「横渟屯倉」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
Tokyovictorys (会話 | 投稿記録) |
||
(7人の利用者による、間の12版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
⚫ | |||
<!--削除についての議論が終了するまで、下記のメッセージ部分は除去しないでください。もしあなたがこのテンプレートを除去した場合、差し戻されます。またページが保護されることもあります。--> |
|||
{{Sakujo/本体|2016年10月3日|横渟屯倉}} |
|||
<!-- 削除についての議論が終了するまで、上記部分は削除しないでください。 --> |
|||
⚫ | |||
『[[日本書紀]]』によれば、 |
『[[日本書紀]]』によれば、[[笠原使主]]が同族の小杵と[[武蔵国造]]の地位を争った[[安閑天皇]]元年([[534年]])閏12月の[[武蔵国造の乱]]において、[[ヤマト王権|大和朝廷]]と結び武蔵国造と認められた使主は、[[上毛野小熊]]と組んだ同族の小杵に勝利した。使主はその後に代償として朝廷に当屯倉と[[橘花屯倉]]、[[多氷屯倉]]、[[倉樔屯倉]]を献上したという(詳細は[[武蔵国造の乱]]を参照)<ref>『日本書紀』卷第十八 [[安閑天皇]]元年([[534年]])閏12月の条</ref>。 |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
||
11行目: | 8行目: | ||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
||
* 小島憲之 他 著 『日本書紀 2(新編日本古典文学全集 3)』 小学館 1996年 ISBN 4-09-658003-1 |
* 小島憲之 他 著 『日本書紀 2(新編日本古典文学全集 3)』 小学館 1996年 ISBN 4-09-658003-1 |
||
* 鈴木正信「武蔵国造の乱と横渟屯倉[https://www.waseda.jp/inst/wias/assets/uploads/2020/03/RB012_093-109.pdf]」(『日本古代の国造と地域支配』八木書店、2023年) |
|||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
22行目: | 20行目: | ||
{{Japanese-history-stub}} |
{{Japanese-history-stub}} |
||
{{DEFAULTSORT:よこぬのみやけ}} |
{{DEFAULTSORT:よこぬのみやけ}} |
||
[[Category: |
[[Category:屯倉]] |
||
[[Category: |
[[Category:武蔵国]] |
2023年12月29日 (金) 05:46時点における最新版
横渟屯倉(よこぬのみやけ)は、古墳時代の无邪志国(无邪志国造が支配した国)にあった屯倉。位置はのちの律令制における武蔵国横見郡(現在の埼玉県比企郡吉見町)と推測される。
『日本書紀』によれば、笠原使主が同族の小杵と武蔵国造の地位を争った安閑天皇元年(534年)閏12月の武蔵国造の乱において、大和朝廷と結び武蔵国造と認められた使主は、上毛野小熊と組んだ同族の小杵に勝利した。使主はその後に代償として朝廷に当屯倉と橘花屯倉、多氷屯倉、倉樔屯倉を献上したという(詳細は武蔵国造の乱を参照)[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小島憲之 他 著 『日本書紀 2(新編日本古典文学全集 3)』 小学館 1996年 ISBN 4-09-658003-1
- 鈴木正信「武蔵国造の乱と横渟屯倉[1]」(『日本古代の国造と地域支配』八木書店、2023年)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 武蔵国造の乱 行田市教育委員会 - 古墳の時代