コンテンツにスキップ

「ニコラス・ペタス」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Bcxfubot (会話) による ID:92708406 の版を取り消し
タグ: 取り消し
「テレビ その他」を修正。
 
(9人の利用者による、間の9版が非表示)
1行目: 1行目:
{{存命人物の出典明記|date=2023-1}}
{{Kickboxing statsbox
{{Kickboxing statsbox
|name=ニコラス・ペタス
|name=ニコラス・ペタス
21行目: 22行目:
|}}
|}}


'''ニコラス・ペタス'''('''Nicholas Pettas'''、[[1973年]][[1月23日]] - )は、[[デンマーク]]の男性[[空手道|空手家]]、[[キックボクサー]]、[[俳優]]。[[ギリシャ]]・[[ミコノス島]]出身。[[日本]][[東京都]]在住。Reebok マスタートレーナー。芸能プロダクション[[エクセリング]]。既婚。
'''ニコラス・ペタス'''('''Nicholas Pettas'''、[[1973年]][[1月23日]] - )は、[[デンマーク]]の男性[[空手道|空手家]]、[[キックボクサー]]、[[俳優]]。[[ギリシャ]]・[[ミコノス島]]出身。[[日本]][[東京都]]在住。[[リーボック]] マスタートレーナー。芸能プロダクション[[エクセリング]]。既婚。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
1973年1月23日生まれ。[[ギリシャ]]の[[ミコノス島]]で[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[国籍]]の[[ギリシャ人]]の父と、[[デンマーク人]]の母の間に生まれる。3歳の時に父親が他界した為、母親の故郷である[[デンマーク]]に移住した。[[1988年]]、[[極真会館]]デンマーク支部への入門を経て、[[1991年]]に東京[[池袋]]の極真会館本部道場の[[若獅子寮]]に入寮し、[[内弟子]]となる。ペタスが卒業した一ヶ月後に大山総裁が亡くなり、「[[大山倍達]]最後の内弟子」は、ペタスの[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]にもなった。
1973年1月23日生まれ。[[ギリシャ]]の[[ミコノス島]]で[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[国籍]]の[[ギリシャ人]]の父と、[[デンマーク人]]の母の間に生まれる。3歳の時に父親が他界した為、母親の故郷である[[デンマーク]]に移住した。[[1988年]]、[[極真会館]]デンマーク支部への入門を経て、[[1991年]]に東京[[池袋]]の極真会館本部道場の[[若獅子寮]]に入寮し、[[内弟子]]となる。ペタスが卒業した一ヶ月後に大山総裁が亡くなり、「[[大山倍達]]最後の内弟子」は、ペタスの[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]にもなった。[[日本語]]、[[英語]]も非常に上手く、現在も通訳無しで受け答えができる


* [[1998年]]より[[K-1]]に参戦し、[[2001年]]に行われたK-1 JAPAN GP 2001に出場し、決勝戦では[[武蔵 (格闘家)|武蔵]]を破り、日本王者となった。
* [[1998年]]より[[K-1]]に参戦し、[[2001年]]に行われたK-1 JAPAN GP 2001に出場し、決勝戦では[[武蔵 (格闘家)|武蔵]]を破り、日本王者となった。
* [[2001年]]12月8日、K-1 WORLD GP 2001の決勝大会で、[[アレクセイ・イグナショフ]]と対戦。2R、イグナショフの[[首相撲]]からの膝蹴りが顔面に直撃し[[鼻骨]]を骨折、TKO負け。
* [[2001年]]12月8日、K-1 WORLD GP 2001の決勝大会で、[[アレクセイ・イグナショフ]]と対戦。2R、イグナショフの[[首相撲]]からの膝蹴りが顔面に直撃し[[鼻骨]]を骨折、TKO負け。
* [[2002年]]6月2日、[[富山市総合体育館]]で開催された[[セルゲイ・グール]]との試合で、善戦していたものの、2R47秒で右[[ローキック]]を繰り出したところ、グールが一瞬遅れてローキックを操り出し、グールの膝の部分にペタスの脛が当たるアクシデントで右脛を骨折<ref>{{Cite web |url=https://gonkaku.jp/articles/4074|title=【2002年6月の格闘技】蹴ったニコラス・ペタスのスネが「折れた!」|publisher= ゴング格闘技|date=2020-06-15|accessdate=2022-07-25}}</ref>、長期欠場を余儀なくされる。さらに、本人の了承なしに[[極真会館松井派|極真会館]]の記者会見で事実上の引退状態に追い込まれていたが、[[2005年]]10月9日にオランダで[[ムエタイ]]ルールの試合を行い(2RにTKO勝利)、約3年ぶりに現役復帰を果たした。
* [[2002年]]6月2日、[[富山市総合体育館]]で開催された[[セルゲイ・グール]]との試合で、善戦していたものの、2R47秒で右[[ローキック]]を繰り出したところ、グールが一瞬遅れてローキックを操り出し、グールの膝の部分にペタスの脛が当たるアクシデントで右脛を骨折<ref>{{Cite web|和書|url=https://gonkaku.jp/articles/4074|title=【2002年6月の格闘技】蹴ったニコラス・ペタスのスネが「折れた!」|publisher= ゴング格闘技|date=2020-06-15|accessdate=2022-07-25}}</ref>、長期欠場を余儀なくされる。さらに、本人の了承なしに[[極真会館松井派|極真会館]]の記者会見で事実上の引退状態に追い込まれていたが、[[2005年]]10月9日にオランダで[[ムエタイ]]ルールの試合を行い(2RにTKO勝利)、約3年ぶりに現役復帰を果たした。
* [[2006年]]
* [[2006年]]
** 3月18日、XPLOSION SUPER FIGHT 13のセミファイナルで[[マット・サモア]]と対戦予定であったが、興行の途中で観客が発砲する騒ぎが発生し、試合は中止となった<ref>[http://www.boutreview.com/data/reports05/060318xplosion13.html XPLOSION SUPER FIGHT 13] BoutReview 2006年3月28日</ref>。
** 3月18日、XPLOSION SUPER FIGHT 13のセミファイナルで[[マット・サモア]]と対戦予定であったが、興行の途中で観客が発砲する騒ぎが発生し、試合は中止となった<ref>[http://www.boutreview.com/data/reports05/060318xplosion13.html XPLOSION SUPER FIGHT 13] BoutReview 2006年3月28日</ref>。
** 12月31日、[[K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!]]にて[[バダ・ハリ]]と対戦。実に4年振りとなるK-1出場であったが、1R中盤にバダのキックで左腕を痛めてしまい、2Rにバダのボディブローを負傷している左腕に受けてしまい、ダウンを取られ、セコンドタオル投入、敗北した。またしても左腕の骨折というアクシデントを負った。
** 12月31日、[[K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!]]にて[[バダ・ハリ]]と対戦。実に4年振りとなるK-1出場であったが、1R中盤にバダのキックで左腕を痛めてしまい、2Rにバダの右ハイキックを負傷している左腕に受けてしまい、セコンドタオル投入によるTKO負け。検査の結果、またしても左腕の骨折というアクシデントを負った。
* [[2007年]]
* [[2007年]]
** 8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGにて[[ピーター・アーツ]]と対戦。序盤にはフックの連打で、アーツをロープ際に棒立ちにさせたチャンスもあったが、最後はアーツの右[[ハイキック]]でKO負け。
** 8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGにて[[ピーター・アーツ]]と対戦。序盤にはフックの連打で、アーツをロープ際に棒立ちにさせたチャンスもあったが、最後はアーツの右[[ハイキック]]でKO負け。
** 11月9日にジム開きされた「A・E FACTORY」の打撃担当コーチに就任<ref>[http://gbring.com/sokuho/news/2007_11/1109_news.htm 【ニュース】ニコラス・ペタスと小路晃がタッグ結成!「強い日本人選手を作り上げる」] 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年11月12日</ref>。
** 11月9日にジム開きされた「A・E FACTORY」の打撃担当コーチに就任<ref>[http://gbring.com/sokuho/news/2007_11/1109_news.htm 【ニュース】ニコラス・ペタスと小路晃がタッグ結成!「強い日本人選手を作り上げる」] 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年11月12日</ref>。
** 12月31日、「[[K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!]]」で[[キム・ヨンヒョン]]と対戦。身長2mを越す長身の相手の圧力に押し込まれる部分もあったが、右ローキックを相手左腿に集め、2RにKO勝ちした。入場時には[[綾戸智恵]]の生歌で入場した。
** 12月31日、「[[K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!]]」で[[キム・ヨンヒョン]]と対戦。身長2mを越す長身の相手の圧力に押し込まれる部分もあったが、試合前にも「フットワークで対抗する」と宣言したプレイで<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20071230-301468.html|title=ペタスが急きょ出場決定も巨漢狩りを宣言|publisher=日刊スポーツ|date=2007-12-30|accessdate=2023-06-28}}</ref>右ローキックを相手左腿に集め、2RにKO勝ちした。入場時には[[綾戸智恵]]の生歌で入場した。
* [[2008年]]
* [[2008年]]
** 2月29日、[[クラブファイト]]イベント「SMOKER's」をプロデュース。ペタス率いる「チーム・ペタス」と、[[阿部裕幸]]率いる「[[AACC|AACC Tigres]]」の対抗戦が行われた。
** 2月29日、[[クラブファイト]]イベント「SMOKER's」をプロデュース。ペタス率いる「チーム・ペタス」と、[[阿部裕幸]]率いる「[[AACC|AACC Tigres]]」の対抗戦が行われた。
** 8月9日、[[K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAII]]の1回戦で[[リック・チーク]]と対戦するも、右太腿内側の筋肉を負傷し、試合放棄した。
** 8月9日、[[K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAII]]の1回戦で[[リック・チーク]]と対戦するも、右太腿内側の筋肉を負傷し、試合放棄した。
* [[2010年]]、フィットネスブランド「[[リーボック]]」のマスタートレーナーとなり、「[[クロスフィット]]」のトレーナー活動を開始する。
* [[2010年]]、映画「エクレール」に出演。
* [[2011年]]2月、「現代狂言V」[[南原清隆]]、[[野村萬斎]]の現代狂言シリーズで山田まりやとゲスト出演。
* [[2011年]]2月、「現代狂言V」[[南原清隆]]、[[野村萬斎]]の現代狂言シリーズで山田まりやとゲスト出演。
* 2023年現在、「クロスフィット西麻布」のオーナーを務めている<ref>{{Cite web |title=CrossFit Nishi Azabu {{!}} Coaches |url=https://www.crossfitnishiazabu.com/coaches/ |website=www.crossfitnishiazabu.com |access-date=2023-06-02}}</ref>。


== 戦績 ==
== 戦績 ==
76行目: 78行目:
== 獲得タイトル ==
== 獲得タイトル ==
* [[K-1]] ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜 優勝(2001年)
* [[K-1]] ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜 優勝(2001年)

== エピソード ==
* 非常に流暢な[[日本語]]を話す。前述の右脛骨折の際には「折れた折れた!」と日本語で連呼していた。
* 格闘技のほか、俳優としても活躍しており、2008年6月9日放送の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のドラマ『[[CHANGE (テレビドラマ)|CHANGE]]』第5話にゲスト出演した。
* サッカー選手[[中田英寿]]のボディガードになったこともあった。
* 趣味は[[オートバイ]]。愛車は[[ハーレーダビッドソン・ソフテイル]](FXSTDソフテイル・デュース 現在は売却済み)、[[スズキ・GSX1300Rハヤブサ]]、[[カワサキ・ZZR1400]](ハーレーダビッドソン・ソフテイルを売却後に購入)。
* ヘビー級相手には黒星が多かったが、自分と近い重量相手には無類の強さを誇り、武蔵や藤本祐介から勝利をおさめ、先述のセルゲイ戦は事故で負けてしまったものの、 それまでは善戦していた。


== 出演作品 ==
== 出演作品 ==
104行目: 99行目:


=== テレビ その他 ===
=== テレビ その他 ===
* [[SASUKE]] (TBS) - 第6回大会(ゼッケン92)
* [[run for money 逃走中]] (2004年10月2日、フジテレビ系) 外国人としての初参戦
* [[最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦]] (TBS) - 第6・7回プロ大会総合7位、第6回プロ大会POWER FORCE No.1
* [[ホムカミ〜ニッポン大好き外国人 世界の村に里帰り〜]] (2014年2月、TBS系) - “一万日修行”を達成し、[[デンマーク]]・[[コペンハーゲン]]に里帰り<ref>[http://dogatch.jp/news/tbs/22549 空手を始めて1万日!元K-1選手ニコラス・ペタスがデンマークへ里帰り!『ホムカミ』] - [[テレビドガッチ]] 2014年01月31日{{リンク切れ|date=2021年1月}}</ref>
* [[run for money 逃走中]] (2004年10月2日、フジテレビ系) - 外国人としての初参戦
* [[ホムカミ〜ニッポン大好き外国人 世界の村に里帰り〜]] (2014年2月、TBS系) - “一万日修行”を達成し、[[デンマーク]]・[[コペンハーゲン]]に里帰り<ref>[https://web.archive.org/web/20140203014658/http://dogatch.jp/news/tbs/22549 空手を始めて1万日!元K-1選手ニコラス・ペタスがデンマークへ里帰り!『ホムカミ』] - [[テレビドガッチ]] 2014年01月31日{{リンク切れ|date=2021年1月}}</ref>
* [[クイズ!脳ベルSHOW]](2021年4月14日、[[BSフジ]])
* [[クイズ!脳ベルSHOW]](2021年4月14日、[[BSフジ]])


120行目: 117行目:
* {{twitter|Pettas_Nicholas|Nicholas Pettas}}
* {{twitter|Pettas_Nicholas|Nicholas Pettas}}
* {{facebook|nicholaspettas|Nicholas Pettas}}
* {{facebook|nicholaspettas|Nicholas Pettas}}
* {{Instagram|nicholaspettas_|Nicholas Pettas}}
* [https://www.youtube.com/c/JunkFoodJapan Junk Food Japan](@JunkFoodJapan)- [[YouTube]]


{{DEFAULTSORT:へたす にこらす}}
{{DEFAULTSORT:へたす にこらす}}
132行目: 131行目:
[[Category:ギリシャ系デンマーク人]]
[[Category:ギリシャ系デンマーク人]]
[[Category:アメリカ系デンマーク人]]
[[Category:アメリカ系デンマーク人]]
[[Category:デンマークに帰化した]]
[[Category:帰化デンマーク人のスポーツ選手]]
[[Category:在日デンマーク人]]
[[Category:在日デンマーク人]]
[[Category:1973年生]]
[[Category:1973年生]]

2024年3月10日 (日) 08:59時点における最新版

ニコラス・ペタス
基本情報
本名 ニコラス・ペタス
通称 青い目のサムライ
階級 ヘビー級K-1
身長 180cm
体重 105kg
国籍  デンマーク
誕生日 (1973-01-23) 1973年1月23日(51歳)
出身地 ギリシャの旗 ギリシャ
ミコノス島
スタイル 極真空手
テンプレートを表示

ニコラス・ペタスNicholas Pettas1973年1月23日 - )は、デンマークの男性空手家キックボクサー俳優ギリシャミコノス島出身。日本東京都在住。リーボック マスタートレーナー。芸能プロダクションエクセリング。既婚。

来歴

[編集]

1973年1月23日生まれ。ギリシャミコノス島アメリカ国籍ギリシャ人の父と、デンマーク人の母の間に生まれる。3歳の時に父親が他界した為、母親の故郷であるデンマークに移住した。1988年極真会館デンマーク支部への入門を経て、1991年に東京池袋の極真会館本部道場の若獅子寮に入寮し、内弟子となる。ペタスが卒業した一ヶ月後に大山総裁が亡くなり、「大山倍達最後の内弟子」は、ペタスのキャッチフレーズにもなった。日本語英語も非常に上手く、現在も通訳無しで受け答えができる。

  • 1998年よりK-1に参戦し、2001年に行われたK-1 JAPAN GP 2001に出場し、決勝戦では武蔵を破り、日本王者となった。
  • 2001年12月8日、K-1 WORLD GP 2001の決勝大会で、アレクセイ・イグナショフと対戦。2R、イグナショフの首相撲からの膝蹴りが顔面に直撃し鼻骨を骨折、TKO負け。
  • 2002年6月2日、富山市総合体育館で開催されたセルゲイ・グールとの試合で、善戦していたものの、2R47秒で右ローキックを繰り出したところ、グールが一瞬遅れてローキックを操り出し、グールの膝の部分にペタスの脛が当たるアクシデントで右脛を骨折[1]、長期欠場を余儀なくされる。さらに、本人の了承なしに極真会館の記者会見で事実上の引退状態に追い込まれていたが、2005年10月9日にオランダでムエタイルールの試合を行い(2RにTKO勝利)、約3年ぶりに現役復帰を果たした。
  • 2006年
    • 3月18日、XPLOSION SUPER FIGHT 13のセミファイナルでマット・サモアと対戦予定であったが、興行の途中で観客が発砲する騒ぎが発生し、試合は中止となった[2]
    • 12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!にてバダ・ハリと対戦。実に4年振りとなるK-1出場であったが、1R中盤にバダのキックで左腕を痛めてしまい、2Rにバダの右ハイキックを負傷している左腕に受けてしまい、セコンドのタオル投入によるTKO負け。検査の結果、またしても左腕の骨折というアクシデントを負った。
  • 2007年
    • 8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGにてピーター・アーツと対戦。序盤にはフックの連打で、アーツをロープ際に棒立ちにさせたチャンスもあったが、最後はアーツの右ハイキックでKO負け。
    • 11月9日にジム開きされた「A・E FACTORY」の打撃担当コーチに就任[3]
    • 12月31日、「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」でキム・ヨンヒョンと対戦。身長2mを越す長身の相手の圧力に押し込まれる部分もあったが、試合前にも「フットワークで対抗する」と宣言したプレイで[4]右ローキックを相手左腿に集め、2RにKO勝ちした。入場時には綾戸智恵の生歌で入場した。
  • 2008年
  • 2010年、フィットネスブランド「リーボック」のマスタートレーナーとなり、「クロスフィット」のトレーナー活動を開始する。
  • 2011年2月、「現代狂言V」南原清隆野村萬斎の現代狂言シリーズで山田まりやとゲスト出演。
  • 2023年現在、「クロスフィット西麻布」のオーナーを務めている[5]

戦績

[編集]

キックボクシング

[編集]
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× リック・チーク 1R 1:15 TKO(試合放棄:右太腿負傷) K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAII
【USA GP 1回戦】
2008年8月9日
キム・ヨンヒョン 2R 0:41 TKO(タオル投入) K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 2007年12月31日
× ピーター・アーツ 2R 2:34 KO(右ハイキック) K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG 2007年8月5日
× バダ・ハリ 2R 1:28 TKO(タオル投入) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
恩田剛徳 2R 1:00 TKO(タオル投入) HEAT 2nd 2006年9月23日
エリック・ノサ 3R KO(パンチ連打) XPLOSION SUPER FIGHT 14 2006年8月18日
グーカン・サキ 2R終了時 TKO(右足首負傷) BUSHIDO Europe - ROTTERDAM RUMBLE
【ムエタイルール】
2005年10月9日
× セルゲイ・グール 2R 1:00 TKO(ドクターストップ、右脛骨折) K-1 SURVIVAL 2002 〜富山初上陸〜 2002年6月2日
× ピーター・アーツ 1R 2:50 KO(膝蹴り) K-1 BURNING 2002 〜広島初上陸〜 2002年4月21日
× アレクセイ・イグナショフ 2R 1:21 TKO(鼻骨骨折) K-1 WORLD GP 2001 決勝戦
【準々決勝】
2001年12月8日
武蔵 3R+延長R終了 判定3-0 K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【K-1 JAPAN GP 決勝】
2001年8月19日
ノブ・ハヤシ 1R 1:26 KO(右ローキック) K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【K-1 JAPAN GP 準決勝】
2001年8月19日
藤本祐介 1R 2:57 KO(右ローキック) K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【K-1 JAPAN GP 準々決勝】
2001年8月19日
ピーター・ヴァルガ 3R 1:39 KO(右ローキック) K-1 GLADIATORS 2001 2001年3月17日
× マイケル・マクドナルド 5R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA 2000年10月9日
× ジェロム・レ・バンナ 1R 3:00 KO(2ノックダウン:右フック) K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA
【準決勝】
2000年7月30日
リッキー・ニッケルソン 1R 1:27 KO(右ローキック) K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA
【1回戦】
2000年7月30日
× 野地竜太 再延長R終了 判定 SRS藤原紀香番組卒業特番 スペシャルワンマッチ 1999年3月25日
× ステファン"ブリッツ"レコ 2R 1:09 TKO(右ストレート) K-1 DREAM '98 1998年7月18日

エキシビションマッチ

[編集]
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
ピーター・グラハム 3分2R NO NAME HEROES 7
【スパーエキシビションマッチ】
2007年10月28日
新田明臣 2分2R NO NAME HEROES 6 -GO GO UGO!-
【スペシャルエキシビションマッチ】
2006年11月26日

獲得タイトル

[編集]
  • K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜 優勝(2001年)

出演作品

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

テレビ その他

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 【2002年6月の格闘技】蹴ったニコラス・ペタスのスネが「折れた!」”. ゴング格闘技 (2020年6月15日). 2022年7月25日閲覧。
  2. ^ XPLOSION SUPER FIGHT 13 BoutReview 2006年3月28日
  3. ^ 【ニュース】ニコラス・ペタスと小路晃がタッグ結成!「強い日本人選手を作り上げる」 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年11月12日
  4. ^ ペタスが急きょ出場決定も巨漢狩りを宣言”. 日刊スポーツ (2007年12月30日). 2023年6月28日閲覧。
  5. ^ CrossFit Nishi Azabu | Coaches”. www.crossfitnishiazabu.com. 2023年6月2日閲覧。
  6. ^ “あゝ! 一軒家プロレス”. 映画-Movie Walker. (2004年12月4日). https://moviewalker.jp/mv34393/ 2016年12月24日閲覧。 
  7. ^ 空手を始めて1万日!元K-1選手ニコラス・ペタスがデンマークへ里帰り!『ホムカミ』 - テレビドガッチ 2014年01月31日[リンク切れ]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]