「国鉄ED53形電気機関車」の版間の差分
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{{機関車情報表 |
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'''ED53形'''は、[[日本国有鉄道]](国鉄)の前身である[[鉄道省]]が輸入した[[直流]]用[[電気機関車]]である。本形式の改造により誕生した'''ED19形'''についても、本項で記述する。 |
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| 車両名 = ED53形 |
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|背景色 = #000000 |
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|文字色 = #ffffff |
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| 画像 = JGR-ED53ElectricLocomotive.jpg |
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| 画像説明 = ED533 |
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| 運用者 = [[鉄道省]] |
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| 製造所 = [[ウェスティングハウス・エレクトリック]]社(電気部分)<br>[[ボールドウィン (車両メーカー)|ボールドウィン]]社(機械部分) |
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| 製造番号 = |
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| 種車 = <!-- 改造車・編入車・譲受車向け --> |
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| 型名 = |
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| 形式 = |
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| 車両番号 = |
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| 製造年 = [[1926年]] |
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| 製造数 = 6両 |
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| 改造年 = <!-- 改造車向け --> |
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| 改造数 = <!-- 改造車向け --> |
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| 導入年 = <!-- 編入車・譲受車向け --> |
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| 総数 = <!-- 編入車・譲受車向け --> |
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| 運用開始 = |
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| 運用終了 = |
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| 引退 = |
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| 廃車 = 1976年(ED19形改造後) |
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| 消滅 = 1941年(ED19形改造による) |
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| 愛称 = <!-- 非公式愛称向け --> |
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| 投入先 = [[東海道本線]](東京 - 国府津) |
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| 軸配置 = 1B+B1 |
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| 軌間 = 1,067 mm |
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| 電気方式 = 直流1,500V([[架空電車線方式]]) |
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| 長さ = |
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| 幅 = |
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| 高さ = |
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| 全長 = 12,500mm |
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| 全幅 = 2,770mm |
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| 全高 = 3,925mm |
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| 車体長 = |
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| 車体幅 = |
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| 車体高 = |
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| 機関車重量 = 68.32t |
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| 自重 = |
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| 空車重量 = |
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| 運転整備重量 = |
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| 動輪上重量 = 52.04t |
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| 台車 = |
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| 台車間距離 = |
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| 固定軸距 = |
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| 車輪径 = |
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| 軸重 = |
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| 動力伝達方式 = 1段歯車減速、[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け式]] |
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| 主電動機 =MT19形(端子電圧675V時定格出力210kW、定格回転数620rpm)×4基 |
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| 主電動機出力 = |
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| 歯車比 = 25:68=1:2.72 |
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| 制御方式 = 非重連、[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御、2段組合せ、弱め界磁制御]] |
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| 制御装置 = 複式電磁空気単位スイッチ式 |
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| 制動装置 = |
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| 保安装置 = |
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| 最高速度 = |
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| 最高運転速度 = 95.0km/h |
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| 設計最高速度 = |
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| 定格速度 = |
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| 出力 = |
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| 最大出力 = |
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| 定格出力 = |
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| 引張力 = |
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| 最大引張力 = |
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| 定格引張力 = |
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| 備考 = 全車ED19形へ改造 |
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| 備考全幅 = |
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}} |
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'''ED53形'''は、[[日本国有鉄道]](国鉄)の前身である[[鉄道省]]が輸入した[[直流電化|直流]]用[[電気機関車]]である。 |
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本項では、本形式を改造した機関車である'''ED19形'''についても併せて記述する。 |
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==概要== |
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[[東海道本線]][[東京駅|東京]]~[[国府津駅|国府津]]間用に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のウェスティングハウス社(Westinghouse/電気部分)とボールドウィン社(Baldwin/機械部分)の合作により[[1926年]](大正15年)に6両が製造された。 |
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== 概要 == |
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製造当初は'''6010形'''('''6010~6015''')と称したが、[[1928年]](昭和3年)10月の車両形式称号規程の改正により、'''ED53形'''('''ED531~6''')に形式番号が改められた。 |
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[[File:JGR Class 6010 number 6011 1926.jpg|thumb|6011号(1926年)]] |
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[[東海道本線]][[東京駅|東京]] - [[国府津駅|国府津]]間用に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ウェスティングハウス・エレクトリック]]社(Westinghouse Electric/電気部分)と[[ボールドウィン (車両メーカー)|ボールドウィン]]社(Baldwin/機械部分)の合作により[[1926年]]([[大正]]15年)に6両が製造された。 |
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製造当初は'''6010形'''('''6010 - 6015''')と称したが、[[1928年]]([[昭和]]3年)10月の[[国鉄機関車の車両形式#1928年形式称号規程|車両形式称号規程の改正]]により、'''ED53形'''('''ED531 - 6''')に形式番号が改められた。 |
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1軸の先輪を有する旅客列車用の電気機関車で、箱形の車体の前後にデッキがある。無骨な[[イギリス]]製の[[国鉄EF50形電気機関車|EF50形]]などに比べ、スマートな外観で、前面には後退角がつけられて3面折妻となっており、前面窓下には砂箱が設けられている。屋根上には、[[集電装置|パンタグラフ]]が2基設置されている。同じメーカー製の[[国鉄EF51形電気機関車|EF51形]]とは、車体の長さや足回りを除いて外観が非常に似ている。 |
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1軸の[[先輪]]を有する[[旅客列車]]用の電気機関車で、箱形の車体の前後にデッキがある。前面には後退角がつけられて3面折妻となっており、前面窓下には[[砂撒き装置|砂箱]]が設けられている。屋根上には、[[集電装置|パンタグラフ]]が2基設置されている。同じメーカー製の[[国鉄EF51形電気機関車|EF51形]]は本形式をストレッチしたもので、兄弟形式ともいうべきものである。 |
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電気的には、主幹制御器に電磁空気単位スイッチ式を採用し、高速度遮断器を装備している。本形式は使用成績も良く、[[国鉄EF52形電気機関車|EF52形]]以降[[国鉄EF58形電気機関車|EF58形]]に至るまでの国鉄電気機関車の基本形となった。 |
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[[電装]]機器類は手堅い手法でまとめられており、[[主制御器]]に電磁空気単位スイッチ式を採用、高速度[[遮断器]]を装備している。本形式は使用成績も良好で、初の大型国産電気機関車である[[国鉄EF52形電気機関車|EF52形]][[開発]]に際しても参考にされ、戦後の[[国鉄EF58形電気機関車|EF58形]]に至るまで技術的影響を及ぼしている。 |
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この信頼性の高さを受け、1号機及び2号機は、[[お召し列車|お召し列車]]牽引用に指定されている。 |
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その信頼性の高さを受け、1号機及び2号機が[[お召し列車]]牽引用に、3号機がその予備機として指定され車体の側面や窓枠などには装飾を施し、運転室には御料車との連絡用電話が設置された<ref>『とれいん』1986年10月号 p13</ref>。なお、お召し列車の運転時はトラブル防止の観点から必ず[[重連運転|重連]]で[[運用 (鉄道)|運用]]された。 |
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[[1937年]](昭和13年)の[[仙山線]][[作並駅|作並]]~[[山寺駅|山寺]]間の開通により全通したのにともない、3~6号機は歯車比の増大(2.72→4.47)及び抵抗器容量の増加、耐寒耐雪装備の追加改造を大宮工場(現在の[[大宮総合車両センター]])で施行されて'''ED19形'''('''ED191~4''')に改名の上、作並機関区に転属した。1号機及び2号機は引き続き東京機関区にあってお召し列車牽引用として使用されたが、[[1940年]](昭和15年)に甲府機関区に転属となり、[[1941年]](昭和16年)にED19形('''ED195,6''')に改造され、[[身延線]]で使用された。 |
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輸入当初は国府津機関庫に配置、その後[[1930年]](昭和5年)までに全車東京機関庫(1936年に東京機関区へ改称)配属となり、東京 - 国府津間および熱海線と呼ばれていた国府津 - [[熱海駅|熱海]]間で'''[[湘南電車|湘南列車]]'''と呼ばれた[[国鉄スハ32系客車|スハ32系客車]]による編成の普通列車を主に牽引し、さらに[[1934年]](昭和9年)の[[丹那トンネル]]開通、[[1935年]](昭和10年)の[[伊東線]]開業後は[[沼津駅|沼津]]や[[伊東駅|伊東]]まで運用範囲を広げたが、3 - 6号機は[[1937年]](昭和12年)から順次ED19形へ改造、1号機と2号機も[[1938年]](昭和13年)頃にはお召し列車牽引の指定を解除され車体の装飾が撤去された<ref>『とれいん』1986年10月号 p13-14</ref>。また、[[富士山麓電気鉄道富士急行線|富士山麓電気鉄道線]]への直通列車運転が計画された際には同線の線路規格の都合から東京鉄道管理局(東鉄局)管内配置の電気機関車でも特に13tと軸重が軽い本形式を使用することとなり、計画した東鉄局運転課や実際の運転を担当する八王子機関区で詳細を検討、試運転を行ったとはいえ富士山麓電気鉄道の急勾配区間へ後述するED19形のような歯車比の変更をせず入線した都合、勾配上でのノッチ操作の難しさや一時的な過負荷運転を伴う形の直通列車牽引となった<ref>『鉄道ピクトリアル』1980年4月号 p67-68</ref>。 |
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外観上では、運転台窓下の砂箱が撤去されたのと、車体側面下部のルーバーが横型に変更されたのが目立つ。ただし、ED195は縦型、ED196は最後まで原形のままであった。後には、側面の窓や運転台窓が隅にRがついた形態に更新されたものも多く、最終時の形態は、それこそ6車6様であった。 |
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== ED19形への改造 == |
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また、ED192は[[太平洋戦争]]後に装備改造を受け、制御電源の電圧を32Vから100Vに改めるとともに、国産機器に装備を更新している。 |
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1937年(昭和12年)に[[仙山線]]は[[作並駅|作並]] - [[山寺駅|山寺]]間の開通で全通したが、この区間は長大な[[仙山トンネル]]通過に対応して当初より電化された。これに伴ってED53形3 - 6号機が仙山線運用に充当されることになり、以下の改造が大宮工場(現在の[[大宮総合車両センター]])で施行された。 |
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* 山岳区間での運用に備えて[[歯車比]]の増大(2.72→4.47)及び[[抵抗器]]容量の増加 |
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仙山線の4両は、戦後、西国立機関支区に転属して[[南武線]]で貨物列車の牽引に使用された。晩年は全車が伊那松島機関区に集結して、おもに[[飯田駅|飯田]]以北の[[飯田線]]で使用されたが、[[1976年]](昭和51年)に全機が[[廃車]]となった。 |
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* 運用区間が寒冷地であることからスノープラウほか耐寒耐雪装備の追加改造 |
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* 運転台窓下の砂箱を撤去し台車に省標準形の砂箱取り付け、砂箱と干渉した速度計を改造 |
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* 車体側面下部の[[ルーバー]]形状を省標準形に変更(1・2号機は横並び型、3・4号機は縦並び型) |
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* 東海道本線時代に使用した客車への電気暖房設備を撤去 |
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* ボールドウィン製のパンタグラフを国産のPS10形に交換(1938年以降実施) |
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改造後は'''ED19形'''('''ED191 - 4''')に[[改番|改称]]のうえ、作並機関区に転属した。引き続き東京機関区で運用されていたED53形1号機と2号機も[[1940年]](昭和15年)に甲府機関区に転属、[[1941年]](昭和16年)にはED19形('''ED195, 6''')に改造されたが、ED191 - 4号機に施された耐寒対雪装備の追加は簡略化、砂箱や側面ルーバーは未改造のまま[[身延線]]で使用された<ref>『とれいん』1986年10月号 p15</ref>。 |
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==保存== |
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ED191が、[[長野県]][[上伊那郡]][[箕輪町]]の郷土博物館前に[[静態保存]]されている。 |
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戦時中には1号機が西国立機関支区に転属して[[南武線]]の貨物列車を牽引、2号機と4 - 6号機は豊橋機関区に転属し[[飯田線]]の貨物列車の牽引に使用された。甲府機関区に転属した3号機も[[戦後]]の[[1948年]](昭和23年)豊橋へ転属、1号機以外の全車が飯田線で運用されるようになった。 |
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==主要諸元== |
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===ED53形=== |
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戦後は車体改修が行われ、砂箱が未改造であった5号機と6号機も運転台窓下の砂箱を撤去、さらに5号機は全[[溶接]]構造の車体に更新され、側面窓やルーバーの形状で異彩を放った。また、2号機は機器が焼損したため他機に先駆けて内部機器を含めた改修工事を受けたことから、パンタグラフの装備位置が若干前後の車端に寄っている。このほか3 - 6号機は運転台前面の窓が隅に[[R#主に小文字|r]]がついた形態に更新、側面ルーバーは1 - 4号機が横並び型に変更され、最終時の形態はそれこそ6車6様であった<ref>『とれいん』1986年10月号 p20</ref>。 |
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*全長:12500mm |
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*全幅:2770mm |
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機器は国鉄形電気機関車の基礎となったこともあり、構造的にある程度の互換性があったことや、EF51形の廃車で予備品が確保できたため、大部分がウェスティングハウスのものを廃車まで使用し続けたが、2号機のみ前述の機器焼損のため戦後に装備改造を受け、制御電源の電圧を32Vから100Vに改めると共に国産機器に更新している。 |
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*全高:3925mm |
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[[昭和30年代]]以降は比較的軽量なことから、6両全車が[[伊那松島運輸区|伊那松島機関区]]に集結し[[線路等級|軌道構造]]が低規格な飯田線[[飯田駅|飯田]]以北での貨物列車牽引に運用されたが、代替機[[国鉄ED62形電気機関車|ED62形]]の投入に伴い[[1976年]](昭和51年)までに全機が[[廃車 (鉄道)|廃車]]となった。 |
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== 保存 == |
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<gallery> |
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file:ED191.jpg|ED19 1(旧ED53 3)(長野県箕輪町郷土博物館) |
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file:ED191 002.jpg|ED19 1(旧ED53 3)1996年10月19日撮影 |
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</gallery> |
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ED53 3から改造されたED19 1が、[[長野県]][[上伊那郡]][[箕輪町]]の郷土博物館前に唯一[[静態保存]]されている。それ以外は全て廃車後、解体処分された。 |
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== 主要諸元 == |
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=== ED53形 === |
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*全長:12,500mm |
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*全幅:2,770mm |
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*全高:3,925mm |
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*機関車重量:68.32t |
*機関車重量:68.32t |
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*動輪上重量:52.04t |
*動輪上重量:52.04t |
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*電気方式:直流 |
*電気方式:直流1,500V([[架空電車線方式]]) |
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*軸配置:1B+B1 |
*軸配置:1B+B1 |
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*主電動機:MT19形(端子電圧675V時定格出力210kW、定格回転数620rpm)×4基 |
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*1時間定格出力:820kW |
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*1時間定格引張力:5800kg |
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*主電動機:MT19形×4基 |
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*歯車比:25:68=1:2.72 |
*歯車比:25:68=1:2.72 |
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*1時間定格出力:840kW |
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*1時間定格引張力:5,800kg |
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*1時間定格速度:53.0km/h |
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*最高運転速度:95.0km/h |
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*動力伝達方式:1段歯車減速、[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け式]] |
*動力伝達方式:1段歯車減速、[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け式]] |
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*制御方式:非重連、[[抵抗制御 |
*制御方式:非重連、[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御、2段組合せ、弱め界磁制御]] |
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*制御装置:電磁空気単位スイッチ式 |
*制御装置:複式電磁空気単位スイッチ式 |
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*ブレーキ方式:EL14A空気ブレーキ |
*ブレーキ方式:EL14A[[空気ブレーキ]] |
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*先台車形式:LT141 |
*先台車形式:LT141 |
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*最高運転速度: |
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===ED19形=== |
=== ED19形 === |
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[[ファイル:JNR-ED19.jpg|thumb|300px|right|ED19形の形式図]] |
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'''この書体'''は、改造により変更のあった数値 |
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'''※'''は、改造により変更のあった数値 |
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*全長:12500mm |
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*全 |
*全長:12,500mm |
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*全 |
*全幅:2,770mm |
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*全高:3,925mm |
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*機関車重量:'''37.70t''' |
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*機関車重量:'''※67.70t''' |
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*動輪上重量:'''※52.00t''' |
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*電気方式:直流1500V(架空電車線方式) |
*電気方式:直流1500V(架空電車線方式) |
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*軸配置:1B+B1 |
*軸配置:1B+B1 |
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*1時間定格出力:820kW |
*1時間定格出力:820kW |
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*1時間定格引張力:''' |
*1時間定格引張力:'''※12,000kg''' |
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*1時間定格速度:'''※25km/h''' |
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*最高運転速度:'''※65km/h''' |
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*主電動機:MT19形×4基 |
*主電動機:MT19形×4基 |
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*歯車比:''' |
*歯車比:'''※17:76=1:4.47''' |
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*動力伝達方式:1段歯車減速、吊り掛け式 |
*動力伝達方式:1段歯車減速、吊り掛け式 |
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*制御方式:非重連、抵抗制御、2段組合せ、弱め界磁制御 |
*制御方式:非重連、抵抗制御、2段組合せ、弱め界磁制御 |
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*制御装置:電磁空気単位スイッチ式 |
*制御装置:電磁空気単位スイッチ式 |
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*ブレーキ方式:EL14A空気ブレーキ |
*ブレーキ方式:EL14A空気ブレーキ |
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*先台車形式:LT141 |
*先台車形式:LT141 |
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*最高運転速度:'''65km/h''' |
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== 参考文献 == |
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[[category:鉄道車両]] |
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* [[プレス・アイゼンバーン]]『[[とれいん]]』 1986年10月号 No.142 p13-p20 車両の視点:国鉄ED53・ED19 |
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[[category:日本国有鉄道|車]] |
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* 田中隆三「電気機関車畑13年の回顧(8)」[[鉄道図書刊行会]]『[[鉄道ピクトリアル]]』 1980年4月号 No.374 p65-p68 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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<references /> |
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== 関連項目 == |
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{{国鉄の旧型電気機関車}} |
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{{デフォルトソート:こくてつED53}} |
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[[Category:日本国有鉄道の電気機関車|ED53]] |
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[[Category:ウェスティングハウス・エレクトリック製の電気機関車]] |
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[[Category:ボールドウィン製の電気機関車]] |
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[[Category:1926年製の鉄道車両]] |
2024年2月18日 (日) 12:01時点における最新版
ED53形 | |
---|---|
ED533 | |
基本情報 | |
運用者 | 鉄道省 |
製造所 |
ウェスティングハウス・エレクトリック社(電気部分) ボールドウィン社(機械部分) |
製造年 | 1926年 |
製造数 | 6両 |
廃車 | 1976年(ED19形改造後) |
消滅 | 1941年(ED19形改造による) |
投入先 | 東海道本線(東京 - 国府津) |
主要諸元 | |
軸配置 | 1B+B1 |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流1,500V(架空電車線方式) |
全長 | 12,500mm |
全幅 | 2,770mm |
全高 | 3,925mm |
機関車重量 | 68.32t |
動輪上重量 | 52.04t |
動力伝達方式 | 1段歯車減速、吊り掛け式 |
主電動機 | MT19形(端子電圧675V時定格出力210kW、定格回転数620rpm)×4基 |
歯車比 | 25:68=1:2.72 |
制御方式 | 非重連、抵抗制御、2段組合せ、弱め界磁制御 |
制御装置 | 複式電磁空気単位スイッチ式 |
最高運転速度 | 95.0km/h |
備考 | 全車ED19形へ改造 |
ED53形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が輸入した直流用電気機関車である。
本項では、本形式を改造した機関車であるED19形についても併せて記述する。
概要
[編集]東海道本線東京 - 国府津間用にアメリカのウェスティングハウス・エレクトリック社(Westinghouse Electric/電気部分)とボールドウィン社(Baldwin/機械部分)の合作により1926年(大正15年)に6両が製造された。
製造当初は6010形(6010 - 6015)と称したが、1928年(昭和3年)10月の車両形式称号規程の改正により、ED53形(ED531 - 6)に形式番号が改められた。
1軸の先輪を有する旅客列車用の電気機関車で、箱形の車体の前後にデッキがある。前面には後退角がつけられて3面折妻となっており、前面窓下には砂箱が設けられている。屋根上には、パンタグラフが2基設置されている。同じメーカー製のEF51形は本形式をストレッチしたもので、兄弟形式ともいうべきものである。
電装機器類は手堅い手法でまとめられており、主制御器に電磁空気単位スイッチ式を採用、高速度遮断器を装備している。本形式は使用成績も良好で、初の大型国産電気機関車であるEF52形開発に際しても参考にされ、戦後のEF58形に至るまで技術的影響を及ぼしている。
その信頼性の高さを受け、1号機及び2号機がお召し列車牽引用に、3号機がその予備機として指定され車体の側面や窓枠などには装飾を施し、運転室には御料車との連絡用電話が設置された[1]。なお、お召し列車の運転時はトラブル防止の観点から必ず重連で運用された。
輸入当初は国府津機関庫に配置、その後1930年(昭和5年)までに全車東京機関庫(1936年に東京機関区へ改称)配属となり、東京 - 国府津間および熱海線と呼ばれていた国府津 - 熱海間で湘南列車と呼ばれたスハ32系客車による編成の普通列車を主に牽引し、さらに1934年(昭和9年)の丹那トンネル開通、1935年(昭和10年)の伊東線開業後は沼津や伊東まで運用範囲を広げたが、3 - 6号機は1937年(昭和12年)から順次ED19形へ改造、1号機と2号機も1938年(昭和13年)頃にはお召し列車牽引の指定を解除され車体の装飾が撤去された[2]。また、富士山麓電気鉄道線への直通列車運転が計画された際には同線の線路規格の都合から東京鉄道管理局(東鉄局)管内配置の電気機関車でも特に13tと軸重が軽い本形式を使用することとなり、計画した東鉄局運転課や実際の運転を担当する八王子機関区で詳細を検討、試運転を行ったとはいえ富士山麓電気鉄道の急勾配区間へ後述するED19形のような歯車比の変更をせず入線した都合、勾配上でのノッチ操作の難しさや一時的な過負荷運転を伴う形の直通列車牽引となった[3]。
ED19形への改造
[編集]1937年(昭和12年)に仙山線は作並 - 山寺間の開通で全通したが、この区間は長大な仙山トンネル通過に対応して当初より電化された。これに伴ってED53形3 - 6号機が仙山線運用に充当されることになり、以下の改造が大宮工場(現在の大宮総合車両センター)で施行された。
- 山岳区間での運用に備えて歯車比の増大(2.72→4.47)及び抵抗器容量の増加
- 運用区間が寒冷地であることからスノープラウほか耐寒耐雪装備の追加改造
- 運転台窓下の砂箱を撤去し台車に省標準形の砂箱取り付け、砂箱と干渉した速度計を改造
- 車体側面下部のルーバー形状を省標準形に変更(1・2号機は横並び型、3・4号機は縦並び型)
- 東海道本線時代に使用した客車への電気暖房設備を撤去
- ボールドウィン製のパンタグラフを国産のPS10形に交換(1938年以降実施)
改造後はED19形(ED191 - 4)に改称のうえ、作並機関区に転属した。引き続き東京機関区で運用されていたED53形1号機と2号機も1940年(昭和15年)に甲府機関区に転属、1941年(昭和16年)にはED19形(ED195, 6)に改造されたが、ED191 - 4号機に施された耐寒対雪装備の追加は簡略化、砂箱や側面ルーバーは未改造のまま身延線で使用された[4]。
戦時中には1号機が西国立機関支区に転属して南武線の貨物列車を牽引、2号機と4 - 6号機は豊橋機関区に転属し飯田線の貨物列車の牽引に使用された。甲府機関区に転属した3号機も戦後の1948年(昭和23年)豊橋へ転属、1号機以外の全車が飯田線で運用されるようになった。
戦後は車体改修が行われ、砂箱が未改造であった5号機と6号機も運転台窓下の砂箱を撤去、さらに5号機は全溶接構造の車体に更新され、側面窓やルーバーの形状で異彩を放った。また、2号機は機器が焼損したため他機に先駆けて内部機器を含めた改修工事を受けたことから、パンタグラフの装備位置が若干前後の車端に寄っている。このほか3 - 6号機は運転台前面の窓が隅にrがついた形態に更新、側面ルーバーは1 - 4号機が横並び型に変更され、最終時の形態はそれこそ6車6様であった[5]。
機器は国鉄形電気機関車の基礎となったこともあり、構造的にある程度の互換性があったことや、EF51形の廃車で予備品が確保できたため、大部分がウェスティングハウスのものを廃車まで使用し続けたが、2号機のみ前述の機器焼損のため戦後に装備改造を受け、制御電源の電圧を32Vから100Vに改めると共に国産機器に更新している。
昭和30年代以降は比較的軽量なことから、6両全車が伊那松島機関区に集結し軌道構造が低規格な飯田線飯田以北での貨物列車牽引に運用されたが、代替機ED62形の投入に伴い1976年(昭和51年)までに全機が廃車となった。
保存
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ED19 1(旧ED53 3)(長野県箕輪町郷土博物館)
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ED19 1(旧ED53 3)1996年10月19日撮影
ED53 3から改造されたED19 1が、長野県上伊那郡箕輪町の郷土博物館前に唯一静態保存されている。それ以外は全て廃車後、解体処分された。
主要諸元
[編集]ED53形
[編集]- 全長:12,500mm
- 全幅:2,770mm
- 全高:3,925mm
- 機関車重量:68.32t
- 動輪上重量:52.04t
- 電気方式:直流1,500V(架空電車線方式)
- 軸配置:1B+B1
- 主電動機:MT19形(端子電圧675V時定格出力210kW、定格回転数620rpm)×4基
- 歯車比:25:68=1:2.72
- 1時間定格出力:840kW
- 1時間定格引張力:5,800kg
- 1時間定格速度:53.0km/h
- 最高運転速度:95.0km/h
- 動力伝達方式:1段歯車減速、吊り掛け式
- 制御方式:非重連、抵抗制御、2段組合せ、弱め界磁制御
- 制御装置:複式電磁空気単位スイッチ式
- ブレーキ方式:EL14A空気ブレーキ
- 先台車形式:LT141
ED19形
[編集]※は、改造により変更のあった数値
- 全長:12,500mm
- 全幅:2,770mm
- 全高:3,925mm
- 機関車重量:※67.70t
- 動輪上重量:※52.00t
- 電気方式:直流1500V(架空電車線方式)
- 軸配置:1B+B1
- 1時間定格出力:820kW
- 1時間定格引張力:※12,000kg
- 1時間定格速度:※25km/h
- 最高運転速度:※65km/h
- 主電動機:MT19形×4基
- 歯車比:※17:76=1:4.47
- 動力伝達方式:1段歯車減速、吊り掛け式
- 制御方式:非重連、抵抗制御、2段組合せ、弱め界磁制御
- 制御装置:電磁空気単位スイッチ式
- ブレーキ方式:EL14A空気ブレーキ
- 先台車形式:LT141
参考文献
[編集]- プレス・アイゼンバーン『とれいん』 1986年10月号 No.142 p13-p20 車両の視点:国鉄ED53・ED19
- 田中隆三「電気機関車畑13年の回顧(8)」鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』 1980年4月号 No.374 p65-p68
脚注
[編集]- ^ 『とれいん』1986年10月号 p13
- ^ 『とれいん』1986年10月号 p13-14
- ^ 『鉄道ピクトリアル』1980年4月号 p67-68
- ^ 『とれいん』1986年10月号 p15
- ^ 『とれいん』1986年10月号 p20