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'''東儀 鉄笛'''(とうぎ てってき、[[明治]]2年[[724日 (旧暦)|724日]][[1869年]][[831日]] - [[大正]]14年[[1925年]][[2月14日]])は、[[明治]]・[[大正]]期の[[雅楽]]家・[[作曲家]]・[[俳優]]。本名・東儀季治(すえはる)。[[京都府]]出身。雅楽演奏家・[[東儀秀樹]]の先祖にある。
'''東儀 鉄笛'''(とうぎ てってき、[[明治]]2年[[616日 (旧暦)|616日]][[1869年]][[724日]] - [[大正]]14年[[1925年]][[2月4日]])は、[[明治]]・[[大正]]期の[[雅楽]]家・[[作曲家]]・[[俳優]]。本名・'''東儀 季治'''(すえはる)。[[京都府]]出身。・[[東儀季芳|季芳]](すえよし)は、[[安倍季誕]](すえぶ)の子として生まれ、のち、祖父である[[東儀季郛]](すえもり)の死後、東儀の姓を継いだ。孫・[[東儀季信]]は元[[宮内庁]]楽部楽師


==歴==
== ==
[[1869年]][[7月24日]]([[明治]]2年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]])に京都に生れ、[[1872年]](明治5年)に東京へ移住する{{Sfn|百年史第2巻|1981|p=250}}。[[1879年]](明治12年)から[[宮内省]]に出仕し、[[1890年]](明治23年)に雅楽部の伶人兼楽手に補せられる{{Sfn|百年史第2巻|1981|p=250}}。[[1892年]](明治25年)9月に[[早稲田大学|早稲田専門学校文学科]]に入学したと本人自筆の履歴書に書いているが、学籍簿には記録されていない{{Sfn|百年史第2巻|1981|p=250}}。[[1897年]](明治30年)には宮内省を退職し、帝国教育会や[[獨逸学協会学校|独逸学協会学校]]に勤める{{Sfn|百年史第2巻|1981|p=250}}<ref>目で見る獨協百年史(獨協学園百年史編纂委員会)</ref>。
1300年も続く雅楽の家柄に生まれ、[[宮内庁]][[雅楽寮]]に勤める傍ら、東京専門学校(現・[[早稲田大学]])に学んだ(中退)。


[[1902年]](明治35年)からは[[坪内逍遥]]に師事し、[[1905年]](明治38年)には[[早稲田大学]]の講師として清国留学生部に唱歌を担当する傍ら、[[1906年]](明治39年)には[[文芸協会]]の創立に参加し、[[高田早苗]]の知遇を受けて早稲田大学学監室主事の名を与えられて秘書、更に副幹事に任ぜられる{{Sfn|百年史第2巻|1981|p=250}}。[[1911年]](明治44年)に早稲田大学を辞して演劇、特に俳優養成に専念する{{Sfn|百年史第2巻|1981|p=250}}。
[[1906年]]設立の[[坪内逍遥]]の「[[文芸協会]]」に加わり、[[新劇]]俳優としても活躍。「[[ベニスの商人]]」のシャイロック、「[[マクベス (シェイクスピア)|マクベス]]」のマクベスなどを得意とした。協会解散後は[[無名会]]を組織。また[[西洋音楽]]を学び、東京音楽学校(現・[[東京芸術大学]])講師となった。


文芸協会の解散した後は無名会、新文芸協会を創設し、更に晩年は日本音楽史の編述に当る{{Sfn|百年史第2巻|1981|p=251}}。[[1925年]]([[大正]]14年)[[2月4日]]、[[脳出血]]のため死去<ref>[[服部敏良]]『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)19頁</ref>。墓所は[[雑司ヶ谷霊園]]。
早稲田大学校歌「[http://ja.wikisource.org/wiki/%E9%83%BD%E3%81%AE%E8%A5%BF%E5%8C%97 都の西北]」(作詞:[[相馬御風]])の作曲者としても知られる。


==主な作曲作品==
== 早稲田大学校歌の作曲 ==
「[[s:都の西北|都の西北]] 早稲田の森に…」の歌い出しで有名な[[早稲田大学#校歌|早稲田大学校歌]](作詞 [[相馬御風]])の作曲者。[[イェール大学]]の学生歌である「オールドイェール」の旋律を採り入れているともされているが、さらに「オールドイェール」は、イギリスやアメリカの古民謡の影響の下にあり、それらを参考にしたのかは不明であった<ref>[http://library.soukon.com/CT_OldYale.html 「都の西北」のルーツ?] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080925130425/http://library.soukon.com/CT_OldYale.html |date=2008年9月25日 }}</ref>。しかしながら、現在では早稲田大学校歌研究会による調査によって、当時の時代背景などから判断して東儀鉄笛が「オールドイェール」を下敷きとしたことがほぼ確定的となり、研究成果として『校歌百年... 歌い継がれた 都の西北の謎』というDVDにまとめられている<ref>{{Cite web|和書|date=2007-11-22 |url=http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2007b/142e.html |title=News & Topics 校歌の謎 |work:早稲田ウィークリー |publisher=[[早稲田大学]] |accessdate=2013-02-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=葛西順一 |date=2007-11-14 |url=http://www.waseda.jp/jp/opinion/2007/opinion264.html |title=No.264 「都の西北」の研究 |work:オピニオン |publisher=早稲田大学、[[朝日新聞社]] |accessdate=2013-02-17}}</ref>。
*早稲田大学校歌「都の西北」(作詞:相馬御風)

== 主な作曲作品 ==
*歌劇「常闇」(台本:[[坪内逍遥]])
*早稲田大学校歌「都の西北」(作詞:[[相馬御風]]
*[[早稲田中学校・高等学校]]第一校歌(作詞:坪内逍遥)
*[[早稲田中学校・高等学校]]第一校歌(作詞:坪内逍遥)
*[[広島県]]・[[庄原市立本小学校]]校歌(作詞:[[稲毛詛風]])
*[[広島県]]・[[庄原市立本小学校]]校歌(作詞:[[稲毛金七|稲毛詛風]])
*[[国士舘大学|国士舘]]舘歌(作詞:[[柴田徳次郎]])<ref>{{Cite web|和書|title=校章と舘歌/国士舘大学について/大学案内|国士舘大学|url=https://www.kokushikan.ac.jp/information/about/school_badge.html|website=国士舘大学|accessdate=2019-10-15|language=ja}}</ref>
*[[秋田県立大館鳳鳴高等学校]]校歌(作詞:[[土井晩翠]])
*[[千葉県立成東高等学校]]校歌(作詞:[[大和田建樹]])
*[[千葉県立銚子商業高等学校]]校歌(作詞:[[相馬御風]])

== 著書 ==
* {{Cite book |和書 |author=ジョーヂ・ルミース |translator=東儀季治 |others=[[上真行]]閲 |title=小学唱歌教授法 |date=1889-05 |publisher=共益商社・中央堂 |id={{全国書誌番号|40040695}} {{NDLJP|811983}} |ncid=BA31904135}}
* {{Cite book |和書 |author=[[杉谷代水]] |others=東儀鉄笛曲 |title=新曲太田道灌 |date=1906-02 |publisher=[[修文館]] |id={{全国書誌番号|40074376}} {{NDLJP|856944}} {{NDLJP|902559}} |ncid=BA78318533}}
* {{Cite book |和書 |author=[[坪内逍遥]] |others=東儀鉄笛曲 |title=常闇 |date=1906-10 |publisher=修文館 |id={{全国書誌番号|40073093}} {{NDLJP|854967}} |ncid=BB15018372}}
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* {{Cite book |和書 |author=[[巖谷小波]] |others=東儀鉄笛曲 |title=お伽唱歌 |volume=上下巻 |date=1907-12 |publisher=博文館}}
** {{Cite book |和書 |author=[[巖谷小波]] |others=東儀鉄笛曲 |title=お伽唱歌 |volume=上下巻 |edition=訂正再版 |date=1909-01 |publisher=博文館 |id={{全国書誌番号|}} {{NDLJP|855070}} {{NDLJP|855071}}}}

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |title=早稲田大学百年史 |volume=第2巻 |date=1981-09-14 |publisher=[[早稲田大学]] |url=https://chronicle100.waseda.jp/index.php?%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B7%BB |id={{全国書誌番号|82012330}} |ncid=BN00927987 |ref={{Harvid|百年史第2巻|1981}}}}

== 外部リンク ==
* {{Kotobank|東儀鉄笛}}
* {{Kotobank|東儀 鉄笛}}
* {{Wayback |url=http://merlot.wul.waseda.ac.jp/sobun/t/to003/to003p01.htm |title=早稲田と文学(東儀鉄笛) |date=20170320233414}}

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[[Category:雑司ヶ谷霊園に埋葬されている人物]]

2024年9月24日 (火) 02:34時点における最新版

東儀 鉄笛(とうぎ てってき、明治2年6月16日1869年7月24日〉 - 大正14年〈1925年2月4日)は、明治大正期の雅楽家・作曲家俳優。本名・東儀 季治(すえはる)。京都府出身。父・季芳(すえよし)は、安倍季誕(すえのぶ)の子として生まれ、のちに、祖父である東儀季郛(すえもり)の死後、東儀の姓を継いだ。孫・東儀季信は元宮内庁楽部楽師。

来歴

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1869年7月24日明治2年6月16日)に京都に生れ、1872年(明治5年)に東京へ移住する[1]1879年(明治12年)から宮内省に出仕し、1890年(明治23年)に雅楽部の伶人兼楽手に補せられる[1]1892年(明治25年)9月に早稲田専門学校文学科に入学したと本人自筆の履歴書に書いているが、学籍簿には記録されていない[1]1897年(明治30年)には宮内省を退職し、帝国教育会や独逸学協会学校に勤める[1][2]

1902年(明治35年)からは坪内逍遥に師事し、1905年(明治38年)には早稲田大学の講師として清国留学生部に唱歌を担当する傍ら、1906年(明治39年)には文芸協会の創立に参加し、高田早苗の知遇を受けて早稲田大学学監室主事の名を与えられて秘書、更に副幹事に任ぜられる[1]1911年(明治44年)に早稲田大学を辞して演劇、特に俳優養成に専念する[1]

文芸協会の解散した後は無名会、新文芸協会を創設し、更に晩年は日本音楽史の編述に当る[3]1925年大正14年)2月4日脳出血のため死去[4]。墓所は雑司ヶ谷霊園

早稲田大学校歌の作曲

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都の西北 早稲田の森に…」の歌い出しで有名な早稲田大学校歌(作詞 相馬御風)の作曲者。イェール大学の学生歌である「オールドイェール」の旋律を採り入れているともされているが、さらに「オールドイェール」は、イギリスやアメリカの古民謡の影響の下にあり、それらを参考にしたのかは不明であった[5]。しかしながら、現在では早稲田大学校歌研究会による調査によって、当時の時代背景などから判断して東儀鉄笛が「オールドイェール」を下敷きとしたことがほぼ確定的となり、研究成果として『校歌百年... 歌い継がれた 都の西北の謎』というDVDにまとめられている[6][7]

主な作曲作品

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著書

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  • ジョーヂ・ルミース 著、東儀季治 訳『小学唱歌教授法』上真行閲、共益商社・中央堂、1889年5月。 NCID BA31904135全国書誌番号:40040695 NDLJP:811983 
  • 杉谷代水『新曲太田道灌』東儀鉄笛曲、修文館、1906年2月。 NCID BA78318533全国書誌番号:40074376 NDLJP:856944 NDLJP:902559 
  • 坪内逍遥『常闇』東儀鉄笛曲、修文館、1906年10月。 NCID BB15018372全国書誌番号:40073093 NDLJP:854967 
  • 東儀鉄笛『音楽通解』博文館、1907年8月。 NCID BN15198643全国書誌番号:40072917 NDLJP:854777 
    • 東儀鉄笛『音楽通解』(再版)博文館、1908年3月。 NCID BA6612224X 
  • 巖谷小波『お伽唱歌』 上下巻、東儀鉄笛曲、博文館、1907年12月。 

脚注

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  1. ^ a b c d e f 百年史第2巻 1981, p. 250.
  2. ^ 目で見る獨協百年史(獨協学園百年史編纂委員会)
  3. ^ 百年史第2巻 1981, p. 251.
  4. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)19頁
  5. ^ 「都の西北」のルーツ? Archived 2008年9月25日, at the Wayback Machine.
  6. ^ News & Topics 校歌の謎”. 早稲田大学 (2007年11月22日). 2013年2月17日閲覧。
  7. ^ 葛西順一 (2007年11月14日). “No.264 「都の西北」の研究”. 早稲田大学、朝日新聞社. 2013年2月17日閲覧。
  8. ^ 校章と舘歌/国士舘大学について/大学案内|国士舘大学”. 国士舘大学. 2019年10月15日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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