コンテンツにスキップ

「長谷川良夫」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
 
(37人の利用者による、間の43版が非表示)
1行目: 1行目:
{{別人|x1=詩人の|長谷川善雄}}
{{クラシック音楽}}
{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = 長谷川 良夫
| Img =
| Img_capt =
| Img_size = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
| Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
| Background = classic
| Born = {{生年月日|1907|12|22}}
| Birth_name = <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 -->
| Alias =
| Blood = <!-- 個人のみ -->
| School_background = [[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]]
| Died = {{死亡年月日と没年齢|1907|12|22|1981|5|6}}
| Origin = {{JPN}}[[東京都]]
| Instrument =
| Genre = [[クラシック音楽]]
| Occupation = [[作曲家]]
| Years_active =
| Label =
| Production =
| Associated_acts =
| Influences =
| URL =
| Current_members = <!-- グループのみ -->
| Past_members = <!-- グループのみ -->
| Notable_instruments =
}}
'''長谷川 良夫'''(はせがわ よしお、[[1907年]][[12月22日]] - [[1981年]][[5月6日]])は[[日本]]の[[作曲家]]。
'''長谷川 良夫'''(はせがわ よしお、[[1907年]][[12月22日]] - [[1981年]][[5月6日]])は[[日本]]の[[作曲家]]。


==経歴==
==経歴==
[[東京]]に生まれる。
[[東京]]に生まれる。作曲を[[信時潔]]、[[クラウス・プリングスハイム]]に師事。[[1931年]][[東京音楽学校]]師範科卒業。[[1933年]]同研究科作曲聴講生修了、[[日本ビクター]]に所属。[[1937年]]、[[宝塚歌劇団]]作曲部に所属。[[1938年]][[ドイツ]]に渡り、[[ベルリン国立歌劇場]]で[[オペラ]]を研究。[[1940年]]帰国。[[1946年]]、東京音楽学校(後、[[東京藝術大学]][[音楽学部]])作曲科[[教授]]に就任。[[1975年]]、同大学[[名誉教授]]となる。[[1979年]]、勲三等[[瑞宝章]]を受章。[[1981年]]、[[心不全]]のため逝去。


作曲を[[信時潔]]、[[クラウス・プリングスハイム]]に師事。[[1931年]][[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]]師範科卒業。[[1933年]]同研究科作曲聴講生修了、[[日本ビクター]]に所属。[[1937年]]、[[宝塚歌劇団]]作曲部に所属。[[1938年]][[ドイツ]]に渡り、[[ベルリン国立歌劇場]]で[[オペラ]]を研究し、[[1940年]]帰国。[[1946年]]、東京音楽学校作曲科[[教授]]に就任。[[1949年]]、学制移行により[[東京芸術大学]]教授となる。[[1975年]]、同大学[[名誉教授]]となる。
[[音楽教育]]に力を注ぎ、著書に『作曲法教程』『大和声学教程』『対位法』などがある。
[[1979年]]、勲三等[[瑞宝章]]を受章。[[1981年]]、[[心不全]]のため死去。


[[音楽教育]]に力を注ぎ、著書に『作曲法教程』『大和声学教程』『対位法』などがある。門下から、[[保科洋]]、[[菅野光亮]]、[[三枝成彰]]はじめ多数の作曲家を輩出している。
==主な作品==
*大いなる朝 ([[日本国憲法]]発布記念祝典のための[[カンタータ]])
*瓶の中の世界 ([[弦楽器]]・[[打楽器]]・[[四分音ピアノ]]と[[朗読]]による放送音楽、イタリア放送協会賞を受賞)
*万葉抄 ([[歌曲]])
*やぎの子 ([[童謡]])


==関連記事==
==主要作品==
* {{ruby|偉|おお}}いなる朝 ([[日本国憲法|新憲法]]施行記念祝賀会のための[[カンタータ]]<!-- https://www.digital.archives.go.jp/img/606387 憲法普及会『事業概要報告書』 -->)
*[[和声 理論と実習]]
* 瓶の中の世界 ([[弦楽器]]・[[打楽器]]・[[四分音ピアノ]]と[[朗読]]による放送音楽、イタリア放送協会賞を受賞)
* 二つの日本民謡調 (ヴァイオリン、ピアノ)
* 生はげ舞曲(男鹿半島舞曲)
* 第一弦楽四重奏曲
* 室内管弦楽または9楽器のための能(ピアノ、クラリネット、フルート、オーボエ、ヴィブラフォン、2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)
* 管弦楽のためのバラード
* 万葉抄 ([[歌曲]])
* 秋の歌四章 (歌曲)
* 希望の歌(昭和24年度全国唱歌ラジオコンクール[現 [[NHK全国学校音楽コンクール]]]中学校の部課題曲)
* いつも心に(昭和27年度全国唱歌ラジオコンクール中学校の部課題曲)
* 早春(無伴奏混声合唱)
* 春待草([[国民歌謡]])
* やぎの子 ([[童謡]])
* [[北九州市歌]]
* 市原市民歌
* 東京農工大学歌
* 立命館大学学生歌<ref>[https://www.ritsumei.ac.jp/data.jsp?database=R168archivesBlog&id=52 <学園史資料から>「立命館大学学生歌」と「寮歌」 立命館あの日あの時 | 立命館 史資料センター準備室(旧・立命館百年史編纂室)]</ref>
* [[大分県立大分鶴崎高等学校]]校歌
* [[香川県立丸亀高等学校]]校歌
* [[長崎県立長崎西高等学校]]校歌
* [[西宮市立西宮高等学校]]校歌
* [[兵庫県立龍野高等学校]]校歌
* [[島根県立出雲高等学校]]校歌
* [[富山県立桜井高等学校]]校歌
* [[北海道旭川東高等学校]]校歌
* [[東京都立武蔵高等学校・附属中学校]]校歌
* 神奈川県立柏陽高等学校校歌
* [[千葉県立佐原高等学校]]校歌
* [[富津市立大貫中学校]]校歌
* [[富津市立佐貫中学校]]校歌
* [[日光市立湯西川小中学校]]校歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikko.ed.jp/yunishigawa/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%A6%82%E8%A6%81/%E6%A0%A1%E6%AD%8C|title=校歌|publisher=日光市立湯西川小中学校|accessdate=2022-04-03}}</ref>


==著書==
* 合唱読本
* 対位法:線的作曲技法及びカノン・フーガ
* 和声学入門
* 大和声学教程:機能理論に基く和声運用の実技
* 作曲法教程上巻
* 作曲法教程下巻
* 作曲のよろこび

==ディスコグラフィー==
* 長谷川良夫の音楽:東と西の接点を求めて(ポリドール)

== 関連記事 ==
* [[和声 理論と実習]]

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
{{DEFAULTSORT:はせかわ よしお}}
{{DEFAULTSORT:はせかわ よしお}}
{{Classic-stub}}
[[Category:日本の作曲家]]
{{Music-bio-stub}}
{{Normdaten}}
[[Category:日本の男性作曲家]]
[[Category:20世紀日本の音楽教育者]]
[[Category:東京芸術大学出身の人物]]
[[Category:東京芸術大学の教員 (音楽)]]
[[Category:日本ビクターの人物]]
[[Category:宝塚歌劇団の作曲家]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:勲三等瑞宝章受章者]]
[[Category:1907年生]]
[[Category:1907年生]]
[[Category:1981年没]]
[[Category:1981年没]]
{{Classic-stub}}
{{People-stub}}

2024年9月22日 (日) 04:13時点における最新版

長谷川 良夫
生誕 (1907-12-22) 1907年12月22日
出身地 日本の旗 日本東京都
死没 (1981-05-06) 1981年5月6日(73歳没)
学歴 東京音楽学校
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家

長谷川 良夫(はせがわ よしお、1907年12月22日 - 1981年5月6日)は日本作曲家

経歴

[編集]

東京に生まれる。

作曲を信時潔クラウス・プリングスハイムに師事。1931年東京音楽学校師範科卒業。1933年同研究科作曲聴講生修了、日本ビクターに所属。1937年宝塚歌劇団作曲部に所属。1938年ドイツに渡り、ベルリン国立歌劇場オペラを研究し、1940年帰国。1946年、東京音楽学校作曲科教授に就任。1949年、学制移行により東京芸術大学教授となる。1975年、同大学名誉教授となる。 1979年、勲三等瑞宝章を受章。1981年心不全のため死去。

音楽教育に力を注ぎ、著書に『作曲法教程』『大和声学教程』『対位法』などがある。門下から、保科洋菅野光亮三枝成彰はじめ多数の作曲家を輩出している。

主要作品

[編集]

著書

[編集]
  • 合唱読本
  • 対位法:線的作曲技法及びカノン・フーガ
  • 和声学入門
  • 大和声学教程:機能理論に基く和声運用の実技
  • 作曲法教程上巻
  • 作曲法教程下巻
  • 作曲のよろこび

ディスコグラフィー

[編集]
  • 長谷川良夫の音楽:東と西の接点を求めて(ポリドール)

関連記事

[編集]

脚注

[編集]