映画祭 優秀作品賞(社会教育部門)受賞
- 第23回トリノ国際L&G映画祭 作品招待
主な作品
[編集]- 「瞼の紙芝居節」(1987年)監督
- 「らせんの素描・牙子編」(1989年)監督
- 「らせんの素描」(1991年)監督
- 「福本耕平かく走りき」(1992年)プロデューサー
- 「JAPAN'S RALLWAY」(1993年)監督
- 「あの人のために」(1994年)プロデューサー
- 「ステンドグラス」(1995年)監督
- 「明日のアジアとシネマ」(1996年)構成
- 「古武術・体術」(1996年)監督
- 「きのこはバイオの力」(1997年)監督
- 「国際ペア囲碁大会」(1997年)監督
- 「健康の秘訣はごはん食・講義編」(1998年)監督
- 「健康の秘訣はごはん食・料理編」(1998年)監督
- 「健康長寿は日本型食生活から」(1999年)監督
- 「地域に広がる長寿食の知恵」(1999年)監督
- 「川崎21世紀〜カウントダウンイベント」(2000年)監督
- 「JA改革の実践とリーダーシップ JA南すおうの改革」(2001年)監督
- 「何のための改革か JA愛知東の改革」(2001年)監督
- 「日本農業新聞」(2002年)監督
- 「組合員組織の活性化とリーダーシップ JA松本ハイランドの改革」(2002年)監督
- 「棋士・藤沢秀行の世界」(2003年)監督
- 「大都市にあり農の心を忘れずに JA福岡市の改革」(2003年)監督
- 「何をすべきか、また何ができるか JAとぴあ浜松の改革」(2004年)監督
- 「私たちのJA III」(2004年)監督
- 「地域に同化する JA十日町の改革」(2005年)監督
- 「小さな書家 金澤翔子の世界」(2005年)監督
- 「小さなJA 大きな貢献 JA相馬村の改革」(2006年)監督
- 「めっけもん広場を核にして JA南紀の里の改革」(2007年)監督
- 「オリエンタル・グリーン」(2008年)監督
- 「遊行舎公演・しんとく丸」(2009年)映像制作総指揮
- 「柳田泰山・楷書千字文」(2010年)監督
- 「ファーマーズマーケットが守る食と農業」(2011年)制作統括
- 「教えます、振込み詐欺の手口!」(2012年)制作統括
- 「羽ばたけドラ1☆鈴木翔太選手の素顔」(2013年)監督
- 「拡がる病児のきょうだい支援」(2014年)監督
- 「西湖山 龍雲寺」(2014年)監督
- 「金澤翔子・仏の書」(2015年)監督
- 「金澤翔子・感謝の書」(2017年)監督
外部リンク
[編集]- 日本文理大学小島研究室
- 教員基本情報|NBU日本文理大学
- 日本映画学校 週刊コラム