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|選手名 = 中田 翔 |
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2010年4月21日 (水) 12:02時点における版
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北海道日本ハムファイターズ #6 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県広島市中区 |
生年月日 | 1989年4月22日(35歳) |
身長 体重 |
182 cm 95 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 指名打者、一塁手 |
プロ入り | 2007年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2009年5月23日 |
年俸 | 1,200万円(2009年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手)。愛称は翔さん。
高校通算本塁打87本は史上最多(2024年現在)。甲子園でも歴代7位となる4本塁打を放った。
経歴
プロ入り前
広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51本塁打。シニア全日本選抜ではアメリカ遠征で4本塁打を放ち、投手としても141km/hを記録した。
大阪桐蔭高校に進学すると、1年夏には五番・一塁手でレギュラーとなり、投手としても最速147km/hを記録。秋からはエースで四番を任され、翌2006年春には151km/hまで球速が伸びた。2年時は肩の故障で投手としては活躍が出来なかったものの、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打、甲子園では推定飛距離140メートル弾、さらに秋季近畿大会では紀三井寺野球場で推定飛距離170メートルの本塁打を放つ。このころから「平成の怪物」と呼ばれるようになる。
3年生時(2007年)の7月6日、全国高校野球大阪大会直前の練習試合・生野工業高校戦にて高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を記録。大阪大会の決勝ではエースの植松優友(のちロッテ)を擁する金光大阪高校と対戦し、投手としては初回に3失点、打撃でも5打数無安打とふるわず、チームも敗戦し甲子園出場を逃した。
同年10月3日のプロ野球ドラフト会議(高校生対象)においては、由規、唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、北海道日本ハムファイターズを含む4球団[1]に1巡目で指名され、交渉権を獲得した日本ハムに入団。同年11月6日、高卒新人としては史上5人目となる契約金1億円・出来高5000万円・年俸1500万円(推定)で契約。背番号は同年オフに現役引退した田中幸雄の6を引き継いだ。
プロ入り後
高校時代は投手兼外野手だったが、入団後は三塁手を志願(球団の育成方針とも一致)。2008年、オープン戦から木製バットへの対応に苦しみ、開幕は2軍スタート。6月に左手首を骨折(全治1カ月)。打撃フォームも固まらず、2軍で本塁打11を記録するも打率.255に終わり、一度も1軍に昇格することはなかった。
2009年3月、三塁手としては使えないと判断され、一塁手に専念。同年5月、2軍での好成績が評価され、初めて1軍に昇格。5月23日のヤクルト戦で7番指名打者でプロ初出場、プロ初安打を記録。交流戦終了後に2軍へ降格。7月23日のフレッシュオールスターでは、本拠地札幌ドームでイースタン選抜の4番に座り、2安打2打点でMVPを獲得。9月2日、イースタン・リーグのシーズン最多本塁打記録を更新する28号本塁打を放った。最終的にイースタン・リーグでトップの本塁打30本(リーグ新記録)と打点95(リーグタイ記録)を記録し2冠王獲得、打率も.326でリーグ2位と好成績を残し、プロ野球コンベンション2009にて、特別賞を受賞した。
1軍での出場機会を増やすため、外野手への転向も検討されている。[2]
エピソード
- 黒い肌にあこがれ日焼けサロンにも足を運んでいる。2008年11月、秋期キャンプで日焼けを望んで練習中に帽子を被らなかったため、熱中症になった。
- トレードマークの坊主頭は自前のバリカンで散髪している。同時に、バリカンで陰毛も処理していると告白している[3]。スライディングパンツを装着すると練習中に擦れてしまうことと陰毛が絡まって痛いので練習に集中できなくなるという理由で陰毛も処理しているとのこと。
- 2008年4月、鎌ケ谷で行われた全体練習に寝坊で遅刻し、外出禁止1ヶ月と罰金処分を受けた。
- 2009年9月、2軍の試合前練習に遅刻したことなどを理由に、10日間の2軍戦出場停止と2軍のシーズン日程終了時までの寮からの外出禁止の処分を受けた。
- 2009年11月22日、プロ野球U-26選抜と大学日本代表の親善試合(東京ドーム)に指名打者で出場。左中間を突破しフェンスに到達するヒットを放ちながらも一塁でストップしてしまい、4万人の観客からどよめきが起きた。さらに、次打者のライト前ヒットの際にも、走塁中に判断を誤り慌てて三塁まで走ったが、ライトからの返球により三塁でタッチアウトとなった。[1]
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | 日本ハム | 22 | 38 | 36 | 3 | 10 | 2 | 0 | 0 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | .278 | .289 | .333 | .623 |
通算:1年 | 22 | 38 | 36 | 3 | 10 | 2 | 0 | 0 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | .278 | .289 | .333 | .623 |
- 2009年度シーズン終了時
背番号
- 6 (2008年 - )
- 5 (2009年U-26NPB選抜)
タイトル・表彰
- ファーム月間MVP(2009年3.4月)
- フレッシュオールスターMVP(2009年)
- イースタン・リーグ本塁打王(2009年)
- イースタン・リーグ打点王(2009年)
- イースタンリーグ優秀選手賞(2009年)
個人記録
- 初出場・初先発出場:2009年5月23日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(札幌ドーム) - 七番・指名打者として先発出場
- 初打席:同上 - 2回裏一死、投手:リッキー・バレット
- 初安打:同上 - 2回裏一死・第1打席、投手:同上
- 初得点:同上 - 2回裏一死
- 初打点:2009年9月27日、対福岡ソフトバンクホークス23回戦(福岡ドーム) - 7回表1死2、3塁・中犠飛、投手:大隣憲司
アマチュア時代の成績
- 2005年度
- 第87回全国高等学校野球選手権大会出場、準決勝進出。
- 2006年度
- 第88回全国高等学校野球選手権大会出場、2回戦進出。
- 2007年度
- 第79回選抜高等学校野球大会出場、準々決勝進出。