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|画像 = Rio Collage.png
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|画像の見出し = 左上から時計回りに: [[:en:Centro (Rio de Janeiro)|セントロ地区]]、[[コルコバードのキリスト像]]、[[ポン・ヂ・アスーカル]]を[[コルコバード]]から臨むパノラマ、[[コパカバーナ (リオデジャネイロ市)|コパカバーナ]]ビーチ、[[リオ・ニテロイ橋]]、[[:en: Santa Teresa, Rio de Janeiro|サンタ・テレサ地区]]の路面電車
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|市章 = Brasão da cidade do Rio de Janeiro.svg
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|位置図 = RiodeJaneiro Municip RiodeJaneiro.svg
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|位置図の見出し = リオ・デ・ジャネイロの位置(リオ・デ・ジャネイロ州)
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|緯度度=22 |緯度分=54 |緯度秒=30 |N(北緯)及びS(南緯)=S
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|経度度=43 |経度分=11 |経度秒=47 |E(東経)及びW(西経)=W
|経度度=43 |経度分=11 |経度秒=47 |E(東経)及びW(西経)=W
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|規模 =市
|規模 =市
|最高行政執行者称号 = 市長
|最高行政執行者称号 = 市長
|最高行政執行者名 = ジョフェリッペ
|最高行政執行者名 = エドゥアパイス
|最高行政執行者所属党派 = [[共和党 (ブラジル)|DEM]]
|最高行政執行者所属党派 = [[:pt:Partido Social Democrático (2011)|社会民主党]]
|総面積(平方キロ) = 1,260
|総面積(平方キロ) = 1,260
|総面積(平方マイル) =
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|標高(メートル) = 0〜380
|標高(メートル) = 0〜380
|標高(フィート) =
|標高(フィート) =
|人口の時点 = 2016
|人口の時点 = 2021
|人口に関する備考 =
|人口に関する備考 =
|総人口 = 6,498,837
|総人口 = 6,775,521
|人口密度(平方キロ当たり) = 5,158
|人口密度(平方キロ当たり) = 5,377
|人口密度(平方マイル当たり) =
|人口密度(平方マイル当たり) =
|市街地人口 =
|市街地人口 =
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[[ファイル:Rio deJaneiro LE2002059 lrg.jpg|thumb|リオデジャネイロの衛星写真]]
[[ファイル:Rio deJaneiro LE2002059 lrg.jpg|thumb|リオデジャネイロの衛星写真]]
[[ファイル:Rio at night from space.jpg|thumb|リオデジャネイロの衛星写真(夜間・[[国際宇宙ステーション|ISS]])]]
[[ファイル:Rio at night from space.jpg|thumb|リオデジャネイロの衛星写真(夜間・[[国際宇宙ステーション|ISS]])]]
'''リオ・デ・ジャネイロ'''({{Lang-pt-short|Rio de Janeiro}}, {{IPA-pt|ˈʁi.u d(ʒi) ʒɐˈne(j)ɾu|br|Pt-br Rio de Janeiro.ogg}})は、[[ブラジル]]南東部に位置する[[リオデジャネイロ州]]の州都。略称は'''リオ'''('''Rio''')。世界有数の[[メガシティ]]であり、国内最大の[[観光都市]]である。商工業が盛んであり<ref>{{cite web|url=https://dictionary.goo.ne.jp/jn/230529/meaning/m0u/|title=Rio de Janeiro(リオデジャネイロ)の意味|publisher= goo国語辞書| accessdate=2019-11-24}}</ref>、[[港湾都市]]としても知られる。
'''リオ・デ・ジャネイロ'''({{Lang-pt-short|Rio de Janeiro}}, {{IPA-pt|ˈʁi.u d(ʒi) ʒɐˈne(j)ɾu|br|Pt-br Rio de Janeiro.ogg}})は、[[ブラジル]]南東部に位置する[[リオデジャネイロ州]]の州都。略称は'''リオ'''('''Rio''')。世界有数の[[メガシティ]]であり、国内最大の[[観光都市]]である。商工業が盛んであり<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%AD/#jn-230529|title=Rio de Janeiro(リオデジャネイロ)の意味|publisher= goo国語辞書| accessdate=2019-11-24}}</ref>、[[港湾都市]]としても知られる。


人口は600万人を超え、[[サンパウロ]]に次いでブラジル第2位にランクされる。経済規模(域内総生産)でもサンパウロに次いで第2位にあり、アメリカの[[シンクタンク]]が公表した[[ビジネス]]・[[人材]]・[[文化]]・[[政治]]などを対象とした総合的な[[世界都市#世界都市指数|世界都市ランキング]]において、世界第56位、国内ではサンパウロに次ぐ第2位の都市と評価された<ref>[http://www.atkearney.com/documents/10192/4461492/Global+Cities+Present+and+Future-GCI+2014.pdf/3628fd7d-70be-41bf-99d6-4c8eaf984cd5 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook] (2014年4月公表)</ref>。都市周辺の美しい[[文化的景観]]は「[[リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群]]」として、2012年に[[世界遺産]]リストに登録された。
人口は600万人を超え、[[サンパウロ]]に次いでブラジル第2位にランクされる。経済規模(域内総生産)でもサンパウロに次いで第2位にあり、アメリカの[[シンクタンク]]が公表した[[ビジネス]]・[[人材]]・[[文化]]・[[政治]]などを対象とした総合的な[[世界都市#研究調査|世界都市ランキング]]において、世界第56位、国内ではサンパウロに次ぐ第2位の都市と評価された<ref>[http://www.atkearney.com/documents/10192/4461492/Global+Cities+Present+and+Future-GCI+2014.pdf/3628fd7d-70be-41bf-99d6-4c8eaf984cd5 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook] (2014年4月公表)</ref>。都市周辺の美しい[[文化的景観]]は「[[リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群]]」として、2012年に[[世界遺産]]リストに登録された。


[[2016年]][[2016年リオデジャネイロオリンピック|第31回夏季オリンピック]]の開催都市である
[[2016年]]には、南米大陸では初となる[[2016年リオデジャネイロオリンピック|第31回夏季オリンピック]]と[[2016年リオデジャネイロパラリンピック|第15回夏季パラリンピック]]の開催都市となった


== 名称 ==
== 名称 ==
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== 概要 ==
== 概要 ==
[[謝肉祭|カーニバル]]で有名。[[コパカバーナ (リオデジャネイロ市)|コパカバーナ]]、{{仮リンク|イパネマ|en|Ipanema}}などの世界的に有名な海岸を有し世界3大美港の一つに数えられる美しい都市である。[[域内総生産順リスト|都市のGDP]]は2010億ドルであり世界第30位、南米では[[サンパウロ]]、[[ブエノスアイレス]]に次ぎ第3位である<ref>[https://www.ukmediacentre.pwc.com/Content/Detail.asp?ReleaseID=3421&NewsAreaID=2 プライスウォーターハウスクーパースによる都市のGDP] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110513194342/https://www.ukmediacentre.pwc.com/Content/Detail.asp?ReleaseID=3421&NewsAreaID=2 |date=2011年5月13日 }}</ref>。
[[謝肉祭|カーニバル]]で有名。[[コパカバーナ (リオデジャネイロ市)|コパカバーナ]]、[[イパネマ]]などの世界的に有名な海岸を有し世界3大美港の一つに数えられる美しい都市である。[[域内総生産順リスト|都市のGDP]]は2010億ドルであり世界第30位、南米では[[サンパウロ]]、[[ブエノスアイレス]]に次ぎ第3位である<ref>[https://www.ukmediacentre.pwc.com/Content/Detail.asp?ReleaseID=3421&NewsAreaID=2 プライスウォーターハウスクーパースによる都市のGDP] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110513194342/https://www.ukmediacentre.pwc.com/Content/Detail.asp?ReleaseID=3421&NewsAreaID=2 |date=2011年5月13日 }}</ref>。


[[1960年]]に[[ブラジリア]]に[[遷都]]するまではブラジルの[[首都]]であった。また、[[1808年]]に[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]に本国領土を奪われた[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王室が遷都してからブラジルが独立するまではポルトガルの首都であった。また、[[ラテンアメリカ|中南米]]有数の貿易港でもあるためにブラジルの経済的な中心地でもあった。近年は経済の中心地はサンパウロに移り、その地位が低下しているものの、依然として中南米有数の経済都市である。また、ブラジルのみならず世界でも有数の観光地としても、[[ショーロ]]、[[ボサノヴァ]]を生んだ音楽の都としても名高い。
[[1960年]]に[[ブラジリア]]に[[遷都]]するまではブラジルの[[首都]]であった。また、[[1808年]]に[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]に本国領土を奪われた[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王室が遷都してからブラジルが独立するまではポルトガルの首都であった。また、[[ラテンアメリカ|中南米]]有数の貿易港でもあるためにブラジルの経済的な中心地でもあった。近年は経済の中心地はサンパウロに移り、その地位が低下しているものの、依然として中南米有数の経済都市である。また、ブラジルのみならず世界でも有数の観光地としても、[[ショーロ]]、[[ボサノヴァ]]を生んだ音楽の都としても名高い。
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{{wide image|Panorama from Rio de Janeiro.jpg|1000px|[[コルコバード]]からのリオデジャネイロのパノラマ}}
{{wide image|Panorama from Rio de Janeiro.jpg|1000px|[[コルコバード]]からのリオデジャネイロのパノラマ}}


左にやや傾いた平行四辺形の形状を呈した大陸部と[[グアナバラ湾]]内に分布する島嶼部の2つからなり、東西の長さは約70km、南北は37kmにおよぶ。公式的には全部で7つの大行政区と33の小地域、160の[[街区]]Bairroから構成されているが、街区の上位にある[[地区]]Distritoが存在しないのが特徴である<ref>池永啓介・宇根道子「リオデジャネイロ」『世界地名大事典―中南アメリカ』山田睦男、中川文雄、松本栄次編、朝倉書店、2014年12月</ref>。慣用的には、セントロ、南部地域、北部地域、バラ・ダ・チジューカ地域、西部地域という区分がなされることが多い。
左にやや傾いた平行四辺形の形状を呈した大陸部と[[グアナバラ湾]]内に分布する島嶼部の2つからなり、東西の長さは約70km、南北は37kmにおよぶ。公式的には全部で7つの大行政区と33の小地域、160の[[街区]]Bairroから構成されているが、街区の上位にある[[地区]]Distritoが存在しないのが特徴である<ref name="ReferenceA">池永啓介・宇根道子「リオデジャネイロ」『世界地名大事典―中南アメリカ』山田睦男、中川文雄、松本栄次編、朝倉書店、2014年12月</ref>。慣用的には、セントロ、南部地域、北部地域、バラ・ダ・チジューカ地域、西部地域という区分がなされることが多い。


; セントロ
; セントロ
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; 南部地域
; 南部地域
: 南部は高級住宅街が多く、またグアナバラ湾や大西洋に面したビーチも多い。セントロのすぐ南に広がる[[フラメンゴ]]やボタフォゴにもビーチがあるが、リオのビーチで最も著名かつ人の多いところはその南に広がる[[コパカバーナ]]や、そのさらに西に広がる[[イパネマ海岸]]である。この二つはリオ有数の観光地であると同時に、リオ有数の高級住宅街でもある。イパネマ海岸はリオで生まれた音楽[[ボサノヴァ]]の曲『[[イパネマの娘]]』の舞台としても有名である。イパネマのさらに西にあるレブロン地区は南アメリカ大陸で最も地価が高い地点のある高級住宅街である。また、ボタフォゴの東のウルカ地区にはリオのシンボルの一つである[[ポン・ヂ・アスーカル]]と呼ばれる岩山があり、[[ロープウェー]]で頂上まで登ることができる。また、リオデジャネイロのシンボルである[[コルコバードのキリスト像]]はこの南部地区にある[[コルコバードの丘]]の上に立っており、登山電車で登ることができる。
: 南部は高級住宅街が多く、またグアナバラ湾や大西洋に面したビーチも多い。セントロのすぐ南に広がる[[フラメンゴ]]やボタフォゴにもビーチがあるが、リオのビーチで最も著名かつ人の多いところはその南に広がる[[コパカバーナ]]や、そのさらに西に広がる{{仮リンク|イパネマ|label=イパネマ海岸|en|Ipanema#Beach|preserve=1}}である。この二つはリオ有数の観光地であると同時に、リオ有数の高級住宅街でもある。イパネマ海岸はリオで生まれた音楽[[ボサノヴァ]]の曲『[[イパネマの娘]]』の舞台としても有名である。イパネマのさらに西にあるレブロン地区は南アメリカ大陸で最も地価が高い地点のある高級住宅街である。また、ボタフォゴの東のウルカ地区にはリオのシンボルの一つである[[ポン・ヂ・アスーカル]]と呼ばれる岩山があり、[[ロープウェー]]で頂上まで登ることができる。また、リオデジャネイロのシンボルである[[コルコバードのキリスト像]]はこの南部地区にある[[コルコバードの丘]]の上に立っており、登山電車で登ることができる。


; 北部地域
; 北部地域
: 北部地域は工業地区や住宅地区から構成され、観光の目玉となる場所はそれほど多くはない。しかしながら、やや南よりには、1950年のワールドカップのために建設され、かつては20万人の収容人員を誇った世界一のサッカースタジアム(現在の収容人員は95000人)[[エスタジオ・ド・マラカナン]]があることで知られる。同スタジアムは、2014年ワールドカップおよび2016年リオデジャネイロオリンピックのメイン会場である。なお、北部地域には、グアナバラ湾に浮かぶいくつかの島も含まれており、主なものとしては、[[アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港]]が位置するゴベルナドル島のほか、静寂さが観光客に人気の[[パケタ島]]などをあげることができる。一般的に、北部地域は経済的にみて比較的貧しい階層が住んでおり、内陸の丘陵地帯には[[コンプレクドアレマン]]が、沿岸部では[[コンプレクソドマレ]]に代表される[[ファヴェーラ]]がある。一方、グアナバラ湾対岸のニテロイ市との間までを結ぶリオ・ニテロイ大橋の起点にあたるほか、州西部および北部に向かう幹線道路の通過点にあたるなど交通の要衝的な地位を確保しているのも事実である。
: 北部地域は工業地区や住宅地区から構成され、観光の目玉となる場所はそれほど多くはない。しかしながら、やや南よりには、1950年のワールドカップのために建設され、かつては20万人の収容人員を誇った世界一のサッカースタジアム(現在の収容人員は95000人)[[エスタジオ・ド・マラカナン]]があることで知られる。同スタジアムは、2014年ワールドカップおよび[[2016年リオデジャネイロオリンピック]]のメイン会場である。なお、北部地域には、グアナバラ湾に浮かぶいくつかの島も含まれており、主なものとしては、[[アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港]]が位置するゴベルナドル島のほか、静寂さが観光客に人気の{{仮リンク|パケタ島|en|Paquetá Island|preserve=1}}などをあげることができる。一般的に、北部地域は経済的にみて比較的貧しい階層が住んでおり、内陸の丘陵地帯には{{仮リンク|コンプレクソ・アレマン|es|Complexo do Alemão|preserve=1}}が、沿岸部では[[コンプレクソマレ]]に代表される[[ファヴェーラ]]がある。一方、グアナバラ湾対岸のニテロイ市との間までを結ぶリオ・ニテロイ大橋の起点にあたるほか、州西部および北部に向かう幹線道路の通過点にあたるなど交通の要衝的な地位を確保しているのも事実である。


; バラ・ダ・チジュカ地域
; バラ・ダ・チジュカ地域
: 南部地域の西に隣接し、近年開発が進んでいるエリアである。主に、[[バラ・ダ・チジュッカ]]街区と[[レクレイオ・ドス・バンデイランテス]]街区から構成される。片側4車線の幅広い道路が東西に伸び、中央では南北方向を結ぶもう一つの幹線道路と交差している。計画的な開発が進められ、高層アパート、大規模ショッピングセンターが立ち並んでいる。2016年オリンピックにおいては、この地区に選手村や会場の多くが建設される予定である。小型機の発着が可能な空港もある。
: 南部地域の西に隣接し、近年開発が進んでいるエリアである。主に、[[バラ・ダ・チジュッカ]]街区と[[レクレイオ・ドス・バンデイランテス]]街区から構成される。片側4車線の幅広い道路が東西に伸び、中央では南北方向を結ぶもう一つの幹線道路と交差している。計画的な開発が進められ、高層アパート、大規模ショッピングセンターが立ち並んでいる。2016年オリンピックにおいては、この地区に選手村や会場の多くが建設される予定である。小型機の発着が可能な空港もある。


; 西部地域
; 西部地域
:[[ファイル:Avenida Rio Branco, Rio de Janeiro (RJ).jpg|サムネイル|セントロ]]市域のほぼ西半分を占め、最西端にある[[サンタクルス]]、そこから少し東に行ったところにある[[カンポグランデ]]などが代表的であり、セントロにあるリオデジャネイロ中央駅からサンタクルス駅までは都市近郊鉄道で結ばれている。サンタクルスは日系人が入植した地として知られ、リオデジャネイロ市でも日系人が比較的多いところとして知られる。
:[[ファイル:Avenida Rio Branco, Rio de Janeiro (RJ).jpg|サムネイル|セントロ]]市域のほぼ西半分を占め、最西端にある[[サンタクルス (曖昧さ回避)|サンタクルス]]、そこから少し東に行ったところにある[[カンポグランデ]]などが代表的であり、セントロにあるリオデジャネイロ中央駅からサンタクルス駅までは都市近郊鉄道で結ばれている。サンタクルスは日系人が入植した地として知られ、リオデジャネイロ市でも日系人が比較的多いところとして知られる。


; ファヴェラ
; ファヴェラ
: 地域の名前ではなく、不法に立てられた貧民街を「[[ファヴェーラ]]」と呼ぶ。主なスラムとしては、[[レブロン]]街区の西、[[ドイスイルマン]]の山塊(533m)の北西斜面に広がり居住人口がラテンアメリカ最大規模を誇る[[ロシーニャ]]、バラ・ダ・チジュカ地区の北に隣接し映画『[[シティ・オブ・ゴッド]]』([[2002年]])の舞台となった[[シダージデデウス]]、北部地区の内陸のやや標高の高い丘にあり2011年にはスラムの上空をゴンドラリフトが貫通るようになった[[コンプレクソドアレマン]]、北部の[[グアナバラ湾]]沿いの湿地帯に広がる[[コンプレクソドマレ]]、[[コパカバーナ]]街区の丘に広がる[[パヴォン・パヴォンジーニョ]]などがある<ref>池永啓介・宇根道子「リオデジャネイロ」『世界地名大事典―中南アメリカ』山田睦男、中川文雄、松本栄次編、朝倉書店、2014年12月</ref>。
: 地域の名前ではなく、不法に立てられた貧民街を「[[ファヴェーラ]]」と呼ぶ。主なスラムとしては、[[レブロン]]街区の西、[[ドイスイルマン]]の山塊(533m)の北西斜面に広がり居住人口がラテンアメリカ最大規模を誇る[[ロシーニャ]]、バラ・ダ・チジュカ地区の北に隣接し映画『[[シティ・オブ・ゴッド]]』([[2002年]])の舞台となった[[シダージデデウス]]、北部地区の内陸のやや標高の高い丘にあり2011年にはスラムの上空をゴンドラリフトが貫通るようになった[[コンプレクソアレマン]]、北部の[[グアナバラ湾]]沿いの湿地帯に広がる[[コンプレクソマレ]]、[[コパカバーナ]]街区の丘に広がる[[パヴォン・パヴォンジーニョ]]などがある<ref name="ReferenceA"/>。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[ファイル:Palácio Pedro Ernesto - Fundação da Cidade.jpg|thumb|left|220px|1565年のリオデジャネイロの創設を描いた画]]
[[ファイル:Palácio Pedro Ernesto - Fundação da Cidade.jpg|thumb|left|220px|1565年のリオデジャネイロの創設を描いた画]]
[[1502年]]1月に[[ポルトガル人]]探検家[[ガスパール・デ・レモス]]たちが[[グアナバラ湾]]の湾口であるこの地に到達。グアナバラ湾は湾口が狭まっているため大きな川であると誤認し、発見した月に因みポルトガル語で「一月の川」と命名した<ref> 「ラテンアメリカを知る事典」p454 平凡社 1999年12月10日新訂増補版第1刷 </ref>。ポルトガル人たちは海岸に壁を白く塗った家を建てて住んだ。先住民の{{仮リンク|トゥピ人|en|Tupí people|label=トゥピ族}}は彼ら白人を「カリ・オカ」([[トゥピ・グアラニー語族|トゥピー・グゥアラニー語]]で白い家の意味)と呼んだ。それが現代語の[[カリオカ]]([[:en:Carioca|en]])の起源である。[[1555年]]に[[フランス]]の植民地開拓者が{{仮リンク|南極植民地 (フランス領)|en|France Antarctique|label=南極フランス}}居留地をつくったが[[1567年]]にこれをポルトガル人は追い出し、[[18世紀]]までここに小さなコミュニティをつくっていた。町の名は川(実は湾)の名の転用である。
[[1502年]]1月に[[ポルトガル人]]探検家[[ガスパール・デ・レモス]]たちが[[グアナバラ湾]]の湾口であるこの地に到達。グアナバラ湾は湾口が狭まっているため大きな川であると誤認し、発見した月に因みポルトガル語で「一月の川」と命名した<ref>「ラテンアメリカを知る事典」p454 平凡社 1999年12月10日新訂増補版第1刷 </ref>。ポルトガル人たちは海岸に壁を白く塗った家を建てて住んだ。先住民の{{仮リンク|トゥピ人|en|Tupí people|label=トゥピ族}}は彼ら白人を「カリ・オカ」([[トゥピ・グアラニー語族|トゥピー・グゥアラニー語]]で白い家の意味)と呼んだ。それが現代語の[[カリオカ]]([[:en:Carioca|en]])の起源である。[[1555年]]に[[フランス]]の植民地開拓者が{{仮リンク|南極植民地 (フランス領)|en|France Antarctique|label=南極フランス}}居留地をつくったが[[1567年]]にこれをポルトガル人は追い出し、[[18世紀]]までここに小さなコミュニティをつくっていた。町の名は川(実は湾)の名の転用である。


17世紀までのリオは、砂糖の栽培と製糖工場がある小さな港町にすぎなかった。しかし[[18世紀]]前半に内陸の[[ミナスジェライス州]]周辺で金鉱が発見された。この金の集散地は、当初は金鉱発見者であるバンデイランテスたちの基地であるサンパウロであったが、[[1725年]]にリオとミナスジェライスを結ぶ新道が開通すると、距離的に近いリオがサンパウロに代わってミナスの[[金]]や[[ダイアモンド]]の積出港となり、{{仮リンク|ブラジル植民地|en|Colonial Brazil}}の交通と富の中心となった。このためそれまで栄えていた北東部から南東部への重心の移動が生じ、[[1763年]]にはブラジル総督が[[サルヴァドール|サルヴァドール・ダ・バイーア]]からリオに移され{{仮リンク|ブラジル植民地|en|Colonial Brazil}}の首府となった<ref>「概説ブラジル史」p221 山田睦男 有斐閣 昭和61年2月15日 初版第1刷 </ref>。
17世紀までのリオは、砂糖の栽培と製糖工場がある小さな港町にすぎなかった。しかし[[18世紀]]前半に内陸の[[ミナスジェライス州]]周辺で金鉱が発見された。この金の集散地は、当初は金鉱発見者であるバンデイランテスたちの基地であるサンパウロであったが、[[1725年]]にリオとミナスジェライスを結ぶ新道が開通すると、距離的に近いリオがサンパウロに代わってミナスの[[金]]や[[ダイアモンド]]の積出港となり、{{仮リンク|ブラジル植民地|en|Colonial Brazil}}の交通と富の中心となった。このためそれまで栄えていた北東部から南東部への重心の移動が生じ、[[1763年]]にはブラジル総督が[[サルヴァドール|サルヴァドール・ダ・バイーア]]からリオに移され{{仮リンク|ブラジル植民地|en|Colonial Brazil}}の首府となった<ref>「概説ブラジル史」p221 山田睦男 有斐閣 昭和61年2月15日 初版第1刷</ref>。
[[ファイル:Arcos da Lapa - Rio de Janeiro.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|[[カリオカ水道橋]]、18世紀前半に建設された]]
[[ファイル:Arcos da Lapa - Rio de Janeiro.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|[[カリオカ水道橋]]、18世紀前半に建設された]]
[[1808年]]に[[半島戦争]]の勃発により、[[リスボン]]の[[ポルトガル]]宮廷は[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]軍を逃れてリオに移転した。翌[[1809年]]、リオが[[ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国|ポルトガル・ブラジル連合王国]]の首都となる。これによりリオは人口も増加し、また高い文化を持った移住者たちによって文化も進歩した。[[1821年]]には王の帰還と共に首都も[[リスボン]]に再遷都されたが、ポルトガルがブラジルの統治に軍を送り込んだためブラジル側の憤激を買い、独立派はリオに残っていた王太子[[ペドロ1世 (ブラジル皇帝)|ドン・ペドロ]]を擁立して[[1822年]]に[[ブラジル帝国]]の独立を宣言し、リオはブラジル帝国の首都となった。
[[1808年]]に[[半島戦争]]の勃発により、[[リスボン]]の[[ポルトガル]]宮廷は[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]軍を逃れてリオに移転した。翌[[1809年]]、リオが[[ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国|ポルトガル・ブラジル連合王国]]の首都となる。これによりリオは人口も増加し、また高い文化を持った移住者たちによって文化も進歩した。[[1821年]]には王の帰還と共に首都も[[リスボン]]に再遷都されたが、ポルトガルがブラジルの統治に軍を送り込んだためブラジル側の憤激を買い、独立派はリオに残っていた王太子[[ペドロ1世 (ブラジル皇帝)|ドン・ペドロ]]を擁立して[[1822年]]に[[ブラジル帝国]]の独立を宣言し、リオはブラジル帝国の首都となった。
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帝国の首都として行政機能の集中したリオの街は順調に発展していった。[[1854年]]にはブラジル初の鉄道14kmがリオに建設され、ガス燈や電信、上下水道といった[[インフラ]]も整備され始めた。[[1889年]]に[[帝政]]が廃止され[[共和制]]に移行するものの、リオは引き続き[[ブラジル|ブラジル連邦共和国]]の首都となった。当時の市街はグアナバラ湾の入口にほど近い現在のセントロ地区のみであったが、19世紀末には人口は50万、[[1900年]]には81万に達し、市街は拡大していった。[[1902年]]に就任した第5代大統領の[[ロドリゲス・アルヴェス]]は首都であるリオの改善に熱心に取り組み、[[都市計画家]][[フランシスコ・ペレイラ・パソス]]を起用して都市計画を実施し、[[1903年]]には東西南北の幹線道路が整備された。[[黄熱病]]が撲滅され、衛生状況が大きく改善したのもこの時期である。南のボタフォゴ地区やさらに南のコパカバーナへと市街地が延びていった。コパカバーナやイパネマへと通じる直通トンネルも建設された。
帝国の首都として行政機能の集中したリオの街は順調に発展していった。[[1854年]]にはブラジル初の鉄道14kmがリオに建設され、ガス燈や電信、上下水道といった[[インフラ]]も整備され始めた。[[1889年]]に[[帝政]]が廃止され[[共和制]]に移行するものの、リオは引き続き[[ブラジル|ブラジル連邦共和国]]の首都となった。当時の市街はグアナバラ湾の入口にほど近い現在のセントロ地区のみであったが、19世紀末には人口は50万、[[1900年]]には81万に達し、市街は拡大していった。[[1902年]]に就任した第5代大統領の[[ロドリゲス・アルヴェス]]は首都であるリオの改善に熱心に取り組み、[[都市計画家]][[フランシスコ・ペレイラ・パソス]]を起用して都市計画を実施し、[[1903年]]には東西南北の幹線道路が整備された。[[黄熱病]]が撲滅され、衛生状況が大きく改善したのもこの時期である。南のボタフォゴ地区やさらに南のコパカバーナへと市街地が延びていった。コパカバーナやイパネマへと通じる直通トンネルも建設された。


[[ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス]]時代の開発政策により、[[第二次世界大戦]]後に商工業が発展すると内陸部や北東部から職をもとめて大量の人々が流入した。しかし、経済の重心は徐々に内陸部のサンパウロ市に移っていき、[[1950年代]]にはリオの人口はサンパウロに抜かれ、現在に至るまでリオはブラジル第2の都市となっている。また[[1960年]]、[[ジュセリーノ・クビシェッキ]]大統領によって首都は[[ブラジリア]]に移され、リオは行政の中心地としての機能を失った。遷都後もそれまでの連邦直轄区の領域、すなわち今日のリオデジャネイロ市域は[[グアナバラ州]]としてリオデジャネイロ州と併存していたが、[[1975年]]にグアナバラ州とリオデジャネイロ州が合併し、[[ニテロイ]]市にかわって新[[リオデジャネイロ州]]の州都になった。[[1992年]]にはこの地で地球サミット([[環境と開発に関する国際連合会議]])が開催され、「[[環境と開発に関するリオデジャネイロ宣言]]」(リオ宣言)とその行動計画である[[アジェンダ21]]が合意された。
[[ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス]]時代の開発政策により、[[第二次世界大戦]]後に商工業が発展すると内陸部や北東部から職をもとめて大量の人々が流入した。しかし、経済の重心は徐々に内陸部のサンパウロ市に移っていき、[[1950年代]]にはリオの人口はサンパウロに抜かれ、現在に至るまでリオはブラジル第2の都市となっている。また[[1960年]]、[[ジュセリーノ・クビシェッキ]]大統領によって首都は[[ブラジリア]]に移され、リオは行政の中心地としての機能を失った。遷都後もそれまでの連邦直轄区の領域、すなわち今日のリオデジャネイロ市域はグアナバラ州としてリオデジャネイロ州と併存していたが、[[1975年]]にグアナバラ州とリオデジャネイロ州が合併し、[[ニテロイ]]市にかわって新[[リオデジャネイロ州]]の州都になった。[[1992年]]にはこの地で地球サミット([[環境と開発に関する国際連合会議]])が開催され、「[[環境と開発に関するリオデジャネイロ宣言]]」(リオ宣言)とその行動計画である[[アジェンダ21]]が合意された。


[[2009年]][[10月2日]]、[[東京]]、[[シカゴ]]、[[マドリード]]との投票に勝利して、第31回[[夏季オリンピック]]のリオ開催が決定した。これは南米大陸初、[[ラテンアメリカ]]全体でも[[1968年]]開催の[[1968年メキシコシティーオリンピック|メキシコオリンピック]]に次ぐ48年ぶり2回目のオリンピック開催となる。
[[2009年]][[10月2日]]、[[東京]]、[[シカゴ]]、[[マドリード]]との投票に勝利して、[[2016年リオデジャネイロオリンピック|第31回夏季オリンピック]]のリオ開催が決定した。これは南米大陸初、[[ラテンアメリカ]]全体でも[[1968年]]開催の[[1968年メキシコシティーオリンピック|メキシコオリンピック]]に次ぐ48年ぶり2回目のオリンピック開催となる。
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== 人口動態 ==
== 人口動態 ==
[[File:Vista aérea Centro do Rio de Janeiro RJ.jpg|thumb|リオデジャネイロ都心部の眺め]]
[[File:Vista aérea Centro do Rio de Janeiro RJ.jpg|thumb|リオデジャネイロ都心部の眺め]]
[[白人]](53.4%)、[[混血]](33.5%)、[[黒人]](12.6%)、その他(0.5%)。19世紀末から20世紀初頭の大量の移民によって人種構成は多様化し、ポルトガルのほか、イタリア系、スペイン系、ドイツ系、日系(15000人)、ユダヤ系、レバノン系など、多種多様な人種が混在し、混交している。1872年に27万人だった人口は、1890年に52万人、1900年に81万人、1950年に237万人、2000年には585万人に達した。この人口増加の多くは国内移動、とくに貧しい北東部からの大量流入によるもので、これによりリオ市内各所に[[ファヴェーラ]](スラム)ができ、貧富の差や治安の悪化が問題となっている。
[[白人]](53.4%)、[[混血]](33.5%)、[[黒人]](12.6%)、その他(0.5%)。19世紀末から20世紀初頭の大量の移民によって人種構成は多様化し、ポルトガルのほか、イタリア系、スペイン系、ドイツ系、日系(15000人)、ユダヤ系、レバノン系など、多種多様な人種が混在し、混交している。1872年に27万人だった人口は、1890年に52万人、1900年に81万人、1950年に237万人、2000年には585万人に達した。この人口増加の多くは国内移動、とくに貧しい北東部からの大量流入によるもので、これによりリオ市内各所に[[ファヴェーラ]](スラム)ができ、貧富の差や治安の悪化が問題となっている。


== 経済 ==
== 経済 ==
サンパウロについでブラジル第2の経済規模を持ち、ブラジルGDPの5.4%をリオ1市で生み出している。首都移転により行政機能は失われたが、[[ペトロブラス]]社などの公企業や半官半民の企業はブラジリアへは移転せず、リオに本社を置き続けた。工業面でもブラジル第2の都市であり、石油精製や造船、鉄鋼、冶金、石油化学、薬品、セメント、印刷、ゴム、食品などの産業が立地している。しかしながら、経済構成でみた工業の割合は1割程度で、残りの9割は商業・サービス業からなる。昨今では、バラ・ダ・チジューカ地区(バラ・ダ・チジューカ街区およびレクレイオ・ドス・バンデイランテス街区)における大規模ショッピングセンターでの商業・サービス業の伸展、同地域における高層マンション、住宅の建設などが新たな経済活動の主軸となっている<ref>池永啓介・宇根道子「リオデジャネイロ」『世界地名大事典―中南アメリカ』山田睦男、中川文雄、松本栄次編、朝倉書店、2014年12月</ref>。
サンパウロについでブラジル第2の経済規模を持ち、ブラジルGDPの5.4%をリオ1市で生み出している。首都移転により行政機能は失われたが、[[ペトロブラス]]社などの公企業や半官半民の企業はブラジリアへは移転せず、リオに本社を置き続けた。工業面でもブラジル第2の都市であり、石油精製や造船、鉄鋼、冶金、石油化学、薬品、セメント、印刷、ゴム、食品などの産業が立地している。しかしながら、経済構成でみた工業の割合は1割程度で、残りの9割は商業・サービス業からなる。昨今では、バラ・ダ・チジューカ地区(バラ・ダ・チジューカ街区およびレクレイオ・ドス・バンデイランテス街区)における大規模ショッピングセンターでの商業・サービス業の伸展、同地域における高層マンション、住宅の建設などが新たな経済活動の主軸となっている<ref name="ReferenceA"/>。


リオデジャネイロ港は貨物取扱量でブラジルで3番目の港であり、埠頭の総延長は7kmに及ぶ。リオデジャネイロ州、[[ミナスジェライス州]]、[[エスピリトサント州]]、そして[[サンパウロ州]]の貨物を主に取り扱っている。
リオデジャネイロ港は貨物取扱量でブラジルで3番目の港であり、埠頭の総延長は7kmに及ぶ。リオデジャネイロ州、[[ミナスジェライス州]]、[[エスピリトサント州]]、そして[[サンパウロ州]]の貨物を主に取り扱っている。


== 交通 ==
== 交通 ==
[[ファイル:Public transport map of Rio de Janeiro.png|thumb|right|250px|交通地図]]
[[ファイル:Public transport map of Rio de Janeiro.png|thumb|交通地図]]
[[ファイル:Metro Rio 01 2013 Ipanema Osorio 5408.JPG|thumb|right|250px|<center>地下鉄</center>]]
[[ファイル:Tremsupervia.jpg|thumb|郊外電車]]
[[File:Aeroporto galeao rj ME.jpg|thumb|ガレオン国際空港]]
[[ファイル:Tremsupervia.jpg|thumb|right|250px|<center>郊外電車</center>]]
[[File:Barca Pão de Açúcar (2).jpg|thumb|グアナバラ湾フェリー]]
=== 市内 ===
=== 市内交通 ===
リオ市内やその近郊には[[バス (交通機関)|バス]]と[[リオデジャネイロ地下鉄|地下鉄]]2路線、そして長い間便利な足として郊外電車([[SuperVia]])8路線が張り巡らされており、比較的安価な価格で利用できる[[タクシー]]もポピュラーな移動手段である。地下鉄には[[女性専用車]]も設置されている。かつて多くの路線を有した[[路面電車]]も一路線残っている。
[[セントラル・ド・ブラジル駅]]を起点に郊外電車([[SuperVia]])8路線が張り巡らされている。リオ市内の観光地や商業の中心地などの主要な場所やその近郊へは[[リオデジャネイロ地下鉄|地下鉄]]が1番線、2番線、4番線の合計3路線や地下鉄が運営する[[バス (交通機関)|バス]]が利用でき<ref>{{Cite web |url=https://www.metrorio.com.br/GuiaDoCliente/SuaViagem |title=Guia do Cliente |access-date=2024-04-15 |publisher=Metro Rio}}</ref>、また市内のバスはリオデジャネイロで最も使用される交通手段である。比較的安価な[[タクシー]]も手軽な移動手段であり、近年では[[Uber]]や{{仮リンク|99 App|pt|99 (aplicativo)}}といったライドシェアの利用者が急増している。かつて多くの路線を有した[[路面電車]]は一路線残っている。2016年、{{仮リンク|リオデジャネイロ・ライトレール|en|Rio de Janeiro Light Rail}}の運行が始まった。


=== 市外 ===
=== 航空 ===
市内に2つの空港がある主に国内線向けの'''[[サントス・ドゥモン空港]]'''と、主に国際線向けの'''[[アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港|リオデジャネイロ国際空港]]'''(ガレオン国際空港である。


特に市内のサントス・ドゥモン空港とブラジル最大の都市である[[サンパウロ]]市内の[[コンゴーニャス空港]]との間には「ポンチ・アエレア」(空の架け橋)と呼ばれる[[シャトル便]]が就航しており、世界でも有数の利用者数を誇る路線となっている。
他の都市との移動は、高速道路を使った長距離バスや、市内に2つある空港(主に国内線向けの'''[[サントス・ドゥモン空港]]'''と、主に国際線向けの'''[[アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港|リオデジャネイロ国際空港]]'''(アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港/ガレオン国際空港))からの[[旅客機]]での移動が主流である。


=== 長距離バス ===
特に市内のサントス・ドゥモン空港とブラジル最大の都市である[[サンパウロ]]市内の[[コンゴーニャス空港]]との間には「ポンチ・アエレア」(空の架け橋)と呼ばれる[[シャトル便]]が就航しており、世界でも有数の搭乗者数を誇る路線となっている。所要時間はサンパウロまで車・バスで6時間、航空機で1時間弱かかる。
[[サンパウロ]]・チエテバスターミナルとの便はバス会社3社(Itapemirim, Cometa, Expresso Brasileiro)が同区間を別々に運行しており、日中は数十分に1本の頻度で運行されている。所要時間は約6時間。[[オリゾンテ]]行きや[[ヴィトーア (ブラジル)|ヴィトーリア]]行きの便も多い。


=== 港湾 ===
長距離バスの便数も多い。特に[[サンパウロ]]・チエテバスターミナルとの便はバス会社3社(Itapemirim, Cometa, Expresso Brasileiro)が同区間を別々に運行しており、日中は数十分に1本の頻度で運行されている。サンパウロだけでなく、[[ニテ]]接続のサンパウロ行きや[[ベロオゾンテ]]行きの便も多い。
「世界3大美港」の一つリオデジャネイロ港はブラジル最大級の港湾設備を有している。[[クルーズ船]]ターミナルがある他[[グアナバラ湾]]内の[[フェリー]]の運航も頻繁に行われている。

またリオデジャネイロ港は世界3大美港の一つでもあり、ブラジルでも最大級の港湾設備を有している。ため近隣の港湾都市島嶼との[[フェリー]]の運航も頻繁に行われている。
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== 文化 ==
== 文化 ==
ブラジルの文化の中心地であり、流行の発信地でもある。「サンパウロ人は仕事で忙しく、リオ人は遊びで忙しい」<ref>「ブラジルを知るための56章」p21 アンジェロ・イシ著 [[明石書店]] 2010年2月10日第2版第1刷 </ref>ともいわれる明るく享楽的な気質を持つ。
ブラジルの文化の中心地であり、流行の発信地でもある。「サンパウロ人は仕事で忙しく、リオ人は遊びで忙しい」<ref>「ブラジルを知るための56章」p21 アンジェロ・イシ著 [[明石書店]] 2010年2月10日第2版第1刷 </ref> ともいわれる明るく享楽的な気質を持つ。


=== カーニバル ===
=== カーニバル ===
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[[ポルトガル語]]でカルナヴァル({{lang|pt|Carnaval}})。[[カトリック教会|カトリック]]の[[謝肉祭]]のことで、カーニバル自体は世界各国のカトリック文化圏で行われている他、ブラジル各地でも行われている。もともとはポルトガルの謝肉祭・エントルードがブラジルに渡ったものであるといわれる。リオのカーニバルは派手で規模が大きいので特に有名で、開催時期は世界各国からの観光客を集める。[[復活祭]](イースター)を基準に太陰暦で日程を決めるため毎年開催日程は変動するが、だいたい2月の中旬から下旬になることが多い。
[[ポルトガル語]]でカルナヴァル({{lang|pt|Carnaval}})。[[カトリック教会|カトリック]]の[[謝肉祭]]のことで、カーニバル自体は世界各国のカトリック文化圏で行われている他、ブラジル各地でも行われている。もともとはポルトガルの謝肉祭・エントルードがブラジルに渡ったものであるといわれる。リオのカーニバルは派手で規模が大きいので特に有名で、開催時期は世界各国からの観光客を集める。[[復活祭]](イースター)を基準に太陰暦で日程を決めるため毎年開催日程は変動するが、だいたい2月の中旬から下旬になることが多い。


なおカーニバルといえば真っ先に[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]が連想されるが、サンバ以外にもマルシャ(ブラジル版マーチ)やポルカなどもある。サンバの場合、ファンタジアと呼ばれる華やかな衣装を身に付けサンバを踊り打楽器隊などによる演奏や歌で行進する。4日間行われ、開催中は世界各国から見物客が集まる。いわゆるリオのカーニバルとして知られているのは、マルケス・ヂ・サプカイ通りにあるサンボードロモ(サンバ会場)で行われるコンテスト形式のパレードである。ここで行進するサンバチームは[[サンバチーム#エスコーラ・・サンバ|エスコーラ・ヂ・サンバ]]({{lang-pt-short|[[:en:Samba school|Escola de samba]]}}、直訳:サンバの[[学校]])と呼ばれる。{{要出典範囲|なお「学校」はジョークで名付けられたもの|date=2010年2月}}で実際はリクリエーション団体の傾向が強い。そのため多くの団体はグレーミオ・ヘクヘアーチヴォ・エスコーラ・ヂ・サンバ、略称:{{lang|pt|G.R.E.S.}}(〜チーム名)と冠がつけられ一般的にはチーム名で呼ばれることが多い。なお日本ではこれらを総称してエスコーラと呼ばれる。これらはリオ市や隣接する他の市に点在する地域を代表するサンバのコミュニティーである。
なおカーニバルといえば真っ先に[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]が連想されるが、サンバ以外にもマルシャ(ブラジル版マーチ)やポルカなどもある。サンバの場合、ファンタジアと呼ばれる華やかな衣装を身に付けサンバを踊り打楽器隊などによる演奏や歌で行進する。4日間行われ、開催中は世界各国から見物客が集まる。いわゆるリオのカーニバルとして知られているのは、マルケス・ヂ・サプカイ通りにあるサンボードロモ(サンバ会場)で行われるコンテスト形式のパレードである。ここで行進するサンバチームは[[サンバチーム#エスコーラ・・サンバ|エスコーラ・ヂ・サンバ]]({{lang-pt-short|[[:en:Samba school|Escola de samba]]}}、直訳:サンバの[[学校]])と呼ばれる。{{要出典範囲|なお「学校」はジョークで名付けられたもの|date=2010年2月}}で実際はリクリエーション団体の傾向が強い。そのため多くの団体はグレーミオ・ヘクヘアーチヴォ・エスコーラ・ヂ・サンバ、略称:{{lang|pt|G.R.E.S.}}(〜チーム名)と冠がつけられ一般的にはチーム名で呼ばれることが多い。なお日本ではこれらを総称してエスコーラと呼ばれる。これらはリオ市や隣接する他の市に点在する地域を代表するサンバのコミュニティーである。


パレードは賞金付きコンテスト形式になっており審査が行われる。有名なサンバ団体を挙げるとベイジャ・フロール、ポルテーラ、マンゲイラ、インペリオ・セハーノ、サウゲイロ、ヴィラ・イザベウ、ウニードス・ダ・チジュッカ、ウニアォン・ダ・イーリャなどでどれも歴史的なサンバの名手({{lang|pt|Sambista}}、[[サンビスタ (ブラジル)|サンビスタ]])や曲を生んだエスコーラである。他にも沢山のエスコーラが存在し順位や優勝を競っている。今日、世界に誇るリオ各地域の市民による手作り文化の結晶として光り輝いている。
パレードは賞金付きコンテスト形式になっており審査が行われる。有名なサンバ団体を挙げるとベイジャ・フロール、ポルテーラ、マンゲイラ、インペリオ・セハーノ、サウゲイロ、ヴィラ・イザベウ、ウニードス・ダ・チジュッカ、ウニアォン・ダ・イーリャなどでどれも歴史的なサンバの名手({{lang|pt|Sambista}}、[[サンビスタ (ブラジル)|サンビスタ]])や曲を生んだエスコーラである。他にも沢山のエスコーラが存在し順位や優勝を競っている。今日、世界に誇るリオ各地域の市民による手作り文化の結晶として光り輝いている。
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== スポーツ ==
== スポーツ ==
=== サッカー ===
=== サッカー ===
{{Main|Category:リオデジャネイロのサッカークラブ}}
[[ファイル:Abertura Jogos Panamericanos 2 13072007.jpg|thumb|200px|[[エスタジオ・ド・マラカナン]]]]
[[ファイル:Abertura Jogos Panamericanos 2 13072007.jpg|thumb|200px|[[エスタジオ・ド・マラカナン]]]]
リオのみならずブラ代表するクラブとして知られている[[CRフラメンゴ]]をはじめとして[[CRヴァスコ・ダ・ガマ]]、[[フルミネンセFC|フルミネンセ]]、[[ボタフォゴFR|ボタフォゴ]]などのサッカクラブの本拠地として知られこれらのクラブは多くの「クラッキ(名選手)」「ジョガドール(サッカー選手)」を輩出してきた。[[2000年代]]では[[ロナウド]][[アドリアーノ・レイテ・リベイロ|アドリアーノ]]などがリオ出身のクラッキとして知られる。
リオャネイロでは[[サッカー]]が圧倒的な人気誇っており、名門クラブであ'''[[CRフラメンゴ]]'''や'''[[フルミネンセFC]]'''筆頭に、[[CRヴァスコ・ダ・ガマ]][[ボタフォゴFR]]などのムタウンとして知られる。これらのクラブは多くの「クラッキ([[天才]])」「ジョガドール([[サッカー選手]])」を輩出してきた。リオ出身のクラッキとして[[ロナウド]][[アドリアーノ・レイテ・リベイロ|アドリアーノ]]などが有名である。


また、世界最大のサッカースタジアムで[[1950年]]の[[1950 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]の主会場なった[[エスタジオ・ド・マラカナン]]がある。同スタジアムは[[2014年]]に行われた[[2014 FIFAワールドップ|ワルドップ]]の主会場の一つとなった。
リオには世界最大規模のサッカー[[スタジアム]]あり、[[1950年]]の[[1950 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]や[[2014年]]の[[2014 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]の主会場の一つにもなった[[エスタジオ・ド・マラカナン]]がある。この地でかつて「[[マラカナンの悲劇]]」や「[[2016年リオデジャネイロオリンピックのサッカー競技・男子#決勝|マラナンの歓喜]]」も起こった。


=== オリンピック ===
=== 国際大会 ===
* [[1989年]]まで[[フォーミュラ1]]選手権が郊外の[[ネルソン・ピケ・サーキット]]にて行われていた。
*2016年[[2016年リオデジャネイロオリンピック|夏季オリンピック]]が開催された。なおこはブラジルのみならず、南アメリカ大陸で開催され初のオリンピックとなる。
* [[2007年]]7月13日から29日にかけて、[[パンアメリカン競技大会]]が開催された。

* [[2016年]]には、[[2016年リオデジャネイロオリンピック|リオデジャネイロリンピック]]・[[2016年リオデジャネイロパラリンピック|パラリンピック]]が開催された。なおの大会はブラジルのみならず、[[南アメリカ大陸]]で開催され初の[[近代オリンピック|オリンピック]]・[[パラリンピック]]である。
=== その他 ===
*[[1989年]]まで[[フォーミュラ1]]選手権が郊外の[[ネルソン・ピケ・サーキット]]行われていた他、各種[[マリンスポーツ]]や[[ハンググライダー]]、[[ビーチバレー]]などが盛んに行われている
*[[2007年]][[7月13日|7月13]]〜[[7月29日|29日]]に[[パンアメリカン競技大会]]が開催された。


== 観光 ==
== 観光 ==
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*[[コルコバードのキリスト像]] ({{lang|pt|Cristo Redentor}})
*[[コルコバードのキリスト像]] ({{lang|pt|Cristo Redentor}})
*[[ポン・ヂ・アスーカル]] ({{lang|pt|Pão de Açúcar}})
*[[ポン・ヂ・アスーカル]] ({{lang|pt|Pão de Açúcar}})
*リオデジャネイロ大聖堂 ([[:pt:Catedral de São Sebastião do Rio de Janeiro]])
*[[リオデジャネイロ大聖堂]] (Catedral Metropolitana do Rio de Janeiro)
*[[リオデジャネイロ旧大聖堂]] ({{lang|pt|Igreja de Nossa Senhora do Monte do Carmo}})
*[[リオデジャネイロ旧大聖堂]] ({{lang|pt|Igreja de Nossa Senhora do Monte do Carmo}})
*[[リオデジャネイロ市立劇場]] ({{lang|pt|Theatro Municipal do Rio de Janeiro}})
*[[リオデジャネイロ市立劇場]] ({{lang|pt|Theatro Municipal do Rio de Janeiro}})
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リオの犯罪率は高く、とくに[[ファヴェーラ]]などで麻薬組織や麻薬販売人による犯罪や殺人が多い。[[2006年]]には2273人が殺され、10万人あたりの殺人率は37.7だった。2008年より、リオデジャネイロ州は治安回復計画(UPP)を実施し、悪化していた治安を向上させることに努め、2009年から2010年の殺人率は21%減少し、治安は改善傾向にある。しかしこれに反発した麻薬組織と警察の対立が激化している<ref>[http://webronza.asahi.com/global/2011020600006.html]</ref>。2016年のオリンピックの際に報じられた情報によると、2015年にリオ市で起きた事件数は殺人1205件、強盗81740件であり、同年の日本全国の事件数(殺人933件、強盗事件2426件)と比べても多く、人口10万人あたりの発生率で見ると殺人発生率は日本の25倍、強盗発生率は660倍とのことである<ref>[https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160503/ddm/012/050/051000c]</ref>。オリンピック・パラリンピック期間中は85,000人の警察官・警備隊を投入し、観客やメディア関係者が死亡するような事故や事件は発生しなかった<ref>[http://www.ssf.or.jp/research/international/spioc/br/brazil/tabid/1152/Default.aspx]</ref>。
リオの犯罪率は高く、とくに[[ファヴェーラ]]などで麻薬組織や麻薬販売人による犯罪や殺人が多い。[[2006年]]には2273人が殺され、10万人あたりの殺人率は37.7だった。2008年より、リオデジャネイロ州は治安回復計画(UPP)を実施し、悪化していた治安を向上させることに努め、2009年から2010年の殺人率は21%減少し、治安は改善傾向にある。しかしこれに反発した麻薬組織と警察の対立が激化している<ref>[http://webronza.asahi.com/global/2011020600006.html]</ref>。2016年のオリンピックの際に報じられた情報によると、2015年にリオ市で起きた事件数は殺人1205件、強盗81740件であり、同年の日本全国の事件数(殺人933件、強盗事件2426件)と比べても多く、人口10万人あたりの発生率で見ると殺人発生率は日本の25倍、強盗発生率は660倍とのことである<ref>[https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160503/ddm/012/050/051000c]</ref>。オリンピック・パラリンピック期間中は85,000人の警察官・警備隊を投入し、観客やメディア関係者が死亡するような事故や事件は発生しなかった<ref>[http://www.ssf.or.jp/research/international/spioc/br/brazil/tabid/1152/Default.aspx]</ref>。


== 著名な出身者 ==
== リオデジャネイロ出身の著名 ==
{{Main|Category:リオデジャネイロ出身の人物}}
リオデジャネイロ出身の人を「'''[[カリオカ]]'''({{lang-pt-short|Carioca}})<ref>カリオカ({{lang|pt|Carioca}})は、ポルトガル語の形容詞・名詞で「リオデジャネイロ市出身の」あるいは「リオデジャネイロ市出身の人」を言葉。この語はトゥピ・グアラニー族の方言で、「白人の家」(家 ''oca''、白人 ''cari'')に由来する。</ref>」という
;※リオデジャネイロ出身者は「'''[[カリオカ]]'''({{lang-pt-short|Carioca}})<ref group="注釈">カリオカ({{lang|pt|Carioca}})は、ポルトガル語の形容詞・名詞で「リオデジャネイロ市出身の」あるいは「リオデジャネイロ市出身の人」を意味。この語はトゥピ・グアラニー族の方言で、「白人の家」(家 ''oca''、白人 ''cari'')に由来する。</ref>」とも呼ばれる


*[[ジーコ]]サッカー選手、元サッカー日本代表チーム[[監督]]
*[[ジーコ]] - 元[[サッカー選手]]、元[[サッカー日本代表]]監督
*[[ラモス瑠偉]]サッカー選手
*[[ラモス瑠偉]] - 元サッカー選手
*[[ウーゴ・カルデラノ]]
*[[ネルソン・ピケ]](F1ドライバー)
*[[ロブソン・ダ・シルバ]]
*[[ピシンギーニャ]](音楽家)
*[[エイトル・ヴィラ=ロボス]]音楽家
*[[エイトル・ヴィラ=ロボス]] - 音楽家
*[[ベルナルド・レゼンデ]]
*[[カルトーラ]](音楽家)
*[[アントニオ・カルロス・ジョビン]]音楽家
*[[アントニオ・カルロス・ジョビン]] - 音楽家
*[[ジョジョール]](音楽家)
*[[ナウベビテール]]
*[[コス・スザーノ]](音楽家)
*[[ルーノ・レゼンデ]]
*[[レアンドロ・ヴィソット・ネヴェス]]
*[[オスカー・ニーマイヤー]](建築家)
*[[ジョアン・アヴェランジェ]]元FIFA会長
*[[ジョアン・アヴェランジェ]] - [[国際サッカー連盟|FIFA]]会長
*[[ファビアナ・オリベイラ]](女子バレーボールブラジル代表選手)
*[[ファビアナ・オリベイラ]] - [[バレーボールブラジル女子代表]]
*[[カルロス・ヌズマン]]リオデジャネイロオリンピック組織委員会会長
*[[カルロス・ヌズマン]] - [[2016年リオデジャネイロオリンピック|リオ五輪]]組織委員会会長
*[[フィリペ・コウチーニョ]] サッカー選手
*[[フィリペ・コウチーニョ]] - サッカー選手
* [[ジョルジ・デ・アモリン・カンポス]]
* [[カルロス・アウベルト]]
* [[ジャイルジーニョ]]
* [[ダダ・マラヴィーリャ]]
* [[ニウトン・サントス]]
* [[サンドラ・ピレス]]
* [[バルバラ・セイシャス]]
* [[ホイス・グレイシー]]
* [[ビクトー・ベウフォート]]
* [[アイケ・ドゥアルテ]]


== 姉妹都市 ==
== 姉妹都市 ==
リオデジャネイロは以下の都市と姉妹都市となっている。<ref>{{cite web|url=http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=94185 |title=Sister cities |publisher=Radikal.com.tr |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.managua.gob.ni/index.php?s=1157 |title=Sister cities |publisher=Managua.gob.ni |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://eng.gov.spb.ru/figures/ities |title=Sister cities |publisher=Eng.gov.spb.ru |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>[http://www.city.kobe.jp/cityoffice/17/020/en/international/worldmap.htm Sister cities]</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2005/pl0663_2005_008043.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref name="international1">{{cite web |url=https://www.atlantaga.gov/government/mayor-s-office/executive-offices/office-of-international-affairs/atlanta-sister-cities-commission/list-of-atlanta-s-18-sister-cities |title=List of Atlanta's 17 Sister Cities |publisher=Atlantaga.gov |accessdate=2020-08-12 }}</ref><ref>{{cite web |url=http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2007/pl1128_2007_007319.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130616013718/http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2007/pl1128_2007_007319.pdf |archivedate=2013年6月16 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><ref>http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/0099/pl1593_0099_001493.pdf</ref><ref>{{cite web|url=http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2004/pl2058_2004_004901.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2006/pl0866_2006_006249.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2001/pl0444_2001_000513.pdf</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2002/pl0781_2002_003795.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2003/pl1258_2003_003777.pdf |title=Microsoft Word – p |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>[http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2009/pl10457_2009_215486.pdf Sister cities]{{リンク切れ|date=April 2010}}</ref><ref name="Barcelona">{{cite web|url=http://w3.bcn.es/XMLServeis/XMLHomeLinkPl/0,4022,229724149_257215678_1,00.html|title=Barcelona internacional&nbsp;— Ciutats agermanades|publisher=2006–2009 [http://www.bcn.es/catala/copyright/welcome2.htm Ajuntament de Barcelona]|language=Catalan|accessdate=2009-07-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090216085914/http://w3.bcn.es/XMLServeis/XMLHomeLinkPl/0%2C4022%2C229724149_257215678_1%2C00.html|archivedate=2009年2月16|deadlinkdate=2017年9月}}</ref><ref name="hermanadas">{{cite web |title=Mapa Mundi de las ciudades hermanadas |publisher=Ayuntamiento de Madrid |url=http://www.munimadrid.es/portal/site/munimadrid/menuitem.dbd5147a4ba1b0aa7d245f019fc08a0c/?vgnextoid=4e84399a03003110VgnVCM2000000c205a0aRCRD&vgnextchannel=4e98823d3a37a010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD&vgnextfmt=especial1&idContenido=1da69a4192b5b010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD |language={{Es icon}} |accessdate=2009-07-02 |archiveurl=https://archive.is/20120526204453/http://www.munimadrid.es/portal/site/munimadrid/menuitem.dbd5147a4ba1b0aa7d245f019fc08a0c/?vgnextoid=4e84399a03003110VgnVCM2000000c205a0aRCRD&vgnextchannel=4e98823d3a37a010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD&vgnextfmt=especial1&idContenido=1da69a4192b5b010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD |archivedate=2012年5月26 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><ref>{{cite web |url=http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2003/pl1488_2003_004271.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090326223751/http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2003/pl1488_2003_004271.pdf |archivedate=2009年3月26 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><ref>{{cite web|url=http://spl.camara.rj.gov.br/spl/spl_docdown;jsessionid=6D4F94D52D9EDB03E9BC2A39E6E46D27?id=10671 |title=Sister cities |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.paris.fr/portail/politiques/Portal.lut?page_id=6587&document_type_id=5&document_id=16468&portlet_id=14974 |title=Les pactes d'amitié et de coopération |publisher=Paris.fr |date=2010-03-17 |accessdate=2010-06-14}}</ref>
リオデジャネイロは以下の都市と姉妹都市となっている。<ref>{{cite web|url=http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=94185 |title=Sister cities |publisher=Radikal.com.tr |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.managua.gob.ni/index.php?s=1157 |title=Sister cities |publisher=Managua.gob.ni |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://eng.gov.spb.ru/figures/ities |title=Sister cities |publisher=Eng.gov.spb.ru |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>[http://www.city.kobe.jp/cityoffice/17/020/en/international/worldmap.htm Sister cities]</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2005/pl0663_2005_008043.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref name="international1">{{cite web |url=https://www.atlantaga.gov/government/mayor-s-office/executive-offices/office-of-international-affairs/atlanta-sister-cities-commission/list-of-atlanta-s-18-sister-cities |title=List of Atlanta's 17 Sister Cities |publisher=Atlantaga.gov |accessdate=2020-08-12 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2007/pl1128_2007_007319.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130616013718/http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2007/pl1128_2007_007319.pdf |archivedate=2013-06-16 |url-status=dead|url-status-date=2017-09 }}</ref><ref>http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/0099/pl1593_0099_001493.pdf</ref><ref>{{cite web|url=http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2004/pl2058_2004_004901.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2006/pl0866_2006_006249.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2001/pl0444_2001_000513.pdf</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2002/pl0781_2002_003795.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2003/pl1258_2003_003777.pdf |title=Microsoft Word – p |format=PDF |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>[http://cmrj3.cmrj.gov.br/spldocs/pl/2009/pl10457_2009_215486.pdf Sister cities]{{リンク切れ|date=April 2010}}</ref><ref name="Barcelona">{{Cite web|url=http://w3.bcn.es/XMLServeis/XMLHomeLinkPl/0,4022,229724149_257215678_1,00.html|title=Barcelona internacional&nbsp;— Ciutats agermanades|publisher=2006–2009 [http://www.bcn.es/catala/copyright/welcome2.htm Ajuntament de Barcelona]|language=Catalan|accessdate=2009-07-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090216085914/http://w3.bcn.es/XMLServeis/XMLHomeLinkPl/0%2C4022%2C229724149_257215678_1%2C00.html|archivedate=2009-02-16|url-status=dead|url-status-date=2017-09}}</ref><ref name="hermanadas">{{Cite web |title=Mapa Mundi de las ciudades hermanadas |publisher=Ayuntamiento de Madrid |url=http://www.munimadrid.es/portal/site/munimadrid/menuitem.dbd5147a4ba1b0aa7d245f019fc08a0c/?vgnextoid=4e84399a03003110VgnVCM2000000c205a0aRCRD&vgnextchannel=4e98823d3a37a010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD&vgnextfmt=especial1&idContenido=1da69a4192b5b010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD |language={{Es icon}} |accessdate=2009-07-02 |archiveurl=https://archive.is/20120526204453/http://www.munimadrid.es/portal/site/munimadrid/menuitem.dbd5147a4ba1b0aa7d245f019fc08a0c/?vgnextoid=4e84399a03003110VgnVCM2000000c205a0aRCRD&vgnextchannel=4e98823d3a37a010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD&vgnextfmt=especial1&idContenido=1da69a4192b5b010VgnVCM100000d90ca8c0RCRD |archivedate=2012-05-26 |url-status=dead|url-status-date=2017-09 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2003/pl1488_2003_004271.pdf |title=Sister cities |format=PDF |accessdate=2010-04-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090326223751/http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/2003/pl1488_2003_004271.pdf |archivedate=2009-03-26 |url-status=dead|url-status-date=2017-09 }}</ref><ref>{{cite web|url=http://spl.camara.rj.gov.br/spl/spl_docdown;jsessionid=6D4F94D52D9EDB03E9BC2A39E6E46D27?id=10671 |title=Sister cities |accessdate=2010-04-17}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.paris.fr/portail/politiques/Portal.lut?page_id=6587&document_type_id=5&document_id=16468&portlet_id=14974 |title=Les pactes d'amitié et de coopération |publisher=Paris.fr |date=2010-03-17 |accessdate=2010-06-14}}</ref>


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|'''[[北京市|北京]]''', [[中華人民共和国|中国]]
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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*[http://www.rio-de-janeiro-guide.net/ 7 days in Rio de Janeiro]{{En icon}}
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リオ・デ・ジャネイロ
Rio de Janeiro
ブラジルの旗
左上から時計回りに: セントロ地区、コルコバードのキリスト像、ポン・ヂ・アスーカルをコルコバードから臨むパノラマ、コパカバーナビーチ、リオ・ニテロイ橋、マラカナン・スタジアム
左上から時計回りに: セントロ地区コルコバードのキリスト像ポン・ヂ・アスーカルコルコバードから臨むパノラマ、コパカバーナビーチ、リオ・ニテロイ橋マラカナン・スタジアム
リオ・デ・ジャネイロの市旗 リオ・デ・ジャネイロの市章
市旗 市章
愛称 : Cidade Maravilhosa(素晴らしい街)、Rio(リオ)
位置
リオ・デ・ジャネイロの位置(リオ・デ・ジャネイロ州)の位置図
リオ・デ・ジャネイロの位置(リオ・デ・ジャネイロ州)
位置
リオデジャネイロの位置(ブラジル内)
リオデジャネイロ
リオデジャネイロ
リオデジャネイロ (ブラジル)
リオデジャネイロの位置(南アメリカ内)
リオデジャネイロ
リオデジャネイロ
リオデジャネイロ (南アメリカ)
座標 : 南緯22度54分30秒 西経43度11分47秒 / 南緯22.90833度 西経43.19639度 / -22.90833; -43.19639
歴史
建設 1565年3月1日
行政
ブラジルの旗 ブラジル
 地域 南東部
 州 リオデジャネイロ州
 市 リオ・デ・ジャネイロ
市長 エドゥアルド・パイス
社会民主党
地理
面積  
  市域 1,260 km2
  都市圏 4,557.3 km2
標高 0〜380 m
人口
人口 (2021年現在)
  市域 6,775,521人
    人口密度   5,377人/km2
その他
等時帯 UTC-3 (UTC-3)
市外局番 +55 21
公式ウェブサイト : City of Rio de Janeiro
リオデジャネイロの衛星写真
リオデジャネイロの衛星写真(夜間・ISS

リオ・デ・ジャネイロ: Rio de Janeiro, ブラジルポルトガル語発音: [ˈʁi.u d(ʒi) ʒɐˈne(j)ɾu] ( 音声ファイル))は、ブラジル南東部に位置するリオデジャネイロ州の州都。略称はリオRio)。世界有数のメガシティであり、国内最大の観光都市である。商工業が盛んであり[1]港湾都市としても知られる。

人口は600万人を超え、サンパウロに次いでブラジル第2位にランクされる。経済規模(域内総生産)でもサンパウロに次いで第2位にあり、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第56位、国内ではサンパウロに次ぐ第2位の都市と評価された[2]。都市周辺の美しい文化的景観は「リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群」として、2012年に世界遺産リストに登録された。

2016年には、南米大陸では初となる第31回夏季オリンピック第15回夏季パラリンピックの開催都市となった。

名称

[編集]

"Rio de Janeiro"とはポルトガル語で「1月」という意味。

ブラジルポルトガル語発音では、[ˈʁi.u d(ʒi) ʒɐˈne(j)ɾu](リウ・ヂ・ジャネイル)や [ˈxi.u d(ʒi) ʒɐˈne(j)ɾu](ヒウ・ヂ・ジャネイル)となる。

一般的にポルトガル語で都市名を読み書きする場合は男性形・女性形の区別をつけないが、一般名詞と区別するためにリオ・デ・ジャネイロは必ず男性定冠詞"o"を付けた"o Rio de Janeiro"という男性形で呼ばれる。ただし、長距離バスや航空機の行先表示などでは単純に「Rio」と略記されることもある。

概要

[編集]

カーニバルで有名。コパカバーナイパネマなどの世界的に有名な海岸を有し世界3大美港の一つに数えられる美しい都市である。都市のGDPは2010億ドルであり世界第30位、南米ではサンパウロブエノスアイレスに次ぎ第3位である[3]

1960年ブラジリア遷都するまではブラジルの首都であった。また、1808年ナポレオンに本国領土を奪われたポルトガル王室が遷都してからブラジルが独立するまではポルトガルの首都であった。また、中南米有数の貿易港でもあるためにブラジルの経済的な中心地でもあった。近年は経済の中心地はサンパウロに移り、その地位が低下しているものの、依然として中南米有数の経済都市である。また、ブラジルのみならず世界でも有数の観光地としても、ショーロボサノヴァを生んだ音楽の都としても名高い。

地域

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コルコバードからのリオデジャネイロのパノラマ

左にやや傾いた平行四辺形の形状を呈した大陸部とグアナバラ湾内に分布する島嶼部の2つからなり、東西の長さは約70km、南北は37kmにおよぶ。公式的には全部で7つの大行政区と33の小地域、160の街区Bairroから構成されているが、街区の上位にある地区Distritoが存在しないのが特徴である[4]。慣用的には、セントロ、南部地域、北部地域、バラ・ダ・チジューカ地域、西部地域という区分がなされることが多い。

セントロ
セントロはリオの歴史的中心部であり、また現在でも経済的中心でもある。セントロの中心であるリオ・ブランコ通りはビジネス街で、多くのオフィスビルが立ち並ぶ。東西にはプレジデンチ・ヴァルガス大通りが走っており、リオの中央駅であるドン・ペドロ2世駅もこの通り沿いにある。東端にはグアナバラ湾に面してサントス・ドゥモン空港があり、国内線が多く発着する。また西部には、カーニバルのメイン会場となるサンボードロモ・ダ・マルケス・ジ・サプカイがある。
南部地域
南部は高級住宅街が多く、またグアナバラ湾や大西洋に面したビーチも多い。セントロのすぐ南に広がるフラメンゴやボタフォゴにもビーチがあるが、リオのビーチで最も著名かつ人の多いところはその南に広がるコパカバーナや、そのさらに西に広がるイパネマ海岸英語版である。この二つはリオ有数の観光地であると同時に、リオ有数の高級住宅街でもある。イパネマ海岸はリオで生まれた音楽ボサノヴァの曲『イパネマの娘』の舞台としても有名である。イパネマのさらに西にあるレブロン地区は南アメリカ大陸で最も地価が高い地点のある高級住宅街である。また、ボタフォゴの東のウルカ地区にはリオのシンボルの一つであるポン・ヂ・アスーカルと呼ばれる岩山があり、ロープウェーで頂上まで登ることができる。また、リオデジャネイロのシンボルであるコルコバードのキリスト像はこの南部地区にあるコルコバードの丘の上に立っており、登山電車で登ることができる。
北部地域
北部地域は工業地区や住宅地区から構成され、観光の目玉となる場所はそれほど多くはない。しかしながら、やや南よりには、1950年のワールドカップのために建設され、かつては20万人の収容人員を誇った世界一のサッカースタジアム(現在の収容人員は95000人)エスタジオ・ド・マラカナンがあることで知られる。同スタジアムは、2014年ワールドカップおよび2016年リオデジャネイロオリンピックのメイン会場である。なお、北部地域には、グアナバラ湾に浮かぶいくつかの島も含まれており、主なものとしては、アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港が位置するゴベルナドル島のほか、静寂さが観光客に人気のパケタ島英語版などをあげることができる。一般的に、北部地域は経済的にみて比較的貧しい階層が住んでおり、内陸の丘陵地帯にはコンプレクソ・ド・アレマンスペイン語版が、沿岸部ではコンプレクソ・ド・マレに代表されるファヴェーラがある。一方、グアナバラ湾対岸のニテロイ市との間までを結ぶリオ・ニテロイ大橋の起点にあたるほか、州西部および北部に向かう幹線道路の通過点にあたるなど交通の要衝的な地位を確保しているのも事実である。
バラ・ダ・チジュカ地域
南部地域の西に隣接し、近年開発が進んでいるエリアである。主に、バラ・ダ・チジュッカ街区とレクレイオ・ドス・バンデイランテス街区から構成される。片側4車線の幅広い道路が東西に伸び、中央では南北方向を結ぶもう一つの幹線道路と交差している。計画的な開発が進められ、高層アパート、大規模ショッピングセンターが立ち並んでいる。2016年のオリンピックにおいては、この地区に選手村や会場の多くが建設される予定である。小型機の発着が可能な空港もある。
西部地域
セントロ
市域のほぼ西半分を占め、最西端にあるサンタクルス、そこから少し東に行ったところにあるカンポグランデなどが代表的であり、セントロにあるリオデジャネイロ中央駅からサンタクルス駅までは都市近郊鉄道で結ばれている。サンタクルスは日系人が入植した地として知られ、リオデジャネイロ市でも日系人が比較的多いところとして知られる。
ファヴェラ
地域の名前ではなく、不法に立てられた貧民街を「ファヴェーラ」と呼ぶ。主なスラムとしては、レブロン街区の西、ドイスイルマンの山塊(533m)の北西斜面に広がり居住人口がラテンアメリカ最大規模を誇るロシーニャ、バラ・ダ・チジュカ地区の北に隣接し映画『シティ・オブ・ゴッド』(2002年)の舞台となったシダージデデウス、北部地区の内陸のやや標高の高い丘にあり2011年にはスラムの上空をゴンドラリフトが貫通るようになったコンプレクソ・ド・アレマン、北部のグアナバラ湾沿いの湿地帯に広がるコンプレクソ・ド・マレコパカバーナ街区の丘に広がるパヴォン・パヴォンジーニョなどがある[4]

歴史

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1565年のリオデジャネイロの創設を描いた画

1502年1月にポルトガル人探検家ガスパール・デ・レモスたちがグアナバラ湾の湾口であるこの地に到達。グアナバラ湾は湾口が狭まっているため大きな川であると誤認し、発見した月に因みポルトガル語で「一月の川」と命名した[5]。ポルトガル人たちは海岸に壁を白く塗った家を建てて住んだ。先住民のトゥピ族英語版は彼ら白人を「カリ・オカ」(トゥピー・グゥアラニー語で白い家の意味)と呼んだ。それが現代語のカリオカ(en)の起源である。1555年フランスの植民地開拓者が南極フランス英語版居留地をつくったが1567年にこれをポルトガル人は追い出し、18世紀までここに小さなコミュニティをつくっていた。町の名は川(実は湾)の名の転用である。

17世紀までのリオは、砂糖の栽培と製糖工場がある小さな港町にすぎなかった。しかし18世紀前半に内陸のミナスジェライス州周辺で金鉱が発見された。この金の集散地は、当初は金鉱発見者であるバンデイランテスたちの基地であるサンパウロであったが、1725年にリオとミナスジェライスを結ぶ新道が開通すると、距離的に近いリオがサンパウロに代わってミナスのダイアモンドの積出港となり、ブラジル植民地英語版の交通と富の中心となった。このためそれまで栄えていた北東部から南東部への重心の移動が生じ、1763年にはブラジル総督がサルヴァドール・ダ・バイーアからリオに移されブラジル植民地英語版の首府となった[6]

カリオカ水道橋、18世紀前半に建設された

1808年半島戦争の勃発により、リスボンポルトガル宮廷はナポレオン軍を逃れてリオに移転した。翌1809年、リオがポルトガル・ブラジル連合王国の首都となる。これによりリオは人口も増加し、また高い文化を持った移住者たちによって文化も進歩した。1821年には王の帰還と共に首都もリスボンに再遷都されたが、ポルトガルがブラジルの統治に軍を送り込んだためブラジル側の憤激を買い、独立派はリオに残っていた王太子ドン・ペドロを擁立して1822年ブラジル帝国の独立を宣言し、リオはブラジル帝国の首都となった。

1832年4月4日から7月5日まで、ダーウィンの乗ったイギリス海軍のビーグル号が寄港している。ここでダーウィンは奴隷に対する酷い仕打ちを目撃した。このときの深い嫌悪感を終生忘れることがなかった[7]

リオデジャネイロの風景
(1825年頃)

帝国の首都として行政機能の集中したリオの街は順調に発展していった。1854年にはブラジル初の鉄道14kmがリオに建設され、ガス燈や電信、上下水道といったインフラも整備され始めた。1889年帝政が廃止され共和制に移行するものの、リオは引き続きブラジル連邦共和国の首都となった。当時の市街はグアナバラ湾の入口にほど近い現在のセントロ地区のみであったが、19世紀末には人口は50万、1900年には81万に達し、市街は拡大していった。1902年に就任した第5代大統領のロドリゲス・アルヴェスは首都であるリオの改善に熱心に取り組み、都市計画家フランシスコ・ペレイラ・パソスを起用して都市計画を実施し、1903年には東西南北の幹線道路が整備された。黄熱病が撲滅され、衛生状況が大きく改善したのもこの時期である。南のボタフォゴ地区やさらに南のコパカバーナへと市街地が延びていった。コパカバーナやイパネマへと通じる直通トンネルも建設された。

ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス時代の開発政策により、第二次世界大戦後に商工業が発展すると内陸部や北東部から職をもとめて大量の人々が流入した。しかし、経済の重心は徐々に内陸部のサンパウロ市に移っていき、1950年代にはリオの人口はサンパウロに抜かれ、現在に至るまでリオはブラジル第2の都市となっている。また1960年ジュセリーノ・クビシェッキ大統領によって首都はブラジリアに移され、リオは行政の中心地としての機能を失った。遷都後もそれまでの連邦直轄区の領域、すなわち今日のリオデジャネイロ市域はグアナバラ州としてリオデジャネイロ州と併存していたが、1975年にグアナバラ州とリオデジャネイロ州が合併し、ニテロイ市にかわって新リオデジャネイロ州の州都になった。1992年にはこの地で地球サミット(環境と開発に関する国際連合会議)が開催され、「環境と開発に関するリオデジャネイロ宣言」(リオ宣言)とその行動計画であるアジェンダ21が合意された。

2009年10月2日東京シカゴマドリードとの投票に勝利して、第31回夏季オリンピックのリオ開催が決定した。これは南米大陸初、ラテンアメリカ全体でも1968年開催のメキシコオリンピックに次ぐ48年ぶり2回目のオリンピック開催となる。

人口動態

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リオデジャネイロ都心部の眺め

白人(53.4%)、混血(33.5%)、黒人(12.6%)、その他(0.5%)。19世紀末から20世紀初頭の大量の移民によって人種構成は多様化し、ポルトガル系のほか、イタリア系、スペイン系、ドイツ系、日系(15000人)、ユダヤ系、レバノン系など、多種多様な人種が混在し、混交している。1872年に27万人だった人口は、1890年に52万人、1900年に81万人、1950年に237万人、2000年には585万人に達した。この人口増加の多くは国内移動、とくに貧しい北東部からの大量流入によるもので、これによりリオ市内各所にファヴェーラ(スラム)ができ、貧富の差や治安の悪化が問題となっている。

経済

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サンパウロについでブラジル第2の経済規模を持ち、ブラジルGDPの5.4%をリオ1市で生み出している。首都移転により行政機能は失われたが、ペトロブラス社などの公企業や半官半民の企業はブラジリアへは移転せず、リオに本社を置き続けた。工業面でもブラジル第2の都市であり、石油精製や造船、鉄鋼、冶金、石油化学、薬品、セメント、印刷、ゴム、食品などの産業が立地している。しかしながら、経済構成でみた工業の割合は1割程度で、残りの9割は商業・サービス業からなる。昨今では、バラ・ダ・チジューカ地区(バラ・ダ・チジューカ街区およびレクレイオ・ドス・バンデイランテス街区)における大規模ショッピングセンターでの商業・サービス業の伸展、同地域における高層マンション、住宅の建設などが新たな経済活動の主軸となっている[4]

リオデジャネイロ港は貨物取扱量でブラジルで3番目の港であり、埠頭の総延長は7kmに及ぶ。リオデジャネイロ州、ミナスジェライス州エスピリトサント州、そしてサンパウロ州の貨物を主に取り扱っている。

交通

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交通地図
郊外電車
ガレオン国際空港
グアナバラ湾フェリー

市内交通

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セントラル・ド・ブラジル駅を起点に郊外電車(SuperVia)8路線が張り巡らされている。リオ市内の観光地や商業の中心地などの主要な場所やその近郊へは地下鉄が1番線、2番線、4番線の合計3路線や地下鉄が運営するバスが利用でき[8]、また市内のバスはリオデジャネイロで最も使用される交通手段である。比較的安価なタクシーも手軽な移動手段であり、近年ではUber99 Appポルトガル語版といったライドシェアの利用者が急増している。かつて多くの路線を有した路面電車は一路線残っている。2016年、リオデジャネイロ・ライトレール英語版の運行が始まった。

航空

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市内に2つの空港がある。主に国内線向けのサントス・ドゥモン空港と、主に国際線向けのリオデジャネイロ国際空港(ガレオン国際空港)である。

特に市内のサントス・ドゥモン空港とブラジル最大の都市であるサンパウロ市内のコンゴーニャス空港との間には「ポンチ・アエレア」(空の架け橋)と呼ばれるシャトル便が就航しており、世界でも有数の利用者数を誇る路線となっている。

長距離バス

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サンパウロ・チエテバスターミナルとの便はバス会社3社(Itapemirim, Cometa, Expresso Brasileiro)が同区間を別々に運行しており、日中は数十分に1本の頻度で運行されている。所要時間は約6時間。ベロオリゾンテ行きやヴィトーリア行きの便も多い。

港湾

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「世界3大美港」の一つリオデジャネイロ港はブラジル最大級の港湾設備を有している。クルーズ船のターミナルがある他、グアナバラ湾内のフェリーの運航も頻繁に行われている。

気候

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  • ケッペンの気候区分ではサバナ気候(Aw)に属する。12月から3月にかけては雨が多く、また気温も最も高くなる。一方7月と8月は冬であり、降水量が少なく気温もやや低くなるが、全般的にいえば年間通じて温暖な気候を保っているといえる。年間平均気温は24℃で、年間平均降水量は1175mmである。
リオデジャネイロの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 29
(84)
30
(86)
29
(84)
28
(82)
27
(81)
25
(77)
26
(79)
26
(79)
25
(77)
26
(79)
27
(81)
29
(84)
27
(81)
日平均気温 °C°F 26
(79)
27
(81)
26
(79)
24
(75)
23
(73)
22
(72)
21
(70)
22
(72)
22
(72)
23
(73)
24
(75)
25
(77)
24
(75)
平均最低気温 °C°F 23
(73)
23
(73)
23
(73)
22
(72)
21
(70)
19
(66)
18
(64)
19
(66)
19
(66)
20
(68)
22
(72)
22
(72)
21
(70)
降水量 mm (inch) 114
(4.49)
104
(4.09)
104
(4.09)
137
(5.39)
86
(3.39)
81
(3.19)
56
(2.2)
51
(2.01)
86
(3.39)
89
(3.5)
97
(3.82)
170
(6.69)
1,175
(46.26)
平均月間日照時間 195.3 214.6 195.3 165.0 170.5 156.0 182.9 179.8 138.0 158.1 168.0 161.2 2,084.7
出典:The Weather Channel,[9] Hong Kong Observatory[10] for data of sunshine hours

文化

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ブラジルの文化の中心地であり、流行の発信地でもある。「サンパウロ人は仕事で忙しく、リオ人は遊びで忙しい」[11] ともいわれる明るく享楽的な気質を持つ。

カーニバル

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カルナヴァルのパレード

ポルトガル語でカルナヴァル(Carnaval)。カトリック謝肉祭のことで、カーニバル自体は世界各国のカトリック文化圏で行われている他、ブラジル各地でも行われている。もともとはポルトガルの謝肉祭・エントルードがブラジルに渡ったものであるといわれる。リオのカーニバルは派手で規模が大きいので特に有名で、開催時期は世界各国からの観光客を集める。復活祭(イースター)を基準に太陰暦で日程を決めるため毎年開催日程は変動するが、だいたい2月の中旬から下旬になることが多い。

なおカーニバルといえば真っ先にサンバが連想されるが、サンバ以外にもマルシャ(ブラジル版マーチ)やポルカなどもある。サンバの場合、ファンタジアと呼ばれる華やかな衣装を身に付けサンバを踊り打楽器隊などによる演奏や歌で行進する。4日間行われ、開催中は世界各国から見物客が集まる。いわゆるリオのカーニバルとして知られているのは、マルケス・ヂ・サプカイ通りにあるサンボードロモ(サンバ会場)で行われるコンテスト形式のパレードである。ここで行進するサンバチームはエスコーラ・ヂ・サンバ: Escola de samba、直訳:サンバの学校)と呼ばれる。なお「学校」はジョークで名付けられたもの[要出典]で実際はリクリエーション団体の傾向が強い。そのため多くの団体はグレーミオ・ヘクヘアーチヴォ・エスコーラ・ヂ・サンバ、略称:G.R.E.S.(〜チーム名)と冠がつけられ一般的にはチーム名で呼ばれることが多い。なお日本ではこれらを総称してエスコーラと呼ばれる。これらはリオ市や隣接する他の市に点在する地域を代表するサンバのコミュニティーである。

パレードは賞金付きコンテスト形式になっており審査が行われる。有名なサンバ団体を挙げるとベイジャ・フロール、ポルテーラ、マンゲイラ、インペリオ・セハーノ、サウゲイロ、ヴィラ・イザベウ、ウニードス・ダ・チジュッカ、ウニアォン・ダ・イーリャなどでどれも歴史的なサンバの名手(Sambistaサンビスタ)や曲を生んだエスコーラである。他にも沢山のエスコーラが存在し順位や優勝を競っている。今日、世界に誇るリオ各地域の市民による手作り文化の結晶として光り輝いている。

リオのカーニバルは1959年公開のブラジル・フランス合作映画黒いオルフェ』の背景舞台にもなっており開催前の人々の準備ぶりや浮かれ具合、当時のカーニバルの様子などうかがい知ることができる。オルフェウ率いる架空のエスコーラもあれば本物のカルトーラ夫妻やポルテーラ、マンゲイラ、インペリオ・セハーノもチラリと登場する。1999年公開のブラジル映画『オルフェ』は現代のリオを窺い知ることが出来る作品。リオのカーニバルのトップリーグ、Grupo Especialに出場するエスコーラのパレードテーマ曲集は毎年日本の輸入盤扱いのある大型CDストアなどでも手に入れることが出来る。カーニバル後にはその年の模様を収めたビデオテープ(近年ではDVD)も発売されている。

なおリオのカーニバルが観光化・商業化が進むとそれに嫌気をさしたりエスコーラの内紛などによりカンディアやカルトーラ、メストリ・マルサルなどの著名サンビスタがエスコーラを去ったケースも多い。またいくつかのサンバコミュニティーがファベーラと呼ばれるスラム街に拠点があることなどから、賭博や麻薬取引との関係も指摘される。

またカーニバル期間中はリオ・ブランコ通りなどをはじめ、各所でエスコーラより小規模であるブロコやコルダゥンと呼ばれる各チームがパレードを行う光景も見られる。

2011年2月7日、リオデジャネイロのカーニバル用の用具を制作する施設が集中する地区で大規模な火災が発生し、同年のカーニバルに使用予定の山車及び衣装多数が焼失するという事態が発生した[12]

リオのカーニバル期間中のサンボードロモでのパレード

教育

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リオデジャネイロ連邦大学リオデジャネイロ州立大学など、99の高等教育機関がある。また、ラテンアメリカ最大、世界でも7番目の、900万点の蔵書数を誇るブラジル国立図書館もリオのセントロ地区に位置する。

世界遺産

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コルコバードの丘やコパカバーナ海岸は、2012年に世界文化遺産に登録されている。

博物館

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スポーツ

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サッカー

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エスタジオ・ド・マラカナン

リオデジャネイロではサッカーが圧倒的な人気を誇っており、名門クラブであるCRフラメンゴフルミネンセFCを筆頭に、CRヴァスコ・ダ・ガマボタフォゴFRなどのホームタウンとしても知られる。これらのクラブは多くの「クラッキ(天才)」や「ジョガドール(サッカー選手)」を輩出してきた。リオ出身のクラッキとしては、ロナウドアドリアーノなどが有名である。

リオには世界最大規模のサッカースタジアムであり、1950年ワールドカップ2014年ワールドカップの主会場の一つにもなった『エスタジオ・ド・マラカナン』がある。この地ではかつて「マラカナンの悲劇」や「マラカナンの歓喜」も起こった。

国際大会

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観光

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コパカバーナ海岸
コルコバードのキリスト像とリオデジャネイロ

リオデジャネイロは年間282万人の観光客の訪れる、ブラジル有数の観光都市である。主な名所は以下の通り。 (括弧内はポルトガル語による表記。)

治安

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リオの犯罪率は高く、とくにファヴェーラなどで麻薬組織や麻薬販売人による犯罪や殺人が多い。2006年には2273人が殺され、10万人あたりの殺人率は37.7だった。2008年より、リオデジャネイロ州は治安回復計画(UPP)を実施し、悪化していた治安を向上させることに努め、2009年から2010年の殺人率は21%減少し、治安は改善傾向にある。しかしこれに反発した麻薬組織と警察の対立が激化している[14]。2016年のオリンピックの際に報じられた情報によると、2015年にリオ市で起きた事件数は殺人1205件、強盗81740件であり、同年の日本全国の事件数(殺人933件、強盗事件2426件)と比べても多く、人口10万人あたりの発生率で見ると殺人発生率は日本の25倍、強盗発生率は660倍とのことである[15]。オリンピック・パラリンピック期間中は85,000人の警察官・警備隊を投入し、観客やメディア関係者が死亡するような事故や事件は発生しなかった[16]

著名な出身者

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※リオデジャネイロ出身者は「カリオカ: Carioca[注釈 1]」とも呼ばれる。

姉妹都市

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リオデジャネイロは以下の都市と姉妹都市となっている。[17][18][19][20][21][22][23][24][25][26][27][28][29][30][31][32][33][34][35]

アメリカ ヨーロッパ アジア・アフリカ
メキシコの旗 メキシコシティ, メキシコ オランダの旗 アムステルダム, オランダ フィリピンの旗 バタンガス, フィリピン
ニカラグアの旗 マナグア, ニカラグア ロシアの旗 サンクトペテルブルク, ロシア 日本の旗 神戸, 日本
ベネズエラの旗 カラカス, ベネズエラ ポーランドの旗 ワルシャワ, ポーランド[36] チュニジアの旗 チュニス, チュニジア
チリの旗 プエルト・バラス英語版, チリ ポルトガルの旗 リスボンサント・ティルソ英語版ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア, ポルトガル 大韓民国の旗 ソウル, 韓国
ボリビアの旗 ラパス, ボリビア スペインの旗 マドリッド[32]バルセロナ, スペイン スペインの旗 サンタ・クルス・デ・テネリフェ, スペイン
アメリカ合衆国の旗 マイアミ, アメリカ フランスの旗 パリモンペリエ, フランス イスラエルの旗 ラマト・ガン, イスラエル
アメリカ合衆国の旗 オクラホマシティ, アメリカ イギリスの旗 リバプール, イギリス インドの旗 アーメダーバード, インド
アメリカ合衆国の旗 ニューアーク, アメリカ ポルトガルの旗 ギマランイス[37]ポボア・デ・バルジン, ポルトガル 南アフリカ共和国の旗 ダーバン, 南アフリカ
アメリカ合衆国の旗 アトランタ, アメリカ ウクライナの旗 キエフ, ウクライナ[38] レバノンの旗 ベイルート, レバノン
カナダの旗 バンクーバー, カナダ[39] ルーマニアの旗 ブカレスト, ルーマニア[40] モロッコの旗 カサブランカ, モロッコ
アルゼンチンの旗 ブエノスアイレス, アルゼンチン トルコの旗 イスタンブール, トルコ ナイジェリアの旗 ラゴス, ナイジェリア
ブラジルの旗 ベロオリゾンテ, ブラジル[41] ジョージア (国)の旗 バトゥーミ, グルジア セネガルの旗 リュフィスク, セネガル[42]
ブラジルの旗 ナタール, ブラジル[43] ドイツの旗 ケルン, ドイツ[44] 中華人民共和国の旗 北京, 中国

脚注

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注釈

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  1. ^ カリオカ(Carioca)は、ポルトガル語の形容詞・名詞で「リオデジャネイロ市出身の」あるいは「リオデジャネイロ市出身の人」を意味する。この語はトゥピ・グアラニー族の方言で、「白人の家」(家 oca、白人 cari)に由来する。

出典

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  1. ^ Rio de Janeiro(リオデジャネイロ)の意味”. goo国語辞書. 2019年11月24日閲覧。
  2. ^ 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
  3. ^ プライスウォーターハウスクーパースによる都市のGDP Archived 2011年5月13日, at the Wayback Machine.
  4. ^ a b c 池永啓介・宇根道子「リオデジャネイロ」『世界地名大事典―中南アメリカ』山田睦男、中川文雄、松本栄次編、朝倉書店、2014年12月
  5. ^ 「ラテンアメリカを知る事典」p454 平凡社 1999年12月10日新訂増補版第1刷 
  6. ^ 「概説ブラジル史」p221 山田睦男 有斐閣 昭和61年2月15日 初版第1刷
  7. ^ パトリック・トール著、平山廉監修、南條郁子、藤丘樹実訳 『ダーウィン』 《「知の再発見」双書99》 創元社 2001年 36ページ
  8. ^ Guia do Cliente”. Metro Rio. 2024年4月15日閲覧。
  9. ^ Médias e registros – Rio de Janeiro, Brasil”. The Weather Channel (2011年). 2011年3月20日閲覧。
  10. ^ Climatological Information for Rio de Janeiro, Brazil – Hong Kong Observatory
  11. ^ 「ブラジルを知るための56章」p21 アンジェロ・イシ著 明石書店 2010年2月10日第2版第1刷 
  12. ^ 2011年2月8日の朝日新聞朝刊6面
  13. ^ Dom Phillips (2018年9月3日). “Brazil museum fire: ‘incalculable’ loss as 200-year-old Rio institution gutted”. The Gursdisn. https://www.theguardian.com/world/2018/sep/03/fire-engulfs-brazil-national-museum-rio?CMP=share_btn_tw 2018年9月3日閲覧。 
  14. ^ [1]
  15. ^ [2]
  16. ^ [3]
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  22. ^ List of Atlanta's 17 Sister Cities”. Atlantaga.gov. 2020年8月12日閲覧。
  23. ^ Sister cities” (PDF). 2013年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月17日閲覧。
  24. ^ http://spl.camara.rj.gov.br/spldocs/pl/0099/pl1593_0099_001493.pdf
  25. ^ Sister cities” (PDF). 2010年4月17日閲覧。
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参考文献

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池永啓介・宇根道子「リオデジャネイロ」『世界地名大事典―中南アメリカ』山田睦男、中川文雄、松本栄次編、朝倉書店、2014年12月。

関連項目

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外部リンク

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公式
日本政府
観光
その他

座標: 南緯22度54分30秒 西経43度11分47秒 / 南緯22.90833度 西経43.19639度 / -22.90833; -43.19639 (リオデジャネイロ)