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==== 寄付・啓発活動 ====
==== 寄付・啓発活動 ====
[[File:2015 Grand Prix Final - Yuzuru Hanyu EX (2).jpg|thumb|200px|[[東日本大震災]]への思いを込めたプログラム『天と地のレクイエム』{{R|SH230314}}]]
[[File:2015 Grand Prix Final - Yuzuru Hanyu EX (2).jpg|thumb|200px|alt=2015年グランプリファイナルのエキシビジョンにて、東日本大震災への思いを込めたプログラム『天と地のレクイエム』を滑る羽生結弦|[[東日本大震災]]への思いを込めたプログラム『天と地のレクイエム』の演技{{R|SH230314}}]]
2011年の[[東日本大震災]]で被災した経験から、多くの寄付活動・啓発活動を行っている。2011年4月9日に、兵庫県で行われた復興支援アイスショーに参加した{{R|NK110416}}。このアイスショーでは募金やオークションなどで1300万円を超える額が集まった{{R|NK110416}}。羽生は震災以降、東日本大震災雇用・教育・健康支援機構が被災者支援の寄付を訴えるためのポスターに無償で参加している{{R|BN230709}}。2014年、[[日本スケート連盟]]と[[日本オリンピック委員会]]から受け取った[[2014年ソチオリンピック|ソチオリンピック]]金メダルの報酬金約600万円を被災地やスケートリンクへ寄付{{R|SN140226}}。2018年にも[[2018年平昌オリンピック|平昌オリンピック]]金メダルの報酬金1000万円を宮城県と仙台市へ寄付した。また、自叙伝『蒼い炎』シリーズの印税は、被災したホームリンクである[[アイスリンク仙台]]に寄付しており{{R|ON230130}}、2023年までに総額8733万406円を同リンクに寄付している{{R|IS231221}}。
2011年の[[東日本大震災]]で被災した経験から、多くの寄付活動・啓発活動を行っている。2011年4月9日に、兵庫県で行われた復興支援アイスショーに参加した{{R|NK110416}}。このアイスショーでは募金やオークションなどで1300万円を超える額が集まった{{R|NK110416}}。羽生は震災以降、東日本大震災雇用・教育・健康支援機構が被災者支援の寄付を訴えるためのポスターに無償で参加している{{R|BN230709}}。2014年、[[日本スケート連盟]]と[[日本オリンピック委員会]]から受け取った[[2014年ソチオリンピック|ソチオリンピック]]金メダルの報酬金約600万円を被災地やスケートリンクへ寄付{{R|SN140226}}。2018年にも[[2018年平昌オリンピック|平昌オリンピック]]金メダルの報酬金1000万円を宮城県と仙台市へ寄付した。また、自叙伝『蒼い炎』シリーズの印税は、被災したホームリンクである[[アイスリンク仙台]]に寄付しており{{R|ON230130}}、2023年までに総額8733万406円を同リンクに寄付している{{R|IS231221}}。


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[[読売新聞]]の協力により、2018年・2020年(オンライン開催)・2022年に「羽生結弦展」が開催されている。この展覧会では羽生の写真や衣装、メダルなどが展示されており、グッズの売上金は様々な場面で寄付されている。2018年には東日本大震災などの被災者支援に4278万円、2020年には「全国コロナ医療福祉支援基金」に2780万4540円を寄付した{{R|BN221227}}。2022年には[[読売光と愛の事業団]]に8593万5835円を寄付し、同事業団は災害が起こった際の支援金として使う意向であることを発表した{{R|BN221227}}。2023年2月、読売光と愛の事業団への寄付で積み立てた災害救済基金から、1000万円を[[トルコ・シリア地震]]の支援に充てることを発表{{R|BN230217}}。2024年の1月には基金から1000万円を[[能登半島地震 (2024年)|能登半島地震]]の被災地・[[石川県]]に寄付することを発表した{{R|BN240105}}。
[[読売新聞]]の協力により、2018年・2020年(オンライン開催)・2022年に「羽生結弦展」が開催されている。この展覧会では羽生の写真や衣装、メダルなどが展示されており、グッズの売上金は様々な場面で寄付されている。2018年には東日本大震災などの被災者支援に4278万円、2020年には「全国コロナ医療福祉支援基金」に2780万4540円を寄付した{{R|BN221227}}。2022年には[[読売光と愛の事業団]]に8593万5835円を寄付し、同事業団は災害が起こった際の支援金として使う意向であることを発表した{{R|BN221227}}。2023年2月、読売光と愛の事業団への寄付で積み立てた災害救済基金から、1000万円を[[トルコ・シリア地震]]の支援に充てることを発表{{R|BN230217}}。2024年の1月には基金から1000万円を[[能登半島地震 (2024年)|能登半島地震]]の被災地・[[石川県]]に寄付することを発表した{{R|BN240105}}。


==== メディアでの活動 ====
==== テレビでの慈善活動 ====
{{Rellink|羽生のメディア出演の一覧は「[[羽生結弦#出演|#出演]]」を参照}}
{{Rellink|羽生のメディア出演の一覧は「[[羽生結弦#出演|#出演]]」を参照}}
2014年から2022年にかけて、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のチャリティー番組『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]』に出演していた。2014年には『羽生結弦 被災地への思いを胸に 一夜限りのアイスショー』と題し、2011–12シーズンのフリープログラム『ロミオ+ジュリエット』を披露した。
2014年から2022年にかけて、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のチャリティー番組『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]』に出演した。2014年には『羽生結弦 被災地への思いを胸に 一夜限りのアイスショー』と題し、2011–12シーズンのフリープログラム『ロミオ+ジュリエット』を披露{{R|ON140802}}。2015年は東日本大震災の被災地である福島県から100人の観客を招待し、エキシビションプログラム『天と地のレクイエム』と『花になれ』を披露した{{R|IT150825}}。また、この年は「チャリTシャツ」の15個の笑顔マークのうち1つをデザインした{{R|ON150718}}。2016年は[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]で被災した少女たちと[[くまモン]]とのコラボレーション『[[星に願いを]]』と『ホワイト・レジェンド』を披露{{R|Kakaku2016}}。2017年は自身と同じ[[小児ぜんそく]]の少年にスケートを指導し、喘息の子供たちにエールを送るアイスショーでは[[郷ひろみ]]とのコラボレーション『[[言えないよ]]』を披露した{{R|ON170730|NS180217}}。2018年はホームリンクであるアイスリンク仙台にてエキシビションナンバー『ノッテ・ステラータ』を披露した{{R|WT180825}}


2022年12月28日、日本テレビの報道番組『[[news every.]]』のスペシャルメッセンジャーに就任した{{R|ON221218}}。「羽生結弦 伝えたい、思い」というコンセプトで、震災や災害の被災地で人々と交流し、人々の思いを伝えていくという役割を担う{{R|ON221218}}。2023年3月13日、原発事故の影響で避難区域に指定されていた[[福島県]][[富岡町]]を訪問し、4月1日に避難指示の解除が決まった地区に自宅がある男性を取材した{{R|NN230313}}。7月5日、[[令和2年7月豪雨]]の被災地である[[熊本県]]の[[人吉市]]と[[球磨村]]を訪れ、洪水で自宅が流された人々を取材した{{R|NN230706}}。12月14日には災害救助訓練の現場を取材し、訓練や救助を受ける側の体験を行った{{R|SH231214}}。
2022年12月28日、日本テレビの報道番組『[[news every.]]』のスペシャルメッセンジャーに就任した{{R|ON221218}}。「羽生結弦 伝えたい、思い」というコンセプトで、震災や災害の被災地で人々と交流し、人々の思いを伝えていくという役割を担う{{R|ON221218}}。2023年3月13日、原発事故の影響で避難区域に指定されていた[[福島県]][[富岡町]]を訪問し、4月1日に避難指示の解除が決まった地区に自宅がある男性を取材した{{R|NN230313}}。7月5日、[[令和2年7月豪雨]]の被災地である[[熊本県]]の[[人吉市]]と[[球磨村]]を訪れ、洪水で自宅が流された人々を取材した{{R|NN230706}}。12月14日には災害救助訓練の現場を取材し、訓練や救助を受ける側の体験を行った{{R|SH231214}}。
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<ref name=SH231214>{{cite web2 |url=https://hochi.news/articles/20231214-OHT1T51174.html?page=1 |title=羽生結弦さん、災害救助を取材 降下訓練では「技術がとても洗練されている」と実感 防災の重要性も強調 |website=[[スポーツ報知]] |publisher=[[報知新聞社]] |date=2023-12-14 |df=ja |access-date=2024-03-01 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20231214114208/https://hochi.news/articles/20231214-OHT1T51174.html?page=1 |archive-date=2023-12-14}}</ref>
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<ref name=ON140802>{{cite web2 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2040505/full/ |title=羽生結弦、生中継で舞い披露 『24時間テレビ』で被災地に思い届ける |website=ORICON NEWS |publisher=[[オリコン]] |df=ja |date=2014-08-02 |access-date=2024-03-06 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20140806113701/https://www.oricon.co.jp/news/2040505/full/ |archive-date=2014-08-06}}</ref>

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<ref name=ON170730>{{cite web2 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2094874/full/ |title=羽生結弦、4年連続『24時間テレビ』出演 夢のアイスショー開催 |website=ORICON NEWS |publisher=[[オリコン]] |df=ja |date=2017-07-30 |access-date=2024-03-06 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20170730013811/https://www.oricon.co.jp/news/2094874/full/ |archive-date=2017-07-30}}</ref>

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2024年3月6日 (水) 13:17時点における版

来歴

幼少期からジュニア時代まで

1994年12月7日宮城県仙台市泉区に生まれる。結弦ゆづるという名前は「弓のつるを結ぶように凛とした生き方をしてほしい」という由来で父が命名した[1][2]。羽生は2歳のころから喘息を患っており、急に走ると咳き込んだり、夜も眠れないほど咳が続く日もあったという[3][4]:3。1999年、泉DOSCアイスアリーナ[注 1]にて佐野稔が開催した子供スケート教室に、羽生の4歳上の姉が通い始める。姉に付いてスケートリンクに遊びに来ていた羽生は、同リンクでコーチを務めていた山田真実の誘いがきっかけで4歳でスケートを始めた[5]。スケートを始めたのは喘息を克服するためでもあったという[4]:3。4歳から小学2年生までは山田真実に師事し、山田が家庭の事情で故郷に帰ったのがきっかけで、小学3年生からは都築章一郎に師事した[6]。羽生はこの頃練習が嫌になり野球をやりたいとも言い出したが、一度始めたことを投げ出したくないと練習を続けた。すると、小学4年生になった2004年、10月の全日本ノービス選手権に初出場し、Bクラス(10歳まで出場可能)で優勝を果たす[7]。また、12月には初の国際大会となるタンペレ・サンタクロース杯に出場し、優勝を果たした[8][9]

2004年12月、ホームリンクのコナミスポーツクラブ泉・スケートリンク(旧・泉DOSCアイスアリーナ)が経営難のために開鎖されたため、羽生は同じ仙台市内の勝山スケーティングクラブに拠点を移した[10]:2–3。都築は仙台を離れ神奈川県の神奈川スケートリンクに拠点を移したため、平日は仙台で練習し、週末は神奈川に通って都築の指導を受ける日々を送った[10]:2–3[11]。また、この時期から阿部奈々美が指導者に加わった[11]。2005年の全日本ノービス選手権Bクラスでは2位となった[12]。2006–07シーズン、全日本ノービス選手権Aクラス(12歳まで出場可能)で3位[8]、羽生にとって初のジュニアクラス出場となった全日本ジュニア選手権では7位に入った[12]。2007年3月、コナミスポーツクラブ泉・スケートリンクがアイスリンク仙台として営業を再開したため、再び同リンクに拠点を戻した。2007–08シーズン、10月の全日本ノービス選手権Aクラスで優勝し、11月の全日本ジュニア選手権では3位となる[13]。ノービスの選手が全日本ジュニア選手権でメダルを獲得するのは日本男子初の快挙であった[13]

世界ジュニア選手権優勝

2010年世界ジュニア選手権にて金メダルを掲げる羽生結弦
2010年世界ジュニア選手権優勝

2008年夏、長野野辺山での全日本合宿にて、浅田真央を参考に3回転アクセルジャンプを習得した[14]。羽生は2008–09シーズンからジュニアクラスに移行し、国際スケート連盟の公認大会であるジュニアグランプリシリーズメラーノ杯に出場し5位となった。11月の東日本選手権のショートプログラムでは、自身初めて3回転アクセルを成功させた[15]。全日本ジュニア選手権では史上最年少の13歳で初優勝を飾り、初出場となったシニアの第77回全日本選手権では最年少ながら8位に入った[16]。3月の2009年世界ジュニア選手権は12位に終わった。

2009–10シーズン、トルン杯でジュニアグランプリシリーズ初優勝を飾った[17]。続くクロアチア杯でも優勝し、シリーズ成績上位6人が出場するジュニアグランプリファイナルへの進出が決まった[18]。全日本ジュニア選手権では連覇を果たし、2009年ジュニアグランプリファイナルでは大会史上最年少優勝を果たした[18]。日本男子のジュニアグランプリファイナル優勝は、2005年大会の小塚崇彦以来2人目であった[18]。12月の第78回全日本選手権ではショートプログラム13位からフリースケーティングで追い上げ、総合6位に入った。2010年3月の2010年世界ジュニア選手権ではフリースケーティングで自己ベストを更新し、日本男子として髙橋大輔織田信成・小塚崇彦に続く4人目の世界ジュニアチャンピオンとなった。2010年4月、東北高等学校に入学した。

ソチオリンピックまでの4年間

2010–11シーズン:シニアデビューと東日本大震災

2010年ロステレコム杯にて演技をする羽生結弦
2010年ロステレコム杯のショートプログラム『ホワイト・レジェンド』

2010–11シーズンからシニアクラスに移行し、10月から始まるグランプリシリーズに参戦した。シニアデビュー戦となった2010年NHK杯では、フリースケーティングで自身初の4回転トウループを成功させ、4位入賞を果たした[19]。シリーズ2戦目の2010年ロステレコム杯ではショートプログラムで自己ベストを更新したものの、フリースケーティングでは得点を伸ばせず、総合7位に終わった[20]。12月の第79回全日本選手権ではショートプログラムで2位発進したが、フリースケーティングで順位を落とし、総合4位となった[21]。2月の2011年四大陸選手権ではショートプログラム・フリースケーティングともに自己ベストを更新し、シニア国際大会初のメダルとなる銅メダルを獲得した。羽生は男子シングルでは史上最年少の四大陸選手権メダリストとなった[19]

2011年3月11日、羽生が住んでいた宮城県の海岸沖を震源とする巨大地震・東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生した。地震発生当時、羽生はアイスリンク仙台で練習中であり、揺れが収まると四つん這いでスケート靴を履いたまま外へ避難したという[22]。同リンクは壁が崩れるなどの損傷が起き、営業停止となった[23]:2[注 2]。仙台市の羽生の自宅も被害を受け、電気・ガス・水道などのライフラインが断たれたため、羽生と母と姉の3人は避難所で4日間生活した[25]。地震から10日後には、かつて師事した都築章一郎がいる東神奈川スケートリンク(現・横浜銀行アイスアリーナ)にて練習を再開した。4月1日には八戸市のテクノルアイスパーク新井田に移動し合宿を行い、それが終わると再び東神奈川に戻った[25][26]。4月9日、兵庫県で行われた復興支援アイスショー『東日本大震災チャリティー演技会 〜復興の街、神戸から〜』に参加した。その後も復興支援のアイスショーを練習の場にしながら全国を回り、7月下旬には営業を再開したアイスリンク仙台に拠点を戻した。羽生が10月までに出演したアイスショーは60公演にも及んだ[27]

2011–12シーズン:初の世界選手権メダル獲得

銅メダルを獲得した2012年世界選手権にて、金メダルのパトリック・チャン、銀メダルの髙橋大輔とともにメダルを掲げる羽生結弦。
2012年世界選手権銅メダル獲得。金のパトリック・チャン(中央)、銀の髙橋大輔(左)と。

2011–12シーズン、ショートプログラムはスクリャービンの「12の練習曲 作品8」より『悲愴』、フリースケーティングは映画『ロミオ+ジュリエット』のサウンドトラックを使用した。このシーズンから羽生はショートプログラムに4回転トウループを組み込み始めた。シーズン初戦の2011年ネーベルホルン杯では、シニアの国際大会初優勝を飾った[28]グランプリシリーズ1戦目の2011年中国杯では4位に終わるも[29]、2戦目の2011年ロステレコム杯では初のグランプリシリーズ優勝を飾り、シリーズ成績上位6人が出場するグランプリファイナルへの進出が決定した[30]2011年グランプリファイナルでは総合得点で自己ベストを更新したものの、表彰台に1.73点の僅差で届かず4位となった。その後の第80回全日本選手権では3位に入り、自身初の世界選手権代表に選ばれた。3月にフランスニースで行われた2012年世界選手権、大会前日の公式練習で右足首を捻挫し、そのまま挑んだショートプログラムでは7位と出遅れた[31]。フリースケーティングでは中盤のステップで転倒したものの、4回転トウループや2本の3回転アクセルを含むジャンプ8本を全て成功させ、自身初のメダルとなる銅メダルを獲得した。17歳3か月での世界選手権メダル獲得は日本男子史上最年少の記録となった。また、銀メダルの髙橋大輔とのダブル表彰台は日本男子フィギュアスケート界初の快挙であった[32]

2012年4月、バンクーバーオリンピック女子金メダリストのキム・ヨナを育てたブライアン・オーサーにコーチを変更し、5月からはカナダトロントにあるクリケット・クラブ英語版での練習をスタートさせた[33]

2012–13シーズン:全日本選手権初優勝

銅メダルを獲得した2012年グランプリファイナルの表彰式にて、金メダルの髙橋大輔、銅メダルのパトリック・チャンとともにメダルを掲げる羽生結弦の写真。
2012年グランプリファイナル銀メダル獲得。金の髙橋大輔(中央)、銅のパトリック・チャン(右)と。

2012–13シーズン、ショートプログラムはジェフリー・バトル振付の『パリの散歩道』、フリースケーティングはデヴィッド・ウィルソン振付の『ノートルダム・ド・パリ』でシーズンに臨んだ。フリースケーティングではトウループとサルコウの2本の4回転ジャンプを組み込み、ジャンプ8本中5本を演技後半に入れるという構成に挑戦した[34]。初戦の2012年フィンランディア杯では、フリースケーティングで4回転トウループと自身初となる4回転サルコウを成功させ、優勝を果たした。グランプリシリーズ1戦目の2012年スケートアメリカでは、ショートプログラムで世界最高得点となる95.07点をマークしたものの、フリースケーティングで崩れ、小塚崇彦に次ぐ2位となった[注 3]。2戦目の2012年NHK杯では再びショートプログラムで世界最高得点の95.32点をマークし、髙橋大輔を破って優勝を果たした。12月にソチで行われた2012年グランプリファイナルでは髙橋大輔に次ぐ初の銀メダルを獲得し[35]第81回全日本選手権では髙橋を破って初の優勝を果たした。

2月の2013年四大陸選手権ではショートプログラムで首位に立ったものの、フリースケーティングで順位を落とし総合2位となった。大会終了後はインフルエンザにかかり10日間氷に乗れず、練習を再開すると左膝を故障し、さらに7日間氷に乗れなかった。そこから1週間の調整で挑んだ3月の2013年世界選手権では、ショートプログラムで2つのジャンプミスを犯し、首位と22.43点差の9位と出遅れた。さらにフリースケーティングの公式練習中、1年前に痛めた右足首の捻挫が再発。羽生は痛み止めを飲んで出場することを決意した。フリースケーティングでは片方が回転不足となったものの、2本の4回転ジャンプを着氷させ3位となり、総合4位まで追い上げた。6位の髙橋大輔との順位合計は3枠獲得条件の「13」以下を満たす「10」となり、翌年のソチオリンピックの日本男子代表枠は最大の3枠となった。帰国後の検査の結果、左膝はジャンパー膝、右足首は慢性的な捻挫と診断され、4月に出場を予定していた国別対抗戦は欠場した。2013年4月、早稲田大学に進学した。

2013–14シーズン:ソチオリンピック金メダル

2014年ソチオリンピックのショートプログラム『パリの散歩道』で演技する羽生結弦
2014年ソチオリンピックで史上初の100点超えを果たしたショートプログラム『パリの散歩道』の演技

2013–14シーズン、ショートプログラムは『パリの散歩道』を継続し、フリースケーティングはニーノ・ロータ作曲の『ロミオとジュリエット』を選んだ。シーズン初戦のフィンランディア杯では自己ベストを更新し2連覇を達成[36]グランプリシリーズ1戦目の2013年スケートカナダでは、当時世界選手権3連覇中のパトリック・チャンに27.23点差で敗れ2位となる[37]。2戦目の2013年エリック・ボンパール杯では295.27点の世界最高得点を記録したパトリック・チャンに31.68点差をつけられ2位となった[38][39]2013年グランプリファイナルではショートプログラムで99.84点の世界最高得点、フリースケーティングで自己ベストを更新し、総合では世界歴代2位の293.25点でパトリック・チャンを破って初優勝を飾った[38][40]。この優勝は羽生にとってシニアの主要国際大会初のタイトルであった。第82回全日本選手権では2連覇を果たし、自身初となるオリンピック代表に選出された[41]

2014年ソチオリンピックでは、新設されたフィギュアスケート団体戦のショートプログラムに出場し、97.98点で1位となる[42]。個人戦・男子シングルのショートプログラムでは、史上初の100点超えとなる101.45点をマークし、首位に立った[43]。フリースケーティングでは冒頭の4回転サルコウで転倒し、3回転フリップで着氷が乱れたものの、総合得点では当時のオリンピック記録を上回る280.09点をマークした。その後、羽生と同じく金メダル候補のパトリック・チャンもミスを連発したため、羽生はショートプログラムから逃げきって首位を守り、男子シングルではアジア人初のオリンピック金メダルを獲得した[44][45]。19歳69日での金メダル獲得は1948年サンモリッツオリンピックでのディック・バトンの18歳202日に次ぐ史上2番目の年少記録であり、10代でのオリンピック制覇もバトン以来2人目であった[46][47]。さらに、オリンピック初出場での金メダル獲得はウルリッヒ・サルコウイリヤ・クーリックに次いで3人目、また平成生まれのオリンピック金メダルは夏季・冬季含めて日本史上初となった[48]

ソチオリンピックから1か月後、さいたま市で行われた2014年世界選手権では、ショートプログラムで3位と出遅れるも、フリースケーティングでほぼミスのない演技を見せ、2位の町田樹を0.33点の僅差でかわし、初優勝を果たした[49]。同一シーズン中にグランプリファイナル・オリンピック・世界選手権の全てを制覇するのは、男女シングルではアレクセイ・ヤグディン以来2人目の快挙であった。4月26日、羽生の地元・仙台市で凱旋祝賀パレードが行われ、全国から集まった約9万2000人の観衆から祝福を受けた。6月には13日から14日にかけて凱旋アイスショー公演『Together on Ice ~明日へつなぐ 氷上の共演~』を開催し、地元・仙台市に集まった観客の前で演技を披露した。

平昌オリンピックまでの4年間

2014–15シーズン:グランプリファイナル2連覇

2連覇を果たした2014年グランプリファイナルにて、銀メダルのハビエル・フェルナンデス、銅メダルのセルゲイ・ボロノフとともにメダルを掲げる羽生結弦。
2連覇を果たした2014年グランプリファイナル。銀のハビエル・フェルナンデス(左)、銅のセルゲイ・ボロノフ(右)と。

2014–15シーズン、ショートプログラムはショパンの『バラード第1番』、フリースケーティングはこのシーズンに解禁されたヴォーカル入りの『オペラ座の怪人』でシーズンに臨んだ。グランプリシリーズ1戦目の2014年中国杯フリースケーティング直前の6分間練習において、中国の閻涵と衝突する事故が起きた。現場ではアメリカの医師に応急処置を受け、脳震盪は起こしていないという診断のもと、出場を決めた。フリースケーティングでは5度の転倒があったものの、史上初となる3回転アクセル-1回転ループ-3回転サルコウのコンビネーションジャンプを成功させ、総合2位となった。演技後には会場で顎を7針、頭を3針縫い、試合翌日に帰国[50]。検査の結果、頭部挫創・下顎挫創・腹部挫傷・左大腿挫傷・右足関節捻挫で全治2週間から3週間と診断された[50]。次戦の2014年NHK杯は直前まで出場の可否を検討していたが、最終的には出場し4位となり、グランプリファイナルへ進出した。12月の2014年グランプリファイナルではフリースケーティングで2本の4回転ジャンプを成功させ自己ベストを更新し、日本男子史上初となる2連覇を達成した。

第83回全日本選手権では3連覇を果たしたものの、大会後にはグランプリシリーズ時から断続的に続いていた腹痛の検査のため、エキシビションを欠場して緊急入院した。検査の結果、尿膜管遺残症と診断され、12月30日に手術を受けた。術後は2週間の安静が必要とされたが、退院後には練習を再開。しかし、手術で腹部を切ったことで生じた違和感が原因で右足首を捻挫し、さらに2週間の休養が必要となった。世界選手権の出場も危ぶまれたものの、最終的には出場した。3月に上海で行われた2015年世界選手権では、ショートプログラムでシーズンベストを更新し首位に立った。しかし、フリースケーティングでは4回転ジャンプを2本とも失敗し、同門のハビエル・フェルナンデスに逆転され銀メダルとなった。大会後は手術痕に炎症を抱えていたが、4月の2015年世界国別対抗戦に初出場した。同大会ではショートプログラム・フリースケーティングともにミスを最小限に留め、日本チームの銅メダル獲得に貢献した。

2015–16シーズン:歴史的記録を樹立

2015年グランプリファイナルのショートプログラム『バラード第1番』で演技する羽生結弦
2015年グランプリファイナルのフリースケーティング『SEIMEI(せいめい)』で演技する羽生結弦
歴史的記録を樹立した2015年グランプリファイナルのショートプログラム『バラード第1番』(左)とフリースケーティング『SEIMEI』(右)

2015–16シーズン、ショートプログラムは『バラード第1番』を継続、フリースケーティングは映画『陰陽師』のサウンドトラックを使用し和のテイストを取り入れた『SEIMEIせいめい』でシーズンに臨んだ。シーズン初戦の2015年オータムクラシックで優勝。グランプリシリーズ1戦目の2015年スケートカナダではショートプログラムで2つのジャンプが規定違反の0点となり6位と出遅れたが、フリースケーティングで巻き返し、パトリック・チャンに次ぐ総合2位となった。大会後、羽生はジャンプの構成を変更し、ショートプログラムに2本の4回転ジャンプを組み込むことを決めた。シリーズ2戦目の2015年NHK杯では、ショートプログラムで完璧な演技を披露し、自身が持つ世界最高得点を塗り替える106.33点をマークした。フリースケーティングでも3本の4回転ジャンプを含むジャンプ8本を全て成功させ、史上初の200点超えとなる216.07点をマーク、総合得点でも史上初の300点超えとなる322.40点をマークし、優勝を果たした。さらに2週間後の2015年グランプリファイナルでは、ショートプログラム110.95点、フリースケーティング219.48点、総合330.43点と再び世界最高得点を更新し、2位以下に大会史上最大の37.48点差をつけ、3連覇を達成した。この試合で記録した総合得点330.43点は2018年のルール改正まで破られることのない歴史的記録となった[注 4]

快挙を達成したシーズン前半、羽生はトウループを跳ぶ際の左足の痛みに悩まされていた[51]第84回全日本選手権ではフリースケーティングのジャンプで2度転倒したものの4連覇を達成。その後も左足の痛みは悪化していき、一時は世界選手権の棄権まで考えるほどの状態になった[52]。2月末にトロントに戻って以降は身体のケアをしながらトウループを回避した練習を積み、世界選手権に臨んだ[53]。3月にボストンで行われた2016年世界選手権では、ショートプログラムで自己ベストに迫る110.56点で首位発進した。しかしフリースケーティングでは、4回転トウループから変更した後半の4回転サルコウで転倒し、ハビエル・フェルナンデスに逆転され2年連続の銀メダルとなった。試合後は左足リスフラン関節靭帯損傷で全治2か月と診断され、治療とリハビリに専念した[54]

2016–17シーズン:2度目の世界チャンピオンへ

2017年世界選手権の表彰式にて観客の声援に応える羽生結弦。
2度目の優勝を果たした2017年世界選手権

2016–17シーズン、ショートプログラムはプリンスの『レッツ・ゴー・クレイジー』、フリースケーティングは久石譲の音楽を使用した『Hope & Legacy(ホープ・アンド・レガシー)』でシーズンに臨んだ。このシーズン、羽生は当時まだ誰も成功させていなかった4回転ループに挑戦し、フリースケーティングではループを含む4本の4回転ジャンプを組み込むことを決めた。シーズン初戦の2016年オータムクラシックのショートプログラム冒頭、史上初となる4回転ループを成功させた。グランプリシリーズ1戦目の2016年スケートカナダではショートプログラムで4位と出遅れ、フリースケーティングで巻き返すもパトリック・チャンに敗れ2年連続の2位となった。2戦目の2016年NHK杯では、フリースケーティング後半の4回転サルコウで転倒したものの他のジャンプは成功させ、総合301.47点で優勝を果たした。2016年グランプリファイナルではショートプログラムでシーズンベストの106.53点をマーク。フリースケーティングでは後半の4回転サルコウなどミスが相次ぎ3位となったものの、総合では2位のネイサン・チェンを10点以上離し、男女を通して史上初となるグランプリファイナル4連覇を達成した。帰国後にインフルエンザと咽頭炎を併発し、回復が間に合わず全日本選手権は欠場した。

2月の2017年四大陸選手権では、ショートプログラムで4回転サルコウが2回転になるミスが出て3位発進。フリースケーティングでは演技後半の4回転サルコウ-3回転トウループが2回転-1回転となったが、終盤のコンビネーションジャンプを4回転トウループ-2回転トウループに急遽変更し、計4本の4回転ジャンプを成功させた。総合ではシーズンベストの303.71点を記録したものの、ネイサン・チェンに4点差で敗れ自身3度目の銀メダルを獲得した。3月にヘルシンキで行われた2017年世界選手権では、ショートプログラムで4回転サルコウの着氷が乱れ5位と出遅れる。フリースケーティングでは4回転ループや後半の4回転サルコウ-3回転トウループを含む4本の4回転を完璧に着氷し、世界最高得点となる223.20点をマークし、総合321.59点で自身2度目の優勝を果たした。また、2位の宇野昌磨とのワンツーフィニッシュは、日本男子初の快挙となった。4月の2017年国別対抗戦ではフリースケーティングで初めて5本の4回転ジャンプに挑戦し、3本を着氷させ日本チームの優勝に貢献した。

2017–18シーズン:オリンピック連覇・国民栄誉賞受賞

66年ぶりの連覇を達成した2018年平昌五輪にて、銀メダルの宇野昌磨(左)、銅メダルのハビエル・フェルナンデス(右)とともに写真に写る羽生結弦。
66年ぶりの連覇を達成した2018年平昌五輪にて。銀メダルの宇野昌磨(左)、銅メダルのハビエル・フェルナンデス(右)と。

2017–18シーズン、ショートプログラムを『バラード第1番』、フリースケーティングを『SEIMEIせいめい』に戻し、オリンピックシーズンに臨んだ。初戦の2017年オータムクラシックではショートプログラムで世界最高得点を更新。グランプリシリーズ1戦目の2017年ロステレコム杯では、フリースケーティングで自身初となる4回転ルッツを成功させ、優勝を果たした。しかし、2戦目のNHK杯の公式練習中、4回転ルッツで転倒した際に右足首の靭帯を負傷し、同大会を欠場。回復が間に合わず12月の全日本選手権も欠場したものの、シーズン中の成績が評価され、自身2度目となるオリンピック代表に選ばれた。

2018年平昌オリンピックでは団体戦に参加せず、個人戦・男子シングルのみ出場した。ショートプログラムでは、オータムクラシックで記録した自己ベストに肉薄する111.68点をマークし首位に立った。フリースケーティングでは演技後半の4回転トウループと3回転ルッツの着氷が乱れたものの、サルコウ2本・トウループ1本・計3本の4回転ジャンプを成功させ206.17点、総合で317.85点と2位以下を10点以上離し、男子シングルでは1952年大会ディック・バトン以来66年ぶりとなるオリンピック連覇を達成した。また、銀メダルを獲得した宇野昌磨とのダブル表彰台は日本男子初の快挙となった。帰国後、右足関節外側靱帯損傷・腓骨筋腱損傷で2週間の安静と3か月のリハビリを要するとの診断を受けたため、3月の世界選手権は欠場した。

4月13日、自身初プロデュースの凱旋アイスショー公演『Continues ~with Wings~コンティニューズ・ウィズ・ウィングス』を開催した。羽生は怪我の治療のため滑らずにトークのみで出演する予定だったが、公演初日に氷上練習を再開した旨を報告し、サプライズでジャンプなしの演技を披露した。4月22日には地元・仙台市で凱旋パレードが行われ、2014年のパレードを上回る約10万8000人の観衆が集まった。6月には個人では史上最年少となる国民栄誉賞を受賞し、当時の首相・安倍晋三から表彰状と盾を授与された。

北京オリンピックまでの4年間

2018–19シーズン:ルール改正

2018–2019シーズンのショートプログラム『秋によせて』
2018–2019シーズンのフリースケーティング『Origin』
ジョニー・ウィアーへのリスペクトを込めたショートプログラム『秋によせて』(左)とエフゲニー・プルシェンコへのリスペクトを込めたフリースケーティング『Origin』(右)

2018–19シーズン、フリースケーティングの演技時間が従来の4分30秒から4分に変更、フリースケーティングのジャンプの回数が8回から7回に変更、出来栄え点が7段階評価(マイナス3からプラス3)から11段階評価(マイナス5からプラス5)に変更されるなど、大幅なルール改正が行われた。これにより、2017–18シーズンまでの記録は歴史的記録として保存され、2018–19シーズン以降の記録は新たに新採点システム下での記録として扱われることとなった。男子シングルの歴史的記録はショートプログラム・フリースケーティング・総合得点ともに羽生が記録した得点である。

羽生はこのシーズン、敬愛するジョニー・ウィアーへのリスペクトを込めたショートプログラム『秋によせて』、幼少期からの憧れであったエフゲニー・プルシェンコのプログラム『ニジンスキーに捧ぐ』と同じ曲を使用したフリースケーティング『Origin』を用意し、「自分のために滑りたい」と原点回帰を新たな目標に挙げた。しかし、初戦のオータムクラシックでミスを連発すると悔しさをあらわにし、再び勝負に拘るようになった。グランプリシリーズ1戦目のヘルシンキ大会では、フリースケーティングで世界初となる4回転トウループ-3回転アクセルのジャンプシークエンスを成功させた。2戦目の2018年ロステレコム杯のフリースケーティング前日、公式練習中に右足首を負傷し、3週間の安静が必要と診断された。医師には棄権を勧められたが出場を決意し、日本男子最多となるグランプリシリーズ10勝目を達成した。大会後には3週間の安静と1か月のリハビリを要することが判明し、グランプリファイナルと全日本選手権は欠場した。

3月、さいたま市で行われた2019年世界選手権では、ショートプログラムで4回転サルコウが2回転となるミスで3位となる。フリースケーティングでは4回転ループを含む3本の4回転ジャンプを成功させ当時の世界最高得点を更新するも、その直後に滑ったショートプログラム首位のネイサン・チェンがさらに記録を更新したため、羽生は総合2位で銀メダル獲得となった。

2019–20シーズン:スーパースラム達成

スーパースラムを達成した2020年四大陸選手権。銀のジェイソン・ブラウン(左)、銅の鍵山優真(右)と。

2019–20シーズン、ショートプログラム・フリースケーティングともに前シーズンのプログラムを継続することを決めた。10月、初戦の2019年オータムクラシックで優勝。グランプリシリーズ1戦目の2019年スケートカナダでは、フリースケーティングにて2年ぶりに4回転ルッツを成功させたほか、世界初となる4回転トウループ-1回転オイラー-3回転フリップを成功させた。この大会ではショートプログラムで世界最高得点の109.60点、フリースケーティングで自己ベストの212.99点、総合でも自己ベストの322.59点を記録し、2位に59.82点の大差をつけ優勝を果たした。2戦目の2019年NHK杯では、ショートプログラムで109.34点をマーク、総合でも300点を超え、2位に55.03点差をつけ3年ぶり4度目の優勝を飾った。12月の2019年グランプリファイナルでは、ショートプログラムでコンビネーションジャンプが入らず、首位のネイサン・チェンに12.95点差をつけられ2位となる。フリースケーティングではルッツとループを含む自身最多の5本の4回転ジャンプを着氷したものの、最後に予定していた3回転アクセル-3回転アクセルのジャンプシークエンスが単独の1回転となるミスがあり、総合ではチェンに43点差をつけられ2位となった。

その後の第88回全日本選手権では、ショートプログラムで110.72点を記録し首位に立ったものの、フリースケーティングではジャンプのミスがあり3位、総合では宇野昌磨に初めて敗れ2位となった。2月の四大陸選手権を前に、ショートプログラムを『バラード第1番』、フリースケーティングを『SEIMEIせいめい』に戻すことを決める。2020年四大陸選手権では、ショートプログラムで世界最高得点の111.82点をマーク、フリースケーティングでは4回転トウループで転倒するミスが出たものの187.60点を記録し、総合299.42点で初優勝を果たした。これにより羽生は、オリンピックを含む主要国際大会6大会を全て制し、男子シングル史上初のスーパースラムを達成した。3月の世界選手権は新型コロナウイルス流行の影響で中止となった。

2020–21シーズン:7度目の世界選手権メダル獲得

2020–21シーズン、コロナ禍で海外への渡航が制限されたため、羽生はコーチ不在の中、1人で地元・仙台で練習を続けた。7月、国際スケート連盟が新設したISUスケーティングアワードで初代・最優秀選手賞を受賞した。8月には、自身が動くことによって人が密集し感染リスクが高まると考え、グランプリシリーズを欠場することを発表した。12月の全日本選手権も出場を迷っていたものの、世界選手権への代表権を得るため出場を決意した。第89回全日本選手権ではショートプログラム・フリースケーティングともに新プログラムを披露し、総合319.36点で圧巻の優勝を飾った。ストックホルムで行われた2021年世界選手権ではショートプログラムで106.98点をマークし首位発進。フリースケーティングでは体調不良の中182.20点をマークし、自身7度目の世界選手権のメダルとなる銅メダルを獲得した。2021年国別対抗戦ではショートプログラム・フリースケーティングともに2位となり、日本チームの銅メダル獲得に貢献した。

2021–22シーズン:4回転アクセルへの挑戦

2021–22シーズン、右足関節靭帯損傷によりグランプリシリーズを欠場した。前シーズンと同様、全日本選手権がシーズン初戦となった。12月の第90回全日本選手権では新ショートプログラム『序奏とロンド・カプリチオーソ』を披露し、111.31点で首位に立った。演技構成点の「音楽の解釈」の項目では自身初となる10点満点を獲得した。フリースケーティングでは冒頭4回転アクセルに初挑戦し、ダウングレード(2分の1回転以上の回転不足)で両足着氷となったものの、他のジャンプは全て成功させ、211.05点をマークした。結果は総合322.36点で自身6度目の全日本選手権優勝を果たし、自身3度目となるオリンピック代表に内定した。

2月に行われた2022年北京オリンピックでは個人戦・男子シングルに出場した。ショートプログラムでは、冒頭の4回転サルコウを踏み切った瞬間にエッジがリンクの穴にはまり、1回転に抜けてしまう。他のジャンプは成功させたものの、95.15点で8位と出遅れた。フリースケーティング前日の公式練習中、4回転アクセルを着氷した瞬間に右足首を捻挫してしまう。フリースケーティングには痛み止めを飲んで出場した。フリースケーティングでは冒頭の4回転アクセルと4回転サルコウで転倒したものの、残りのジャンプは成功させ188.06点で3位、総合283.21点で総合4位まで順位を上げた。今大会で羽生が跳んだ4回転アクセルはアンダーローテーション(4分の1回転以上2分の1回転未満の回転不足)と判定された。当時の国際大会での4回転アクセルの挑戦はダウングレード(2分の1回転以上の回転不足)しか記録されていなかったため、この大会での羽生の挑戦はそれまでの挑戦の中で最も回ったジャンプとなった[注 5]。今大会で負傷した右足首の捻挫が完治していないため、3月の世界選手権は欠場した。

プロ転向

2022年7月19日、自らが「決意表明」と題して開いた記者会見にて、プロスケーターへの転向を発表した。会見の中で羽生は、プロのアスリートとして4回転アクセルを含めた自分の理想のスケートを追究していくことを誓った。8月7日、自身のYouTubeチャンネル「HANYU YUZURU」を開設し、8月10日には「SharePracticeしぇあぷらくてぃす」と題した自身の練習風景をライブ配信した。同配信では38社・計88人の報道陣が集まり、平日の昼間であったにもかかわらず、世界中で10万人以上が視聴した。9月30日、公式TwitterInstagramアカウントを開設した。

2022年11月、フィギュアスケート史上初の単独アイスショー公演『プロローグ』を開催した。自身が企画・構成を担当し、演出はPerfumeの振付で知られるMIKIKOが担当した。『プロローグ』は2022年11月4日・5日に横浜市ぴあアリーナMMにて、12月2日・3日・5日に八戸市フラット八戸にて、計5公演が行われた。2023年2月26日にはフィギュアスケーター史上初の東京ドーム公演『GIFTぎふと』を開催し、3万5000人の前で2時間半の公演を1人で滑り切った。同公演は国内外でライブビューイングが実施され計3万人を動員したほか、動画配信サービスDisney+でも生配信された。3月には地元・宮城で東日本大震災をテーマにした『notte stellataのってすてらーた』を開催した。2023年11月から2024年2月にかけて、フィギュアスケーター史上初の単独公演ツアーとなる『RE_PRAYりぷれい』を開催した。

競技以外の活動

アイスショー

単独公演

座長公演・凱旋公演

出演したアイスショー

以下のアイスショーに出演している。

YouTubeでの動画投稿

2022年のプロ転向後、動画共有プラットフォームYouTubeにて公式チャンネル「HANYU YUZURU」を開設し、フィギュアスケートの演技動画を投稿している[69]。撮影、編集なども全て自らが担当し、過去のプログラムに加え、著作権の関係上から「もっぴーさうんど」[注 6]のフリー音源を使用した新たなプログラムを披露している[69]。以下はYouTube限定で披露されたプログラムの一覧である。

YouTube限定で披露されたプログラム一覧(年代順)
プログラム 動画リンク 出典
2022
夢見る憧憬
  • 作曲:もっぴーさうんど
  • 振付:羽生結弦
3. プロローグ [71]
Hanyu Yuzuru –『サザンカ』(Sekai no Owari) [72]
2023
Yuzuru Hanyu –『僕のこと』(Mrs. Green Apple) [73]
Goliath
  • 作曲:もっぴーさうんど
  • 振付:羽生結弦
5-1 .『Goliath』for『→RE_PRAY←』 [69]
アクアの旅路
  • 作曲:もっぴーさうんど
  • 振付:羽生結弦
5-2 .『アクアの旅路』for『→RE_PRAY←』 [69]

慈善活動

寄付・啓発活動

2015年グランプリファイナルのエキシビジョンにて、東日本大震災への思いを込めたプログラム『天と地のレクイエム』を滑る羽生結弦
東日本大震災への思いを込めたプログラム『天と地のレクイエム』の演技[74]

2011年の東日本大震災で被災した経験から、多くの寄付活動・啓発活動を行っている。2011年4月9日に、兵庫県で行われた復興支援アイスショーに参加した[25]。このアイスショーでは募金やオークションなどで1300万円を超える額が集まった[25]。羽生は震災以降、東日本大震災雇用・教育・健康支援機構が被災者支援の寄付を訴えるためのポスターに無償で参加している[75]。2014年、日本スケート連盟日本オリンピック委員会から受け取ったソチオリンピック金メダルの報酬金約600万円を被災地やスケートリンクへ寄付[76]。2018年にも平昌オリンピック金メダルの報酬金1000万円を宮城県と仙台市へ寄付した。また、自叙伝『蒼い炎』シリーズの印税は、被災したホームリンクであるアイスリンク仙台に寄付しており[77]、2023年までに総額8733万406円を同リンクに寄付している[78]

2014年9月、内閣府の津波防災大使に任命され、11月5日の「津波防災の日」に仙台市内で行われるシンポジウムにメッセージを寄せるなどの啓発活動を行った[79]。2015年2月には日本赤十字社の東日本大震災復興支援事業メッセンジャーに起用された[80]。2016年の熊本地震の際には、スポンサーのファイテンを通じて飲料水を被災地に届けた[81]。2016年、2018年、2019年にはインターネットの東日本大震災チャリティーオークションにスケート靴を出品し、2016年は340万円、2018年は850万円、2019年は712万円で落札された[82][83]。落札金は被災地の支援に充てられている[82]。また、2019年にはLINEとのコラボスタンプ「羽生結弦 3.11 SMILEスタンプ」を販売し、売上金は日本財団が設置する「災害復興支援特別基金」に全額寄付された[84][85]。2020年12月から2021年10月にかけて、震災から10年を迎えるにあたり、羽生自身の被災経験や被災地で出会った人々の思いや状況などを伝える展覧会「羽生結弦展 共に、前へ」が開催された[86]。この展覧会は東京・福岡・宮城・大阪・宮崎で行われ、震災への思いを込めたプログラム『天と地のレクイエム』の衣装など約80点が展示された[86][87]

読売新聞の協力により、2018年・2020年(オンライン開催)・2022年に「羽生結弦展」が開催されている。この展覧会では羽生の写真や衣装、メダルなどが展示されており、グッズの売上金は様々な場面で寄付されている。2018年には東日本大震災などの被災者支援に4278万円、2020年には「全国コロナ医療福祉支援基金」に2780万4540円を寄付した[88]。2022年には読売光と愛の事業団に8593万5835円を寄付し、同事業団は災害が起こった際の支援金として使う意向であることを発表した[88]。2023年2月、読売光と愛の事業団への寄付で積み立てた災害救済基金から、1000万円をトルコ・シリア地震の支援に充てることを発表[89]。2024年の1月には基金から1000万円を能登半島地震の被災地・石川県に寄付することを発表した[90]

テレビでの慈善活動

2014年から2022年にかけて、日本テレビのチャリティー番組『24時間テレビ』に出演した。2014年には『羽生結弦 被災地への思いを胸に 一夜限りのアイスショー』と題し、2011–12シーズンのフリープログラム『ロミオ+ジュリエット』を披露[91]。2015年は東日本大震災の被災地である福島県から100人の観客を招待し、エキシビションプログラム『天と地のレクイエム』と『花になれ』を披露した[92]。また、この年は「チャリTシャツ」の15個の笑顔マークのうち1つをデザインした[93]。2016年は熊本地震で被災した少女たちとくまモンとのコラボレーション『星に願いを』と『ホワイト・レジェンド』を披露[94]。2017年は自身と同じ小児ぜんそくの少年にスケートを指導し、喘息の子供たちにエールを送るアイスショーでは郷ひろみとのコラボレーション『言えないよ』を披露した[95][96]。2018年はホームリンクであるアイスリンク仙台にてエキシビションナンバー『ノッテ・ステラータ』を披露した[97]

2022年12月28日、日本テレビの報道番組『news every.』のスペシャルメッセンジャーに就任した[98]。「羽生結弦 伝えたい、思い」というコンセプトで、震災や災害の被災地で人々と交流し、人々の思いを伝えていくという役割を担う[98]。2023年3月13日、原発事故の影響で避難区域に指定されていた福島県富岡町を訪問し、4月1日に避難指示の解除が決まった地区に自宅がある男性を取材した[99]。7月5日、令和2年7月豪雨の被災地である熊本県人吉市球磨村を訪れ、洪水で自宅が流された人々を取材した[100]。12月14日には災害救助訓練の現場を取材し、訓練や救助を受ける側の体験を行った[101]

その他の活動

2023年6月27日、「グッチ銀座 ギャラリー」のオープニングを祝し、「YUZURU HANYU: A JOURNEY BEYOND DREAMS featured by ELLE」が開催された。この展覧会では、ファッション誌『エル・ジャポン』にて掲載された、イタリアのファッションブランド・グッチを纏った羽生の写真が展示され、撮影のメイキング映像も公開された。

評価・影響

人気と経済効果

2018年4月、平昌オリンピック金メダルを記念して仙台市で凱旋祝賀パレードが行われた。来場者数は10万8000人を超え、パレードの経済効果は18億円にも上った[102]

プロスケーターに転向した2022年以降、羽生は『プロローグ』や『GIFT』など数々のアイスショーをプロデュースし、CMや広告への起用、書籍・雑誌・写真集の発売なども経済に大きな影響を与えた。山口大学経済学部の加藤真也准教授の算出によると、羽生のプロ転向後1年間における経済効果は約176億円にも及んだという[103]

脚注

注釈

  1. ^ 現在のアイスリンク仙台。1988年にオレンジワン泉としてオープンし、1998年に泉DOSCアイスアリーナに改称、2002年にはコナミスポーツに譲渡されコナミスポーツクラブ泉・スケートリンクになった。経営難により2004年12月に閉鎖されたが、2007年3月にアイスリンク仙台として営業を再開した。
  2. ^ 当初は大きな破損は無かったが、4月に起きた余震の影響で製氷管が潰れるなど大きな被害を受けた[24]。さらに電力供給体制が逼迫するなど問題もあったが、7月24日に営業を再開した[23]:2
  3. ^ この大会では小塚崇彦が優勝、町田樹が3位に入り、表彰台を日本選手が独占した。
  4. ^ 2018–19シーズンに施行されたルール改正の影響で、2017–18シーズンまでの競技記録は歴史的記録として保存されることになった。このルール改正では出来栄え点が7段階評価から11段階評価に変更されたほか、フリースケーティングの演技時間が4分30秒から4分に、フリースケーティングのジャンプの本数が8本から7本に変更された。
  5. ^ ダウングレードと判定された場合、元のジャンプより1回転少ないジャンプの基礎点が使用される。アンダーローテーションと判定された場合、元の基礎点の80パーセントの点数が適用されるため、今大会の羽生の挑戦では4回転アクセルの基礎点が初めて計算に使われた挑戦となった。マスメディアは「4回転アクセルの基礎点が初めて使用された」という事実を「認定」という言葉で報じた。
  6. ^ インターネット上でフリーBGMなどの音源を販売しているサウンドクリエイター[70]

出典

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参考文献