「オッパショ石」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
(2人の利用者による、間の2版が非表示) | |||
4行目: | 4行目: | ||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
元々は[[徳島市]][[二軒屋町]]に存在し、名のある力士の墓石とされていた<ref name="mizuki">{{Harvnb|水木|1981|p=160}}</ref>。この墓ができてから |
元々は[[徳島市]][[二軒屋町]]に存在し、名のある力士の墓石とされていた<ref name="mizuki">{{Harvnb|水木|1981|p=160}}</ref>。この墓ができてから2、3ヵ月後、石が「オッパショ」と声を出し始めたので、この名前で呼ばれるようになった<ref name="mizuki" />。「オッパショ」とは「背負ってくれ」という意味で、言われるがままに石を背負うと、最初は軽く感じるものの、次第に重さを増したという<ref>『[[角川日本地名大辞典]] 36 徳島県』([[1986年]] ISBN 4040013603)</ref>。 |
||
この噂が高まったためにこの石のそばを通る者は少なくなったが、噂を聞きつけた力自慢の男が石のもとを訪れた<ref name="mizuki" />。確かに「オッパショ」と声を上げるので背負ったところ、次第に重くなり始めた<ref name="mizuki" />。この石には何者かが取り憑いていると直感した男は、石を力任せに地面に叩きつけたところ、石は真っ二つに割れた<ref name="mizuki" />。その後、石が声を出すことは無くなったという<ref name="mizuki" />。 |
この噂が高まったためにこの石のそばを通る者は少なくなったが、噂を聞きつけた力自慢の男が石のもとを訪れた<ref name="mizuki" />。確かに「オッパショ」と声を上げるので背負ったところ、次第に重くなり始めた<ref name="mizuki" />。この石には何者かが取り憑いていると直感した男は、石を力任せに地面に叩きつけたところ、石は真っ二つに割れた<ref name="mizuki" />。その後、石が声を出すことは無くなったという<ref name="mizuki" />。 |
||
50行目: | 50行目: | ||
[[Category:徳島県の妖怪]] |
[[Category:徳島県の妖怪]] |
||
[[Category:徳島市の歴史]] |
[[Category:徳島市の歴史]] |
||
[[Category:徳島市]] |
[[Category:徳島市の地理]] |
2023年12月27日 (水) 18:44時点における最新版
オッパショ石(オッパショいし)は、徳島県に伝わる奇石(妖怪)。
概要
[編集]元々は徳島市二軒屋町に存在し、名のある力士の墓石とされていた[1]。この墓ができてから2、3ヵ月後、石が「オッパショ」と声を出し始めたので、この名前で呼ばれるようになった[1]。「オッパショ」とは「背負ってくれ」という意味で、言われるがままに石を背負うと、最初は軽く感じるものの、次第に重さを増したという[2]。
この噂が高まったためにこの石のそばを通る者は少なくなったが、噂を聞きつけた力自慢の男が石のもとを訪れた[1]。確かに「オッパショ」と声を上げるので背負ったところ、次第に重くなり始めた[1]。この石には何者かが取り憑いていると直感した男は、石を力任せに地面に叩きつけたところ、石は真っ二つに割れた[1]。その後、石が声を出すことは無くなったという[1]。
現在ではこの石は徳島市西二軒屋町と城南町境にある焼香庵跡墓地に存在する。
交通
[編集]- JR「二軒屋駅」より徒歩で約5分。
- 徳島自動車道「徳島インターチェンジ」より車で約15分。
関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 草野巧『幻想動物事典』新紀元社、1997年。ISBN 4-883-17283-X。
- 谷川健一監修『日本の妖怪』平凡社、1987年。ISBN 4-582-92057-8。
- 水木しげる『水木しげるの妖怪事典』東京堂出版、1981年。ISBN 4-490-10149-X。