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[[画像:Kōshinkuyōtō, Iseyama, Fujisawa, Kanagawa.jpg|thumb|250px|right|神奈川県[[藤沢市]] [[伊勢山 (藤沢市)|伊勢山]]公園にて、2017年8月18日撮影]]
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[[Image:Kosinto0091.jpg|thumb|250px|right|栃木県[[日光市]]にて撮影]]
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'''庚申塔'''(こうしんとう)は、'''庚申塚'''(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した[[道教]]に由来する[[庚申信仰]]に基づいて建てられた石塔のこと。[[庚申講]]を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから'''庚申塚'''、塔の建立に際して[[供養]]を伴ったことから'''庚申供養塔'''とも呼ばれる。
'''庚申塔'''(こうしんとう)は、'''庚申塚'''(こうしんづか)ともいい、[[中国]]より伝来した[[道教]]に由来する[[庚申信仰]]に基づいて建てられた石塔のこと。[[庚申講]]を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから'''庚申塚'''、塔の建立に際して[[供養]]を伴ったことから'''庚申供養塔'''とも呼ばれる。


庚申(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという[[三尸虫]](さんしちゅう)という虫が、[[庚申]]の日の夜<ref>零時、十二支文化圏ではいわゆる「子の刻」に日が変わる、とするのは近代の概念で、以前は限られた知識層(たとえば本居宣長が、家族に自分が未明に亡くなった場合には、命日は翌日である旨をわざわざ注意している)以外は、翌日の日の出をもって日が変わると考えるのが一般的であったことに注意。</ref>寝ている間に[[天帝]]にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。
[[庚申待]](庚申)とは、[[人間]]の体内にいるという[[三尸虫]](さんしちゅう)という[[]]が、[[庚申]]の日の夜<ref>零時、十二支文化圏ではいわゆる「子の刻」に日が変わる、とするのは[[近代]]の概念で、以前は限られた知識層(たとえば本居宣長が、家族に自分が未明に亡くなった場合には、命日は翌日である旨をわざわざ注意している)以外は、翌日の日の出をもって日が変わると考えるのが一般的であったことに注意。</ref>寝ている間に[[天帝]]にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や[[猿田彦]]や馬頭観音や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。


庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまであるが、[[申]]は[[干支]]で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の[[三猿]]を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。[[仏教]]では、庚申の本尊は[[青面金剛]]とされるため、青面金剛が彫られることもある。[[神道]]では[[猿田彦神]]とされ、猿田彦神が彫られることもある。また、庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。さらに、[[塞神]]として建立されることもあり、村の境目に建立されることもあった。
庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまであるが、[[申]]は[[干支]]で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の[[三猿]]を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。[[仏教]]では、庚申の本尊は[[青面金剛]]とされるため、青面金剛が彫られることもある。[[神道]]では[[猿田彦神]]とされ、猿田彦神が彫られることもある。また、庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。さらに、[[道祖神|塞神]]として建立されることもあり、村の境目に建立されることもあった。


庚申塔は沖縄を除く全国で分布が確認されているが、地域によって建立数に差が見られる。 例えば関東地方では数多く建立されているが、日本における庚申信仰の中心的な寺社がある京都や大阪など関西では比較的に見て庚申塔の建立は少ない傾向がある。確認されている現存最古の庚申塔は埼玉県にある庚申板碑で文明3年(1471)であり、当初は板碑や石幢などが多い。青面金剛刻像は福井県にある正保4年(1647)が現存最古とされている。なお、奈良東大寺所有の木像青面金剛は鎌倉時代の作とされている。
庚申塔は[[沖縄県]]を除く全国で分布が確認されているが、地域によって建立数に差が見られる。 例えば[[関東地方]]では数多く建立されているが、日本における庚申信仰の中心的な寺社がある[[京都]][[大阪]]など[[関西]]では庚申塔の建立は比較的少ない傾向がある。確認されている現存最古の庚申塔は[[埼玉県]]にある庚申板碑で[[文明 (日本)|文明]]3年([[1471年]])であり、当初は板碑や石幢などが多い。青面金剛刻像は[[福井県]]にある[[正保]]4年([[1647年]])が現存最古とされている。なお、奈良東大寺所有の木像青面金剛は[[鎌倉時代]]の作とされている。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
庚申塔の建立が広く行われるようになるのは、[[江戸時代]]初期([[寛永]]期以降)頃からである。以降、近世を通して多数の庚申塔が建てられた。当初は青面金剛や三猿像のほか、阿弥陀、地蔵など主尊が定まっていない時期を経て、徐々に青面金剛像が主尊の主流となった。その後、江戸中期から後期にかけて「庚申塔」あるいは「庚申」と文字のみ彫り付ける形式が増加する。
庚申塔の建立が広く行われるようになるのは、[[江戸時代]]初期([[寛永]]期以降)頃からである。以降、近世を通して多数の庚申塔が建てられた。当初は青面金剛や三猿像のほか、阿弥陀、[[地蔵]]など主尊が定まっていない時期を経て、徐々に青面金剛像が主尊の主流となった。その後、江戸中期から後期にかけて「庚申塔」あるいは「庚申」と文字のみ彫り付ける形式が増加する。

[[兵庫県]][[豊岡市]][[但東町]]では、石造庚申塔が77基(1956年以前の[[合橋村]]35基、[[高橋村 (兵庫県)|高橋村]]21基、[[資母村]]21基)確認され、[[18世紀]]から[[20世紀]]初めに多く造られている<ref>但東町教育委員会『但東の庚申塔』、1999年、pp.6-7</ref>。


[[明治]]時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めた。さらに[[高度経済成長期]]以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。
[[明治]]時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めた。さらに[[高度経済成長期]]以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。
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Image:庚申塔 UP200607171910.JPG|福岡県[[糸島市]]三雲地区の一角に。
Image:庚申塔 UP200607171910.JPG|福岡県[[糸島市]]三雲地区の一角に。
Image:庚申塔 UP200607272310.JPG|福岡県[[大野城市]]、[[牛頸川]]上流の東岸の一角に。
Image:庚申塔 UP200607272310.JPG|福岡県[[大野城市]]、[[牛頸川]]上流の東岸の一角に。
Image:出石町奥山の庚申塔と地蔵.jpg|兵庫県豊岡市出石町奥山
Image:出石町寺坂の庚申塔.jpg|兵庫県豊岡市出石町寺坂
Image:但東町三原 庚申塔.jpg|兵庫県豊岡市但東町三原
Image:但東町小谷の庚申塔(R426沿い).jpg|兵庫県豊岡市但東町小谷(国道426号沿い)
Image:但東町小谷の庚申塔(上流側).jpg|兵庫県豊岡市但東町小谷
Image:但東町河本の庚申塔.jpg|兵庫県豊岡市但東町河本
画像:奈良井宿庚申塚・水場・重伝建選定碑.jpg|長野県[[塩尻市]] [[奈良井宿]]の庚申塚。画面中央やや右。
画像:奈良井宿庚申塚・水場・重伝建選定碑.jpg|長野県[[塩尻市]] [[奈良井宿]]の庚申塚。画面中央やや右。
Image: koushindsuka_chiba_imba.jpg|千葉県[[印西市]]にて撮影。
Image: koushindsuka_chiba_imba.jpg|千葉県[[印西市]]にて撮影。
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Image:Hyaku Kōshin.JPG|百庚申(埼玉県[[深谷市]]岡地区)
Image:Hyaku Kōshin.JPG|百庚申(埼玉県[[深谷市]]岡地区)
|[[東京都]][[新宿区]]、来迎寺の庚申塔。
|[[東京都]][[新宿区]]、来迎寺の庚申塔。
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== 3Dモデル ==
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ファイル:庚申塔(八雲神社).stl|八雲神社(静岡県静岡市清水区西里)にある庚申塔(明和七年(1770年)造立)
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== 注 ==
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== 関連項目 ==
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<!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク -->
*[[庚申信仰]]
* [[庚申]]([[干支]]のひとつ)
*[[道祖神]]
* [[庚申信仰]]
* [[庚申待]]
* [[庚申堂]]
* [[道祖神]]
* [[甲子塔]]

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2023年6月5日 (月) 01:51時点における最新版

神奈川県藤沢市 伊勢山公園にて、2017年8月18日撮影
栃木県日光市にて撮影

庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。

庚申待(庚申講)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)というが、庚申の日の夜[1]寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や馬頭観音や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。

庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまであるが、干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもある。神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもある。また、庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。さらに、塞神として建立されることもあり、村の境目に建立されることもあった。

庚申塔は沖縄県を除く全国で分布が確認されているが、地域によって建立数に差が見られる。 例えば関東地方では数多く建立されているが、日本における庚申信仰の中心的な寺社がある京都大阪など関西では庚申塔の建立は比較的少ない傾向がある。確認されている現存最古の庚申塔は埼玉県にある庚申板碑で文明3年(1471年)であり、当初は板碑や石幢などが多い。青面金剛刻像は福井県にある正保4年(1647年)が現存最古とされている。なお、奈良東大寺所有の木像青面金剛は鎌倉時代の作とされている。

歴史

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庚申塔の建立が広く行われるようになるのは、江戸時代初期(寛永期以降)頃からである。以降、近世を通して多数の庚申塔が建てられた。当初は青面金剛や三猿像のほか、阿弥陀、地蔵など主尊が定まっていない時期を経て、徐々に青面金剛像が主尊の主流となった。その後、江戸中期から後期にかけて「庚申塔」あるいは「庚申」と文字のみ彫り付ける形式が増加する。

兵庫県豊岡市但東町では、石造庚申塔が77基(1956年以前の合橋村35基、高橋村21基、資母村21基)確認され、18世紀から20世紀初めに多く造られている[2]

明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めた。さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。

現在、残存する庚申塔の多くは寺社の境内や私有地に移転されたものや、もともと交通量の少ない街道脇に置かれていたため開発による破壊を免れたものである。田舎町へ行くと、今でも道の交差している箇所や村落の入り口などに、「庚申」と彫られた石塔を全国で見ることができる。

ギャラリー

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3Dモデル

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脚注

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  1. ^ 零時、十二支文化圏ではいわゆる「子の刻」に日が変わる、とするのは近代の概念で、以前は限られた知識層(たとえば本居宣長が、家族に自分が未明に亡くなった場合には、命日は翌日である旨をわざわざ注意している)以外は、翌日の日の出をもって日が変わると考えるのが一般的であったことに注意。
  2. ^ 但東町教育委員会『但東の庚申塔』、1999年、pp.6-7

関連項目

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