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「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の版間の差分

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== 楽曲解説 ==
「トリッチ・トラッチ」という[[ドイツ語]]は、「女のおしゃべり」と解釈することが出来るので、ウィーンっ子の[[ゴシップ]]好きに関係しているのかもしれないが、あるいはシュトラウス2世は、[[オーストリア]]の[[役者]]で喜劇作家[[ヨハン・ネポムク・ネストロイ]]原作による、1幕の[[戯作]]『井戸端会議'' 'Der Tritsch-tratsch' ''』([[1833年]]初演、アドルフ・ミュラー1世の音楽による)を参考にしたのかもしれない。この戯曲は、ポルカが作曲された時代になってもまだ上演されていたのである。
ヨハン・シュトラウス2世は[[1856年]]より16年にわたって、夏半期は[[ツァールスコエ・セロー]]市に所在地を置く鉄道会社がオファーする、高収入を見込める話に応じて、[[ロシア帝国]]の首都であった[[サンクトペテルブルク]]市近郊の[[パヴロフスク]]市でコンサート活動をした。ここでシュトラウス2世は、ロシア貴族の令嬢[[オルガ・スミルニツカヤ]]と恋仲になったが<ref name="増田(2003) p.115"> 増田(2003) p.115</ref>、彼女の両親からは認められない秘密の恋であった<ref name="増田(2003) p.115"/>。


当時のサンクトペテルブルクやその近郊は、貴族階級や裕福なヨーロッパ人の避暑地のひとつであったので、パヴロフスクでのコンサートによって、シュトラウス2世は世界的に有名になった。そのため、「ジャン」という愛称で呼ばれていたシュトラウス2世の恋も、遠い[[ウィーン]]にまで伝わってゴシップとなっていた。冬半期にウィーンに戻ったシュトラウス2世は、街角で人々が「シャン」「シャニ」の恋をうわさするのを聞く{{#tag:ref|ヨハンのフランス風呼び名「[[ジャン]]」は、ウィーンでは無声音になりシャン、愛称化するとシャニとなる。当時のウィーンでは、子音と母音からなる「ヨハン」よりも、たおやかな響きのほうが好まれた<ref>小宮(2003) p.110</ref>。|group=注釈}}。
この曲の雰囲気は、多くのシュトラウス2世のポルカと同じく、軽快で威勢が良い。ちなみに余談であるが、シュトラウスの最初の妻ヘンリエッタ・トレフツが飼っていた[[プードル]]もまた「トリッチ・トラッチ」という名であった。


ウィーンには当時、''"Tritsch-Tratsch"'' という著名人のうわさを掲載した雑誌があった<ref name="ケンプ(1987) p.84"> ケンプ(1987) p.84</ref>。この題名は、ウィーンで活躍した[[ビーダーマイヤー]]作家であり、今日でも[[ブルク劇場]]などで作品が上演され続けている劇作家{{仮リンク|ヨハン・ネストロイ|de|Johann Nestroy}}の[[戯曲]]『{{仮リンク|トリッチ・トラッチ|de|Der Tritschtratsch}}』を借りたものである<ref name="ケンプ(1987) p.84"/>。トラッチ(Tratsch)はうわさを意味する[[ドイツ語]]で、トリッチ・トラッチ(Tritschtratsch)と並べることで音遊び感覚になる。シュトラウス2世は街角の「うわさ」「おしゃべり」を歌うポルカを作曲し、雑誌を揶揄してその題名を冠したのである。
[[en: Tritsch-Tratsch-Polka]]

[[category:ヨハン・シュトラウス2世の楽曲|とりつちとらつちほるか]]
この曲の雰囲気は、多くのヨハン・シュトラウス2世のポルカと同じく、軽快で威勢が良い。なおシュトラウス2世の最初の妻ヘンリエッタ・トレフツが飼っていた[[プードル]]もまた「トリッチ・トラッチ」という名であった{{要出典|date=2016年9月}}。もともとは合唱つきで、[[ウィーン少年合唱団]]などのレパートリーとして残っているのはその名残である。
[[category:ポルカ|とりつちとらつちほるか]]

日本においては、小学校の運動会などで比較的よく流される曲であり、知っている人も多い。また、「[[コレナンデ商会]]」でも[[下山啓]]が歌詞をつけた歌が流れたこともあった。

== ニューイヤーコンサート ==
<div class="NavFrame" style="clear:both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align:left;">[[ニューイヤーコンサート|ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート]]への登場歴</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
{| class="wikitable" style="font-size:small;"
!開催年!!指揮者!!備考
|-
|1943年||[[クレメンス・クラウス]]||
|-
|{{仮リンク|ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート1946|label=1946|de|Neujahrskonzert der Wiener Philharmoniker 1946}}||[[ヨーゼフ・クリップス]]||
|-
|1963年||[[ヴィリー・ボスコフスキー]]||
|-
|1967年||ヴィリー・ボスコフスキー||
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|1973年||ヴィリー・ボスコフスキー||
|-
|1974年||ヴィリー・ボスコフスキー||
|-
|1981年||[[ロリン・マゼール]]||
|-
|1988年||[[クラウディオ・アバド]]||
|-
|1990年||[[ズービン・メータ]]||
|-
|[[ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート1992|1992年]]||[[カルロス・クライバー]]||
|-
|1998年||ズービン・メータ||
|-
|1999年||ロリン・マゼール||
|-
|2008年||[[ジョルジュ・プレートル]]||
|-
|{{仮リンク|ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2012|label=2012|nl|Nieuwjaarsconcert van de Wiener Philharmoniker 2012}}||[[マリス・ヤンソンス]]||
|-
|}
</div></div>

== 脚注==
{{脚注ヘルプ}}

=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
<references />

== 参考文献 ==
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*{{Cite book|和書|author=ピーター・ケンプ|translator=[[木村英二]]|date=1987年10月|title=[[シュトラウス家|シュトラウス・ファミリー]]:ある音楽王朝の肖像|publisher=[[音楽之友社]]|isbn=4276-224241|ref=ケンプ(1987)}}
* Peter Keuschnig著 『Johann Strauß (Sohn) 』2000年11月7日([[オーストリア]]、ウィーン、[[オーストリア航空]]のための書き下ろし)
*{{Cite book|和書|author=小宮正安|authorlink=小宮正安|date=2000年12月10日|title=[[ヨハン・シュトラウス2世|ヨハン・シュトラウス]]:ワルツ王と落日の[[ウィーン]]|series=[[中公新書]]|publisher=[[中央公論新社]]|isbn=4-12-101567-3|ref=小宮(2000)}}
*[[増田芳雄]]「ロシアのヨハン・シュトラウス」([[帝塚山大学]]『人間環境科学』第12巻、2003年)
*{{Cite book|和書|author=加藤雅彦|authorlink=加藤雅彦|date=2003年12月20日|title=[[ウィンナ・ワルツ]]:[[ハプスブルク君主国|ハプスブルク帝国]]の遺産|series=[[NHKブックス]]|publisher=[[NHK出版|日本放送出版協会]]|isbn=4-14-001985-9|ref=加藤(2003)}}
*[[若宮由美]]「[http://johann-strauss-society.com/images/pdf/ny12.pdf ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート 2012 会員の中村哲郎さんがNHK放送にゲスト出演! ニューイヤーを語る 曲目解説]」より〈トリッチ・トラッチ・ポルカ〉。

== 外部リンク ==
*{{IMSLP2|work=Tritsch-Tratsch-Polka, Op.214 (Strauss Jr., Johann)|cname=『トリッチ・トラッチ・ポルカ』}}
* [http://members.aon.at/classic-music/curriculum/keuschnig.html ペーター・コイシュニック]
{{Normdaten}}

{{DEFAULTSORT:とりつちとらつちほるか}}
[[category:ヨハン・シュトラウス2世の管弦楽曲]]
[[category:ヨハン・シュトラウス2世のポルカ]]
[[Category:イ長調]]
[[Category:楽曲 と|りつちとらつちほるか]]
[[Category:1858年の楽曲]]

2024年3月25日 (月) 17:31時点における最新版

『トリッチ・トラッチ・ポルカ』
ドイツ語: Tritsch-Tratsch-Polka
ピアノ初版譜の表紙(カール・ハスリンガードイツ語版出版)
ジャンル ポルカ・シュネルドイツ語版
作曲者 ヨハン・シュトラウス2世
作品番号 op.214
初演 1858年11月

トリッチ・トラッチ・ポルカ』(ドイツ語: Tritsch-Tratsch-Polka作品214は、ヨハン・シュトラウス2世1858年に作曲したポルカ・シュネルドイツ語版

楽曲解説

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ヨハン・シュトラウス2世は1856年より16年にわたって、夏半期はツァールスコエ・セロー市に所在地を置く鉄道会社がオファーする、高収入を見込める話に応じて、ロシア帝国の首都であったサンクトペテルブルク市近郊のパヴロフスク市でコンサート活動をした。ここでシュトラウス2世は、ロシア貴族の令嬢オルガ・スミルニツカヤと恋仲になったが[1]、彼女の両親からは認められない秘密の恋であった[1]

当時のサンクトペテルブルクやその近郊は、貴族階級や裕福なヨーロッパ人の避暑地のひとつであったので、パヴロフスクでのコンサートによって、シュトラウス2世は世界的に有名になった。そのため、「ジャン」という愛称で呼ばれていたシュトラウス2世の恋も、遠いウィーンにまで伝わってゴシップとなっていた。冬半期にウィーンに戻ったシュトラウス2世は、街角で人々が「シャン」「シャニ」の恋をうわさするのを聞く[注釈 1]

ウィーンには当時、"Tritsch-Tratsch" という著名人のうわさを掲載した雑誌があった[3]。この題名は、ウィーンで活躍したビーダーマイヤー作家であり、今日でもブルク劇場などで作品が上演され続けている劇作家ヨハン・ネストロイドイツ語版戯曲トリッチ・トラッチドイツ語版』を借りたものである[3]。トラッチ(Tratsch)はうわさを意味するドイツ語で、トリッチ・トラッチ(Tritschtratsch)と並べることで音遊び感覚になる。シュトラウス2世は街角の「うわさ」「おしゃべり」を歌うポルカを作曲し、雑誌を揶揄してその題名を冠したのである。

この曲の雰囲気は、多くのヨハン・シュトラウス2世のポルカと同じく、軽快で威勢が良い。なおシュトラウス2世の最初の妻ヘンリエッタ・トレフツが飼っていたプードルもまた「トリッチ・トラッチ」という名であった[要出典]。もともとは合唱つきで、ウィーン少年合唱団などのレパートリーとして残っているのはその名残である。

日本においては、小学校の運動会などで比較的よく流される曲であり、知っている人も多い。また、「コレナンデ商会」でも下山啓が歌詞をつけた歌が流れたこともあった。

ニューイヤーコンサート

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脚注

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注釈

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  1. ^ ヨハンのフランス風呼び名「ジャン」は、ウィーンでは無声音になりシャン、愛称化するとシャニとなる。当時のウィーンでは、子音と母音からなる「ヨハン」よりも、たおやかな響きのほうが好まれた[2]

出典

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  1. ^ a b 増田(2003) p.115
  2. ^ 小宮(2003) p.110
  3. ^ a b ケンプ(1987) p.84

参考文献

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音楽・音声外部リンク
全曲を試聴する
Tritsch-Tratsch-Polka - メータ指揮、ウィーンフィル演奏。EuroArts公式YouTube「EuroArtsChannel」。
Tritsch-Tratsch-Polka - ドゥダメル指揮、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ演奏。w:Medici.tv公式YouTubeチャンネル。
Strauss: Polka Trisch Trasch - Sinfónica Ciudad de Zaragoza演奏(合唱付き)。公式YouTubeチャンネル。
  • ピーター・ケンプ 著、木村英二 訳『シュトラウス・ファミリー:ある音楽王朝の肖像』音楽之友社、1987年10月。ISBN 4276-224241 
  • Peter Keuschnig著 『Johann Strauß (Sohn) 』2000年11月7日(オーストリア、ウィーン、オーストリア航空のための書き下ろし)
  • 小宮正安ヨハン・シュトラウス:ワルツ王と落日のウィーン中央公論新社中公新書〉、2000年12月10日。ISBN 4-12-101567-3 
  • 増田芳雄「ロシアのヨハン・シュトラウス」(帝塚山大学『人間環境科学』第12巻、2003年)
  • 加藤雅彦ウィンナ・ワルツハプスブルク帝国の遺産』日本放送出版協会NHKブックス〉、2003年12月20日。ISBN 4-14-001985-9 
  • 若宮由美ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート 2012 会員の中村哲郎さんがNHK放送にゲスト出演! ニューイヤーを語る 曲目解説」より〈トリッチ・トラッチ・ポルカ〉。

外部リンク

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