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'''高畠 勉'''(たかはた つとむ、[[1968年]][[6月16日]] - )は、[[大阪府]][[高槻市]]出身の元[[サッカー選手]]。サッカー指導者。[[河北華夏幸福足球倶楽部|河北華夏幸福]]のユース監督を務めている。現役時代のポジションは[[ミッドフィールダー]]。
'''高畠 勉'''(たかはた つとむ、[[1968年]][[6月16日]] - )は、[[大阪府]][[高槻市]]出身の元[[サッカー選手]]。サッカー指導者。現役時代のポジションは[[ミッドフィールダー]]。現在は[[中国サッカー・スーパーリーグ]]・[[武漢三鎮足球倶楽部|武漢三鎮]]の監督を務めている


== 来歴 ==
== 来歴 ==
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2008年4月、監督の[[関塚隆]]が健康不安を理由に辞任し、後任監督に就任した。急な監督就任であったため連携面の熟成には至らず、多分に外国人選手の個人技に頼ったサッカーではあったものの、長年3バックを用いてきた川崎に4バックを採用するなど、関塚のサッカーを引き継ぎつつも独自の戦術で優勝争いを展開し、チームは最終的に2位まで躍進した。
2008年4月、監督の[[関塚隆]]が健康不安を理由に辞任し、後任監督に就任した。急な監督就任であったため連携面の熟成には至らず、多分に外国人選手の個人技に頼ったサッカーではあったものの、長年3バックを用いてきた川崎に4バックを採用するなど、関塚のサッカーを引き継ぎつつも独自の戦術で優勝争いを展開し、チームは最終的に2位まで躍進した。


2009年には体調が回復した関塚の監督復帰に伴い、一度はヘッドコーチ職に復帰。シーズン終了後、タイトルを逃した事を理由に契約更新を断って辞任した関塚に代わり、2010年シーズンから再度川崎の監督に就任した。しかし、シーズン途中に[[川島永嗣]]、[[鄭大世]]、[[レナト・カルロス・マルティンス・ジュニオール|レナチーニョ]]らの主力が相次いで海外移籍した影響もあって苦戦。タイトルは獲得できず、リーグ戦順位も5位に終わって[[AFCチャンピオンズリーグ]]出場権を逃し、同年限りで退任した。
2009年には体調が回復した関塚の監督復帰に伴い、一度はヘッドコーチ職に復帰。シーズン終了後、タイトルを逃した事を理由に契約更新を断って辞任した関塚に代わり、2010年シーズンから再度川崎の監督に就任した。しかし、シーズン途中に[[川島永嗣]]、[[鄭大世]]、[[レナト・カルロス・マルティンス・ジュニオール|レナチーニョ]]らの主力が相次いで海外移籍した影響もあって苦戦。タイトルは獲得できず、リーグ戦順位も5位に終わって[[AFCチャンピオンズリーグエリート|AFCチャンピオンズリーグ]]出場権を逃し、同年限りで退任した。


2011年より川崎のアカデミーテクニカルディレクターに就任{{R|frontale}}。2012年より川崎の育成・普及部長に就任{{R|frontale}}。
2011年より川崎のアカデミーテクニカルディレクターに就任{{R|frontale}}。2012年より川崎の育成・普及部長に就任{{R|frontale}}。
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2013年よりU-17日本代表コーチ兼U-18日本代表アシスタントコーチに就任{{R|release20140129}}。
2013年よりU-17日本代表コーチ兼U-18日本代表アシスタントコーチに就任{{R|release20140129}}。


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2016年1月2日、中国・[[河北華夏幸福足球倶楽部|河北華夏幸福]]のユースチーム監督に就任したことを発表した<ref>{{Cite news|title=高畠氏が中国2部でユース監督に就任…大分率いた柳田氏はコーチに|publisher=soccerking|date=2016-01-03|url=http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20160103/385969.html|accessdate=2016-01-03}}</ref>。
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2020年10月、広州恒大U17ユースチーム監督に就任。
2020年10月、広州恒大U17ユースチーム監督に就任。

2022年、中国乙級リーグ・海南之星の監督に就任。

2023年6月、中国超級リーグ・[[武漢三鎮足球倶楽部|武漢三鎮]]の監督に就任。<ref>{{Cite web|和書|title=元川崎指揮官の高畠勉、中国1部武漢監督就任。元G大阪アデミウソン所属 |url=https://football-tribe.com/japan/2023/06/18/273438/ |website=Football Tribe Japan |date=2023-06-17 |access-date=2023-06-18 |language=ja |last=Shota}}</ref>


== 所属クラブ ==
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* 2016年 - {{Flagicon|CHN}} [[河北華夏幸福足球倶楽部]] ユース監督
* 2016年 - {{Flagicon|CHN}} [[河北華夏幸福足球倶楽部]] ユース監督
* 2022年- {{Flagicon|CHN}} 海南之星 監督
* 2023年- {{Flagicon|CHN}} [[武漢三鎮足球倶楽部]] 監督


== 監督成績 ==
== 監督成績 ==

2024年11月9日 (土) 11:30時点における最新版

高畠 勉
名前
愛称 ツト、ツトさん、つとむくん
カタカナ タカハタ ツトム
ラテン文字 TAKAHATA Tsutomu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-06-16) 1968年6月16日(56歳)[1]
出身地 大阪府高槻市[1]
身長 173cm[2]
体重 65kg[2]
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1984-1986 日本の旗 北陽高校
1987-1990 日本の旗 大阪体育大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1995 日本の旗 富士通
監督歴
2008 日本の旗 川崎フロンターレ
2010 日本の旗 川崎フロンターレ
2014-2015 日本の旗 Jリーグ・アンダー22選抜
2016 中華人民共和国の旗 河北華夏幸福(ユース)
2022 中華人民共和国の旗 海南之星
2023- 中華人民共和国の旗 武漢三鎮
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

高畠 勉(たかはた つとむ、1968年6月16日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。現在は中国サッカー・スーパーリーグ武漢三鎮の監督を務めている。

来歴

[編集]

北陽高校から大阪体育大学を経て、1991年に富士通に入社。当時日本サッカーリーグ2部に所属していた富士通サッカー部(現:川崎フロンターレ)で選手としてプレーし、1995年シーズンを以て引退した。

1996年よりチーム名を変更した富士通川崎フットボールクラブのコーチに就任。2000年より川崎の育成部コーチ、2001年よりトップチームのコーチを歴任した[1]。2007年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得。

2008年4月、監督の関塚隆が健康不安を理由に辞任し、後任監督に就任した。急な監督就任であったため連携面の熟成には至らず、多分に外国人選手の個人技に頼ったサッカーではあったものの、長年3バックを用いてきた川崎に4バックを採用するなど、関塚のサッカーを引き継ぎつつも独自の戦術で優勝争いを展開し、チームは最終的に2位まで躍進した。

2009年には体調が回復した関塚の監督復帰に伴い、一度はヘッドコーチ職に復帰。シーズン終了後、タイトルを逃した事を理由に契約更新を断って辞任した関塚に代わり、2010年シーズンから再度川崎の監督に就任した。しかし、シーズン途中に川島永嗣鄭大世レナチーニョらの主力が相次いで海外移籍した影響もあって苦戦。タイトルは獲得できず、リーグ戦順位も5位に終わってAFCチャンピオンズリーグ出場権を逃し、同年限りで退任した。

2011年より川崎のアカデミーテクニカルディレクターに就任[1]。2012年より川崎の育成・普及部長に就任[1]

2013年よりU-17日本代表コーチ兼U-18日本代表アシスタントコーチに就任[3]

2014年1月29日、川崎の育成・普及部長を退任して、Jリーグ・アンダー22選抜の監督に就任した[3][1]。なお、前年にJリーグ・アンダー22選抜の監督に内定していると報じられていた[4][5]。また、当初、Jリーグ・アンダー22選抜の監督に専念していたが、その後、U-21日本代表コーチも兼任することになった。

2016年1月2日、中国・河北華夏幸福のユースチーム監督に就任したことを発表した[6]

2020年10月、広州恒大U17ユースチーム監督に就任。

2022年、中国乙級リーグ・海南之星の監督に就任。

2023年6月、中国超級リーグ・武漢三鎮の監督に就任。[7]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1991-92 富士通 17 JSL2部 17 2 0 0
1992 旧J1 -
1993 -
1994 旧JFL -
1995 -
通算 日本 JSL2部 17 2 0 0
日本 旧JFL -
総通算

指導歴

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監督成績

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年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯
2008 川崎 J1 2位 52 27 16 4 7 予選リーグ 5回戦
2010 5位 54 34 15 9 10 ベスト4 4回戦
2014 J・U-22 J3 10位 33 33 9 6 18 - -
  • 2008年は4月より指揮(順位は最終順位)。

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k 高畠勉育成・普及部長「JリーグU-22選抜監督」就任のお知らせ』(プレスリリース)川崎フロンターレ、2014年1月29日http://www.frontale.co.jp/info/2014/0129_4.html2014年2月6日閲覧 
  2. ^ a b 『1991-1992JSLイヤーブック』p74
  3. ^ a b Jリーグ・アンダー22選抜 概要』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2014年1月29日http://www.j3league.jp/pr/2014/pdf/20140129-3.pdf2014年2月6日閲覧 
  4. ^ “来季J3参戦、U22選抜監督は高畠氏に一本化! 近く正式決定へ”. スポーツニッポン. (2013年10月26日). https://web.archive.org/web/20131101033102/http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/10/26/kiji/K20131026006882910.html 2014年2月6日閲覧。 
  5. ^ “来季J3参戦U22選抜 高畠氏指揮へ”. 日刊スポーツ. (2013年10月31日). https://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/p-sc-tp2-20131031-1211620.html 2014年2月6日閲覧。 
  6. ^ “高畠氏が中国2部でユース監督に就任…大分率いた柳田氏はコーチに”. soccerking. (2016年1月3日). https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20160103/385969.html 2016年1月3日閲覧。 
  7. ^ Shota (2023年6月17日). “元川崎指揮官の高畠勉、中国1部武漢監督就任。元G大阪アデミウソン所属”. Football Tribe Japan. 2023年6月18日閲覧。

外部リンク

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