コンテンツにスキップ

「Pro Wrestling Crusaders」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
PWC: 三上恭平デビューのくだりを追加。
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Restored revision 94523891 by 60.69.183.98 (talk): Rvv 無出典による、名誉毀損とも取られかねない一連の編集を差し戻し (TwinkleGlobal)
タグ: 取り消し サイズの大幅な増減 モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2023年10月}}
'''Pro Wrestling Crusaders'''(プロ・レスリング・クルセイダース)は、かつて存在した[[日本]]の[[プロレス]][[団体]]。略称は'''PWC'''(ピー・ダブリュー・シー)。別名「'''プロレス十字軍'''(プロレスじゅうじぐん)」。PWCの消滅後に設立された'''PWCプロモーション'''(ピー・ダブリュー・シー・プロモーション)についても記述している。
'''Pro Wrestling Crusaders'''(プロ・レスリング・クルセイダース)は、かつて存在した[[日本]]の[[プロレス]][[団体]]。略称は'''PWC'''(ピー・ダブリュー・シー)。別名「'''プロレス十字軍'''(プロレスじゅうじぐん)」。PWCの消滅後に設立された'''PWCプロモーション'''(ピー・ダブリュー・シー・プロモーション)についても記述している。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== PWC ===
=== PWC ===
[[1992年]]6月に[[SWS]]が崩壊し、所属していた選手が[[WAR (プロレス)|WAR]]と[[ネットワーク・オブ・レスリング|NOW]]に分かれた際にNOWに移籍した[[ジョージ高野]]と[[高野拳磁|高野俊二]](現:高野拳磁)が、団体内の問題から旗揚げ間もなく退団して設立された。なおNOWを早期に退団してPWCを旗揚げした経緯については、二つの説が存在しており「道場・檄」所属のメンバーが中心になったNOW体制に反発した説<ref group="注釈">[[SWS]]時代に[[ジョージ高野]]と[[高野拳磁]]はパライストラ所属でありジョージは道場主であった。</ref>{{refnest|group="注釈"|[[ネットワーク・オブ・レスリング|NOW]]代表に就任したのが[[桜田一男]](ケンドー・ナガサキ)であった。桜田は当初[[ジョージ高野]]を代表に推して自らバックアップする方針であったが、他選手の反対により結局自身が代表に就任する形になったと桜田は述懐している<ref>[[#kosano|SWSの幻想と実像]] 145Pより</ref>。}}、もうひとつはNOWプレ旗揚げ戦後の[[9月10日]]発売の『[[週刊文春]]』に、高野兄弟の「俺たち、メガネスーパーに騙された」との見出しによるSWS解散の顛末と、社長および[[メガネスーパー]]の会社自体を痛烈に批判する手記が掲載された。この手記によりスポンサーを予定していたメガネスーパーとの関係を避けるため、NOWは高野兄弟を退団させざるを得なかったといわれてい
[[1992年]]6月に[[SWS]]が崩壊し、所属していた選手が[[WAR (プロレス)|WAR]]と[[ネットワーク・オブ・レスリング|NOW]]に分かれた際にNOWに移籍した[[ジョージ高野]]と[[高野拳磁|高野俊二]](現:高野拳磁)が、団体内の問題から旗揚げ間もなく退団して設立された。なおNOWを早期に退団してPWCを旗揚げした経緯については、二つの説がり「道場・檄」所属のメンバーが中心になったNOW体制に反発した説<ref group="注釈">[[SWS]]時代に[[ジョージ高野]]と[[高野拳磁]]はパライストラ所属でありジョージは道場主であった。</ref>{{refnest|group="注釈"|[[ネットワーク・オブ・レスリング|NOW]]代表に就任したのが[[桜田一男]](ケンドー・ナガサキ)であった。桜田は当初[[ジョージ高野]]を代表に推して自らバックアップする方針であったが、他選手の反対により結局自身が代表に就任する形になったと桜田は述懐している<ref>[[#kosano|SWSの幻想と実像]] 145Pより</ref>。}}、もうつはNOWプレ旗揚げ戦後の[[9月10日]]発売の『[[週刊文春]]』に、高野兄弟の「俺たち、メガネスーパーに騙された」との見出しによるSWS解散の顛末と、[[メガネスーパー]]自体を痛烈に批判する手記が掲載された。この手記によりスポンサーを予定していたメガネスーパーとの軋轢を避けるため、NOWは高野兄弟を退団させざるを得なかったといわれてい


旗揚げに際し、事務所と道場を[[東京都]][[東大和市]]に構えて準備を整えた後に、[[1993年]][[2月13日]]に東海市民体育館で旗揚げ戦を開催。所属選手は高野兄弟の他に元[[W★INGプロモーション]]の[[戸井克成|戸井マサル]](現:戸井克成)と[[島田宏]]・SAWの[[保坂秀樹]](PWCのリングネームは弁慶)・フリーの[[セッド・ジニアス|渡辺幸正]](現:セッド・ジニアス)・旗揚げ戦でデビューした[[南条隼人|牛若丸]](現:赤城)・練習生の[[黒田哲広|黒田哲]](現:黒田哲広)・留学生のアイアン・ホース。他はフリー選手を起用して外国人選手に関しては、高野兄弟が[[カナダ]]に武者修行していた際に世話になった[[ミスター・ヒト]]のルートで[[ジェリー・モロー|稲妻ジロー]](稲妻二郎)を始めとするカナダの外国人選手をブッキングして陣容を整える。<!--ミスター・ヒトは旗揚げ当時、レフェリー兼コーチとしても参画。また稲妻は当初、ジェリー・モロー名義での参戦だったが本人のたっての希望で稲妻ジローのリングネームで参戦。但し表記は「二郎」ではなく「ジロー」となっていた。-->また発起人として、内紛によりSWSを退団した[[谷津嘉章]]と[[仲野信市]]も名を連ねていたが、一度も参戦するは無かった。<!--俊二は旗揚げ戦の挨拶で当時は立場が不確かだった谷津と仲野の参戦を呼びかけたが、これは実現しなかった。なお旗揚げ戦のみケーブルテレビ向け放送の[[GAORA|SVN]](現:GAORA)で後日録画中継された。-->
事実はこの上記の説とは全く異なる。ジョージ高野が妻と0歳児を筆頭に、3人の子供を連れて当時NOWの副社長で多忙だった高野拳磁の元へ何度も勝手にしつこく押し掛けて来ており、これをきっかけとしてNOWを強引に辞めさせた。


設立当初に掲げたのは「スポーツライクなプロレス」だった。その一方で盲導犬協会とタイアップしてリング上で[[盲導犬]]のデモストレーションを行ったり、前座の余興として浮世亭リング・サイドが率いる[[吉本興業|吉本]]プロレス軍団による「お笑いプロレス」を組み込むなど、色々と他団体への差別化を図ろうとした<ref>俊二は「子供にプロレスを返す」「[[ミル・マスカラス]]のLPレコードを正座して真剣に聴いていたような、あんな時代のプロレスに戻したい」と語っている。また前座に数々の余興を組み込んだのは、イベントに参加する感覚でプロレスに親しんで貰おうという目的があったという。</ref>。ところが「キックとスープレックスの神様」との触れ込みでフリー参戦して再生を期したはずの[[高木功 (プロレスラー)|高木功]](現:嵐)<ref group="注釈">[[高木功 (プロレスラー)|高木功]](現:嵐)も元[[SWS]]所属選手(道場・檄所属)であったが、無断欠場により[[1991年]][[1月22日]]付でSWSを解雇されてい。</ref>が突如、高野兄弟に反目。高野兄弟と[[ヒール (プロレス)|ヒール]]に傾倒した高木との間で抗争が勃発し、遺恨清算の目的で俊二・高木との間では「チェーンマッチ」(チェーン[[デスマッチ]]とは異なる)も行われた。皮肉にもこれらの抗争が売り物となってしまい、他団体と大差い内容になってしまった。<!--俊二曰く「チェーンマッチ」としたのは「チェーンはあくまでお互いの心を繋ぐのが目的だから「[[デスマッチ]]」ではない」とのことである。-->
高野拳磁は仕方なく折れて立ち上げに参加させられたが、聞かされた話とは全く異なる環境に愕然としたという。プロレスをする環境は何一つ整っておらず立ち上げに引きずり込むことに成功した後は、非道で無神経なジョージ高野は「後はお前がやっとけよ、いいな?」とだけ空威張りして生意気に言い放ち、全て高野拳磁が休みなく努力し続ける羽目となった。それに我慢しながら頑張って努力を続ける健気な拳磁の姿勢を見てきた周囲の人間が、手を差し伸べて協力してくれたおかげで道場を設立することに成功する。


SWS崩壊及び分裂に際してスポンサーであったメガネスーパーは、WARとNOWに資金援助を約束する。WARには2年間・NOWには1年間に渡りこの約束が遂行されたが、NOWを退団した高野兄弟には資金援助が一切されなかった為、旗揚げ当初から経営地盤自体が弱かった。加えて代表である俊二の経営の杜撰さに加え本人の性格や金銭面などの問題によりすぐ資金難となる。それが元でまず高木功が退団してしまい、高野兄弟に対抗出来る勢力が一気に手薄となってしまう。加えて{{要出典範囲|資金を捻出していたとされるジョージ|date = 2010年4月}}が退団して、さらに道場に置いてあったリングも盗難に遭う<ref>一説では借金の担保に持って行かれたといわれているが、事件の真偽も含め詳しい事情は現在も不明である。</ref>など苦難が続き、さらに所属選手の退団も起きて<ref group="注釈">この時、退団した弁慶(現:保坂秀樹)と戸井マサル(現:戸井克成)は[[フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング|FMW]]に入団、黒田哲(現:黒田哲広)はFMWに練習生として入団してリングネームを黒田哲広に改名して再デビュー。牛若丸(南条隼人を経て、現:赤城)はFMWに練習生として入団してリングネームを[[上野幸秀|超電戦士バトレンジャー]]のライバル「ダークレンジャー」に改名して再デビュー。</ref>、最終的には拳磁の個人プロダクション的な団体なってしまった。<!--リング盗難については団体側がそれに関する釈明は行ったものの、それ以前に元々事件そのものが前もって何らかの形で報道された形跡がない。-->


その後、[[若松市政|将軍KYワカマツ]]がユニット「宇宙パワー軍<ref>当初は[[鶴見五郎]]・後に[[木村浩一郎]]が扮していた。</ref>」を率いて参戦する。その奇天烈で不思議な試合内容はファンによる「野良犬」コールを浴びる中、拳磁が両手手錠掛けられ紐で繋がれてしまい、ワカマツにそのまま夜の街中を引きずり回されるなど、非常に斬新奇抜・異質・奇妙・異様・魑魅魍魎かつハチャメチャで摩訶不思議・愉快・痛快・破天狼・奇想天外なパフォーマンスを披露し、一部の熱狂的なプロレスマニア支持されたものの<ref>この頃有名なファンとして[[杉作J太郎]]が存在していた。</ref>、事態は好転せず再び所属選手の退団が発生し、団体は活動休止となった。<!--杉作J太郎は、拳磁と宇宙パワー軍との抗争の模様を纏めたビデオソフト「宇宙大戦争」の構成にも関わっている。-->
一方のジョージ高野夫妻は、自宅を[[担保]]設定するなどと言っていたがそれは真っ赤な嘘であり、担保として差し出した自宅の権利書を相手は信用して[[抵当権]]を設定してないことを良いことに、元々不倫して夫婦になった嫁の方が「悪いけど、権利書を紛失しちゃったのよ」と悪質な嘘を付いており、友人3人を証人に立てて家の権利書を復活。即座に売却して7500万円もの大金を懐に入れ、さっさと尻軽のように[[四国]]へと逃げた。


[[1994年]]に拳磁は[[西日本プロレス]]に参戦したが、わずか1試合のみで退団して「まーた飛び出しちゃったよーだ九州」の台詞と共にPWCが活動を再開しその際に新弟子も募集したことで新戦力がようやく誕生し、さらに[[高木三四郎]]が[[国際プロレスプロモーション|IWA格闘志塾]]から移籍や、フリー選手が入団したこともあって持ち直したかと思われたが、[[1996年]][[10月17日]]の[[北沢タウンホール]]大会後も所属選手が一斉退団<ref>後高木三四郎ちは[[DDTプロレスリング]]に入団した。</ref>。これ決定打とな団体消滅した。
それまでの経緯も散々杜撰なもので、まず給料は高野拳磁を引き込んだ上、彼には非情で一銭も払うこともなく挙句には拳磁へ対して「お前いいか?こっちに給料を支払うんだぞ。忘れるなよ」と憎たらしく粋がって強引に言い放ち、自分達だけは身勝手にひと月150万円もの大金を懐に入れ続けていた。


[[2000年]]、[[斗猛矢|足立知也]](現:斗猛矢)が設立したZIPANGで[[長瀬館長]]・森谷俊之・[[島田宏]]・[[サバイバル飛田]]がユニット「PWC残党軍」を結成・活躍した。
挙句に道場開きをすれば、この夫婦は何一つ手伝うこともなく[[マウント]]を取って阿保のように威張り腐っており、全ての段取りを高野拳磁に負わせて沢山の来賓を集めさせた上に、自分達は夫婦一組だけ呼んで惚けて知らぬ顔をしていた。


なおDDTの夏恒例イベントとなっている[[ビアガーデン]]プロレス「闘うビアガーデン」はPWC末期に拳磁が発案しており、[[東京ドームシティアトラクションズ|後楽園ゆうえんち]](現:東京ドームシティアトラクションズ)でビアガーデンプロレスが開催され、それを高木三四郎が引き継いだものである。現在ビアガーデンプロレスは、他のインディー団体にも波及している。
その道場開きは盛大に行われながら、ジョージ高野のしでかしたことは2階の事務所に新しい不倫相手が押し掛けて来ているのを黙認し、1階には本妻・2階には現在進行中の不倫相手という最悪な地獄絵図を演出。


PWCの名称は今も存ているが、唯一の所属選手である高野拳磁がセミリタイア状態のため実体は無い。ただし拳磁曰く「俺が生きている限り、俺の団体は無くならねぇんだよ」と語ったとされる<ref>{{Cite web|date=2013-07-08|url=http://nikkan-spa.jp/456612|title=3分でわかる、激動のプロレス業界興亡史|work=|publisher=日刊[[SPA!]]|accessdate=2013-07-11}}</ref>。
当然道場開きには参加し、2階に上がって来た有力後援者にばれてしまった。

この自分の無責任・理不尽な行動によってジョージ高野はかなりの信頼を失っていた。地獄絵図のような道場開きの後、家の権利書を復活。自宅を売却して[[四国]]にトンずらした不倫相手上がりの本妻と、新たに[[北海道]]・[[釧路]]出身のプロアイス[[スケーター]]であるS・Tとの不倫をヘラヘラして性懲りも無く継続しており、何一つ間違ったことをしていない真面目で人望のある高野拳磁に全ての責任を負わせて悪ふざけを働いて侮辱しており、1人旗揚げに向かわせている。

旗揚げに際し、事務所と道場を[[東京都]][[東大和市]]に構えて準備を整えた後に、高野拳磁は[[名古屋]]東海地区へ1人で3か月以上泊まり込み、東海市民体育館で招待券・割引券は一切無しのパーフェクトセールスを達成。[[1993年]][[2月13日]]に東海市民体育館で旗揚げ戦を開催。所属選手は高野兄弟の他に元[[W★INGプロモーション]]の[[戸井克成|戸井マサル]](現:戸井克成)と[[島田宏]]・SAWの[[保坂秀樹]](PWCのリングネームは弁慶)・フリーの[[セッド・ジニアス|渡辺幸正]](現:セッド・ジニアス)・旗揚げ戦でデビューした[[南条隼人|牛若丸]](現:赤城)・留学生のアイアン・ホース。他はフリー選手を起用して外国人選手に関しては、高野兄弟が[[カナダ]]に武者修行していた際に世話になった[[ミスター・ヒト]]のルートで[[ジェリー・モロー|稲妻ジロー]](稲妻二郎)を始めとするカナダの外国人選手をブッキングして陣容を整える。<!--ミスター・ヒトは旗揚げ当時、レフェリー兼コーチとしても参画。また稲妻は当初、ジェリー・モロー名義での参戦だったが本人のたっての希望で稲妻ジローのリングネームで参戦。但し表記は「二郎」ではなく「ジロー」となっていた。-->また発起人として、内紛によりSWSを退団した[[谷津嘉章]]と[[仲野信市]]も名を連ねていたが、一度も参戦することは無かった。<!--俊二は旗揚げ戦の挨拶で当時は立場が不確かだった谷津と仲野の参戦を呼びかけたが、これは実現しなかった。なお旗揚げ戦のみケーブルテレビ向け放送の[[GAORA|SVN]](現:GAORA)で後日録画中継された。-->

何一つ手伝うことも無い上に、怠けて罪悪感も無く不倫三昧だったジョージ高野は旗揚げの前日に現れてまたも大酒・大食いを行い不摂生して滑稽かつ王様気分になって勘違いも甚だしく、高野拳磁が露払いをしたメインイベントのマットに立って遊んで楽をした上に、興行資金を1円も残さずに全て懐に入れて盗み取っており、当時の不倫相手S・Tの実家がある[[北海道]]・[[釧路]]へと自分勝手に逃げた。弟をこれだけ酷い環境に引きずり込んだ上に無理矢理タダで使役させ、挙句の果てに興行資金を盗んだ3日後にはいけしゃあしゃあと「弟と考え方や見解の相違もあるので、今後一緒に団体運営・プロレスをやって行けない」と、とんでもない記者会見を開いた。

高野拳磁は実兄のジョージに自分の持ち出し資金も含めて全て徴収されてしまい、更に負債まで背負わされることになる。これがPWC初期段階として最悪の出来事となった。


設立当初に掲げたのは「スポーツライクなプロレス」だった。その一方で盲導犬協会とタイアップしてリング上で[[盲導犬]]のデモストレーションを行ったり、前座の余興として浮世亭リング・サイドが率いる[[吉本興業|吉本]]プロレス軍団による「お笑いプロレス」を組み込むなど、色々と他団体への差別化を図ろうとした<ref>俊二は「子供にプロレスを返す」「[[ミル・マスカラス]]のLPレコードを正座して真剣に聴いていたような、あんな時代のプロレスに戻したい」と語っている。また前座に数々の余興を組み込んだのは、イベントに参加する感覚でプロレスに親しんで貰おうという目的があったという。</ref>。ところが「キックとスープレックスの神様」との触れ込みでフリー参戦して再生を期したはずの[[高木功 (プロレスラー)|高木功]](現:嵐)<ref group="注釈">[[高木功 (プロレスラー)|高木功]](現:嵐)も元[[SWS]]所属選手(道場・檄所属)であったが、無断欠場により[[1991年]][[1月22日]]付でSWSを解雇されてい。</ref>が突如反目するこれによって高野兄弟と[[ヒール (プロレス)|ヒール]]に傾倒した高木との間で抗争が勃発し、遺恨清算の目的で俊二・高木との間では「チェーンマッチ」(チェーン[[デスマッチ]]とは異なる)も行われた。皮肉にもこれらの抗争が売り物となってしまい、他団体と大差の無い内容になってしまった。<!--俊二曰く「チェーンマッチ」としたのは「チェーンはあくまでお互いの心を繋ぐのが目的だから「[[デスマッチ]]」ではない」とのことである。-->

SWS崩壊及び分裂に際してスポンサーであったメガネスーパーは、WARとNOWに資金援助を約束する。WARには2年間・NOWには1年間に渡りこの約束が遂行されたが、NOWを退団した高野兄弟には資金援助が一切されなかった。そのため旗揚げ当初から経営地盤自体が弱、金銭面などの問題によりすぐ資金難となる。それが元でまず高木功が退団してしまい、高野兄弟に対抗出来る勢力が一気に手薄となってしまう。加えてジョージが退団して道場に置いてあったリングも盗難に遭うなど苦難が続き、さらに所属選手の退団も起きる事態に見舞われしまい<ref group="注釈">この時、退団した弁慶(元・保坂秀樹)と戸井マサル(現:戸井克成)は[[フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング|FMW]]に入団。牛若丸(南条隼人を経て、現:赤城)はFMWに練習生として入団してリングネームを[[上野幸秀|超電戦士バトレンジャー]]のライバル「ダークレンジャー」に改名して再デビューする。</ref>、最終的には拳磁の個人[[プロダクション]]的な団体なってしまった。<!--リング盗難については団体側がそれに関する釈明は行ったものの、それ以前に元々事件そのものが前もって何らかの形で報道された形跡がない。-->

これまでは全て高野拳磁が悪いかのような言われや偏見な報じられ方をしてきたが、トラブルに巻き込まれただけで事実は全て逆である。また旗揚げ戦のみ特別[[レフェリー]]として招へいしたベテランのミスター・ヒト([[安達勝治]])が、道場へ居座って占有をし始めた。

本来素行が悪く、[[日本プロレス]]時代から当時を知る上層部には評判が最悪だったこともあり、行き場が無かったミスター・ヒトが本性をむき出しにしてしまう。最終的に無断でリングを含むオフィス資材の全てをまとめて売却。総額1500万円程の大金を懐に入れてしまい、それに携わった連中と幾分か山分けして逃げた。これが「リング盗難事件」の真相である。

高野拳磁は道場を何とか継続させようと奔走したようである。金を渡していたが領収書1枚要求しても出さず、[[博打]]癖があって借金だらけの[[高木功]](嵐)を[[谷津嘉章]]が引っ張って来たことも痛恨の極みだった。付き合いがあった谷津の頼みを聞き入れ、高木の博打の[[保証人]]にもなっていた谷津のために100万円の現金を手渡したが、高木功とミスター・ヒトの2人は毎日[[パチンコ]]三昧をして遊んでいたようである<ref>ちなみにミスター・ヒトは元々パチンコが好きな人物で昔から得意としており、自身の趣味にもしていた。また一緒に行動を共にしていた高木功は自身の[[YouTube]]において「この頃(PWC時代)のことは所属していた選手を含めて俺、聞かれても余り覚えてないよ。逆に早く忘れたい位だね(笑)」と話している。</ref>。

そして最悪なことに、高野拳磁が地元[[福岡県]]に戻ってスポンサードの交渉を行って応援を取り付けた。ところが、道場に戻った際には全てある[[水道]]の[[蛇口]]を目一杯開けっ放しにされて水が大量に出ている状態で放置するという悪質極まりなく酷い[[いたずら]]をされてしまい、[[ホワイトボード]]には滑稽で無駄に大きく『PWCは今日で終わりだ、バイバイ』と、非常に下手で汚な過ぎる上に読むには絶えない目を覆う不愉快・歪な字で殴り書きをされており、道場はもぬけの殻になっていたという。

これがPWC2度目の崩壊である。


さらにいけしゃあしゃあとジョージ高野は、電話で「とにかく出て来いよ」と調子に乗り一言だけ言って都内へ拳磁を強引に呼び出した。そこで「オィお前、ちょっとここに座っててくれよ、な?」と偉そうに言い放ち、意気揚々とマスコミ・[[週刊文春]]に色々と偉そうに出しゃばって喋り出した。

この時点で拳磁は「もう勝手にしてくれよ!」と思っていたようだが、気が付けば座っていただけで勝手に写真を撮られた上に無断で掲載されてしまい、それからしばらくしてメガネスーパーからの訴状が届いた。
拳磁本人は元SWSオーナーである故・田中八郎氏とは特に何も問題なかったのだが、兄であるジョージ高野の無責任かつ悪質な家の[[ローン]]があるという理由だけで、裁判に引きずり込まれてしまったらしい。

しかし、その家は既に不倫上がりの元嫁が自分勝手に売却してしまった。挙げ句の果てにジョージ本人は相変わらず不倫三昧という悪ふざけを継続しており、北海道に行って遊び呆けて仕事もしない上に怠けてしまい、拳磁は意味不明なデタラメに巻き込まれただけだったようだ。

これだけの経緯の中、拳磁は腹をくくって「興行を開く度に横領されてしまうのならばね…」と製作費の安い[[下北沢]]タウンホールを主戦場に切り替え、自身は旗揚げから全てのPWCイベントではノーギャラを貫き通し続けており、歯を食いしばって独り耐え続けて努力をした。その理由は「横領した人物が改心することを願ってのことなので」と後にラジオ番組で語っている。

それに呼応してくれたのが、熱狂的といわれるPWCのファン達であった。


その後、[[若松市政|将軍KYワカマツ]]がユニット「宇宙パワー軍<ref>当初は[[鶴見五郎]]・後に[[木村浩一郎]]が扮していた。</ref>」を率いて参戦する。その奇天烈で不思議な試合内容はファンによる「野良犬」コールを浴びる中、拳磁が両手手錠掛けられて更に紐で繋がれてしまい、ワカマツにそのまま夜の街中を引きずり回されるなど、非常に斬新奇抜・異質・奇妙・異様・魑魅魍魎かつハチャメチャで摩訶不思議・愉快・痛快・破天狼・奇想天外なパフォーマンスを披露し、熱狂的なプロレスファン達と芸能エンターテイメントファン達支持された<ref>この頃有名な拳磁のファンとして[[杉作J太郎]]が存在していた。</ref><!--杉作J太郎は、拳磁と宇宙パワー軍との抗争の模様を纏めたビデオソフト「宇宙大戦争」の構成にも関わっている。-->

[[1994年]]に拳磁は[[西日本プロレス]]に参戦したが、旗揚げ興行の1試合のみで退いている。退団の真相は、関連会社24社を豪語していた西日本プロレスが実際には有限会社1件しかないという事実を知り、とても責任を持つことが自分には不可能で出来ないと判断しての離脱だった。その後「まーた飛び出しちゃったよーだ九州」の台詞と共にPWCが活動を再開しその際に新弟子も募集したことで新戦力がようやく誕生し、さらに[[高木三四郎]]が[[国際プロレスプロモーション|IWA格闘志塾]]から移籍や、フリー選手が入団したこともあって持ち直したかと思われたが、[[1996年]][[10月17日]]の[[北沢タウンホール]]大会後、高野拳磁を利用し悪意ある選手達は売名行為の終了と同時示し合わせたかのよう他へと移っていっ[[野澤一茂]](NOSAWA論外)以外は学ぶことより売名行為んでいようである元々頭良く賢い上に、機転も効く高野拳磁はその考え方・人間性を先読みして既に見抜いてお、選手たちとの所属契約一切締結ていなかっ。なおこの10月17日は三上恭平(現MIKAMI=DDT→フリー)がデビューしている

[[2000年]]、ZIPANGで森谷俊之・[[島田宏]]がユニット「PWC残党軍」を結成・活躍した。

高野拳磁が製作総指揮した「闘うビアガーデン」は、[[東京ドームシティアトラクションズ|後楽園ゆうえんち]](現:東京ドームシティアトラクションズ)で開催され、それまでの[[ルナパーク]]史上最大のヒット企画となった。あまりのヒット振りに他のインディー団体からも真似が続出したが、それを超えるヒット企画となった団体は現在まで一つも存在しない。
なお、この企画の全段階である「屋台村プロレス」も神奈川県[[綱島]]にて高野拳磁の製作総指揮の元で開催されており、こちらも大ヒットさせて成功に導いている。

この両イベントはファンのことを思ってPWCを復活させるための企画イベントであったが、高野拳磁が[[パブリシティ]]を出し集客力のある敏腕フードコートプロデューサーであるという証明にもなった。
なお、杉作J太郎ラジオサミットにて「この二つの企画は高野拳磁個人の契約だったが、闘うビアガーデンは2か月半で100万円、屋台村プロレスは支払いの契約が守られずに車代だけの無償となった」と語っていた。


PWCの名称はでも残っているが、唯一の所属選手である高野拳磁がセミ[[リタイア]]状態のため実体は無い。ただし拳磁曰く「俺が生きている限り、俺の団体は無くならねぇんだよ」と語ったとされる<ref>{{Cite web|和書|date=2013-07-08|url=https://nikkan-spa.jp/456612|title=3分でわかる、激動のプロレス業界興亡史|work=|publisher=日刊[[SPA!]]|accessdate=2013-07-11}}</ref>。

足を引っ張られ続けて[[四面楚歌]]だったPWCだったが、心優しいファン達のおかげにより90年代の伝説といわれる団体として、今も名前が残り続けている。

そもそも高野拳磁は激しい[[ストレス]]により[[血管]]の一部が詰まってしまい、[[新陳代謝]]が悪くなり太る病気に陥っていたが、この暖かなファン達のおかげで名を残すことが出来ており、しかもPWC代表を降りて借金1つ背負うこと無く離脱することに成功した。

PWCはファンが作って・ファンが名を遺した伝説の団体であり、最悪の環境の中をファン達が熱い[[スクラム]]を組んで名前を残した稀有な団体でもある。


=== PWCプロモーション ===
=== PWCプロモーション ===
[[2003年]][[1月16日]]、ATOM(現:ATOM TOKYO)・元PWC所属選手の森谷俊之が公開記者会見を行ってPWCプロモーションの設立を発表。[[3月30日]]、[[北沢タウンホール]]で旗揚げ戦を開催し、[[7月10日]]に[[博多スターレーン]]大会を最後に解散した。ちなみに解散した時点で既に北沢タウンホール大会を数ヶ月先まで予約済みであったため、新たに『PvvC』を設立して[[8月28日]]にプレ旗揚げ戦を行い、[[9月17日]]に旗揚げ戦を開催。[[10月9日]]には「セカンドバトルでルンバ」が行われた。[[11月22日]]には「PvvCファイナルバウト 復刻版PWC」を開催して全ての日程を消化した。
[[2003年]][[1月16日]]、ATOM(現:ATOM TOKYO)・元PWC所属選手の森谷俊之が公開記者会見を行ってPWCプロモーションの設立を発表。[[3月30日]]、[[北沢タウンホール]]で旗揚げ戦を開催し、[[7月10日]]に[[博多スターレーン]]大会を最後に解散した。ちなみに解散した時点で既に北沢タウンホール大会を数ヶ月先まで予約済みであったため、新たに『PvvC』を設立して[[8月28日]]にプレ旗揚げ戦を行い、[[9月17日]]に旗揚げ戦を開催。[[10月9日]]には「セカンドバトルでルンバ」が行われた。[[11月22日]]には「PvvCファイナルバウト 復刻版PWC」を開催して全ての日程を消化した。


PWCプロモーションに「本気の起業をせず[[パブリシティ]]による売名行為や、ファンとして来場してくれた会社・企業経営者たちにただすり寄り憑り付くような所業に対して加担する気なし」という理由から[[高野拳磁]]が参戦することは無かったものの、[[ジョージ高野]]が[[ジョージ高野#ザ・コブラ|ザ・コブラ]]として7月10日の博多スターレーン大会に参戦している。
PWCプロモーションに[[高野拳磁]]が参戦することは無かったものの、[[ジョージ高野]]が[[ジョージ高野#ザ・コブラ|ザ・コブラ]]として7月10日の博多スターレーン大会に参戦している。

[[2005年]][[12月21日]]、[[新木場1stRING]]で1日限定のPWC復活興行が開催されている<ref>{{Cite web|和書|date=2005-12-22|url=http://beye2.com/item_2083.html|title=12.21 PWC/新木場1stRING、結果:be2|publisher=ブラックアイ2|accessdate=2013-07-11}}</ref>。

== 逸話 ==
・道場のあらゆるものを売却してその金を山分けしたことや、金を貰っていないフリをしたことなど植栗正和(南条隼人)に全てバラされかけた時、それに慌てた黒田哲広が試合を組んで悪知恵を働かせて植栗を丸め込んだという。
植栗はジュニアでデビュー戦勝利を飾って売り出しが掛かっていたこともあり、黒田をはじめとしたデタラメな連中の被害者かもしれない。

・渡邊幸正(セッド・ジニアス)は自分が試合に参戦したいために、それを促す書面をしつこくストーカーの如く数百枚にも渡る[[FAX]]を高野拳磁宛に送付し続けていた。渡邊は昔のよしみじゃないかと参戦を頼み込んで来ており「それなら、1試合8000円でどうかな?」と、双方の了承を得てマットに上げて貰うことになった。ところが試合後になると「自分のギャラは1試合50万円だから、50万払ってくれないか」と理不尽な言い掛かりを付け、渡邊はとんでもない暴挙に出る。さらに「ねぇ父さん、約束したギャラを拳磁が払ってくれないんだよ…」と後に親まで帯同して乗り込んで来たが、父親は事の次第を聞かされて顔面蒼白になり、自分の息子が約束とは違う金額を要求していることを知り「そんなことまでは知らないので2人で決めて下さい」といい逃れしようとした時に「こんな馬鹿なことをしに来たのはあんた達じゃない。何しに来たのよ?」と情け無く撃退されてトボトボ帰って行った。

・高木功(嵐)は後に[[大麻取締法違反]]で逮捕されており、安達勝治(ミスターヒト)は最後、誰も寄り付かず[[2010年]]にひっそりと亡くなっている。


[[2005年]][[12月21日]]、[[新木場1stRING]]で1日限定のPWC復活興行が開催されている<ref>{{Cite web|date=2005-12-22|url=http://beye2.com/item_2083.html|title=12.21 PWC/新木場1stRING、結果:be2|publisher=ブラックアイ2|accessdate=2013-07-11}}</ref>。
・ジョージ高野はふざけて悪行三昧の上に散々弟を騙し続け、負債まで押し付けて自身は怠けながら滑稽に大酒・大飯三昧を継続して仕事もせずに遊んで楽をしていたが、不倫して子供まで作った女は屋台村プロレスからFSRに潜り込んでいたT・Aに寝取られており、挙句に拳磁とは違って一切の商業履歴も実績も持たないため当然FSRが経営出来ることもなく、逆に多額の会社負債を今も持っている状態で[[ブラックリスト]]に掲載されており、個人的には多重債務者に陥った状態である。
まさに[[因果応報]]状態になり、愚兄賢弟と言われて地元北九州での評判も最悪で帰ることすら出来ず、北九州でプロレスラーになる前から伝説的[[カリスマ]]がある真面目な高野拳磁とは違い、高野家からも縁を切られて「たかり屋」と言われて嫌厭され母親が生きている迄と我慢していた高野拳磁にも絶縁されてしまい、住所不定で何処にいるのか分からない状態となっている。


== タイトル ==
== タイトル ==
105行目: 37行目:
* [[鶴見五郎|宇宙パワーX]](初代)(現:鶴見五郎)
* [[鶴見五郎|宇宙パワーX]](初代)(現:鶴見五郎)
* [[若松市政|将軍KYワカマツ]]
* [[若松市政|将軍KYワカマツ]]
* [[セッド・ジニアス|渡辺幸正]](現:セッド・ジニアス)
* [[高木功 (プロレスラー)|高木功]](現:嵐)
* [[高木功 (プロレスラー)|高木功]](現:嵐)
* [[ポイズン澤田|ホー・デス・ミン]](現:ポイズン澤田)
* [[木村浩一郎|宇宙パワーX]](2代目)(現:木村浩一郎)
* [[木村浩一郎|宇宙パワーX]](2代目)(現:木村浩一郎)
* [[保坂秀樹|弁慶]](現:保坂秀樹)
* [[保坂秀樹|弁慶]](現:保坂秀樹)
* [[長瀬館長]]
* [[内藤恒仁]]
* [[内藤恒仁]]
* [[島田宏]]
* [[島田宏]]
* [[キャノンボールKAZU]]
* [[キャノンボールKAZU]]
* [[南条隼人|牛若丸]](現:南条隼人)
* [[南条隼人|牛若丸]](現:南条隼人)
* [[黒田哲広|黒田哲]](現:黒田哲広)
* [[戸井克成|戸井マサル]](現:戸井克成)
* [[仮面シューター・スーパーライダー|ホッパーキング]](現:スーパーライダー)
* [[仮面シューター・スーパーライダー|ホッパーキング]](現:スーパーライダー)
* [[サバイバル飛田]]
* [[菊タロー|菊澤光信]](現:菊タロー)
* [[菊タロー|菊澤光信]](現:菊タロー)
* [[高木三四郎]]
* [[NOSAWA論外|野沢一茂]](現:NOSAWA論外)
* [[NOSAWA論外|野沢一茂]](現:NOSAWA論外)
* [[斗猛矢|足立知也]](現:斗猛矢)
* [[MIKAMI|三上恭平]](現:MIKAMI)
* [[MIKAMI|三上恭平]](現:MIKAMI)
* [[アイアン・ホース (プロレスラー)|アイアン・ホース]]
* [[アイアン・ホース (プロレスラー)|アイアン・ホース]]
* [[森谷俊之]]
* [[柴田正人]](現:マッド・ポーリー)


== 関連書籍 ==
== 関連書籍 ==

2023年11月11日 (土) 08:39時点における版

Pro Wrestling Crusaders(プロ・レスリング・クルセイダース)は、かつて存在した日本プロレス団体。略称はPWC(ピー・ダブリュー・シー)。別名「プロレス十字軍(プロレスじゅうじぐん)」。PWCの消滅後に設立されたPWCプロモーション(ピー・ダブリュー・シー・プロモーション)についても記述している。

歴史

PWC

1992年6月にSWSが崩壊し、所属していた選手がWARNOWに分かれた際にNOWに移籍したジョージ高野高野俊二(現:高野拳磁)が、団体内の問題から旗揚げ間もなく退団して設立された。なおNOWを早期に退団してPWCを旗揚げした経緯については、二つの説があり「道場・檄」所属のメンバーが中心になったNOW体制に反発した説[注釈 1][注釈 2]、もう一つはNOWプレ旗揚げ戦後の9月10日発売の『週刊文春』に、高野兄弟の「俺たち、メガネスーパーに騙された」との見出しによるSWS解散の顛末と、メガネスーパー自体を痛烈に批判する手記が掲載された。この手記によりスポンサーを予定していたメガネスーパーとの軋轢を避けるため、NOWは高野兄弟を退団させざるを得なかったといわれている。

旗揚げに際し、事務所と道場を東京都東大和市に構えて準備を整えた後に、1993年2月13日に東海市民体育館で旗揚げ戦を開催。所属選手は高野兄弟の他に元W★INGプロモーション戸井マサル(現:戸井克成)と島田宏・SAWの保坂秀樹(PWCのリングネームは弁慶)・フリーの渡辺幸正(現:セッド・ジニアス)・旗揚げ戦でデビューした牛若丸(現:赤城)・練習生の黒田哲(現:黒田哲広)・留学生のアイアン・ホース。他はフリー選手を起用して外国人選手に関しては、高野兄弟がカナダに武者修行していた際に世話になったミスター・ヒトのルートで稲妻ジロー(稲妻二郎)を始めとするカナダの外国人選手をブッキングして陣容を整える。また発起人として、内紛によりSWSを退団した谷津嘉章仲野信市も名を連ねていたが、一度も参戦する事は無かった。

設立当初に掲げたのは「スポーツライクなプロレス」だった。その一方で盲導犬協会とタイアップしてリング上で盲導犬のデモストレーションを行ったり、前座の余興として浮世亭リング・サイドが率いる吉本プロレス軍団による「お笑いプロレス」を組み込むなど、色々と他団体への差別化を図ろうとした[2]。ところが「キックとスープレックスの神様」との触れ込みでフリー参戦して再生を期したはずの高木功(現:嵐)[注釈 3]が突如、高野兄弟に反目。高野兄弟とヒールに傾倒した高木との間で抗争が勃発し、遺恨清算の目的で俊二・高木との間では「チェーンマッチ」(チェーンデスマッチとは異なる)も行われた。皮肉にもこれらの抗争が売り物となってしまい、他団体と大差ない内容になってしまった。

SWS崩壊及び分裂に際してスポンサーであったメガネスーパーは、WARとNOWに資金援助を約束する。WARには2年間・NOWには1年間に渡りこの約束が遂行されたが、NOWを退団した高野兄弟には資金援助が一切されなかった為、旗揚げ当初から経営地盤自体が弱かった。加えて代表である俊二の経営の杜撰さに加え、本人の性格や金銭面などの問題によりすぐ資金難となる。それが元でまず高木功が退団してしまい、高野兄弟に対抗出来る勢力が一気に手薄となってしまう。加えて資金を捻出していたとされるジョージ[要出典]が退団して、さらに道場に置いてあったリングも盗難に遭う[3]など苦難が続き、さらに所属選手の退団も起きて[注釈 4]、最終的には拳磁の個人プロダクション的な団体となってしまった。

その後、将軍KYワカマツがユニット「宇宙パワー軍[4]」を率いて参戦する。その奇天烈で不思議な試合内容はファンによる「野良犬」コールを浴びる中、拳磁が両手を手錠で掛けられ紐で繋がれてしまい、ワカマツにそのまま夜の街中を引きずり回されるなど、非常に斬新奇抜・異質・奇妙・異様・魑魅魍魎かつハチャメチャで摩訶不思議・愉快・痛快・破天狼・奇想天外なパフォーマンスを披露し、一部の熱狂的なプロレスマニアには支持されたものの[5]、事態は好転せず再び所属選手の退団が発生し、団体は活動休止となった。

1994年に拳磁は西日本プロレスに参戦したが、わずか1試合のみで退団して「まーた飛び出しちゃったよーだ九州」の台詞と共にPWCが活動を再開し、その際に新弟子も募集したことで新戦力がようやく誕生し、さらに高木三四郎IWA格闘志塾から移籍や、フリー選手が入団したこともあって持ち直したかと思われたが、1996年10月17日北沢タウンホール大会後に、またも所属選手が一斉に退団[6]。これが決定打となり団体は消滅した。

2000年足立知也(現:斗猛矢)が設立したZIPANGで長瀬館長・森谷俊之・島田宏サバイバル飛田がユニット「PWC残党軍」を結成・活躍した。

なおDDTの夏恒例イベントとなっているビアガーデンプロレス「闘うビアガーデン」はPWC末期に拳磁が発案しており、後楽園ゆうえんち(現:東京ドームシティアトラクションズ)でビアガーデンプロレスが開催され、それを高木三四郎が引き継いだものである。現在ビアガーデンプロレスは、他のインディー団体にも波及している。

PWCの名称は今も存在しているが、唯一の所属選手である高野拳磁がセミリタイア状態のため実体は無い。ただし拳磁曰く「俺が生きている限り、俺の団体は無くならねぇんだよ」と語ったとされる[7]

PWCプロモーション

2003年1月16日、ATOM(現:ATOM TOKYO)・元PWC所属選手の森谷俊之が公開記者会見を行ってPWCプロモーションの設立を発表。3月30日北沢タウンホールで旗揚げ戦を開催し、7月10日博多スターレーン大会を最後に解散した。ちなみに解散した時点で既に北沢タウンホール大会を数ヶ月先まで予約済みであったため、新たに『PvvC』を設立して8月28日にプレ旗揚げ戦を行い、9月17日に旗揚げ戦を開催。10月9日には「セカンドバトルでルンバ」が行われた。11月22日には「PvvCファイナルバウト 復刻版PWC」を開催して全ての日程を消化した。

PWCプロモーションに高野拳磁が参戦することは無かったものの、ジョージ高野ザ・コブラとして7月10日の博多スターレーン大会に参戦している。

2005年12月21日新木場1stRINGで1日限定のPWC復活興行が開催されている[8]

タイトル

所属選手

関連書籍

  • 小佐野景浩『SWSの幻想と実像』日本スポーツ出版社ISBN 4-930943-24-8 
  • 竹内宏介 『プロレス虚泡団体の真実』 日本スポーツ出版社 ISBN 4-930943-12-4

脚注

注釈

  1. ^ SWS時代にジョージ高野高野拳磁はパライストラ所属でありジョージは道場主であった。
  2. ^ NOW代表に就任したのが桜田一男(ケンドー・ナガサキ)であった。桜田は当初ジョージ高野を代表に推して自らバックアップする方針であったが、他選手の反対により結局自身が代表に就任する形になったと桜田は述懐している[1]
  3. ^ 高木功(現:嵐)も元SWS所属選手(道場・檄所属)であったが、無断欠場により1991年1月22日付でSWSを解雇されていた。
  4. ^ この時、退団した弁慶(現:保坂秀樹)と戸井マサル(現:戸井克成)はFMWに入団、黒田哲(現:黒田哲広)はFMWに練習生として入団してリングネームを黒田哲広に改名して再デビュー。牛若丸(南条隼人を経て、現:赤城)はFMWに練習生として入団してリングネームを超電戦士バトレンジャーのライバル「ダークレンジャー」に改名して再デビュー。

出典

  1. ^ SWSの幻想と実像 145Pより
  2. ^ 俊二は「子供にプロレスを返す」「ミル・マスカラスのLPレコードを正座して真剣に聴いていたような、あんな時代のプロレスに戻したい」と語っている。また前座に数々の余興を組み込んだのは、イベントに参加する感覚でプロレスに親しんで貰おうという目的があったという。
  3. ^ 一説では借金の担保に持って行かれたといわれているが、事件の真偽も含め詳しい事情は現在も不明である。
  4. ^ 当初は鶴見五郎・後に木村浩一郎が扮していた。
  5. ^ この頃の有名なファンとして、杉作J太郎が存在していた。
  6. ^ 後に高木三四郎たちはDDTプロレスリングに入団した。
  7. ^ 3分でわかる、激動のプロレス業界興亡史”. 日刊SPA! (2013年7月8日). 2013年7月11日閲覧。
  8. ^ 12.21 PWC/新木場1stRING、結果:be2”. ブラックアイ2 (2005年12月22日). 2013年7月11日閲覧。