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[[太平洋戦争]]終戦後の1948年(昭和23年)には警察犯処罰令が廃止され、[[軽犯罪法]]が施行された。同法においては入れ墨は規制されなかったため、これによって近代を通して続いた入れ墨禁止令は撤廃された{{Sfn|山本|1997|p=95}}。戦後の入れ墨に対するイメージは、1963年(昭和38年)以降の[[ヤクザ映画]]ブームに左右される部分が大きく、1992年(平成4年)の[[暴力団対策法]]施行以降は、公衆入浴施設が、入れ墨をほどこした人の立ち入りを禁止することも増えた{{Sfn|藤岡|2023|p=38}}。2015年(平成27年)には、タトゥーを入れる行為が医療行為に当たるとして、吹田市の彫師の男性が[[医師法]]違反の罪に問われ起訴されたが、2020年(令和2年)に無罪が確定した<ref>{{Cite web |title=「タトゥー文化への尊敬感じた」無罪確定の彫り師側語る:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASN9L6VMKN9LPTIL004.html |website=朝日新聞デジタル |date=2020-09-18 |access-date=2024-10-09 |language=ja}}</ref>。 |
[[太平洋戦争]]終戦後の1948年(昭和23年)には警察犯処罰令が廃止され、[[軽犯罪法]]が施行された。同法においては入れ墨は規制されなかったため、これによって近代を通して続いた入れ墨禁止令は撤廃された{{Sfn|山本|1997|p=95}}。戦後の入れ墨に対するイメージは、1963年(昭和38年)以降の[[ヤクザ映画]]ブームに左右される部分が大きく、1992年(平成4年)の[[暴力団対策法]]施行以降は、公衆入浴施設が、入れ墨をほどこした人の立ち入りを禁止することも増えた{{Sfn|藤岡|2023|p=38}}。2015年(平成27年)には、タトゥーを入れる行為が医療行為に当たるとして、吹田市の彫師の男性が[[医師法]]違反の罪に問われ起訴されたが、2020年(令和2年)に無罪が確定した<ref>{{Cite web |title=「タトゥー文化への尊敬感じた」無罪確定の彫り師側語る:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASN9L6VMKN9LPTIL004.html |website=朝日新聞デジタル |date=2020-09-18 |access-date=2024-10-09 |language=ja}}</ref>。 |
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== 受容 == |
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=== 入れ墨の規制 === |
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==== 入場規制 ==== |
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入れ墨を入れた者は[[公衆浴場法]]で定められた浴場を除いた非認可入浴施設{{efn|公衆浴場(いわゆる銭湯)に関しては公衆浴場法に則り、公衆の衛生を維持するための施設となっているため、入れ墨の有無だけでは入浴を拒否できない。 |
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一部の入浴施設が入場を制限していることについて国会にて質疑が行われ、衆議院議長名で入れ墨を理由にした入場制限は認められないと答弁が行われた。}}<ref>[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/193069.htm 入れ墨がある人の公衆浴場での入浴に関する質問主意書]</ref><ref>[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b193069.htm 衆議院議員初鹿明博君提出入れ墨がある人の公衆浴場での入浴に関する質問に対する答弁書]</ref>([[温泉]]、[[大浴場]]、[[サウナ]]、[[スーパー銭湯]]、[[健康ランド]]など)や遊園地、[[プール]]、[[海水浴場]]、[[フィットネスクラブ|ジム]]、[[ゴルフ場]]などへの入場を断られることがあるが、これは各施設の規則によるものであり法的な制限はない。施設管理者に逆らった場合は[[建造物侵入罪]](刑法130条前段)の構成要件に該当し、入れ墨をした者が退場を求められても従わなかった場合は[[不退去罪]](刑法130条後段)の構成要件に該当する。しかし最近では外国人も多くいるため、入場を規制しない施設や入れ墨をシールで隠す対応を取れば入場を可能とする施設が出てきている<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO10540390S6A211C1000000/ タトゥーを隠すシールを温泉で導入した理由]</ref>。ただし、[[公衆浴場法]]では入浴を拒む理由として入れ墨が認められていないために、公衆浴場法で定められた公衆浴場では入れ墨を入れた者も入浴が可能である。全国の公衆浴場で構成している[[全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会]](全浴連)も、「入れ墨のある人の入浴を認めており、拒否することはできない」との見解を出している<ref>{{Cite web|和書 |title=「タトゥー客お断り」の銭湯、地元J3選手は例外…「特別扱いするのか」と苦情 |url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20220525-OYT1T50126/ |website=読売新聞 |date=2022-05-25 |access-date=2022-05-26 |page=2}}</ref>。愛媛県の[[道後温泉]]など温泉でありながら公衆浴場である場合などは入れ墨を入れたものの入浴を認めている場合がある。 |
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* 2010年1月、「入れ墨お断り」の看板を無視して入浴施設に入ったとして建造物侵入罪に問われた裁判で、被告に懲役7か月の実刑判決(求刑・懲役1年)が言い渡された<ref>[https://web.archive.org/web/20100115112217/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100112-OYT1T00749.htm 「入れ墨お断り」無視し入浴…建造物侵入で実刑] 読売新聞 2010年1月12日</ref>。 |
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* 神戸市の須磨海岸では、「須磨海岸を守り育てる条例」によって、「入れ墨その他これに類する外観を有するものを公然と公衆の目に触れさせること」が禁止されている。 |
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* [[三社祭]]では地元暴力団「[[浅草高橋組]]」が介入する例が度々確認されており、逮捕者も出ている<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015072400527 三社祭で入れ墨見せる=混乱誘発、組幹部逮捕-迷惑防止条例違反容疑・警視庁] 時事通信2015年7月24日</ref>。 |
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==== 雇用 ==== |
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就職採用に当たり身体検査のある企業への就職には制限がある。公務員では[[自衛官]]など一部の職種において、入れ墨も「身体上の不具合」として採用していない<ref>[https://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/pdf/y/r4_jikousei.pdf 自衛官候補生募集要項(令和4年度)]</ref>。 |
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入れ墨が原因で懲戒解雇されるか、もしくはマイナス評価を与えられたり、[[企業コンプライアンス|コンプライアンス]]の観点から雇用契約を破棄されたりと、社会生活上様々なリスクを負ったケースも報告されていた。 |
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2012年2月の大阪市の事例では、児童福祉施設で働く30代の市役所職員が子どもたちに入れ墨を見せて脅していたという件で、大阪市長[[橋下徹]]は全職員を対象にアンケート調査を行い、入れ墨が他者の目に触れる可能性のある職員に関しては、直接市民と接することのない部署への[[配置転換]]を行った<ref>{{cite news |language= |author= |url=https://www.j-cast.com/2012/05/17132467.html |title=大阪市「入れ墨職員」は分限か異動 除去手術「はがき大で50万円」 |publisher= |date=2012-05-17 |accessdate=2012-05-17}}</ref>。大阪市による入れ墨調査について回答を拒否した職員に対しては戒告処分となったが、最高裁判所はこの訓告処分を合法とした<ref>{{cite news |url=http://www.asahi.com/articles/ASJCC5R8KJCCUTIL032.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161121173813/http://www.asahi.com/articles/ASJCC5R8KJCCUTIL032.html |title=入れ墨調査拒否、大阪市2職員の敗訴確定 最高裁 |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |publisher=[[朝日新聞社]] |date=2016-11-11 |accessdate=2016-11-21 |archivedate=2016-11-21}}</ref>。 |
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==== スポーツ界 ==== |
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[[全日本柔道連盟]]は[[2016年]]12月に、入れ墨をした選手を2018年4月以降、高校生以下の全柔連主催大会で出場禁止にすることを決定。この年、入れ墨をした中学生選手が出場してから対応を検討してきた<ref>[https://news.biglobe.ne.jp/sports/1216/ym_161216_9946956357.html 柔道大会、入れ墨選手は出場ダメ…高校生以下] - 読売新聞、2016年12月16日</ref>。[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]では各クラブが厳重注意という形で通達をしている<!--元記事でも匿名の憶測のため除去しました--><ref>[https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/182982 初代表FW小林は左腕に 日本サッカー選手の仰天入れ墨事情] - 日刊ゲンダイ、2016年6月7日</ref>。[[日本プロ野球|プロ野球]]では[[アレックス・カブレラ#人物|アレックス・カブレラ]]のような例がある。[[ボクシング|プロボクシング]]ではライセンス取得のために、皮膚移植やレーザー除去した選手もいる<ref>[http://www.leone.co.jp/amazing-grace/cast/ キャスト] - 映画「アメイジング グレイス」〜儚き男たちへの詩〜公式サイト</ref>。2014年時点で日本ボクシングコミッション(JBC)のルールブック「試合出場ボクサー」の項には、入れ墨に関する記述があった<ref>[https://www.daily.co.jp/opinion-d/2014/07/09/0007128317.shtml ボクシングの「タトゥー」ルール通りに] - デイリースポーツ、2014年7月9日</ref>。[[日本相撲協会]]では[[2019年]]2月に相撲規則の力士(競技者)規定を改定し、これまで部屋の師匠が口頭で伝えてきた入れ墨(他、伸びた爪や過度な[[験を担ぐ|験担ぎ]]によるひげ)禁止を明文化、力士会で関取衆にも伝えた<ref>{{Cite web|和書 |title=「神聖な土俵」入れ墨や験担ぎのひげ、禁止に : スポーツ |url=https://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/20190226-OYT1T50306/ |website=読売新聞オンライン |date=2019-02-26 |accessdate=2019-03-25 |language=ja}}</ref>。 |
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=== 施術の規制 === |
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暴力団員、またその関係者に対する逮捕を主な目的とするために、平成時代では医師法を適用することでの取り締まりを行おうとした。 |
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2018年11月の大阪高裁の判決では、タトゥーは歴史や現代社会で美術的な意義や社会的風俗という実態があることを踏まえ、「医師の業務とは根本的に異なる」として医行為には当たらず、医師免許は必要ではないとした<ref name="nhk_20200917">[https://web.archive.org/web/20200917124516/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200917/k10012623811000.html 医師法違反の罪問われたタトゥー彫り師 無罪確定へ] - [[NHK]]</ref>。これは厚生労働省の通達と異なる判断であることや、[[草野耕一]]裁判長が補足意見として「タトゥーの施術による保健衛生上の危険を防ぐため法律の規制を加えるのであれば、新たな立法によって行うべきだ」と述べたほか、誤解を解くためとして「被施術者の身体を傷つける行為であるから、施術の内容や方法等によっては傷害罪が成立し得る」と述べたことから<ref>[https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/tattoo-innocence7 タトゥー禁止令「それでどうなの?」警察幹部は鼻で笑った]</ref>、入れ墨を取り締まる新法が登場する可能性もある<ref name="nhk_20200917" />。彫り師の団体である一般社団法人日本タトゥーイスト協会では、衛生上の問題は資格制度により対処すべきだとしている<ref>[https://tattooist.or.jp/ 一般社団法人 日本タトゥーイスト協会]</ref>。 |
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== 出典 == |
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2024年10月10日 (木) 20:03時点における最新版
日本の入れ墨(にほんのいれずみ)では、日本における入れ墨について述べる。
種類と技法
[編集]日本の伝統的な入れ墨は和彫りと呼称され、欧米圏由来の洋彫りと区別される[1]。伝統的な彫師は和彫りのみを手掛けるが[2]、現代日本において両者の区別は曖昧で、多くのタトゥースタジオは両者を手掛ける[1]。伝統的な手彫りにおいては「鑿」と呼ばれる柄にたくさんの針を束ねた道具を用いて身体を突き刺し、入れ墨をほどこすが、タトゥーマシンを用いた機械彫りも一般的である[3]。入れ墨に用いる墨としては、伝統的には、古梅園の『櫻』が最も代表的なものとして知られており、着彩には日本画の絵具を用いた[4]。
和彫りにおいては、単一の図案を入れることを抜き彫り[5]、図案のまわりに紅葉などをあしらうことを化粧彫りという[6]。図案の周囲を取り囲むような「額」を彫り込んだものを額彫りという[5]。「額」は和彫り特有の技法と考えられている[5][7]。入れ墨の入った部分と素肌の境目を「みきり」と呼び、これには半円形の「牡丹みきり」、直線の「ぶつきり」、ぼかしをつける「曙見切り」などがある[7][8]。腕の付け根から肩口にいれる入れ墨を「ひかえ」、胸から腹にかけて帯状の空白を残した彫り方を「胸割り」と呼ぶ[9]。胸を割らずにすべて彫ったものは「どんぶり」と呼ぶ。また、手首から足首まで全身に入れ墨を彫ることを総身彫りという[10]。
輪郭線を入れることを筋彫りといい、ぼかし彫りによって着彩する[11][12]。単純なベタ塗りは「ベタぼかし」、グラデーションを表現する技法は「あけぼのぼかし」と呼び、着彩については色刺しないし色ぼかしとも呼ぶ[11]。
歴史
[編集]先史
[編集]縄文時代の日本列島には、すでに入れ墨文化が存在したとする考えがあるが、はっきりとしたことはわからない。土偶には顔面部に装飾をほどこしたものが存在するものの、これを縄文人の顔面装飾を反映したものと仮定しても、それが顔面彩色や瘢痕文身ではなく、入れ墨(刺痕文身)であると判断することは困難である[13]。
とはいえ、弥生時代の日本列島に入れ墨文化が存在したことはほぼ確実であり(後述)[14]、高山純は土偶に見られる文様のうち、写実的だと考えられ、同一のものが各地に見出され、かつ髭と見間違える可能性の低い文様である「ダブルハの字紋」は縄文人の入れ墨を現したものであると論じた[15]。この文様は、縄文時代中期からあらわれ、後期・晩期まで継承される[16]。当初二条の線刻としてあらわれるこの文様は、晩期後半より条数が増え、きわめて複雑なものとなる[17]。設楽博己は、縄文人の入れ墨は、おなじく中期にあらわれる抜歯にも共通する、社会における自己の位置づけを明確化するための自己毀損の風習であろうと論じている[18]。
古代
[編集]『魏志倭人伝』には「男子無大小、皆黥面文身」と、当時の倭人の男性が、身分の高低(あるいは年齢の大小)に関係なく、みな入れ墨をしていたことを示す記述がある[19]。設楽は黥面絵画土器(亀塚遺跡出土・弥生時代後期後半)など、3世紀の日本列島で製作された、黥面をあらわした絵画が30例ほどみられることを、当時の日本に入れ墨の風習が存在した考古学的な証左とみている[20]。なお、辰巳和弘はこれら「線刻人面画」は、塚堂古墳出土の埴輪にみられる彩色を省略したものであると論じ、これらは実際には顔面彩色をあらわすものであろうと論じた。これに対して設楽は『魏志倭人伝』や『記紀』において入れ墨と顔面彩色は区別されており、また人物埴輪に顔面線刻をほどこす例もみられることから、両者は別の身体変工手法を表現したものであると反論している[21]。
『日本書紀』『古事記』には黥面および文身に関する記述があり、たとえば『古事記』には大久米命が「黥ける利目」、すなわち目の周りに入れ墨をしていたこと、意祁王・袁祁王が山背国の苅羽井で、「面黥ける老人」である山代之猪甘に食物を取られたという記述がある。また、『日本書紀』には履中天皇の馬のたずなを握っていた河内飼部が目に入れ墨(黥)をしていたこと、阿曇浜子や雄略天皇の鳥官が黥刑を受けたこと、武内宿禰が景行天皇に、日高見国には男女いずれも文身の風習があると上奏する記述などがある[22]。和歌森太郎は、阿曇浜子が黥刑を受けたエピソードは史実とは考えがたく、これは朝廷に服属した海人の集団が黥面の風習を持っていたことを、中国の墨刑の知識を借りて説明したものであろうと論じている。また、大貫菜穂は、『記紀』にあらわれる黥面文身の風習が、北方の蝦夷および安曇氏および久米氏という九州の隼人系氏族、あるいは為政者を補佐する低い身分の者に限られるものであることを指摘している[23]。
また、古墳時代の人物埴輪には、顔面に線刻をほどこしたものがみられる。小林行雄はこれら「黥面埴輪」を、鼻の上にひし形の線刻を入れるA類・顔のまわりに線刻を入れるB類・両者が合わさったC類・頬にハの字ないし縦の線刻を入れるD類に分類し、A~C類は近畿をはじめとする西日本、D類は関東にあらわれると整理した[24]。設楽は『記紀』における入れ墨の記述と黥面埴輪の出土はいずれも4世紀から6世紀の出来事であると整理し、両者は当時の日本列島に入れ墨の風習があったことを立証する資料として矛盾がないと論じている[25]。設楽は、3世紀の大和地方において黥面絵画の例がないこと、『記紀』において入れ墨が概してよくないものとして描写されていることなどから、中国との関係の深まりにより、入れ墨を悪習とする概念が倭に伝わったことにより、彼らは次第に入れ墨の風習を廃していったのではないかと考えている[26]。8世紀に編纂された『記紀』に黥面文身の記録が残っていることについて、大貫は、畿内に入れ墨の習慣をもつ被支配民が存在したことを背景に挙げ、『記紀』編纂当時においても、黥刑・墨刑は対象が被支配層であることをあらわすものとして理解されていたと論じている[27]。
その後、日本列島における入れ墨の風習は、奄美以南(針突)およびアイヌ文化圏(シヌイェ)などを除けば一旦途絶する[28]。この理由については、日本ではじめての律令であった『大宝律令』が唐の律令を参考にしたものであり、五刑に黥刑が含まれなかったこと、あるいは中国の影響により7世紀以降の日本において装身具一般が衰退したことなどが挙げられる[29]。
近世
[編集]日本において入れ墨の風習がふたたびあらわれるのは、江戸時代初期の寛永期ごろからである[28]。『陰徳太平記』には天正15年(1587年)の出来事として、討ち死にした島津氏勢の二の腕に「何氏何某、行年何十歳、何月何日討死」という入れ墨があったという記述があるが、同書が正徳2年(1712年)の成立であることもあり、信憑性は不明である[30]。
一般には、近世における入れ墨は、上方の遊里で行われた「入れぼくろ」を原型としてはじまったものであると考えられている。これは字義通り、当初はほくろを点描する風俗であったが、のちに文字などを彫るようになった[31]。1678年(延宝6年)の『色道大鏡』には、「彫入」「
恋愛の習慣であった入れぼくろは、請願一般の手段に進歩した。たとえば先述の『色道大鏡』には「黥をする事、戀の一すぢのみにあらず。中間・馬追・舩子のたぐひは人もすさめざるに、をのれ一分の所意として、紋所をゑかき入つ。題目の七字・六字の名號、又は卅六返の念珠のかたちなどをかたさきに堀入て、是をたのしむおほかり」と、下級階層の職業人のあいだに題目や念珠などを彫り入れる風習があったことに触れている[34][35]。また、文政13年(1830年)の『嬉遊笑覧』には、天和年間、浅草神田川には背中に「南無阿弥陀仏」の入れ墨を彫った鐘弥左衛門なる侠客がいたことが記されている[33]。ただし、これらは宮下規久朗の論じるように、「全身に施す入れ墨ではなく、現在若者の間に流行っているようなワンポイントのタトゥーにすぎなかった」[28]。また、これと同時代には、江戸幕府により刑罰としての墨刑がはじまった。寛文5年(1665年)・天和2年(1682年)に実施された記録があり、享保5年(1720年)の『御定書百箇条』において耳削ぎ・鼻削ぎなどに代わるものとして明文化された[36]。
享保6年(1721年)の近松門左衛門『女殺油地獄』などにみられるように、この頃より入れ墨を指す言葉として「彫物」がつかわれはじめるようになった[37]。近世において、大掛かりな入れ墨があらわれるのは明和・安永期のことである[28]。たとえば、明和3年(1766年)の上田秋成『諸道聴耳世間猿』には「背中に眉間尺の首、尻こぶたに近江八景」という入れ墨描写がみられる[37]。文化年間には身体全体に多色かつ緻密な絵柄を入れる入れ墨の形態が定着し、町火消や車引きといった職業の者のあいだで、壮麗な彫物を入れることが流行した[38]。彼ら侠客が入れ墨を誇示する背景には、当時『水滸伝』のブームがあったことの影響もあった。同作品の主要人物である九紋龍史進の背中には9匹の青龍が掘られており、花和尚智深や浪子燕青にも入れ墨があった[28]。水滸伝の登場人物のふるまいは、江戸庶民の間で膾炙していた「男伊達」的な価値観と共鳴するものであった[39]。
文政10年(1827年)の歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』は、その後の日本の入れ墨に強い影響を与えた[28]。『花江都歌舞妓年代記続編』に「此節歌川國芳畫にて水滸傳豪傑のにしき畫大に流行して、東都侠者彫ものにせし也」とあるように、侠客のあいだでこの図案は大いに流行し[40]、国芳の絵はパターンブックとして重用されるようになった。また、二代目中村芝翫は歌舞伎の舞台演出として、水滸伝の入れ墨を取り入れた[41]。入れ墨の禁令は文化8年(1811年)および天保13年(1842年)にそれぞれ町触・御触として発令されているが[42]、一時的に流行が止むのみで長期的な影響はなかった[39]。
近現代
[編集]明治維新後、新政府は入れ墨の取り締まりを考えるようになり、1872年(明治5年)には入れ墨および往来や店先で裸体になることが禁じられた[39]。ここで主な論点となったのは「自ら身体を傷つけてはならない」という儒教的身体観および、欧米諸国からのまなざしに対する危惧であった[43]。1880年(明治13年)の旧刑法においても入れ墨は禁止された。入れ墨規制は1908年(明治41年)には警察犯処罰令に引き継がれたが、取り締まりおよび罰則は強化された[44][45]。これにより、彫師あるいは依頼者は、30日未満の拘留または20円以下の罰金を支払うことになった[45]。近世における入れ墨の禁令は、当時幕府が発令していた庶民風俗規制の一環であり、罰則規定なども特に存在しなかったのに対して、近代の規制は実際の刑罰が課せられるという点で、性質が大きく異なるものであった[46]。平井倫行は明治政府による入れ墨規制は「町民文化から引き続く江戸的な身体」を「新国家の国民として相応しい身体」に設計し直す行為であり、それは西洋に対する「プロパガンダとしての意味を含んだ身体」であったと論じる[47]。
一方で、外部からの入れ墨文化に対する視線は一様ではなかった。当時の欧州においてはジェームズ・クックによる太平洋諸島におけるタトゥー文化の紹介以来、上流階級のあいだでも入れ墨が流行しており、1881年(明治14年)にはイギリス王族のアルバート・ヴィクターおよびジョージ・フレデリック・アーネスト・アルバート(のちのジョージ5世)が外務省による彫師の斡旋のもと、入れ墨を入れている[48]。近代においても入れ墨文化は全く途絶えたわけではなく、近世以来の入れ墨を競い合う会である「文身会」は引き続き開かれ続けた[39]。民俗学者の井之口章次によれば、関東大震災後、景気の良くなった職人たちは、競って入れ墨を彫ったという[49]。とはいえ、政府の規制により、入れ墨は次第に「隠されるべき裏社会の象徴」と認識されるようになり[39]、犯罪心理学者の寺田精一による1920年(大正9年)の「文身研究の興味」や、吉益脩夫による1929年(昭和4年)の「文身に関する犯罪心理学的問題」にみられるよう、入れ墨は犯罪と強く紐づいたものであると認識されるようになった[50]。
太平洋戦争終戦後の1948年(昭和23年)には警察犯処罰令が廃止され、軽犯罪法が施行された。同法においては入れ墨は規制されなかったため、これによって近代を通して続いた入れ墨禁止令は撤廃された[51]。戦後の入れ墨に対するイメージは、1963年(昭和38年)以降のヤクザ映画ブームに左右される部分が大きく、1992年(平成4年)の暴力団対策法施行以降は、公衆入浴施設が、入れ墨をほどこした人の立ち入りを禁止することも増えた[52]。2015年(平成27年)には、タトゥーを入れる行為が医療行為に当たるとして、吹田市の彫師の男性が医師法違反の罪に問われ起訴されたが、2020年(令和2年)に無罪が確定した[53]。
受容
[編集]入れ墨の規制
[編集]入場規制
[編集]入れ墨を入れた者は公衆浴場法で定められた浴場を除いた非認可入浴施設[注釈 1][54][55](温泉、大浴場、サウナ、スーパー銭湯、健康ランドなど)や遊園地、プール、海水浴場、ジム、ゴルフ場などへの入場を断られることがあるが、これは各施設の規則によるものであり法的な制限はない。施設管理者に逆らった場合は建造物侵入罪(刑法130条前段)の構成要件に該当し、入れ墨をした者が退場を求められても従わなかった場合は不退去罪(刑法130条後段)の構成要件に該当する。しかし最近では外国人も多くいるため、入場を規制しない施設や入れ墨をシールで隠す対応を取れば入場を可能とする施設が出てきている[56]。ただし、公衆浴場法では入浴を拒む理由として入れ墨が認められていないために、公衆浴場法で定められた公衆浴場では入れ墨を入れた者も入浴が可能である。全国の公衆浴場で構成している全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(全浴連)も、「入れ墨のある人の入浴を認めており、拒否することはできない」との見解を出している[57]。愛媛県の道後温泉など温泉でありながら公衆浴場である場合などは入れ墨を入れたものの入浴を認めている場合がある。
- 2010年1月、「入れ墨お断り」の看板を無視して入浴施設に入ったとして建造物侵入罪に問われた裁判で、被告に懲役7か月の実刑判決(求刑・懲役1年)が言い渡された[58]。
- 神戸市の須磨海岸では、「須磨海岸を守り育てる条例」によって、「入れ墨その他これに類する外観を有するものを公然と公衆の目に触れさせること」が禁止されている。
- 三社祭では地元暴力団「浅草高橋組」が介入する例が度々確認されており、逮捕者も出ている[59]。
雇用
[編集]就職採用に当たり身体検査のある企業への就職には制限がある。公務員では自衛官など一部の職種において、入れ墨も「身体上の不具合」として採用していない[60]。
入れ墨が原因で懲戒解雇されるか、もしくはマイナス評価を与えられたり、コンプライアンスの観点から雇用契約を破棄されたりと、社会生活上様々なリスクを負ったケースも報告されていた。
2012年2月の大阪市の事例では、児童福祉施設で働く30代の市役所職員が子どもたちに入れ墨を見せて脅していたという件で、大阪市長橋下徹は全職員を対象にアンケート調査を行い、入れ墨が他者の目に触れる可能性のある職員に関しては、直接市民と接することのない部署への配置転換を行った[61]。大阪市による入れ墨調査について回答を拒否した職員に対しては戒告処分となったが、最高裁判所はこの訓告処分を合法とした[62]。
スポーツ界
[編集]全日本柔道連盟は2016年12月に、入れ墨をした選手を2018年4月以降、高校生以下の全柔連主催大会で出場禁止にすることを決定。この年、入れ墨をした中学生選手が出場してから対応を検討してきた[63]。Jリーグでは各クラブが厳重注意という形で通達をしている[64]。プロ野球ではアレックス・カブレラのような例がある。プロボクシングではライセンス取得のために、皮膚移植やレーザー除去した選手もいる[65]。2014年時点で日本ボクシングコミッション(JBC)のルールブック「試合出場ボクサー」の項には、入れ墨に関する記述があった[66]。日本相撲協会では2019年2月に相撲規則の力士(競技者)規定を改定し、これまで部屋の師匠が口頭で伝えてきた入れ墨(他、伸びた爪や過度な験担ぎによるひげ)禁止を明文化、力士会で関取衆にも伝えた[67]。
施術の規制
[編集]暴力団員、またその関係者に対する逮捕を主な目的とするために、平成時代では医師法を適用することでの取り締まりを行おうとした。
2018年11月の大阪高裁の判決では、タトゥーは歴史や現代社会で美術的な意義や社会的風俗という実態があることを踏まえ、「医師の業務とは根本的に異なる」として医行為には当たらず、医師免許は必要ではないとした[68]。これは厚生労働省の通達と異なる判断であることや、草野耕一裁判長が補足意見として「タトゥーの施術による保健衛生上の危険を防ぐため法律の規制を加えるのであれば、新たな立法によって行うべきだ」と述べたほか、誤解を解くためとして「被施術者の身体を傷つける行為であるから、施術の内容や方法等によっては傷害罪が成立し得る」と述べたことから[69]、入れ墨を取り締まる新法が登場する可能性もある[68]。彫り師の団体である一般社団法人日本タトゥーイスト協会では、衛生上の問題は資格制度により対処すべきだとしている[70]。
出典
[編集]注釈
[編集]- ^ 公衆浴場(いわゆる銭湯)に関しては公衆浴場法に則り、公衆の衛生を維持するための施設となっているため、入れ墨の有無だけでは入浴を拒否できない。 一部の入浴施設が入場を制限していることについて国会にて質疑が行われ、衆議院議長名で入れ墨を理由にした入場制限は認められないと答弁が行われた。
出典
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