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「易居町」の版間の差分

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{{Infobox Settlement
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|名称=易居町
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|予備名称1=[[ベース・レジストリ|町字ID]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://registry-catalog.registries.digital.go.jp/dataset/o1-000000_g2-000003|title=日本 町字マスター データセット|publisher=[[デジタル庁]]|date=2022-03-31|accessdate=2022-04-29}}</ref>
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|予備名称2=[[住所#運輸局住所コード|運輸局住所コード]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kodokensaku.mlit.go.jp/motas/addresscodedownload|title=自動車登録関係コード検索システム|publisher=国土交通省|accessdate=2021-04-26}}</ref>
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'''易居町'''(やすいちょう Yasui-Chō)は、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]の[[町丁|町]]<ref name="kadokawa-history">[[#角川|角川日本地名大辞典]] p.630</ref>。旧鹿児島県鹿児島府下'''易居町'''、'''生産町'''。[[郵便番号]]は892-0815。人口は1,171人、世帯数は688世帯(2020年4月1日現在)<ref>{{Cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/soumu/soumu/soumu/shise/toke-02/jinko/h2704age5.html|title=年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)|date=2020-04-01|accessdate=2020-05-08|publisher=鹿児島市}}</ref>。


'''易居町'''(やすいちょう<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/kensetu/toshikeikaku/tochiriyou/images.html|title=鹿児島市の町名|publisher=鹿児島市|accessdate=2020-07-30}}</ref>)は、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]の[[町丁|町]]{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1983|p=630}}。旧鹿児島県鹿児島府下'''易居町'''、'''生産町'''。[[日本の郵便番号|郵便番号]]は892-0815<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=46&city=1462010&id=158100|title=鹿児島県鹿児島市易居町の郵便番号|publisher=日本郵便|accessdate=2020-07-26}}</ref>。人口は1,313人、世帯数は783世帯(2020年10月1日現在)<ref name="gov-2020" />。
[[明治5年]]の埋め立てによって新たに生成された土地であり、[[1874年]](明治7年)に易居町として設置された<ref name="chimei-taikei"/>。[[1965年]](昭和40年)より全域で[[住居表示]]を実施している<ref name="jukyo">[[#kagoshima-city-2|鹿児島市(1970)]] p.742</ref><ref>{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/kensetu/toshikeikaku/tochiriyou/machizukuri/tochi/hyoji/documents/jissikuikiitirann0223.pdf|title=住居表示実施区域町名一覧表|date=2020-02-03|accessdate=2020-06-28|publisher=鹿児島市}}</ref>。また、住居表示実施に伴う町の再編により町の全部が廃止され、易居町・[[小川町 (鹿児島市)|小川町]]の一部となっている'''生産町'''(せいさんちょう)についても本項で記述する。

[[明治5年]]の埋め立てによって新たに生成された土地であり、[[1874年]](明治7年)に易居町として設置された{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=163-164}}。[[1965年]](昭和40年)より全域で[[住居表示]]を実施している{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=742}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/kensetu/toshikeikaku/tochiriyou/machizukuri/tochi/hyoji/documents/jissikuikiitirann0223.pdf|title=住居表示実施区域町名一覧表|date=2020-02-03|accessdate=2020-06-28|publisher=鹿児島市}}</ref>。また、住居表示実施に伴う町の再編により町の全部が廃止され、易居町・[[小川町 (鹿児島市)|小川町]]の一部となっている'''生産町'''(せいさんちょう)についても本項で記述する。


== 地理 ==
== 地理 ==
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=== 町名の由来 ===
=== 町名の由来 ===
易居町という町名は、手狭となった[[城下町]]を拡張するために住宅地として埋め立てられたこの地を「新地」と呼び、住み易い新地であると言われていたことに由来する<ref>[[#木脇|木脇(1976)]] p.88</ref>
易居町という町名は、手狭となった[[城下町]]を拡張するために住宅地として埋め立てられたこの地を「新地」と呼び、住み易い新地であると言われていたことに由来する{{Sfn|木脇栄|1976|p=88}}


また、「易居」という町名は[[平凡社]]の『[[日本歴史地名大系]]』(1998年刊行)<ref>[[#鹿児島県の地名|鹿児島県の地名]] p.993</ref>、[[東京堂出版]]の『難読地名辞典』(1993年刊行)に<ref>[[#難読地名|山口楠原(1993)]] p.212</ref>[[難読地名]]として掲載されている。
また、「易居」という町名は[[平凡社]]の『[[日本歴史地名大系]]』(1998年刊行){{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=993}}、[[東京堂出版]]の『難読地名辞典』(1993年刊行){{Sfn|山口恵一郎|楠原佑介|1993|p=212}}に[[難読地名]]として掲載されている。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
現在の易居町は、[[1889年]](明治22年)の[[市制]]施行時の易居町の一部、生産町の一部にあたる<ref name="kadokawa-history"/>
現在の易居町は、[[1889年]](明治22年)の[[市制]]施行時の易居町の一部、生産町の一部にあたる{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1983|p=630}}


=== 町の成立から昭和の住居表示実施まで ===
=== 町の成立から昭和の住居表示実施まで ===
易居町と生産町の区域は、[[明治5年]]に山下町、小川町の海岸の埋め立てにより誕生した土地であり<ref name="kadokawa-seisan"/>、[[1874年]](明治7年)3月に易居町、生産町として成立した<ref name="chimei-taikei">[[#地名大系|鹿児島県の地名]] pp.163-164</ref>。生産町は[[内務省 (日本)|内務省]]の資料によると「スギハイ」と読まれており、産業振興を願って付けられた町名であると推測されている<ref name="minaminihon-old-town">[[#minaminihon-20110909|山下悟(2011)]]</ref>。明治時代前期頃には易居町には[[武士]]が一定数住んでいたが多数は[[平民]]が居住しており、生産町は[[平民]]が多く居住していた町人街であった<ref>[[#kagoshima-city-1|鹿児島市(1969)]] p.770-771</ref>。[[1879年]](明治12年)には県営織物授産場が設置され<ref>[[#kagoshima-city-1|鹿児島市(1969)]] p.756</ref>、[[1885年]](明治18年)には蚕糸講習所が易居町に設置された<ref>[[#kagoshima-city-1|鹿児島市(1969)]] p.754</ref>。これらは鹿児島県の産業発展に一定の役割を果たした。
易居町と生産町の区域は、[[明治5年]]に山下町、小川町の海岸の埋め立てにより誕生した土地であり{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1983|p=373}}、[[1874年]](明治7年)3月に易居町、生産町として成立した{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=163-164}}。生産町は[[内務省 (日本)|内務省]]の資料によると「スギハイ」と読まれており、産業振興を願って付けられた町名であると推測されている{{Sfn|山下悟|2011}}。明治時代前期頃には易居町には[[武士]]が一定数住んでいたが多数は[[平民]]が居住しており、生産町は[[平民]]が多く居住していた町人街であった{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=770-771}}。[[1879年]](明治12年)には県営織物授産場が設置され{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=756}}、[[1885年]](明治18年)には蚕糸講習所が易居町に設置された{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=754}}。これらは鹿児島県の産業発展に一定の役割を果たした。


[[1888年]](明治21年)に公布された[[市制]](明治21年法律第1号)に基づき、[[1889年]](明治22年)[[2月2日]]に官報に掲載された「{{ws|[[:s:市制施行地|市制施行地]]}}」(内務省告示第1号)によって[[鹿児島]]が市制施行地に指定された<ref>市制施行地(明治22年内務省告示第1号、明治22年2月2日、{{ws|[[:s:市制施行地|原文]]}})</ref>。[[3月5日]]には鹿児島県令第26号によって鹿児島郡のうち50町村が市制による鹿児島市の区域と定められ{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=3}}、[[4月1日]]に[[市制]]が施行されたのに伴い、鹿児島郡50町村(山下町、平之馬場町、新照院通町、長田町、冷水通町、上竜尾町、下竜尾町、池之上町、鼓川町、稲荷馬場町、清水馬場町、春日小路町、車町、恵美須町、小川町、和泉屋町、浜町、向江町、栄町、柳町、易居町、中町、金生町、東千石馬場町、西千石馬場町、汐見町、泉町、築町、生産町、六日町、新町、松原通町、船津町、呉服町、大黒町、堀江町、住吉町、新屋敷通町、加治屋町、山之口馬場町、樋之口通町、薬師馬場町、鷹師馬場町、西田町、上之園通町、高麗町、下荒田町、荒田村、西田村、塩屋村)の区域より[[鹿児島市]]が成立した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=3}}。それまでの易居町と生産町は鹿児島市の[[町丁|町]]となった{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1983|p=630}}{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1983|p=373}}。
[[1889年]](明治22年)に[[市制]]が施行されたのに伴い、鹿児島城下の47町及び近在の3村より[[鹿児島市]]が設置され、易居町と生産町は鹿児島市の[[町丁|町]]となった<ref name="kadokawa-history"/><ref name="kadokawa-seisan"/>。


[[1901年]](明治34年)から4年間にわたり行われた[[鹿児島港]]の拡張工事に伴い生産町及び小川町の陸地の一部が切り取られ鹿児島港の港内水域となった<ref name="kadokawa-seisan"/><ref>[[#kagoshima-city-2|鹿児島市(1970)]] p.750</ref>。[[1924年]](大正13年)には易居町に鹿児島青果卸市場が開設された<ref>[[#kagoshima-city-2|鹿児島市(1970)]] p.317</ref>
[[1901年]](明治34年)から4年間にわたり行われた[[鹿児島港]]の拡張工事に伴い生産町及び小川町の陸地の一部が切り取られ鹿児島港の港内水域となった{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1983|p=373}}{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=750}}。[[1924年]](大正13年)には易居町に鹿児島青果卸市場が開設された{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=317}}


[[大正|大正時代]]から[[昭和|昭和初期]]にかけて易居町付近では大火が多く発生した。[[1914年]](大正3年)には易居町と生産町の区域で発生し264戸が焼失し<ref>[[#kagoshima-city-2|鹿児島市(1970)]] p.770</ref>、[[1919年]](大正8年)には易居町の民家から出火し商業学校や名山尋常小学校など122戸を全焼し3名の死者が出た<ref name="city-2-771">[[#kagoshima-city-2|鹿児島市(1970)]] p.771</ref>。[[1934年]](昭和9年)には易居町の桟橋通り付近で42戸が焼失した<ref name="city-2-771"/>。また[[第二次世界大戦]]終戦後の[[1950年]](昭和25年)には小川町から出火した火災が易居町まで延焼し、185世帯が全焼し720人の罹災者、損害額7,400万円に達したため、鹿児島市はこれらの地域に[[災害救助法]]を適用した<ref name="city-2-772">[[#kagoshima-city-2|鹿児島市(1970)]] p.772</ref>。[[1952年]](昭和27年)には易居町から出火し86世帯が全焼した<ref name="city-2-772"/>
[[大正|大正時代]]から[[昭和|昭和初期]]にかけて易居町付近では大火が多く発生した。[[1914年]](大正3年)には易居町と生産町の区域で発生し264戸が焼失し{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=770}}、[[1919年]](大正8年)には易居町の民家から出火し商業学校や名山尋常小学校など122戸を全焼し3名の死者が出た{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=771}}。[[1934年]](昭和9年)には易居町の桟橋通り付近で42戸が焼失した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=771}}。また[[第二次世界大戦]]終戦後の[[1950年]](昭和25年)には小川町から出火した火災が易居町まで延焼し、185世帯が全焼し720人の罹災者、損害額7,400万円に達したため、鹿児島市はこれらの地域に[[災害救助法]]を適用した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=772}}。[[1952年]](昭和27年)には易居町から出火し86世帯が全焼した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=772}}


=== 住居表示実施以後 ===
=== 住居表示実施以後 ===
[[File:Yasui-Cho old-area Map.png|thumb|易居町の区域と1965年までの町の区域を示した地図。<br/>赤の破線が現在の易居町を示し、青色の区域が旧生産町、赤色の区域が旧易居町である。]]
[[File:Yasui-Cho old-area Map.png|thumb|易居町の区域と1965年までの町の区域を示した地図。<br/>赤の破線が現在の易居町を示し、青色の区域が旧生産町、赤色の区域が旧易居町である。]]
[[1962年]](昭和37年)に[[住居表示に関する法律]]が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の[[住居表示]]に着手した<ref name="jukyo"/>。[[1965年]](昭和40年)[[7月20日]]に易居町、生産町を含む区域で住居表示を実施することとなり、住居表示の実施に合わせて易居町の一部が[[名山町]]及び[[小川町 (鹿児島市)|小川町]]に編入され<ref name="kadokawa-meizan">[[#角川|角川日本地名大辞典]] p.619</ref>、生産町が易居町に編入された<ref name="kadokawa-history"/><ref name="kadokawa-seisan">[[#角川|角川日本地名大辞典]] p.373</ref><ref name="city-dayori">{{cite web|url=http://kagoshima-hiroba.jp/wp/oldpdf/s40/s40_06_20.pdf|format=PDF|title=かごしま市政だより(昭和40年6月号)|publisher=鹿児島市|date=1965-06-20|accessdate=2020-07-26}}</ref>。また生産町のうち易居町に編入された区域以外は[[小川町 (鹿児島市)|小川町]]に編入され、これにより生産町は廃止された<ref name="city-dayori"/>。
[[1962年]](昭和37年)に[[住居表示に関する法律]]が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の[[住居表示]]に着手した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=742}}。[[1965年]](昭和40年)[[7月20日]]に易居町、生産町を含む区域で住居表示を実施することとなり、住居表示の実施に合わせて易居町の一部が[[名山町]]及び[[小川町 (鹿児島市)|小川町]]に編入され{{Sfn|角川日本地名大辞典」編纂委員会|1983|p=619}}、生産町が易居町に編入された{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会|1983|p=630}}{{Sfn|角川日本地名大辞典」編纂委員会|1983|p=373}}<ref name="city-dayori">{{Cite web|和書|url=http://kagoshima-hiroba.jp/wp/oldpdf/s40/s40_06_20.pdf|format=PDF|title=かごしま市政だより(昭和40年6月号)|publisher=鹿児島市|date=1965-06-20|accessdate=2020-07-26}}</ref>。また生産町のうち易居町に編入された区域以外は[[小川町 (鹿児島市)|小川町]]に編入され、これにより生産町は廃止された<ref name="city-dayori"/>。


易居町に社屋を置いていた[[南日本新聞]]は[[2001年]](平成13年)[[2月10日]]に[[与次郎|与次郎一丁目]]に社屋を移転した<ref name="city-5-1080">[[#kagoshima-city-5|鹿児島市(2015)]] p.1080</ref>。移転後の南日本新聞の敷地は鹿児島市が9億5900万円で購入し、建物は無償譲渡された<ref name="city-5-29">[[#kagoshima-city-5|鹿児島市(2015)]] p.29</ref>。[[2004年]](平成16年)11月より旧南日本新聞社屋は鹿児島市役所みなと大通り別館として供用を開始した<ref name="city-5-29"/>。また鹿児島市は同時期にみなと大通り別館に隣接する鹿児島税務署跡地を財務省から9億5000万円で取得し市役所の駐車場としている<ref>[[#kagoshima-city-5|鹿児島市(2015)]] p.30</ref>
易居町に社屋を置いていた[[南日本新聞]]は[[2001年]](平成13年)[[2月10日]]に[[与次郎|与次郎一丁目]]に社屋を移転した{{Sfn|南日本新聞|2015|p=1080}}。移転後の南日本新聞の敷地は鹿児島市が9億5900万円で購入し、建物は無償譲渡された{{Sfn|南日本新聞|2015|p=29}}。[[2004年]](平成16年)11月より旧南日本新聞社屋は鹿児島市役所みなと大通り別館として供用を開始した{{Sfn|南日本新聞|2015|p=29}}。また鹿児島市は同時期にみなと大通り別館に隣接する鹿児島税務署跡地を財務省から9億5000万円で取得し市役所の駐車場としている{{Sfn|南日本新聞|2015|p=30}}


=== 町域の変遷 ===
=== 町域の変遷 ===
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|生産町(桟橋通り以北)
|生産町(桟橋通り以北)
|}
|}

== 人口 ==
以下の表は[[国勢調査]]による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
{{Bar chart
|title=人口推移
|data_max=4000
|label_type=年
|data_type=人口
|label1=[[1995年]](平成7年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000023630600|title=国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2021-01-31}}</ref>
|data1=915
|label2=[[2000年]](平成12年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000025138246|title=国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2021-01-31}}</ref>
|data2=834
|label3=[[2005年]](平成17年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000025514538|title=国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2021-01-31}}</ref>
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|label4=[[2010年]](平成22年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000012671630|title=国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2021-01-31}}</ref>
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|label5=[[2015年]](平成27年)<ref name="gov-2015">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000031522312|title=国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2021-01-31}}</ref>
|data5=1190
|label6=[[2020年]](令和2年)<ref name="gov-2020">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00200521&tstat=000001136464&cycle=0&tclass1=000001136472&tclass2=000001159919&tclass3val=0|title=国勢調査 令和2年国勢調査小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など)46:鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2022-02-10|date=2022-02-10}}</ref>
|data6=1313
}}


== 施設 ==
== 施設 ==
[[ファイル:Fudankoin.JPG|thumb|不断光院の外観]]
[[ファイル:Fudankoin.JPG|thumb|不断光院の外観]]
=== 公共 ===
=== 公共 ===
* [[鹿児島市役所]]みなと大通り別館(旧[[南日本新聞]]本社<ref name="city-5-1080"/>
* [[鹿児島市役所]]みなと大通り別館(旧[[南日本新聞]]本社{{Sfn|南日本新聞|2015|p=1080}}
** ソーホーかごしま<ref>[[#kagoshima-city-5|鹿児島市(2015)]] p.378</ref>
** ソーホーかごしま{{Sfn|南日本新聞|2015|p=378}}
* 鹿児島市中央消防署名山分遣隊
* 鹿児島市中央消防署名山分遣隊
* みなと大通り公園
* みなと大通り公園
124行目: 119行目:
=== 寺院 ===
=== 寺院 ===
* [[不断光院]]
* [[不断光院]]
*: 現在の[[南洲神社]]([[上竜尾町]])の位置にかつて存在していた寺院であり、明治初期の[[廃仏毀釈]]によって廃寺となったがのちに易居町にて再興した<ref>[[#kagoshima-city-2|鹿児島市(1970)]] p.1127</ref>
*: 現在の[[南洲神社]]([[上竜尾町]])の位置にかつて存在していた寺院であり、明治初期の[[廃仏毀釈]]によって廃寺となったがのちに易居町にて再興した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=1127}}


== 教育 ==
== 教育 ==
2020年現在易居町には教育施設は置かれていないが、易居町にはかつて名山小学校、鹿児島市立商業学校(現在の[[鹿児島商業高等学校]]の前身)、鹿児島女子実業補習学校(現在の[[鹿児島女子高等学校]]の前身)が設置されていた。
2020年現在易居町には教育施設は置かれていないが、易居町にはかつて名山小学校、鹿児島市立商業学校(現在の[[鹿児島商業高等学校]]の前身)、鹿児島女子実業補習学校(現在の[[鹿児島女子高等学校]]の前身)が設置されていた。


[[1882年]](明治15年)時点では易居町には名山小学が設置されており、[[1889年]](明治22年)の市制施行時には名山尋常小学校となっていた<ref>[[#kagoshima-city-2|鹿児島市(1970)]] p.813</ref>。のちに山下町に移転した。現在の[[鹿児島市立名山小学校]]の前身にあたる。
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鹿児島市立商業学校は、商業が盛んな地であるのにもかかわらず商業学校がないことを遺憾であると鹿児島第三学区の区会が表明したことに端を発して[[1894年]](明治27年)に名山小学に併設する形で設置された<ref>[[#kagoshima-city-2|鹿児島市(1970)]] p.832</ref>。[[1919年]](大正8年)の大火によって学校施設が全焼したため山下町に移転した<ref>[[#kagoshima-city-2|鹿児島市(1970)]] p.856</ref>
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鹿児島女子実業補習学校は、[[1894年]](明治27年)[[9月27日]]に女子の技芸教育を施すため設立が認可された{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=883}}。[[1911年]](明治44年)に[[上之園町]]に移転した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=833}}。のちに[[玉里町]]に移転し[[鹿児島女子高等学校]]となった。
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=== 小・中学校の学区 ===
=== 小・中学校の学区 ===
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== 参考文献 ==
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* {{Cite Q|Q111372666}}<!--鹿児島市史1-->
*{{Cite book|和書
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* {{Cite Q|Q111372706}}<!--鹿児島市史2-->
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|author = 鹿児島市史編さん委員会
|year = 1970
|title = 鹿児島市史 第二巻
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|author = [[南日本新聞]]
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|title = 鹿児島市史 第五巻
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*{{Cite book|和書
|author = 角川日本地名大辞典編纂委員会
|year = 1983
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*{{Cite book|和書
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207行目: 173行目:
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|title = かごしま市史こばなし
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|publisher = [[平凡社]]
|publisher = [[南日本新聞]]開発センター
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|ref={{SfnRef|木脇栄|1976}}
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*{{Cite book|和書
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|year = 1993
|title = 難読地名辞典
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|isbn = 4-490-10096-5
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*{{Cite news|和書
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2023年11月23日 (木) 14:12時点における最新版

日本 > 鹿児島県 > 鹿児島市 > 易居町
易居町
町丁
鹿児島市役所みなと大通り別館
地図北緯31度35分50秒 東経130度33分35秒 / 北緯31.597167度 東経130.55975度 / 31.597167; 130.55975座標: 北緯31度35分50秒 東経130度33分35秒 / 北緯31.597167度 東経130.55975度 / 31.597167; 130.55975
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域 中央地域
地区 上町地区
人口情報2020年(令和2年)10月1日現在)
 人口 1,313 人
 世帯数 783 世帯
郵便番号 892-0815 ウィキデータを編集
市外局番 099
ナンバープレート 鹿児島
運輸局住所コード[2] 46500-0141
ウィキポータル 日本の町・字
鹿児島県の旗 ウィキポータル 鹿児島県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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易居町(やすいちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市[4]。旧鹿児島県鹿児島府下易居町生産町郵便番号は892-0815[5]。人口は1,313人、世帯数は783世帯(2020年10月1日現在)[6]

明治5年の埋め立てによって新たに生成された土地であり、1874年(明治7年)に易居町として設置された[7]1965年(昭和40年)より全域で住居表示を実施している[8][9]。また、住居表示実施に伴う町の再編により町の全部が廃止され、易居町・小川町の一部となっている生産町(せいさんちょう)についても本項で記述する。

地理

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鹿児島市の中部、城山の麓に位置している。町域の北方には小川町、東方には本港新町、南方には名山町、西方には山下町にそれぞれ接している。

山下町との境界線上を鹿児島市電が通っており、水族館口電停が設置されている。また、東部を南北に鹿児島県道204号鹿児島停車場線が通っている。

町名の由来

[編集]

易居町という町名は、手狭となった城下町を拡張するために住宅地として埋め立てられたこの地を「新地」と呼び、住み易い新地であると言われていたことに由来する[10]

また、「易居」という町名は平凡社の『日本歴史地名大系』(1998年刊行)[11]東京堂出版の『難読地名辞典』(1993年刊行)[12]難読地名として掲載されている。

歴史

[編集]

現在の易居町は、1889年(明治22年)の市制施行時の易居町の一部、生産町の一部にあたる[4]

町の成立から昭和の住居表示実施まで

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易居町と生産町の区域は、明治5年に山下町、小川町の海岸の埋め立てにより誕生した土地であり[13]1874年(明治7年)3月に易居町、生産町として成立した[7]。生産町は内務省の資料によると「スギハイ」と読まれており、産業振興を願って付けられた町名であると推測されている[14]。明治時代前期頃には易居町には武士が一定数住んでいたが多数は平民が居住しており、生産町は平民が多く居住していた町人街であった[15]1879年(明治12年)には県営織物授産場が設置され[16]1885年(明治18年)には蚕糸講習所が易居町に設置された[17]。これらは鹿児島県の産業発展に一定の役割を果たした。

1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「 市制施行地」(内務省告示第1号)によって鹿児島が市制施行地に指定された[18]3月5日には鹿児島県令第26号によって鹿児島郡のうち50町村が市制による鹿児島市の区域と定められ[19]4月1日市制が施行されたのに伴い、鹿児島郡50町村(山下町、平之馬場町、新照院通町、長田町、冷水通町、上竜尾町、下竜尾町、池之上町、鼓川町、稲荷馬場町、清水馬場町、春日小路町、車町、恵美須町、小川町、和泉屋町、浜町、向江町、栄町、柳町、易居町、中町、金生町、東千石馬場町、西千石馬場町、汐見町、泉町、築町、生産町、六日町、新町、松原通町、船津町、呉服町、大黒町、堀江町、住吉町、新屋敷通町、加治屋町、山之口馬場町、樋之口通町、薬師馬場町、鷹師馬場町、西田町、上之園通町、高麗町、下荒田町、荒田村、西田村、塩屋村)の区域より鹿児島市が成立した[19]。それまでの易居町と生産町は鹿児島市のとなった[4][13]

1901年(明治34年)から4年間にわたり行われた鹿児島港の拡張工事に伴い生産町及び小川町の陸地の一部が切り取られ鹿児島港の港内水域となった[13][20]1924年(大正13年)には易居町に鹿児島青果卸市場が開設された[21]

大正時代から昭和初期にかけて易居町付近では大火が多く発生した。1914年(大正3年)には易居町と生産町の区域で発生し264戸が焼失し[22]1919年(大正8年)には易居町の民家から出火し商業学校や名山尋常小学校など122戸を全焼し3名の死者が出た[23]1934年(昭和9年)には易居町の桟橋通り付近で42戸が焼失した[23]。また第二次世界大戦終戦後の1950年(昭和25年)には小川町から出火した火災が易居町まで延焼し、185世帯が全焼し720人の罹災者、損害額7,400万円に達したため、鹿児島市はこれらの地域に災害救助法を適用した[24]1952年(昭和27年)には易居町から出火し86世帯が全焼した[24]

住居表示実施以後

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易居町の区域と1965年までの町の区域を示した地図。
赤の破線が現在の易居町を示し、青色の区域が旧生産町、赤色の区域が旧易居町である。

1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した[8]1965年(昭和40年)7月20日に易居町、生産町を含む区域で住居表示を実施することとなり、住居表示の実施に合わせて易居町の一部が名山町及び小川町に編入され[25]、生産町が易居町に編入された[4][13][26]。また生産町のうち易居町に編入された区域以外は小川町に編入され、これにより生産町は廃止された[26]

易居町に社屋を置いていた南日本新聞2001年(平成13年)2月10日与次郎一丁目に社屋を移転した[27]。移転後の南日本新聞の敷地は鹿児島市が9億5900万円で購入し、建物は無償譲渡された[28]2004年(平成16年)11月より旧南日本新聞社屋は鹿児島市役所みなと大通り別館として供用を開始した[28]。また鹿児島市は同時期にみなと大通り別館に隣接する鹿児島税務署跡地を財務省から9億5000万円で取得し市役所の駐車場としている[29]

町域の変遷

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実施後 実施年 実施前
名山町(一部) 1965年昭和40年) 易居町(みなと大通り以南)
易居町(全域) 易居町(みなと大通り以北桟橋通り以南)
生産町(桟橋通り以南)
小川町(一部) 易居町(桟橋通り以北)
生産町(桟橋通り以北)

人口

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以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[30]
915
2000年(平成12年)[31]
834
2005年(平成17年)[32]
940
2010年(平成22年)[33]
1,103
2015年(平成27年)[34]
1,190
2020年(令和2年)[6]
1,313

施設

[編集]
不断光院の外観

公共

[編集]

寺院

[編集]

教育

[編集]

2020年現在易居町には教育施設は置かれていないが、易居町にはかつて名山小学校、鹿児島市立商業学校(現在の鹿児島商業高等学校の前身)、鹿児島女子実業補習学校(現在の鹿児島女子高等学校の前身)が設置されていた。

1882年(明治15年)時点では易居町には名山小学が設置されており、1889年(明治22年)の市制施行時には名山尋常小学校となっていた[37]。のちに山下町に移転した。現在の鹿児島市立名山小学校の前身にあたる。

鹿児島市立商業学校は、商業が盛んな地であるのにもかかわらず商業学校がないことを遺憾であると鹿児島第三学区の区会が表明したことに端を発して1894年(明治27年)に名山小学に併設する形で設置された[38]1919年(大正8年)の大火によって学校施設が全焼したため山下町に移転した[39]

鹿児島女子実業補習学校は、1894年(明治27年)9月27日に女子の技芸教育を施すため設立が認可された[40]1911年(明治44年)に上之園町に移転した[41]。のちに玉里町に移転し鹿児島女子高等学校となった。

小・中学校の学区

[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[42]

町丁 番・番地 小学校 中学校
易居町 全域 鹿児島市立名山小学校 鹿児島市立長田中学校

交通

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町域の北西にある水族館口電停

道路

[編集]
一般県道

鉄道

[編集]
鹿児島市交通局1系統2系統

脚注

[編集]
  1. ^ 日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
  2. ^ 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
  3. ^ 鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年7月30日閲覧。
  4. ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 630.
  5. ^ 鹿児島県鹿児島市易居町の郵便番号”. 日本郵便. 2020年7月26日閲覧。
  6. ^ a b 国勢調査 令和2年国勢調査小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など)46:鹿児島県”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月10日閲覧。
  7. ^ a b 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 163-164.
  8. ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 742.
  9. ^ 住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月28日閲覧。
  10. ^ 木脇栄 1976, p. 88.
  11. ^ 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 993.
  12. ^ 山口恵一郎 & 楠原佑介 1993, p. 212.
  13. ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 373.
  14. ^ 山下悟 2011.
  15. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 770-771.
  16. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 756.
  17. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 754.
  18. ^ 市制施行地(明治22年内務省告示第1号、明治22年2月2日、 原文
  19. ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 3.
  20. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 750.
  21. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 317.
  22. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 770.
  23. ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 771.
  24. ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 772.
  25. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 619.
  26. ^ a b かごしま市政だより(昭和40年6月号)” (PDF). 鹿児島市 (1965年6月20日). 2020年7月26日閲覧。
  27. ^ a b 南日本新聞 2015, p. 1080.
  28. ^ a b 南日本新聞 2015, p. 29.
  29. ^ 南日本新聞 2015, p. 30.
  30. ^ 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  31. ^ 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  32. ^ 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  33. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  34. ^ 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  35. ^ 南日本新聞 2015, p. 378.
  36. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 1127.
  37. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 813.
  38. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 832.
  39. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 856.
  40. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 883.
  41. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 833.
  42. ^ 小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]